2007/05/01

またサイパンダ

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 サイパン島に行くと涼しい早朝の散歩が楽しい。だけど今回は久しぶりのサンダルで2時間歩いたら足の親指の付け根にでかいマメが出来てしまって、いつものように調子よく歩けない。だから今回はすごく狭い半径でしか散歩写真が撮れなかった。

 散歩のときには必ず確認するお約束のマウ・ピアイルック(ピアイルグ)のご子息ヘンリーさんのカロリニアンカヌー。
 四六時中チャモリニアンの方々を確保しておかなければならない地球人村は日本人ツーリストが少なくなった今では運営が厳しく日本人ツーリストの多い時期に限定してオープンすることにしたらしい。そんな時期でもさらに人気が高いとはいえないカヌーのほうはやるのかどうかも分からないようだ。日本ではホクレアは少し人気が出てきたけどこっちはあまり分からないと思う。実はホクレアよりさらにカッコイイ。だから毎年同じでも写真を撮る。どうにか復活しないだろうか。

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 ところで家族のビーチ調査によるとサイパンのビーチでの「マニャガハ行く?」などの呼び込み屋はバングラデシュ人民共和国出身の方が多いそうだ。あるバングラの方の話はこんな感じだった。
「俺はこのサイパンでフィリピン人の女性と結婚してデザイナーをやってたんだ(ほら、と自分の着ているTシャツを指す)。だけど日本人観光客が減っちゃってさ。えっ?ノースが飛んでるだろうって?だってジャンボじゃないだろう。だから家族を養うために今はこんな仕事をやってんだ。えっ?日本人は減ったけど韓国人が増えたじゃないかって。分かってないなぁ。韓国のお客さんはサイパンに来ても金の流れは全部韓国企業で囲われてて地元に金が落ちないんだ。台湾も同じさ。日本は良かったよ~。彼らは個人で行動して現地に金を落としてってくれたからね。懐かしいなぁ。JALまた飛んでくんないかなぁ。・・・日本人来て~(子供をもっとつくったほうがいいななど、まだまだ続く)(最後に)タガマンの像と写真とってあげるよ(写真に僕は足しか写ってない)。」
 これはちょっと意外だ。僕がサイパン島に来るときの実感は日本企業にがんじがらめにされた旅行だ。それなのに韓国や台湾に比べマシだなんて。たしかに町を歩いてふらりと食事に行っても韓国人や台湾人のツーリストにはめったに会わない(現地在住の方は多い)のに、いざオプショナルツアーなどの光景に遭遇すると凄い人数の韓国人、台湾人のお客さんをバスやボートに乗せている。日本もそうじゃなかったのか?
 ところでこれは北マリアナ以外の出稼ぎ者の言葉。現地へ落とすといってもどこからかまた線が引かれてるものだと思う。選挙権のある現地の方には別な感想があるかもしれない。

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 ガラパンからちょっと歩くと林の中などに旧日本軍のトーチカや塹壕や井戸があったりする。ここは地面が蟹の巣だらけで歩くのに変に気を使う。

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 ガラパンからちょっと歩くと動かすにはちと大変そうなこんな船もあったりする。近くでは少年が釣りを楽しんでいた。この船が在るあたりの海岸はぼんやりするのに良い感じの公園になっている。

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 北に行く人はよく見てると思う(僕の家の近所にもあるような)セメント工場もある。これもサイパン島らしい風景だと思う。
 工場で思い出したけど、最近サイパン島では小さいサイズの新しいフリーペーパーが出ていた。今までは「ハファダイ」のコラムが唯一面白かったけど、この新しいフリーペーパーはまた面白くてなかなか読みたいと思う短いコラムがいつくかある。
 その中でサイパン島の縫製工場の閉鎖の話が載っていた。今までサイパン島は関税免除の恩恵を受けて対米輸出向けに縫製工場が繁栄していた。米国はそこで働くフィリピン人の安い労働賃金を問題視して北マリアナに警告を行ってきた。なのに中国のWTO加盟でサイパン島の縫製工場は競争力を失い米国がわざわざ警告しなくてもどんどん縫製工場は閉鎖し、ついに今回は千数百人を解雇する大規模な縫製工場が閉鎖されることになったらしい。
 解雇者の大多数がフィリピン人だとしてもこれはサイパン島全人口から考えて十分影響の在る人数だ。フリーペーパーとはいえこういう真面目なコラムは必要だなと思った。こういうコラムを読んだツーリストが増えることで旅行のあり方が少しずつ変化していくのかもしれない。
 他にも最近号はチャモロ、カロリニアンそれぞれの呼称が併記された北マリアナ生物ガイドや北マリアナ博物館館長による(ミクロネシアの航法師や鳥を描いた絵を通した)ミクロネシアのカヌー文化とマウ・ピアイルックら現代の航法師の話など面白い。もちろんフリーペーパーだからクーポンというか特典などもあるし編集者には今後もがんばってほしいと思う。

