2009/08/16

ガベン(4) バリ島2009

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 元政府役人のご家族の火葬パレードが始まった。

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 ところでガベンというタイトルについて、、、タイトルをガベンにしているわりに、実は火葬の部分は「とある事情」で目撃することが無かったので今更ながらどうかと思いはじめた。また実際の火葬の儀式に登場する名前はもっと複雑でヒンドゥーの階層にあわせて呼び名や神輿のデザインも異なる。

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 ガベンというのはスードラ階層(最下層)の火葬儀礼でトリワンサ階層(高僧、僧侶や王族、貴族、商人や平民等が属する階層)の場合はプレボンという。今回はM氏宅裏のおばあさんも元政府役人の大火葬もスードラなのでガベンだ。そのあたりは亡骸を納める神輿の屋根の数やもう一つの神輿プトゥラガン(亡骸を焼くための棺)の形で分る。今回もプトゥラガンが牛の形ではないのでスードラ階層ということになる。特例があるのかどうか分らないけど。

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 それにしても予想以上に大規模なパレードだった。神輿の後には消防車が付いて何故だかよく分からないが神輿に向かって放水している。広場前の十字路に到着すると死者を惑わすように神輿をあっちこっちに揺らし回しながら、なかなか火葬場のほうに曲がらない。ギャニャールの人たちもみんな出てきてその様子に歓声をあげている。行列の最後にはおきまりの正装をまとった白人のツアー客たち(しかし白人っていうのはバリの正装がまったく似合わないな)。この行列はハーディーズ(ショッピングセンター)のかどを曲がって10分ほどで火葬場に到着するはずだ。

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 ところでこんなドサクサの中、おばあちゃんの神輿のほうはどうなってるのだろうか?

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2009/08/10

ガベン(3) バリ島2009

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 火葬のパレードを待っているその広場では近所のガキどもが凧揚げをしていた。しかしバリの凧はよく揚がるなァ。僕が一回声をかけてからというもの、こいつらは何かと絡んでくる。遠くに離れたかと思えばいつも間にかすぐ近くにいる。子供はどこに行っても首からカメラをぶら下げた外国人をいじるのが大好きだ。
 息子は息子でどうやら女の子たちに気に入られたようだ。息子は女の子のパワーにちょっとひるんでいたが。

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 火葬っていうのはちょっとしたお祭りのようだ。通りも通行止めになり、ギャニャールの十字路は地元の見物客でいっぱいになった。そろそろパレードが始まる合図のように観光ガイドにつれられた数人の白人観光客が現れる(なぜか東洋人観光客はいない)。待機していた消防自動車に隊員が乗り込み、邸宅の門の奥から、音色は明るいのに不思議な物悲しさを含んでいるというガムラン・アンクルン(葬式で使用される)の音が聴こえてきた。

(お盆休みに入るというのに明日から数日間出張です)

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2009/08/07

ガベン(2) バリ島2009

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 おばあさんの家の前には花輪が並んでいた。M氏によれば「最近は花輪よりお金のほうが喜ばれる」そうだ。
 家の中にお邪魔すると既におばあさんの体は清められ後は火葬に向かうだけとなっていた。敷地内は人でいっぱいだが、まずは一段落したという雰囲気。

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 妻がひとりの男性に挨拶をしている。僕もなりゆきで彼と握手をしたが、その時に初めてM氏宅裏に住む役所勤めの人だと分った。デンパサールの実家に帰っていたと聞いてたけどお葬式に参加するために帰ってきていたのだ。相手もまさかこの場に僕たちがいるなんて想像してなかったらしい。「ウダン(鉢巻)をしてるんで分からなかったよ」とジャスチャーをすると「そうでしょう?」という感じで笑った。

 その後、亡くなったおばあさんの息子さんに紹介され挨拶をした。このあたりではそれなりの家ということもあって息子さんはなかなか品のある感じの人だ。外国人の僕がお葬式でどうかとは思うが記念写真を撮る。そしてお菓子と水(アクア)が振舞われガムランの横に座って頂いた。

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 M氏の話によると今頃は火葬場へ移動するはずの予定が少し遅らせることになったらしい。どうやらもっと大きな火葬の行進が今から始まるようなのだ。それがギャニャール広場の前の大きなお屋敷から出てくるらしい。
 そちらは元政府役人のご家族のものでなかなかの規模のようだ。行く場所は一緒である。たぶんそれに合わせてこちらの予定が遅れてるんだろう。今は火葬の季節。「火葬に良い日」に沢山の火葬が行われとりあえず「小さいものが大きいものに合わせてる」という感じか。

 ということで広場でパレードが始まるのを待つことにした。なるほどギャニャールの十字路に見物人が沢山集まってきた。

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2009/08/06

ガベン(1) バリ島2009

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 6日目

 予定より2時間早い朝10時、あわただしく荷物をスーツケースに詰めて宿をチェックアウトした。

 しかしウブドを離れるとなるとなんだか寂しい。この宿(トゥンジュン・マス・バンガローズ)は居心地が良かった。次もここでいいんじゃないかと思っている。しかしバリ島のアコモはまめにメンテナンスをしてないとあっという間にボロくなるからなァ。ちゃんとしてればいいけど、ここのスタッフは言えばちゃんと働くが、いつもはかなりノンビリしてるから心配だ。

