2005/06/17

'97年のタヒチ

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 タヒチへ行きたい。タヒチとは言わないがせめてどこか南国へ行きたい。最近は事情もあって旅行をする機会が減ってきた。おかげでblogで旅ネタを書く回数も減ってきた。過去の旅行のエピソードでも書けばいいじゃんとも思うが、やはりちょっと旅から離れてると気分が出ない。10月はどこかに行こうと思ってるから、近づくにつれ少しずつ気分ものってくるだろう。

 そういうことで本棚からタヒチ関係で気分の出る雑誌が無いか探した。本来はタヒチの楽園ぶりを謳った写真満載のリゾート雑誌などが精神的にはいいのだけど、リゾート気分を忘れてしまったか、重いネタを選んでしまう最近の習性なのか、同じ写真満載でも手にしたのは米国スノッブ御用達とある豪州人が言った「NATIONAL GEOGRAPHIC日本語版 97年6月号 南海の楽園タヒチの選択」。さっそく脱線である。

 「あれでプジョーの自転車を買うかどうか迷った」と知人が言った1995年のムルロア環礁でのフランスの核実験再開とタヒチでの暴動その後がテーマの取材だった。余談だけど見開きの空撮写真に写っているボラボラ島を見ると現在に比べホテルの数は随分少ない。ホテルラッシュの直前だ。

 興味深いことに現フランス領ポリネシアの行政長官オスカー・テマルが、この取材の時点で反核独立派として運動を展開している真っ最中だった。タヒチのいたるところで独立を求める青と白の旗があがった。そして9年後、テマルは宗主国とともに核実験を推進した前長官ガストン・フロスを押しのけ過半数の議席数を確保し長官の地位についた。
 現在、それまで黙殺されていた被爆者の健康被害と核実験の因果関係の解明と責任追及を宗主国フランスや前政権に対して行っている。
 記事はその他にモーレアでの地価高騰、黒真珠の養殖、ダイバーとサメ等のことに触れている。

 ちなみに「NATIONAL GEOGRAPHIC誌」に太平洋の記事が他にないかと日本語版創刊後3年程度の中から探してみると、先住フィジー人と英国植民地時代に渡ったインド系住民の対立を取材した「NATIONAL GEOGRAPHIC日本語版 95年10月号 楽園フィジーの二つの世界」やビキニ環礁水爆実験から50数年後のロンゲラップ環礁の海を取材した小さな記事「NATIONAL GEOGRAPHIC日本語版 98年4月号 核実験の海に宿る生命」があった。続けて読むと太平洋に広がる霞むような点々マークの様々な場所で起きていることの重要性が分かる。

 以前にもちょっと書いたけど、ボラボラ島では浮かれ気分満載のジープ・サファリに参加した。この浮かれツアーはホテルピックアップ単位で車を分けているから、すれ違うジープ・サファリは、日本人のみの車とか米国人のみの車とかホテルの性格をそのまま反映していた。
 我がチームは、超浮かれた他のチームとちょっとムードが異なった。若い女を連れたお忍びアメリカ老人と初老のドイツ人夫妻とちんちくりんの日本人とシャイなタヒチ人といううまく会話が繋がらない異文化交流チーム。そのムードを引きずるように、ジープ・サファリの最後にホテル・ボラボラの前でガイドのフィリップ(仮名)が言った言葉を思い出した。「日本人も好き、アメリカ人も好き」少し小声で「でもフランス人は嫌い」。小国での核実験も独立運動などなかなか話題にならない日本だけど、彼の中にはタヒチ人としての気持ちが生きて続けているわけだ。そういうことを理解してタヒチで浮かれてみるのがお勧め。

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2004/12/10

タヒチの首飾り

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 blogを始める際にスキャンして使い道の無かった写真から。