 ところで話は変わるけどフィリピン人のMちゃんと我が家族で彼女が以前働いていた飯屋で食事をしていたら、そこの女将さん(日本人)が通りすがり僕をちらっと見て「Mちゃん、あらごきょうだい?」と衝撃の言葉を発した。まあ多少僕の顔が濃い(しかし印象は薄い)のかもしれないが日本人にフィリピン人に間違えられるとは。
 昔、競馬で大穴を当てた先輩に関内の高級フィリピンパブに強制的に連れて行かれて、そこのフィリピン嬢に「あなたスペイン人とフィリピン人と日本人のクオーターでしょう。スペイン人の血の入ったフィリピン人であなたのような顔の人イマス。」とわけの分からないことを言われたことがあるがそれ以来だ。
 たしかにMちゃんはスペイン人の血が入ってるとはいえ、僕のほうはどうみても日本人にしか見えないはずだ。外国では物売りのおっさんからも日本語で声かけられるし。

(追加)

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白黒で虹を撮ったらただのスジだった。静電気で付着したほこりキズが・・・

(FUJIFILM KLASSE F2.6 38mm + 半年KLASSEに入れっぱなしのKodak BW400CNで撮影 現像時にフィルムの静電気が酷かったらしい)

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2007/04/30

また彩帆でした

 サイパン島から帰ってきました。今回も特に目的の無いゴールデンウィーク前にちょっとノンビリするための旅行です。

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 唯一、今回の目的である昨年も楽しんだ「フレームツリー・アート・フェスティバル」に行った。この「フレームツリー・アート・フェスティバル」はツーリストには特に宣伝もなく現地の邦ツアー会社でもよく説明出来ない方も多いローカルなお祭り。今年で26回目。
 ただしローカルとは言ってもあの島のサイズから考えても規模は大きい。太平洋地域の芸能+ローカルステージが4日間に渡って披露される。ミクロネシアの各島を代表する芸能チームがサイパン島に集まり質の高いダンスや音楽を観ることが出来る。ミクロネシアとは言ったけど今年は僕が会場に着いた時はハワイ、タヒチ、ニュージーランドとポリネシアのダンスが披露されていた。それぞれその地域のコンテストで優秀な成績を収めたグループなのだそうだ。
 それに出店も多く手軽になかなか美味い夕食にありつける。

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 お祭り2日目のステージ開始前に関係者のテントに行ってプログラムはないかと聞いたら、誰もプログラムなんて知らなくて、ただ1人MCのコンソールの前にだけステージプログラムが貼られている。パンフレットにも出店の一覧しかついてない。PA担当者も知らないし大丈夫なのかといういい加減さ。スティックダンスを観たかったんだけど「毎日トラディショナルダンスやってるから大丈夫(笑)」

 ところで昨年までフェスティバルはガラパンのアメリカン・メモリアル・パーク(米国による太平洋戦争の追悼施設)で開催されていたのだけど、今年はススペのシビックセンター前広場が会場になっていた。シビックセンター前広場は第1回フレームツリー・アート・フェスティバルが開催された場所。ただしここに移ったのはアメリカン・メモリアル・パークの施設使用料の問題があったらしい。米国側が値上げしたのか資金が足りなかったのか詳しいことはよく分からない。

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(FUJIFILM KLASSE F2.6 38mm + 半年KLASSEに入れっぱなしのKodak BW400CNで撮影 現像時にフィルムの静電気が酷かったらしい)