 実は前日のバリ・サファリ&マリンパークへ向かう車中「明日バンジャールで火葬がありますが来ませんか?」とM氏に誘われてた。
  突然のお誘いだったけど、明日はウブドの宿を昼にチェックアウトしてクタに向かう日だ。火葬に行く時間がない。そのことを話すと彼は少し残念そうな顔 をしたけど、すぐに
「ホテルのほうには私が連絡しておきますから、10時にチェックアウトして荷物をフロントに預けたら10時15分に出発しましょう。火葬を見たら2時にホテルに戻ってクタへ送ってもらいましょう。」
という彼の提案でまとまった。しかし10時15分とは・・・彼が分単位で予定を決めるなん てなんだか懐かしい、ガイド時代以来である。
 お誘いを受けたのはM氏宅のすぐ裏のおばあさんのお葬式。経済的な負担を軽くするために仮埋葬ししばらく後に合同火葬を行うケースも多いが、<少し金持ち>なので亡くなってすぐに個人火葬が行われることになったそうだ。とにかく個人のお葬式に招かれた ので恐縮してしまった。
 ということで早いチェックアウトなのである。

 もう既にM氏は迎えに来ていた。前日までのTシャツに半ズボンとサンダルというくだけた格好ではなく、黒いシャツに頭にはウダン(鉢巻)、腰にはサルン(腰巻)というバリ式の正装である。いかにもバリ人という感じが格好いい。

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 ギャニャールのM氏宅に到着すると、早速スレンダンを腰に巻き、亡くなったおばあさんの家に向かった。その家はM氏宅を出てすぐの角を曲がった奥にあり、この通りは雰囲気が好きでよく写真を撮りに歩いた場所だ。
 火葬用の小さめの神輿は既に家の横に用意され、これから担いで少し移動するらしい。M氏からは「写真を撮る時は行列から少し離れて撮りましょう。」と言われていたので、通りの真ん中くらいにあるワルンの陰で待つことにした。

 しばらくすると男たちが神輿を担いで動き出した。
 葬儀に集まった人たちの中には以前ギャニャールで見かけた人が何人かいて、リアルにお葬式に来ていること感じた僕はすっかり神妙になってしまった。
  近づいてくると担ぎ手の中にM氏を確認した。しっかりバンジャールの一員なのだなと思った。そういえばこの8年間、ガイドと客という出会いで始まったせいか彼とバンジャール(バリ特有の地域的な社会組織)の関係については語られることも少なくちゃんとやってるのか疑問を持つことも度々だった。日ごろから彼はわりと客観的に道徳観や習慣などを説明してくれるバリ人で、その妙にクールなところがさらにバリ社会との結びつきを感じさせない原因になっていたのかも しれない。

 とトラブル発生。

 ガムランの音をバックに担がれた神輿は、まず最初の電線に引っかかった。パダン屋の前で見た大凧などバリ島ではでかい物を運ぶとまずは電線に引っかかるらしい。電線があるからって腰を屈めるとか何か対策を考えてる感じでもない。なんとか引っかかった電線を外して神輿は進む。
 そして僕の前を通り過ぎてしばらくすると、また次の電線に引っかかった。今度は簡単に電線を外せるレベルではないらしい。しばらくああでもないこうでもないとやっていたが、結局電線をブチッと切って進んだ。電線はその場で修復されもとの家につなげられた。

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 神輿はギャニャールの広場の横でおろされ、「たぶん今、おばあさんの体を洗い清めてるはずなので行きましょう」ということでおばあさんのお宅に向かった。

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2009/08/05

目標は毎日マッサージを受けること:其の2

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「其の1」からだいぶ時間がたっております、、、、tornosの妻です。


④PHYTOMER(フランス製タラソテラピー化粧品)を使うアンチセルライトマッサージ35万ルピアとアンチエイジングフェイシャル35万ルピアを同時に受けました!!合計約7000円。
 ウブドはプンゴセカン地区、4年前にオープンしたSPA「プルトゥニン・ボディケア」です。
Image152s2  セルライト攻撃は初めにスクラブと、キョーレツ!痛い痛い揉み解し。その後は発汗作用のあるクリームを腰とお腹から膝までたっぷりと塗り、銀色のシートでラップされます。どんどん熱く感じてシートの中ではポコポコと弾けるような感覚が20分間続きます。それからいったんシャワーを。
 次は引き締め作用のあるクリームをまたまたたっぷりと塗り、ラッピング。シャーベッ トにくるまれたようにジンジン冷たいーーー!を20分間我慢します。
 1回じゃ効果の程は良く分からないのですが、満足感は大きかった!定期的にコレをやったら本当に痩せて引き締まりそうです。またやりたいよー。

 フェイシャルも丁寧にみっちりやっていただきました。お肌がツルツルのふっくら仕上がりで、フェイスラインがシャープになりこちらも大満足!
 そのまま一日中、SPAで全身をお手入れしてもらいたかった気持ち。。。

⑤クタで宿泊したホテル内にあるSPAにて、唐突にリラックスマッサージ28ドルを受けま した。今年新しく出来たばかりのSPAで、キレイな設備です。使用するオイルは3つの中から選べます。しかしここはイマイチでありました。この値段ならもっと良いお店がたくさんあるはずでございます。28ドルは高すぎるだろー!?

⑥最後のマッサージは帰国日にチェックアウトした後、時間が余ったのでクタスクエア
 の安いお店でリフレクソロジーです。去年は数件同じようなお店が並んでいて呼び込  みがしつこい位だったのに、今年はその同じ場所で見慣れたお店の看板がなくなってお り呼び込みの人たちも誰も見かけません。みんな潰れちゃったのか?
Image153s2  とりあえず発見したお店にて、1時間6万ルピア。店内がエロ的に暗い、、、ブルーの 照明で壁がミラーになっています。他に客が誰もいない。店員同士で喋りながらマッサージをするもんだから話に夢中になると手がすぐ止まるのです。さらにマッサージそのものの力が弱くて、ツボも外しまくり。うえーーーん、がっかりだよーー!
 本来ならスタッフに何か言いたいところでしたが、一緒にいた息子が歌ったり踊ったり スタッフのお姉さんにかまってもらったり、、、親として完全にトホホな状況だったので何も言えない、、、ビミョーな1時間が過ぎていきました。。。