 タヒチに到着すると綺麗な花の首飾りをかけてくれる。白いティアレの香りでタヒチに着いたことを実感する。その香りでちょっと浮世離れした感じになって、ハワイではこんな感じではなかった、タヒチに比べるとハワイは現実的だ。
 タヒチを去るときには貝の首飾りをかけてくれる。綺麗な首飾りだが何か寂しい。ホテル、お店、仲良くなった人、別れのときには貝の首飾りをかけてくれて、また来てね。
 タヒチから帰ったばかりのころは、またすぐタヒチへ行く意気込みだったけど、時間が経てば経つほど財布的に厳しいんだよねタヒチは。ハワイに3回行けるからね。さてお金貯めるか。
 耳にティアレを挟んだりして、タヒチは男らしくの意味が日本と違うなきっと。女の子のblogのような話。

(ココログの画像のアップロード方法が変更になって見え方が少し変わったかな)

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2004/12/08

タヒチアン・ウクレレ

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 blogを始める際にスキャンして使い道の無かった写真から。

 まえにも似たような話をしたけど、ハワイのウクレレとは傾向がかなり違うタヒチのウクレレのこと(写真はホテル・ボラボラのマティラ・テラスバー付近にて)。
 タヒチのウクレレは、ハワイのゆったりとしたストロークとは反対の高速ストロークでの演奏が多い。隙間をつくってたまるかの細かいストロークで埋める。写真のようなレストランでよく見かけるウクレレ3~4本とギター1本といった編成(主に歌なし)では、誰が速くカッティングできるかを競っているかのような演奏をする。ハワイのものが大きな蚤がピョコピョコ跳ねてるサウンドだとしたら、小さい蚤の大群がフローリングの上を横断している感じといえばわかりやすい。
 そして僕はタヒチでオータサンやジェイク・シマブクロのような、ソロ・スタイルの演奏を聞いたことが無い。

 ウクレレそのものについて。裏側にとりあえずサウンドホールはあるがボディはソリッドでボリューム感のあるサウンドではないと思う。
 弦は2本1組の4列の8弦が多くて、チューニングはF♯、B(オクターブ高い)、E♭(オクターブ高い)、G♯。ちなみにハワイのスタンダードはG、C、E、Aだけどこのチューニングの違いは音の印象がかなり違う。ところで同じように2本1組の4列のマンドリンのように複弦楽器特有のトレモロ効果があるかは不明だけど、蚤の大群のように感じるように増大効果はありそう。弦は釣り糸だし。その軽さが明るくていかにもタヒチ的な音になる。

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 ホテル・ボラボラのブティックでO Tahiti Eというダンスグループの「Te Pakerere」というCDを薦められたので購入した。O Tahiti Eのことについては、フランス語のサイトばかりでよく分からないけどイベントなどで来日もしているらしい。
 チャントのようなもの、オテア、アパリマ、アフロアというダンススタイルにあわせた音楽が沢山並んでいる。なかなか聴き応えがあって、もっとCDを買っても良かった。タヒチアンダンス教室などではこういうのを聴きながら練習してるのかなと。
 それでウクレレの出番はどこかというと、アフロアやアパリマなど歌のあるダンス曲のバックで使われる。その時はトエレなどの比較的高音を発する打楽器は使われない。というかトエレとウクレレはほとんど同時には使われない。このあたりが面白い。トエレもウクレレも同じ位置にあるんだなきっと。

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2004/08/11

水上バンガローのガラステーブル

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 これはボラボラ・パールビーチリゾートの水上バンガローの部屋の中にあるガラステーブルから、下を覗いた(つまり海です)ところです。海の中が見えるだけでなく部屋全体に開放感も生まれ、ガラステーブルを通ってパンダナスの天井に映し出される光の揺らぎがとても心地よいという効果もあります。
 ボラボラ島だけのことはあって写真のようにボラみたいな魚ばかりと思いきや、この水上バンガローが建っている場所には珊瑚などが無いため、カラフルな熱帯魚があまりいないというということらしいです。これは悪いことのようですが、視界に広がる海が白い砂地のため、海のグラデーションは珊瑚でまだらになるより綺麗なくらいです。
 ところで僕はこのガラスがスライドして、魚に餌を与えることが出来るということに気がつかないまま過ごしてしまいました。となりのバンガローにはなんであんなに沢山魚が寄ってくるんだろうと悔しがっていたんですが。