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2007/04/25

また彩帆か

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 サイパン島で働くフィリピン人のMちゃんからメールが来た。ゴールデンウィークいっぱいで本国へ帰ってしまうらしい。僕の息子へのプレゼントを店に預けておいたので今度サイパン島に来たら受取りに行ってくれ、との事。

 だからというわけではなくて既に予定していたのですが、明日(4/26)から4/29の4日間サイパン島へ行ってまいります。何故沖縄島じゃなくてサイパン島なんだと思われる方もいるかもしれませんが(いないか)、安くて暖かいんです。その間トラッキングマップの更新が止まります。ご迷惑おかけします。
 カヌー関係者に会いに行くなどカッコイイことをするわけではもちろんなくて、息子とビーチで砂遊びすることと冬のお肌のかさつきを治しにいくことが目的です。
 しかし地球人村のwebサイトからとうとうカロリニアンカヌー体験が無くなってしまいました。かなり人気が無いらしいです。残念です。

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2006/08/31

You're Gonna Make Me Lonesome When You Go

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 昨日から僕の家族は仕事が忙しい僕を置いてサイパン島に行ってる。息子も3歳なりたてにして4度目のサイパン島。バリ島2回も入れれば早6回の海外旅行。この2つの場所は子連れにとっては魅力的で、もっと別な場所にも行きたいが思いつかない。

 さてサイパンに行った家族は今回カロリニアンカヌーに乗りたいと言っていた。カロリニアンカヌーはサイパン島の先住民カロリニアンの帆走式のアウトリガーカヌーで同様のものがミクロネシア一帯にある。廃れてしまったが先住民チャモロにも帆走カヌーの文化があった。同様にハワイを含むポリネシア一帯にも帆走カヌーの文化があった。ハワイについては一度ほぼ完全に廃れてしまったがハワイアンルネッサンスとミクロネシアの技術をもって復活した。その代表的なカヌーがホクレア号で遠路遥々ハワイ発、ミクロネシア経由で日本に来る予定である。このカヌーはカヌーというイメージから想像するものとはまったく容も大きさも異なるもので車の屋根には乗らないし引っ張れない。といいながら僕も見たことがない。ハワイ好きだと思われてるフシもあるけど2日弱しか行ってない。

 サイパン島では地球人村で本格的なカロリニアンカヌーを気軽に体験できるアトラクションがある。そのカロリニアンカヌーはホクレア号でナビゲーターを務めたマウ・ピアイルック(ピアイルグ)の息子さんが造られている小さいが本格的なもの。

 それでそのカロリニアンカヌー。最近はどうもやや不定期営業で僕の家族は乗れないかもしれない。事実前回もスタッフがお休みに入って乗れなかった。人気がないとかやる気がないとか別な仕事で忙しいとか理由は色々考えられるがサイパン島ってだいたい3~5日くらいの旅行になるから行った日にアウトだったら大概乗れない。ちょうど夏祭りも終わったようだし、はたして家族はこれを体験できるのだろうか。

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2006/08/01

マッピ山

 サイパン島でバイクアドベンチャーなるツアーに参加したのは、息子が生まれたばかりだから3年前のこと。
 バイクアドベンチャーというのはサイパン島の北にあるマッピ山(250mくらい)からGIANT製のMTBで下山するツアーである。これが予想以上に面白かった。自転車に乗る前にまず余興。毎年のように事故があるらしいグロットでダイバーからすれ違いに「今日は海が荒れててやばいよ」と言われながもシュノーケリングを行い、移動してバードアイランドの景色を眺め、自転車の準備が出来たらマッピ山頂上付近にあるスーサイドクリフから少し上ってそれから一気に下る。
 途中で道をはずれ、すれ違う白人トレッカーと挨拶を交わし、タガンタガン(豆の木)のジャングルを抜け、バンザイクリフ、ラストコマンドポストと巡る。最後はビーチでバーベキューをして解散する。

 唐突だけど先日、野村進著「日本領サイパン島の一万日」を読んだ。
 タイトルほど重い話ではなかった。日本による国連信託統治時代のサイパン島。そこに住む庶民の生活を、山形からの集団移民の中から2つの家族を中心に移民から繁栄、戦争、収容所での生活までを時間軸に沿ってを丁寧に描いている。ガラパンの様子がとても詳細でこれは良い本だと思う。取材量も半端じゃなかっただろう。
 僕のいつもの癖で、あまり描かれていないチャモロ、カロリニアン、沖縄の人々、朝鮮半島の人々、その他少数の欧米人の当時の様子も知りたくなるのだが、そこまで書いたら1000ページにとどいてしまうだろう。