という訳で、今回の優勝はセルライトマッサージに決定!(強引な締め括り)

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2009/08/04

バリ・サファリ&マリンパーク バリ島2009

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 今日(5日目)は息子が楽しみにしていたバリ・サファリ&マリンパークだ。
 本当はウブドから無料シャトルバスで行くはずだったんだけど、M氏にシャトルバスの件などを相談しているうちに、結局彼が宿まで迎えに来てくれた。

 さてバリ・サファリ&マリンパーク。昨年に引き続き2回目なので報告することは特にないかナ。相変わらずのサファリ・ジャーニーとウォーターパーク。そしてショボいジャングル・クルーズ。ショボイ遊園地。
 入場料が少々高いけど子供のために1日をここで過ごすのはなかなか悪く無い。「何もバリ島でサファリパークだなんて」と思うかもしれないが、子供が楽しそうにしてると、何だか少し緩んでくる旅行の中日も元気になってくる。
 息子が1人でウォータースライダーを滑れるようになったことは収穫だった。

 帰りはシャトルバスでウブドに戻った。雨が降り始めたので宿の近くで降ろしてもらった。

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2009/08/01

ウブド散歩(ニュークニン) バリ島2009

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 5日目。

 朝食前にちょっとニュークニン方面(モンキーフォレストの南)を散歩した。

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 JL.モンキーフォレストとニュークニン村の間には有名なモンキーフォレストがあり、その東側にオートバイ程度なら通れる狭い道がある。朝は抜け道として意外に交通量が多い。北側から入ってまもなく、橋を渡る少し手前の階段を上ると猿山だった。他にもいつくつか猿の縄張りがあったけどここが一番怖い。

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 ニュークニン村はかなり落ち着いたところで、食事所ではラカ・レケ、宿ではサレン・インダーやアラム・インダー、アラム・ジワなどがあるところ。ウォス川の方に降りていけば面白いものがあるとの情報があったけど、1時間で宿に戻ることにしていたので今回はパス。

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 ニュークニン村の寺院とサッカー場の近くにはデカイ木があって、これはそのあたりのもの。食事に出たりするにはちょっと不便だけど、この落ち着きぶりはそれなりに趣がある。いかにもヨーロッパ人が好きそうな地域だと思った。

 ウブドの朝は涼しいし1時間程度の散歩はいいね。軽く体を動かした後は朝食も美味しかった。

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2009/07/31

ケチャ バリ島2009

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 少し遅い昼食を近所のウブドラヤですませ宿に戻ると、僕たちの泊まっている建屋の1階に昨日までのオーストラリアのお客さんに替わって上海からのお客さんがチェックインした。
 ちょっと疲れが出たらしい、僕がローカルニュースをTVで見ながらベッドでうとうとし始めると妻と息子はプールに向かい、少ししてからそれを追いかけるように1階の上海ボーイが大きな声で何かを喋りながらプールに向かって行った・・・というところから家族が戻ってくるまで寝てしまって記憶が無い。(上海ボーイやプールについては妻から報告があるかもしれません)

Dscf5456_2  ところでウブドでの芸能鑑賞を息子が楽しみにしていたので、行き当たりばったりで行くか、と2人で夜の7時過ぎに外出した。ウブドなら毎日何かの芸能がやっているはずなので、王宮までの間にはチケット売りが沢山いるはずだ。
  JL.ハノマンを歩いていると、さっそくチケット売りに遭遇。近所のタマン・サリ寺院でまもなく開始のケチャ、ファイヤー&トランス・ダンスのチケットだった(サンディ・スアラというグループが週に2回もやってる)。
 そういえば「ケチャは観たことがないなァ」と思い、宿に近いしいいんじゃないかということでチケットを購入。心配があるとすればガムランは大丈夫だったがジェゴクの低音にはビビッていた息子だ。

 さてケチャというのは、シュピースの時代にバリを紹介するための映画用に考案されたということで、レゴン式のラーマヤナの踊りに、サンヒャン・ドゥダリという憑依儀礼の男性コーラス技法をガムラン代わりした伴奏で構成される。最後にトランス状態の裸足の男性が炎の上で踊るサンヒャン・ジャランというのが加わったり、グループによってラーマヤナの部分が異なったりとそれぞれがユニークなケチャとなっているらしい。なんだかレゴン自体にサンヒャン・ドゥダリの影響があったりなんて記述もあるし、実は何だかよく理解してない。

Dscf5469_2  会場はほぼ満席状態でほとんどがオージーの客で占められていた。僕と息子はステージ右端の一番前で観賞した。僕たちの後ろでアイスクリームを食べながらはしゃいでいるのはオージー女子4人組。
 始まるとケチャのインパクトはとても穏やかなもので、それから本来の憑依儀礼を想像するのは容易だった。ただ横から観ていたためかラーマヤナの踊りはいくぶん退屈で(たぶん前から観るものなんだと思う)、男性コーラスのみの時のほうが神秘性が増して良かった。他のグループを観ていないのでなんとも言えないけど。
 後半は男性コーラスの輪を解除して、男性と女性の混合コーラスで少女たちが立ち位置を固定して踊りだした。ここからはサンヒャン・ドゥダリに近い演出のようでいい感じだ。最後にココナッツの殻に油をかけたものを燃料にした炎を地面に均し、サンヒャン・ジャランが始まった。馬に跨った男性は燃えたココナッツの殻を蹴飛ばし、時々中央に陣取るオージーたちに届くように蹴飛ばす。観客が盛り上がる。

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 公演が終わるやいなやエンドールを見ずに帰る映画館の客のように、あっという間にお客さん全員が帰ってしまった(遅いし、お腹もすいただろうしね)。
 僕たちといえばサンヒャン・ジャランでトランス状態で跳ね回っていた男性(しばらく地面に座ったまま放心していた)に呼ばれたので、ココナッツ煤で真っ黒になった足に触り、そして握手をして帰った。息子はとっても楽しかったらしい、よかったよかった。