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2004/07/09

パンノキ

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 パンノキ(ウル)。前回に引き続き小休止ということで南国の植物。ポリネシアやミクロネシア、メラネシアなど太平洋の島々に行くとよく家の庭先で見かける。その他オーストラリアなどのオセアニア、マレー半島、インドなど広範囲で栽培されている。
 原産地についてはいろんな本でポリネシア原産とか、インド原産とかその他色々で、インドとかマレー半島あたりからポリネシアまで人の移動とともに広まったとか、そのわりキャプテン・クックがヨーロッパに紹介するまで、ヨーロッパ人は知らなかったとか、僕自身は良く理解できてない。

 だからポリネシアに限定してみる。ポリネシア人にとってパンノキはタロ(イモ)などと並んで主食的な存在。種が無い実は実の部分を、種が有る実は種の部分を調理して食べるらしい。この木が何本かあれば一生大丈夫という。しかし、さらにフランス領であるタヒチに限定してみれば、庭に沢山のパンノキが生ってはいるものの、現代の主食は100%中国人の作るフランスパン。
 そういえば、ハワイではタロを蒸した(またはさらに発酵させた)ものをポイと呼ぶけど、タヒチではパンノキの実を穴を掘った地面に埋めて発酵させたものをポポイと呼ぶのが紛らわしい。とにかくキャッサバも含め、太平洋の島々ではこの手の食べ物が非常にポピュラー。

 パンノキの名前の由来がまたいまいちバラバラで、実を焼いたものがパンに似てるとか、味がパンに似てるとか(実はイモぽいし、種は栗ぽいらしいからこれは有り得ないかな)、宣教師が手に持つパンがない代わりにパンノキを使ったとか。個人的には最後のが一番面白い。それに宣教師といえば、有名なハワイアン・キルト。これが宣教師のご婦人達が始めたとのことで、この柄のモチーフになったのがパンノキという説もある(当然別の説もある)。

 名前がまったく南国的ではないけど、見た目はとても南国。カヌーの材料にもなるし、ロビンソン・クルーソーやバウンティ号の反乱を読んだ人には憧れの植物(子供の頃は本気で木にパンが生ってるのを想像してた)。だからちょっと男性的かとも思う。

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2004/07/08

ティアレ・タヒチ

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 今日は小休止です。以前は(たぶん庭のある家に住んだことがないからだと思うけど)植物に興味がなくて、道端の植物を見てスラスラと名前が言える人(特に女性の方)を見ると凄いなあと思った。
 ここ数年、南の島に行くようになってからは、それも少し変わったかもと思う。純粋に綺麗だねえなんて見る。時には本やネットで調べる。はたまた熱帯植物を育てたりする。育てるほうはいつも長く続かないけど。

 ティアレ・タヒチはタヒチ(フランス領ポリネシア)の国花(ティアレは花って意味だからまさにタヒチの花)だから、タヒチ中いたるところで見る。クチナシの仲間らしいけど、家に咲いているクチナシを見る限り、花はかなり似てるけど南国の雰囲気は全然感じない。「クチナシの花」って曲も南国には全然結びつかないし。西洋でいうガーデニアはまだいいか。
 小さい花だけど香りが素晴らしい。植物音痴の僕でもこんないい花の香りは初めてなんて思ったくらい。男女問わずタヒチの人はこれを耳にさしているけど、さしかたで恋人募集中とか独身ですとか結婚してますとか表してるのがいい。夏の日本、この花の香りを入れたココナッツ石鹸を使っているとすぐタヒチな気分になれるのがいい。

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2004/07/03

フィッシュスープ

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 海外に行って色々と美味しいものがあったけど、タヒチで食べたこのフィッシュスープは本当に美味しかった。日本にも魚介類の旨味がきいた料理が多いけどこれは印象的だった。魚の旨味が凝縮濃縮されて、臭みも無く、そして具がまったく無い。ブイヤベースなどより遥かに濃厚。
 もう一度食べたいけど、このために40万円も出してタヒチには行けないなあ。ちなみにタヒチでは別な店のフィッシュスープも食べたけど野暮ったくて全然違ってた。(役立たず)