 この本は前半のガラパンを中心に詳細で生き生きとした庶民のレポートから少しずつ扇情的な雰囲気を持ってくるが、特に終盤、主人公の一人、山口百次郎が藤田嗣治の戦争画「サイパン島同胞臣節を全うす」の前で崩れてしまうところでバイクアドベンチャーで見たマッピ山周辺の風景を思い出してしまった。その絵に描かれているのは所謂その他一般の戦争画ではなく民間人のマッピでの悲劇を描いている。戦争画にはあまり良い印象はないがこの絵は少し違うようだ。

 そんなわけで最初に話したバイクアドベンチャーのコースは「生きて虜囚の辱を受けず」を真に受けて多くの民間人が玉砕したマッピ山周辺なのである。MTBでガンガン走ったタガンタガンのジャングルは、始末できないほどの死体を覆うために米軍が種を空中散布して出来たものだ。

 土曜日のビギナーライドに高校2年生が初参加した。夏休みに自転車で茨城~秋田を往復するらしい。やはり若いというは素晴らしい。僕の経年劣化した肺と経年劣化した足では全然追いつけない。僕だって高校生の頃はテントを背負ってロードバイクらしきもので栃木の山にキャンプに行ったもんだ。僕だってあの頃は無理なんて言葉は知らなかったんだ・・・ぞ高校生。鍛えてればよかった。

 ところで最近分かったことだけど、ビギナーライドを一緒に走っている方で複数の方がこのblogを見てるらしい・・・。余計なことを書かないように気をつけなくては。まずはキーワードの見直しを。

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2006/05/23

フレームツリー・アート・フェスティバル

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 今回の旅では観光のひとつに「フレームツリー・アート・フェスティバル」を入れていた。4月末に毎年行われるお祭りで今年で25回目。場所はアメリカン・メモリアル・パークの海沿いの広場で行われ今年は4月27日から30日までの開催だった。北マリアナのみならずグアムやミクロネシア諸国、さらにハワイなど関連する国々からの出演者がステージで芸能を披露する。またお祭りムードを盛り上げる数々の出店も面白い。近所の飲食店、各国のお土産屋、ギャラリー(主に欧米人)のテント、日本人の出店も、さらに法輪功(なのかなぁ)のものらしきテントまである(!)。僕が最終日の昼間に行った時は彼らの瞑想の時間だった。
 ところでフレームツリーは鳳凰木、火炎樹のことで5月をピークに真っ赤な花をつける。日本統治時代は南洋桜と呼ばれこの木を桜に見立てて花見をしたそうな。

 今回のフェスティバルにはそれぞれ短時間だけど3回ほど足を運んだ。今回は25周年ということもあってか結構規模が大きくて駐車場はサイパン島中の自家用車(程度の良い車が沢山あって先住民が多く集まっているのが分かる)が全て集合したような賑わいである。
 アメリカン・メモリアル・パークは泊まっているホテルから近い。ビーチ側から歩いていくと会場に近づくにつれ、フェスティバルにかこつけてバーベキューをしている何組かの家族と出会う。サイパン島では週末に家族でバーベキューをやるのが一般的なのである。そういうことで時々バーベキューチームに声をかけられながらお祭り会場へ向かった。

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 さて今回は到着翌日に地球人村に向かってビーチを歩いてみたが、前回の旅行で僕が乗った小さいほうのカロリニアンカヌーが無かった。海上を見たけどそれらしきものは見当たらず、しかもビーチにはナビゲータールームらしきものだけが痕跡としてころがっていた。シミオン・ホクレア号みたいなデカイ方は相変わらずそこにある。
 それで何処へ行っちゃったのかなと思っていたら、あった。「フレームツリー・アート・フェスティバル」の会場の真ん中に。いくつか修理され何故か上のほうが白く塗装されたアウトリガーカヌーが飾ってある。乗ったのは去年だから、こんなことを言うのもなんだけどちょっと懐かしい。