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2009/07/29

ウブド散歩 バリ島2009

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 4日目。

 さて今回のバリ島旅行は1日おきにイベントを入れて残りの日を宿周辺でノンビリするという大雑把な日程を考えていた。なので本日はウブドでノンビリの日である。
 朝食が終わると妻は前の日に予約していたペルティニンなるテガル・サリ系列のマッサージ屋に出かけていった。ということで残った僕と息子は近所をちょっと散歩することにした。

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 歩いたのはプンゴセカン→プリアタン→JL.ハノマン→サッカー場→JL.モンキーフォレスト→モンキーフォレスト。2時間弱のコースで6才なりたての息子も途中弱音をちょっとだけ見せたがよくついて来た。
 特に何があったわけでもないが、プリアタンのコンビニ(ミニマートだったかサークルKだったか)でアイスを買ったら「メルシー」と言われたのが忘れられない。「サンキュー」じゃなくて「メルシー」だ。さすがはプリアタン。今の季節フランス人はいないぞ。
 後は工事現場のおやじと空に日本地図を描きながら茨城の位置を確認したり、コマネカの前にいつもいるタクシードライバーのおっさんと数年前のコマネカ前タクシードライバーたまり場全盛時代を懐かしんだりした。

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 最後にワルン・ニョナ・ダナでナシ・チャンプルをブンクスして宿に戻るとまもなく昼飯の時間だ。

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2009/07/28

ティアラ・デワタで夕食 バリ島2009

Dscf5371  息子6才は絵を描くのが好きだ。しかし絵を描くための道具を持ってくるのを忘れた。やはり部屋のテレビでスポンジ・ボブやBEN 10ばかりを観てるのは良くないな。ということでバリ・アート・フェスティバルを後にして、道具を買いにデンパサールのティアラ・デワタ(大型スーパーマーケットというかショッピングセンター)へ向かった。

 バリ人M氏が「この駐車場は難しいです」と嘆きながら無事ティアラ・デワタに駐車し、2階の文具売り場に行った。そして無事ファーバーカステルのコネクター・カラー・ペン20色とスケッチブックを購入。これで明日から息子はお絵かき三昧だ。ありがたい事に泊まっているバンガローは部屋が広く息子も好きな場所(主に床)で自由に絵を書く事が出来る。

 ということで夕食はこのままティアラ・デワタのフードコートで食べることにした。このフードコートでの注文方法は、各店で食べたい物を注文し伝票をもらい最後にレジで精算する方式。後はテーブルに座って待っていれば注文したものを持ってくる。(英語が通じるかどうかは店によってかなり微妙)

 そこで注文したのがこれ

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(1)ミー・アヤム・パンシッ

 普通にミー(麺)・アヤム(鶏)・パンシッ(ワンタン)である。麺の上に自分の好みの量のワンタンの入ったスープをかけて、サンバルで辛味を加える。ミーとかバッソは3時のおやつみたいなもの。だから昼間食いすぎたと思ったその日の夜はこれくらいが丁度いい。

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(2)ルジャッ・チングル

 妻がこれを注文したんだけど、もともとはM氏の奥さんの大好物でオススメされた。「野菜がたっぷりでダイエットの時にいいね」。
 で中身はキュウリ、かるく茹でたモヤシ、かるく茹でた何かの葉っぱ、お餅みたいな何か、の上に(バリ島でよく言う甘辛いルジャッのソースではない)ピーナッツベース(らしい)の不思議なコクのあるソースがかかっている。サテのソースともちょっと違った感じだった。
 ここまでだったら、ただのモヤシサラダのピーナッツバターソースがけみたいなものだが、気になるのは残りのチングル。そう気になるチングルは「牛の鼻」なのである。ということで「牛の鼻」のスライスが入った特製野菜サラダなのだ。「牛の鼻」の食感はレバーとマッシュルームの間くらいの感じか。貴重なものを頂きました。ジャワ料理。

 バリ3日目終了(残り5日)

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2009/07/27

バリ・アート・フェスティバル(2) バリ島2009

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 バリ・アート・フェスティバルは芸能鑑賞目的以外の人でも楽しいお祭りだ。ステージ以外にもバリ島各地の民芸コーナーや相当な数の屋台や出店があり、見て周っているだけでかなりの時間をつぶせる。M氏には「ここの食べ物はちょっと危ない」とは言われたけど。

 会場となるアートセンター中心の建物に登って会場を見渡すと、出店エリアの奥に(僕の勝手な思い込みでは)バリ島と結びつかないものがあった。観覧車だ!。見た目はかなり貧弱な感じだが回る速度が異常に速い。野外ステージ前の広場でノンビリしていた家族に知らせ、早速その場所に向かった。

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 そこは観覧車だけでなく、微妙なサイズのメリーゴーラウンドや、足で回すぐるぐる回る乗り物、とりあえず電動で動いてるらしい動物列車などがあり、それぞれにお約束のどこかで見たことがあるようなキャラクターが描かれている。

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 そういうことで僕たちは勇気をもって観覧車に載ることにした。1人1回=4,000ルピア(約40円)。
 短い行列に並んで観覧車に乗り込むと、やはりそれはただの鉄パイプで出来た篭で、それだけでちょっとしたスリルがある。しかも観覧車にしてはえらく速い。遠くから眺めてた時より遥かに速い。しかも何回転もする。1回、2回、3回、4回・・・5回目にはいつ止まるのかなんだか不安になってきた。見える景色といえば出店の長い屋根とドブ川ととなりの家で洗濯をとりこんでいるおばちゃん。つまり乗ってから分ったけどこれは観覧車ではないな。
 この乗り物の動力はチャオプラヤー川(メナム川)を走る遊覧ボートに取り付けられた剥き出しのランボルギーニのエンジンのような代物で、人が乗り込むときはおにいさんがドッドッドッドッドッドッと鳴っているそのエンジンのスロットルを絶妙に落とし、もう1人の男が手で回転を止める(ように見える)。止まっている間、僕たちは風に吹かれながら宙吊りになる。
 そして予想以上の時間を楽しみ約10回転をもって終了。なんだか元気が出てきた。