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2004/07/02

インドでもないのに蝿に慣れる

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 モツ(小島)にあるリゾートに泊まった場合とボラボラ本島にあるリゾートに泊まった場合では過ごし方は随分違ってきます。
 本島のホテルに泊まっていると、沢山のアクティビティ、観光、食事の誘惑(あくまでモツと比較して)が待っていて何かと忙しく、ゆっくりと自然を堪能できる機会が少なくなるような気がします。それに対してモツの場合は、誘惑といったら青い海や空などの景観であってリゾートから離れる気も無くなります。

 そんなモツのリゾートにもダイビングやシュノーケリングやピクニックなど楽しいアクティビティが揃っていますが、マリンスポーツも、煩くしかも自然を破壊するモータースポーツのようなアクティビティを禁止しているところも多いようです(ないところがセールスポイントなんだけど)。しかしモツにリゾートが建っている時点で、珊瑚礁を破壊したり、熱帯だから大量の殺虫剤を撒いたり、樹木を切り倒したりなど(かなり自然に配慮して設計したとしても)何かしら自然を破壊してるわけだから矛盾といえば矛盾でしょうか。

 そういう訳でほとんどの食事をリゾートで摂ることになります。その日も昼はカフェ、夜はバーになるその場所でブランチをすることにしました。いつもはすぐ前に海が見える場所に席を確保しているのですが(ほとんどの席で海が見えるけど)、その日は気まぐれで椰子の林に面した席でフィッシュ・バーガーを注文しました。フィッシュ・バーガーといっても揚げてあるわけではなくてマヒマヒかなにかの魚のステーキが挟んであるもの。
 ポリネシアといっても、フランス領にある高級リゾートだから(素材は別として)ポリネシア料理が出てくるわけではありません。ディナーはフレンチが中心で、軽食はこんな風にバーガーとかになったりします。魚を使った料理が多いところがリゾート風。とはいっても侮れません、値段がはるだけになかなか美味い。ここのはホテル・ボラボラのものより数段美味しかった。

 場所が悪かったのか、魚料理を頼んだのが悪かったのか(たぶん両方)少しずつ蝿が集まってきました。大量殺虫処置のおかげかほとんど見かけなかった蝿だけど、どんどん蝿が集まってきます。手で掃っても掃っても集まってきます。そしていつしかインドで定食を食べているような状態になっていました(数えられない状態)。あまりにも手で掃うのが無意味なので、蝿を掃うのを諦めました。それ以来多少蝿がたかろうが平気になったよう。高級リゾートの綻びが本来の南国を見せた感じでしょうか。蝿が集るリゾートに一泊500ドル以上も乙なものです。

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2004/06/29

シュノーケリング好き

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 シュノーケリングは楽しい。シュノーケリングらしいシュノーケリングを初めてやったのはタヒチのボラボラ島へ行った時。水上バンガローから直接マスクとフィンを着けてドボンといったのは本当に楽しかった。しかし最初に泊まったそのホテルはボラボラ島の周りに点在するモツ(小島)のひとつに作られていて、水上バンガローは遠浅の砂地の上に建てられていたから珊瑚を目にすることはまずなかった。
 水上から見る海は澄んだ青のグラデーションがとても美しく南の島そのものだが、中に入ってみると本当に白い砂地しか見えない。何百メートルか先には環礁内から外洋へつながる水路もあるため(このあたりまで泳ぐと急に深い谷になっていて流れも速くシュノーケリングでは怖い)珊瑚があまりないのも当然といえば当然かもしれない。