 ステージの出し物は伝統芸能など間違った期待をしていると、プログラムがよく分からずグアム島のカントリーミュージックや女の子のロックバンドなどを観る事になってしまう。グアム島のカントリーミュージックといってもそれがどんなものかというと、これがいかにもアメリカのカントリーやグリーングラスのテイストだったりする。でもちょっと考える。グアム島のあるミュージシャンがこのカントリー調の音楽を引き合いにチャモロの大衆音楽について「さまざまな音楽を取り入れてゼロからつくっている」と言っていたことを思い出した。暫しまじめに聴いてみよう。

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 夜になるとさらに混雑が増し、最終日ということもあってステージ前も大盛況だ。僕が終わりの2時間前に行ってみると、同じTシャツを着た大勢の子供たちがスティックダンスを踊っている。本当の名前は知らないがこれがなかなか勇敢な男の踊りなのだ。我が息子もこのダンスに釘付けである。そしてダンスが終わると大人の男性から長い説教が発せられ、最後に全員で「ビバ!マリアナ!」と叫んだ。ちょっと感動してしまった。

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 続いては・・・というところで観客席から怒涛の笑い声や口笛やヒヤカシが飛ぶ。アナウンスもあおりにあおって(というかこの人1日中凄い勢いであおってます)、ついに登場した彼らは村の青年団とでもいえばいいのかフンドシをしめてスティックを持って、またそのお尻がプルプルするだびに、本来は力強い男のダンスも暖かい地元の笑いに包まれていった。まわりを見ると先住民の方々のみならず韓国系、フィリピン系の方々などみんなで和気藹々盛り上がっていてサイパン島が多民族で構成されていることを再認識するのである。

 僕の横に座っているチャモロの家族に向かって少し離れたところでビデオを撮っている白人の女性の方が話しかけてきた。席をゆずると「シェアしましょうよ」と言われたが、息子も疲れてきただろうからと演目ひとつ残して帰ることにした。
 ところでこの会場に来て思ったのだけどゴールデンウィークにもかかわらず日本人観光客の姿は極端に少ない。今年は観光向けにアナウンスもほとんど無かったらしいけどこれでは少々勿体無い。観光向けでないこのようなイベントをサイパン島で味わえることはほとんど無いのだから、来年この時期にサイパン島に行く方は是非足を運んでほしい。

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2006/05/18

テニアン島北半分

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 空からテニアン島を見たときはそのフラットすぎる地形がとても不思議だった。フラットといえば、ここでは毎年「テニアン・ターコイズブルー・トライアスロン」というトライアスロン大会が行われるらしい。立ってみると分かるけど本当に起伏がなくて自動車もほとんど走ってないから無性に自転車に乗りたくなった。明らかに気温は30℃を振り切ってクソ暑いんだけどやっぱり乗りたい。

 そういうわけでタチョンガ・ビーチでかなり時間が余っていたのを利用して、よく南国リゾートにあるMTBモドキでもいいからとレンタサイクル屋を探した。そして結局タガ・ビーチ付近にレンタサイクル屋を発見したが、なんということか軽井沢よろしくタンデムしかなかった。一人で乗るには厳しい。以前はもう少しまともなレンタサイクル屋があったらしいが台風被害でやってないそうだ。スクーターはうじゃうじゃあるのにね、残念。自分の自転車をハワイに持って行かなくても手ごろにサイパン島やテニアン島に持っていけばいいじゃないかとも考えたり。

 僕たちを乗せたツアーは名前に似合わずのんびりとした風景のブロードウェイを北上し、テニアン島北部のきな臭いエリアに入った。テニアン島北半分には「日本海軍司令部跡」とか「ハゴイ空軍基地跡地」とか「原爆搭載記念碑」とかそういうものが集中しているのである。ちなみにサイパン島の場合こういうものは南に集中している。旧日本軍が造った滑走路をベースにB29を飛ばすために米軍が拡張し、現在はそれを空港として使用している。
 これで想像がつくと思うけどテニアン島からは原爆を載せて広島、長崎に向けてB29が飛び立った。その滑走路のベースは旧日本統治時代に広島からつれてこられた囚人たちが2年がかりで造ったと言う。本当なら皮肉なことだ。もしテニアン島がフラットでなければ戦略は少し変わっていたかもしれない。