 その後は7時過ぎまで中央広場で夕涼みをして(これがなかなか至福の時間だった)、バリ滞在期間中にもう一度バリ・アート・フェスティバルに来ることにした。

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【注意事項】
この期間中はトイレを使用するのに1,000ルピア(約10円)がかかる。香港の公衆トイレのように、出る時に入口付近に座っているおじちゃん、おばちゃんに渡す。M氏いわく「このお祭りは何でもお金かかるから」「普段はトイレは毎日使ってるわけじゃないから、あまりキレイじゃないから」だそうだ。

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2009/07/26

バリ・アート・フェスティバル(1) バリ島2009

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 トーパティ村の果物屋でアイスを食べながらくつろいでいると、あっという間に夕方の5時になろうとしていた。今度はデンパサールの東側にあるアートセンターに向かった。
 毎年6月中旬からの約1ヶ月間はこのアートセンターでバリ・アート・フェスティバル(PKB=ペスタ・クスニアン・バリ)が行われる。バリ各地の芸能が毎日入れ代わり行わるバリ芸術の祭典で、普段僕たちが観る観光客の為の芸能とは違ったまさにバリ人のためのお祭り。せっかくこの時期に来たのだから行かないわけにはいかない。

52460013_2  とは言ってもこの芸術祭、フェスティバルの雰囲気を大いに味わえる大きな野外ステージ(音響も素晴しい)でのイベントは夜の部が中心で、会場周辺の混雑ぶりは半端じゃない。うまくやらないと来るのも帰るのも大変な事になりそうだ(特に土曜の夜は危険)。
 なので本当だったらゆっくり夜の部の芸能を堪能したいところなんだけど、その時間までは息子も我慢できないだろうし、今回のバリ旅行では芸能鑑賞には固執しないで祭りの雰囲気を楽しめればよしとした。

 夕方の6時30分頃。野外ステージに人が集まり始める。開演まではまだまだだけど大きな会場は既に半分くらいはうまっている。弁当売りや飲み物や動き出してまるでプロ野球でも観戦している気分。
 野外ステージでリハーサルが始まった。今日はギャニャールVSバンリのゴン・クビャール合戦が行われる。物凄く気合の入ったリハーサルで、関係者や野次馬がステージにあがってその演奏を見守っている。なんだが僕もうずうずしてきてステージにあがって拝見。やっぱり観たいな~これ。まっ我慢我慢。

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2009/07/24

大スカワティ王宮 バリ島2009

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 昼飯の後はスカワティの市場だ。僕はスカワティの市場が嫌いだ。まず買い物があまり好きではないのでやることがないし、人は多いし、暑いし、臭いし。1時間で参ってしまう。
 しかし今回は妻が会社から依頼されてる大量の買出しをしなければならない。一度にものを買うならやはりスカワティだ。さすがの僕も3回目ともなれば慣れで案外いけるかもしれない。とは思ったが・・・

Dscf5351  妻がM氏と買出しに行っている間、僕は息子を連れて市場の周辺を散歩することにした。途中テ・ボトルでも飲んで水分を補給すれば1~2時間くらいはなんとかなるだろう、と始めた散歩だが5分も経たないうちに息子がその臭いに参ってしまった。しかたなく市場の近くで臭いもなく暑さをしのげるところはないかと探した。

 2人で目眩を起こしながら、市場のおねえちゃんが小さな門をくぐって入っていくその後ろをついていくと、なんと臭くもなく暑くもない素晴しい場所にたどり着いた。周りをよく見るとスカワティ市場のすぐ反対側だ。
 そこで僕は空に舞う凧を眺めながらノンビリして、息子はその敷地内にある闘鶏用の鶏と追いかけっこ。広い敷地を抜けると日陰な民家の狭い通りを散歩し無事1時間を過ごした。

Dscf5357  市場に戻ると買出しチームはまだ戻っていない。暇でしかたがない息子にせがまれしかたなくiPhone登場-市場の前でゲームをやり始めた。持っていて良かったと言うべきか。しかしiPhoneというのが良くなかった。やはりiPhoneはバリ島でも有名なのである。
 1人の子供がiPhoneに気がつき僕たちの周りをうろうろし始める。すると他の子供や親たちも僕たちの後ろにまわってはゲームを覗き込み、目が合うとニヤッとして少し離れる。そしてまた近づいてくる。そんなやからがどんどん増えてきてそのうち掏(ス)られるんじゃないかと内心ヒヤヒヤだった。息子はゲームに夢中でお構いなし。スカワティの市場でゴルフゲーム。最後の極めつけは台湾からのお客さんたちで、1人のお兄さんは実に熱心に僕たちに張り付いていた。

 ところで日本に戻ってから写真を確認すると、僕たちがノンビリしていた場所の門の所にPURI AGENG SUKAWATIと書いてある。勝手に王宮にお邪魔してしまったらしい。どうりで闘鶏の篭が沢山あったわけだ。無断で入ってしまって申し訳ありませんでした。

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2009/07/23

凧渋滞 バリ島2009

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 パダン料理屋で食事をしていたらなんだか外が喧しくなってきた。
 外へ出てみるとトラックの荷台に巨大なものを積んでいて、それが電線に引っかかりそうになっている。それは巨大な凧だった。
 どうやら数日後にサヌールで行われる巨大凧揚げ大会の練習に行く途中らしい。その大会はこれより遥かに大きな凧も登場するようだ。時期があえばこの凧揚げ大会を是非観てみたい。数百ものこのスケールの凧が空に揚がるんだから(1回に上がる数には限度はあるだろうけど)きっとすごいに違いない。