 珊瑚はないものかと今度はビーチをつたってモツの端に向かって歩く。モツの端は環礁につながっていて、その環礁には大きな音を立てて外洋からの波がぶつかっている。タブーと書いてある立て札のところまで来ると、僕たちはマスクとフィンを着けて海に入った。タブーという言葉はポリネシアが発祥らしく、この立て札はまさしく「この先危険」といったところ。だからここから先には行かず海から環礁に向かって進むことにした(このタブーを無視したのか別のルートを行ったのかモツを歩いて一周してる人もいる)。
 しばらくは水の中は水上バンガローの周りのような白い砂地が続くが、深さが股下くらいになると少しずつ珊瑚の柱がぽつぽつと出てくる。今までいたボラみたいな白い魚ではなくて、いかにも熱帯魚らしい姿もちらほらしてくる。さらに進み水位が腰のあたりまで来ると珊瑚の柱がさらに増え色とりどりの魚が現れる。
 そこでシュノーケリングを楽しもうと思ったが、環礁にうちつける波の波動が強くてすぐ流される。腰ぐらいの深さとはいえこの流れはなかなか怖い。前を見てみれば環礁まではかなり近い。後ろを振り向けば岸はなかなか遠い。僕はここで進むのをやめて、しばらく環礁にうちつける波に見とれていた。想像以上に波の力は凄くて、ぶつかった波は頭半くらいまで立っている感じ。その後激しくはじけて飛び散る、しかし環礁を飛び越えることは無いようだ。そして環礁も想像できないくらい長い間その波を受け止めて静かな内海をつくっていたのだから凄い。外洋で遭難した人が珊瑚礁の島に漂流するなんて話はこれを見る限りそうとうの運が必要としか思えない。大概は環礁にうちつけられて死んでしまうにちがいない。しばし大自然を感じ、シュノーケリングはちゃんと出来なかったが充実した気分だった。
 ということでシュノーケリングらしいシュノーケリングはその後場所を移して楽しむことに。そこでの話はそのうち。

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2004/06/08

タヒチのレーガンさん

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 不謹慎な話だけど、レーガン元大統領が亡くなったニュースを見てタヒチでレーガン元大統領そっくりなアメリカ人に会ったことを思い出しました。
 彼は見た目80歳を越えた老人のようでしたが、20代と思われる若い女性をつれてボラボラ島にお忍びで旅行に来てたようです。僕たちは、ボラボラ島ではお馴染みのジープで山に登るジープ・サファリというアクティビティに参加しました。お忍びにはぴったりのホテル「ホテル・ボラボラ」の入り口でジープの荷台に座り出発を待っていると、かなり遅れてレーガンのそっくりさんとその彼女がやってきました。彼は僕たちを見ると「オラ!」とスペイン語で挨拶し、僕が「オラ!・・それスパニッシュ!」というと「日本の挨拶はオラ!だろう?」とアメリカ人らしい答え。その後も「日立の車を知ってる」とか「SONYの車を知ってる」とか笑うに笑えぬジョークを連発し、後半体力尽きてヘロヘロになるまで喋りっぱなしの方でした。
 しかしながらみんなのカメラを預かって全員の記念写真をとったり色々と世話も焼き、金持ちそうでしたが悪い人ではなかったようです。本当のレーガン氏はどんな人物だったんでしょうね。僕の場合、レーガンというとどうもその人になってしまいます。だから南フロリダ・タスクフォースって勢いではありませんね。とにかく彼に限らずタヒチはフランス領なのでアメリカ人は目立ちました。たぶん目立つ理由はアメリカ訛りとその声の大きさと時間にルーズなところでしょうね。

 余談です。レーガンでさらに思い出したんですが、高校生のころ美術の先生が、ヨーロッパで開催される帽子をテーマにした展覧会に出品するためにある作品を作っていました。レーガンにロシアの毛皮の帽子を、ブレジネフかアンドロポフだったかにテンガロンハットを被せた作品です。皮肉が利いてて製作していたときのことをよく覚えています(そういえば同じ頃フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドも二人を戦わせる変なプロモーションビデオを作ってたなあ)。冷戦、そんな時代だったんですね。とにかくこの先生、線を引いたりコレクションしたりで、その後エジプトに行ってピラミッドの頂上から長い線を引いたり面白いことしてました。

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