 広々とした「原爆搭載地点」には2つの原爆、それぞれリトルボーイをエノラ・ゲイに、ファットマンをボックス・カーに積んだその場所に花と当時の写真が飾られている。以前はこの搭載地点には木が植えられていたが近年掘り起こされて今のようになった。
 ちょっと前に叔父さんと酒を飲んだときに、サイパン島に行ったなんて話したら「サイパンっていったら玉砕しか思い浮かばないなあ。そんなところなんだよなサイパンって」と言ってなかなか感慨深い様子。それで当時の話で盛り上がったが、ここからB29が飛び立ったことは知らなかった。実は不思議なことにこの叔父さんに限らずB29がサイパン島やテニアン島から飛び立って日本を攻撃したことを知らない方が実に多い。

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 以前「テニアン島の平和式典(http://tornos.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_2dc9.html)」で書いたように、去年のサイパン島旅行では「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」の関係者と偶然ながら話す機会があった。ちょうど戦後60周年を迎えてテニアン市長の積極的な働きもあって、テニアン島での平和式典に被爆者が初めて招待されていたのである。このイベントでは米退役軍人のスピーチなどもあるわけだから、当然予想されるように双方の言い分が展開されただけだった(とガイドさんが言っていた)が、丸く行かなかったことは残念ながら実現したことを大切に考えたい。
 以前、日本が核廃棄物を太平洋に投棄しようとしたことを覚えている人はいるだろうか。そのときに激しい抗議を行ったのは当時のテニアン市長だった。これら太平洋諸国の反対が海中投棄を中止させることになった。日本も米国も時々こういうところから説教をくらったほうが良いかもしれない。

 それにしてもサイパン島、テニアン島は奥が深い。玉砕は悲劇だが戦前に栄えていた日本統治時代の入植者の生活、さらにその時代の先住民たちの生活、沖縄人たちの生活、朝鮮人の生活など非常に興味深い。本当はこのあたりの話をしたいけどまた後で。
 当時は日本人を1等国民、沖縄人を2等国民、チャモロ、カロリニアンを3等国民(歌ではブタ・チャモロ)、朝鮮人を4等国民として分けていたんだから、江戸が終わって明治、大正、昭和になっても士農工商はぬけず、むしろ世界にその手を広げていたんだな日本人、とふと思ったりもした。

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2006/05/16

元祖ノニ

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 テニアン島にもあったか・・・「これはノニの木です。テニアンはノニの原産地です。」とテニアン島観光で説明を受けた。そういえばタヒチでもノニの原産地はタヒチだって聞いたしインドネシアでもそうだ。さて各地で原産地だと名乗りたくなるわけがこの木にはあるのだけど、この現象は「元祖××」に似ていて可笑しい。ノニの花ははじめて見たけど、年がら年中花を咲かせているらしい。

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2006/05/11

テニアン島の北と南

 今日は激しい頭痛に襲われ仕事を休んでしまった。せっかくサイパン島&テニアン島旅行記を開始したのに連休明けには小田原へ、またも少々ネットから離れていました。

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 これはテニアン島の北側にある「潮吹き海岸」。うちよせた波が石灰岩の洞穴を抜けて空高く潮を吹く名所。その絵はガイドブックなどで見飽きてるでしょうから今回は特別に潮を吹く場所の左側(北側)の写真。こっちを向くと目の前にはこんな近くにサイパン島が見える。この近さならカヌーで渡れるのではと思いきや、サイパン島とテニアン島の間は潮の流れが速くて非常に危険。流れを大きく回避して渡る。だから高速フェリーで1時間かかることもある。

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 今度はテニアン島の南側にある「タチョンガ・ビーチ」。あれ?こっちにも島が見える。この方面にあるのはロタ島だと思っていた(わけではない)けどこんなに近くは無い。さて北マリアナはサイパン島、テニアン島、ロタ島を含む全部で14の島でコウセイされている。ということでこれもその1つ「アギーハン島またはアギガン島(山羊島)」。日本統治時代に沖縄の方が連れてきたという山羊が終戦と共に置き去りにされて山羊が野生化しているらしい。ちなみに終戦で置き去りにされたのは山羊だけではない。この島は無人島などと紹介されたりするが(というかこの島のことが書かれた一般の旅行ガイドはあるのかな)有人島である。今回はサイパン島をベースにテニアン島に行ったけど、今度はテニアン島をベースに山羊島に行ってみたい。ダイビング以外の目的で山羊島に渡る方法を考えよう。
 ちなみにサイパン島やテニアン島の西に広がる海はフィリピン海である。なので、この写真のあたりもフィリピン海か。さらに日本人がおらが町の海は太平洋だと思っている太平洋も一部は太平洋じゃなくフィリピン海だったりする。我が茨城県の海は太平洋らしい。