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  一人の男がトラックを降りて、電線をかわすためのナビゲーターになる。ドライバーは小刻みにハンドルを切る。荷台に乗って凧を支えているメンバーたち。道端には近所の野次馬がどんどん集まりこのスリリングな様子に「オー!」「アァ!」と反応する。この騒動で後ろには車やバイクがどんどんたまり渋滞を引き起こしている。

 さてそれからしばらくしてトーパティ村(デンパサールの東)の果物屋でアイスを食べていると、また同じ凧が前を通過した。練習の帰り道だ。帰り道もまた大渋滞を起こしながら走っている。きっと凧揚げ大会が終わるまであちらこちらでこの凧渋滞が起こっているに違いない。

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2009/07/22

パダン料理 バリ島2009

Dscf5345  お腹も減ってきたので昼食をとるためにM氏宅を後にした。昼食の後はバリ島でもっとも体力を失うことになるスカワティの市場だ(恐ろしい)。

 ところでこの日の昼食は日本にいた時からほぼ決めていた。それが「パダン料理」。
 パダン料理とはスマトラはミナンカバウ族の料理のことでパダンとは西スマトラの都市の名前である。インドネシアではポピュラーな料理でバリ島でもどの町に行ってもパダン料理屋を見かける-なんだけど僕は今までパダン料理屋に行った事が無かった。今回M氏に連れられて来たパダン料理屋はチュルックにある「バトゥブラン」だ。

 この店はギャニャールの街中にある小さくて薄暗いパダン料理屋に比べると明るくて大きめな店。パダン料理屋の中でも美味いと評判の店だ。僕たちが日本人だということで気を使ってここにしたのだと思う。とは言っても立地からもあまり普通の観光客が来る様なところではなく、この日の客層もタバコをふかした地元のおっさんたちばかりである。そしてパダン料理屋はムスリム、ということで奥には礼拝の部屋も見える。

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 ところでパダン料理というと客のテーブルに全てのおかずが並べられて、手をつけたおかずの分だけ料金を払うというシステムを想像するけど、ここはショーウィンドーに並んだ料理を選んでご飯(ナシ)を盛ったプレートにのせてくれる、所謂ナシ・チャンプル・システムだ。バリ島のパダン料理屋ではこのナシ・チャンプル・システムも多い。そしてM氏はテーブルに並べられる本来のパダン・システムは嫌いなんだそうだ。理由は「システム上請求された金額が正しいかどうか分からない時がある。だから騙されることもある。」からなんだとか。バリ人でもそうなんだ。

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 でそのパダン料理。昔からあるようで実はバリ島でポピュラーになったのは比較的最近だという彼の話はちょっと興味深い。少なくともM氏が若い頃にはパダン料理屋なんて近所に無かったそうで、初めてパダン料理屋で食事をしたときは(外国人観光客同様)緊張したそうだ。M氏いわくパダン料理がブームになってあちこちに出来始めたのは10数年前のことらしい(ホントかなァ)。とはいってもM氏の実家はたしかシガラジャ(ブレレン)の方で店がそのあたりには無かったということだけかもしれない。僕のブレレンのイメージはオランダって感じだし。

 パダン料理は辛いと言われるけど、おかずの辛さとソースの辛さを組み合わることで辛さの調節は融通が利く。写真は全体的に赤っぽいほうが僕が注文した辛いセット。黄色っぽいほうが妻が注文した辛くないセット。まあ辛いとはいってもたいした辛さではないと思う。しかしこのカレー風味のソースは美味い。そしてフォークやスプーンは棄てて右手で食べるのが絶対に美味い。
 まあワルンが町の食堂だとすればパダン料理屋はさしあたって町の中華料理屋といった感じだろうか。

 ちなみにM氏一家の大好物はスパゲティ(パスタとは言ってない)らしい。次は美味しいバリ人に人気のスパゲティの店に連れて行ってくれるだろうか。

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2009/07/21

目標は毎日マッサージを受けること:其の1

tornosの妻です。家族でのバリ島旅行はスケジュール的に今後しばらくはお預けになりそう。ならばとことん楽しまなくてはもったいない。日本ではお金が出せないけれどバリ島なら気軽にマッサージ三昧を味わえる。
「絶対にマッサージ屋とSPAにいっぱい行ってやる!」これが私には最大の旅テーマ。

もちろん予算には制限があり、ガイドブックにあるようなお店でアロマオイルマッサージ1時間・50ドル、なんてとても手が届かない。これでも「日本に比べたらかなり安くて
贅沢気分を味わえる」と人気が高いみたいではありますが、、。
結果として、毎日とはいかないまでも、合計6回とかなり満足な頻度でマッサージed。

①成田空港第2ターミナル内でリフレクソロジー20分間・20ドル
早くも成田からやってしまいました。初めてですよ、空港でなんて。なんて贅沢!店内は暗めの照明でラベンダー系のアロマが漂い、ヒーリング音楽が流れていました。けっこう込んでいて、どうやら私以外の客は全員アメリカ人のようです。彼らには全身指圧が人気でした。体のサイズが違うのに料金は同じかよー、スタッフ大変そう、、、、と。
それにしても20分なのにとても密度の濃い、ハイパー足揉みテクニック!痛そうにするたびに、担当のお姉さんが「これは腸のツボですね。」とか「ここは眼の疲れです。」と小さな声で教えてくれます。おかげで機内での浮腫がかなり楽チンでした。

②到着翌日の朝、レギャンの宿泊ホテルから2軒となりで30分間・3万ルピア(約300円)
朝食後に近所をブラブラして、パーマ屋で再びリフレクソロジー。通常は1時間・5万ルピアのところ、30分間で済ませたかったので割高でもOKにしました。夫の担当はおかみ、
私は若いお姉さん。最初にボウルで両足を洗って貰い、ニベアを塗りながらグイグイと
痛気持ちよく揉んでくれます。途中、何度となくおかみからお姉さんへの「もっとこんな風に」というピンポイント指導が繰り返されます。ムダ話も一切せず、集中して揉んで貰えてリフレッシュできました。リフレクソロジーは手軽でいいなー。

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③3日目の朝、恒例のガイドM氏と再会。夫が肩や背中が疲れているという話をしたので
ここぞとばかりに私もマッサージ行きたがりアピール!。M氏は即座に「近くにいいスパがあります。行きましょう。」と、われ等が価格帯を確認する前に到着。お店の名前は
”バリラトゥ”です。写真にあるように、立派な建物、、、周囲は癒される田んぼビュー。
どうもM氏はわれ等の財布状況を誤解しているのか、または日本人だからある程度キレイなお店でないといけないと思っているのか、、、とりあえず過去の経験からコミッション目当では無いと思います。

入店すると冷たいおしぼりと飲み物のサービス。受付の男性は日本語が上手です。ボディスクラブやストーンテラビー、若返りフェイシャル、痩身トリートメント、デトックスマッサージ、、、、豪華なラインアップが並びます。われ等は10万ルピア(約1000円)以上は高いと感じてしまう貧乏性なのになーー。 結局、一番安い頭と肩のマッサージ1時間・30ドルを2人とも選びました。後でシャワーを浴びるのは面倒なのでオイルは無しとお願いしました。

部屋に案内されると、田んぼを通る清々しい風が気持ちよく、担当の女性達も黙々とマッサージを開始。途中、オイル登場!? ベッドにうつぶせで横たわっていたので塗られた時にはすでに遅し。でもオイルが無いと調子が出ないようだし、まあ良しとしましょう。
バリニーズマッサージは結構しっかりと力を入れてツボもとらえてくれるのでナイスです。
夫も書いていましたが、息子が生まれる前に2人でバリに来ていた頃の感じを思い出しました。ああー!ある程度の金額を出さないと、この贅沢は癒し感は味わえないのですよ。

マッサージ終了後は、オープンエアのシャワースペースで開放感を味わい、全身サッパリとして大変気持ちよかったです。オイル有りで正解。最後に温かいジンジャーティーを頂きました。
受付スペースに戻ると、M氏と息子も散歩から戻っていました。その後30分程、息子は受付の男性と遊んでもらい、夫とM氏は田んぼの前でお喋りをし、私はモタモタと日焼け止めを塗ったりしていました。

あー、気持ちよかったーー!

其の2に続く

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1時間2000ルピア バリ島2009

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 バリ人M氏宅に行くと奥様が風邪をひいていた。ジャムゥ(インドネシアの漢方)を額や手首、足首に塗っている。もうだいぶ良くなったみたいだけど「熱が出ても仕事を休めないので、私が毎日車で送ってました」とM氏。
 ちなみにM氏は以前勤めていた日系のツアー会社が解散した後は、自分でトヨタ・キジャンの中古車(90年代後期モデル)を購入し観光ドライバーをやっている。「私が毎日車で送ってました」ということは今は仕事がヒマだということだ。

 たしかにこの時期はオージーやキーウィ、ジャワ人の観光客は非常に多いがそれ以外の国の観光客(日本人を含む)は夏休み前ということもあって本当に少ない。いつでも旅行をしていると思っていたフランス人やドイツ人をまったく見かけない。ということで彼もヒマすぎて最近は主夫をやっている。奥様がウブドの老舗レストラン&雑貨屋で頑張っているとはいえ子供たちも大きくなってきてちょっと経済的に厳しんじゃないかな。でもそれをあまり悲観してないのがバリ人なのだが。

 ということでM氏宅の敷地を見渡す。いつもなら裏手の貸家のご家族にぼちぼちと会うはずなんだけど敷地内には近所のガキどもしかいない。どうやらひとつの家族は子供の進学に合わせてデンパサール(バリ州の州都)に引っ越してしまい、もうひとつの役所勤めのご家族もこの長い休みを使ってデンパサールの実家へ泊まりに行ってるのだそうだ。

 ところで近所のガキどもは彼の家で何をやっているかというと、それがプレイステーション2(3ではない)だ。M氏宅には何とプレイステーション2が3台もあり、それが近所のガキどもで満杯なのである。そしてよく見るとプレイステーション2が繋がったモニタの上に2000ルピア(約20円)の張り紙が・・・

 M氏の説明では「2000ルピアは1時間の電気代としてもらってます。」「大きいテレビは電気代が高いので1時間3000ルピア。」「町のゲームセンターでプレイステーション2(3ではない。3をバリ島で見た事が無い)を1時間やると6000~7000ルピアで2000ルピアはお得。」「町のゲームセンターは不良がいるのでこちらの方が親たちは安心。」とのこと。
 ちなみに不良の見分け方を訊いたところ「服装は普通の人とあまりかわらない」「目が違います」らしい。これでは僕たち外国人には分らないかも。

 ところでこの私設ゲームセンターを管理しているのは息子のヤンナ君。ということでこの日以降、僕たちから「オーナー」と呼ばれることになった。でもヤンナ君、このためにいつも家にいるのは辛いらしく遊びに行きたくてウズウズしている。なのでパパが留守番をしてくれるこの時期は彼にとってはいい感じなのだ。勉強をするのがちょっと嫌いなヤンナ君は相変わらず料理関係の仕事を目指している。