 とにかく島から島が見えるというのには心が躍る。

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2006/05/06

ラッテ

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 サイパン島のホテルでNHK WORLDを視聴していたら、たぶん日本でも放送されたんだろうけど京都議定書による排出権ビジネスと温暖化によるツバルの海面上昇をシンクロさせたドキュメンタリーが放送されていた。サイパン島のような場所にいてこのようなドキュメントを見ると受けるショックが大きくてまったく他人事ではない。もうツバルは救えない。

 さてテニアン島につくと、フレミングホテルの周りでノニの木などを見てからレストランで暫し観光が始まるまでホテル所蔵のアルバムなどを見て過ごす。昔のテニアン島の写真など貴重なものが多く感慨深い。特に愛嬌のある常連さんの釣アルバムの表紙の裏にリアル・マッコイのCD「アナザーナイト」の帯が貼ってあって「テニアンの夜はこのナンバーでキマリっ!(最高!!) 日中はTOTOの『アフリカ』がいいね!!」のコメントがたまらない。ペニー勝広さんって何回テニアン島に釣にきてるんだ。
 ホテル併設のフレミングストアの入り口の横には鯉のぼりらしきものが1匹ぶら下っているそんな季節か。

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 観光の最初はテニアン島に来た観光客は100%観るだろうタガ族が造ったとされるサン・ホセ村のラッテ(英語ではラッテ・ストーンというのはフラのことをフラ・ダンスと言うようなものかな)というチャモロ人の遺跡がある。これが造られていた800年~1600年代をラッテ期という。
 間近で見ると中々巨大だ。ここはハウス・オブ・タガと呼ばれているが一体何のための建造物かは解明されていない。ハリギという柱にタサというキャップがのっている。元々はこれが6本づつ2列に並び、その上に家や集会所が乗っていたとか宗教的な何かだったとか説も色々だ。中島洋氏によるとなんとあのインドネシアのボロブドールの壁面にアウトリガー・カヌーなどとともにラッテが描かれているらしい。ジャワとマリアナ諸島の間で往来があったのである。ミクロネシアの文化を何も知らずにこれを聞いていたら、あの海の距離を考えると途中どこか経由していたとしてもちょっと驚いていたんじゃないか。
 ところでラッテについては文字を持たないせいで記録が残らなかったという説明があったけど、文字が無いだけで伝承が途切れるなんていうのは文字信仰の現代人が考えることだと思う。実情はスペインの侵攻から始まる侵略の歴史の中でチャモロ人の男性のほとんどが死んでしまうという太平洋共通の悲劇の中で男性が掌る文化が消えてしまったのだという。

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 そのまま巨大な中華系のダイナスティ・ホテルを横目にタガ・ビーチへ。サイパン島では見る事の出来ない素晴らしいグラデーションの海が広がる。こういうコバルトブルーの緩やかなグラデーションは期待する珊瑚ではなく長い砂地によって造られるわけだけどタヒチのモツ(小島)などでも以前見ていて魚は少ないが目にはとても良い。
 さてそのタガ・ビーチにはラッテが切り出されたとされる場所があり、珊瑚による石灰岩がタサの形にくりぬかれているのが分かる。ガイドさんの説明で「数100メートル先のハウス・オブ・タガへこの岩を持っていくためには巨大なカヌーが必要ですね」なんて説明があったが、これまで太平洋のカヌー文化うんぬんなんて足を突っ込んでいたおかげで驚きでもなんでもなくてそのまま受け入れてしまう僕であった。
 ところでチャモロも文化が抹殺される前はカロリニアン同様、素晴らしい高速帆走カヌーを持っていた。ヨーロッパ人はそれをフライング・パロアプロアと呼んだらしいけどそれは消えてしまったわけ。

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