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2009/07/15

熱帯とコケ

tornosの妻です。夫は出張、、、調子にのって書いてしまおう。
私は苔が好きです。日本の苔庭を見ると興奮してしまいます。

バリ島は熱帯なので、あっと言う間にコケが生えるのでしょう。
雨上がりに日差しが戻り、石像に繁茂したコケから雫がしたたる様子はとても趣があってしみじみとします。
それでこの頃気付いた事があります。トイレやお風呂にも同じ勢いであっという間にコケが生えるみたいなのです、、、。
パダン料理屋のトイレ辺りから確信し始めたのですが、手桶に水を入れて洗い流してしまうスタイルのトイレ(お風呂場でもある場合多し)はコケ向きな温度+湿度!しかし暮らしている人は割りとそのまま放置している模様。日本で言えば、お風呂場の天井にいくつかカビの黒い模様が出て来て、「たいして目立たないからまあいいか」みたいな。

それと前後して、ウブドのバンガローに移って最初の衝撃だった、バスタブ周囲にむっしりと生えている「コケ」の塊!、、、コケは大好きだけど私、バスルームのコケは馴染めないーーー。
ということで、スタッフにキレイにしていただきました。お願いするとニコニコしてイヤな顔もせず、すぐにやってくれました。
でもきっと、日頃余りにも身近すぎてコケの存在が気にならない感覚なんだろうなー。
レギャンのホテルでもトイレにコケが生えていたしな。

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夏休み? バリ島2009

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 ギャニャールのバリ人M氏宅に向かった。何回彼の家にお邪魔しているか忘れてしまったが、最近はすっかりツアーのコースに組み込まれている。なんど来ても広場の周りをぷらぷらして微妙な変化を発見するのが楽しい。今回の変化といえば広場の前にちょっとしたフードコートというかワルンが数件ならんだエリアが出来ていた。こういうところで何か食べたいなどというとM氏から「ちょっと食べない方がいいね」と言われるのが毎度の事である。

 車の中でM氏と話していて初めて知ったのだけど、ちょうどこの時期の学校は学年末の長い休みなんだそうだ。彼は「夏休み」と言っていたがさすがにバリ島、なにをもって夏と言ってるのかよく分からないがここは南半球、どうやらオーストラリアなども長い休みらしい。ということで妙にクタ地区が華やかだったその原因は、浮かれオージーの群れとバリ島に訪れるホリデージャワ人で溢れていたからだった。そういえばスカワティの市場の前を通った時もジャワ人のツアーバスが何台も並んでいて、その込み具合を見てこの後にスカワティに行くことを考えるとちょっと恐ろしいと思ったものだった。

 ところで個人でバリ島に来るジャワの方は別として、ジャワ人の団体さんはいったい何処に泊まっているんだろう?彼に確認してみると「デンパサール」だと言う。どうもジャワ人の団体さんはホテルに泊まるのではなく、ツアー会社がデンパサールのアパートメントを建物ごと借りてそこに泊まっていくのだそうだ。そこからツアーバスで観光するので、突如ジャワ人の団体さんが現れることになるらしい。

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 ということで今回のバリ島旅行は、この夏休み?期間だけの特典をいくつか体験できたのだけど、明日から4日間宮城へ出張。戻ってきたらバリ島の続きをだらだら再開します。

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2009/07/14

高級マッサージ バリ島2009

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 3日目の朝。

 安いアコモにしてはまともな朝食(チョコレート・ジャッフル、バナナ・パンケーキ→以後トーストに変更、オムレツ、フルーツサラダ、パイナップル・ジュース、コーヒー)をバルコニーのテーブルでいただいくと、バリ人M氏が迎えに来た。

 彼とは初めてのバリ旅行の時からのお付き合いで、最初は日本人経営の某現地ツアー会社のガイドだった。数年前にその会社が解散した後は個人のドライバーとして僕たちを希望の場所へ運んでくれる。しかし個人商店になって以来会うたびにどんどん格好がラフになってくる。今回は彼の妻が勤めるウブド某有名店のTシャツにビラボンの短パンにサンダルという出で立ちで、バリ人としては普通かまともな方だが以前のパリッとしたシャツはとうとう消えてしまった。(シャツはジャワ風襟ではなくバリ風襟)

 あまり具体的なプランを立てていなかったので「マッサージがしたいな」と伝えるとM氏のキジャン(車です)はなんとすぐ近所の高級スパに止まった。近すぎる。最近は100,000ルピア以上するところは全て高級だと思っているからちょっと戸惑ってしまった。
 乳母車時代からの付き合いの息子はすっかり懐いていたのでM氏と2人で猿森へ。で僕と妻は1時間の肩&頭マッサージ。ところでやはり金を払うと同じマッサージでも違うものである。丸い穴に顔を埋めて田んぼからの風の流れを感じながらのオイルマッサージ(オイルは使うなといったのに)は、すっかり忘れていた-ホテルや食事やスパに金を使いまくっていた最初の頃のバリ旅行を思い出させた。とても気分が良かった。朝なので空いていて終わった後の田んぼ前のベンチでの一服も気持ちよかった。
 そしてマッサージ大好きの妻は翌日のマッサージを今度は近所のテガル・サリに予約に行った。(テガル・サリは人気のアコモですね。テレビが無いので候補ではなかったけど)

 そして最初のメーンイベント会場ギャニャールのM氏宅へ向かう。はたして1年でどう変わっているのだろうか・・・

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2009/07/13

プンゴセカン バリ島2009

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 本日は僕の誕生日、なんだか冴えない年齢になってしまったよ・・・。

 ウブドに着いたその日はすっかりノンビリとしていてバンガローの近所をちょっとうろついた程度だった。あとはほぼ昼寝(夕寝)とバルコニーでのコーヒー&シガレッツ。
 このエリア(プンゴセカン)は華やかではないが、ある意味ジャラン・モンキーフォレストやウブド王宮近辺より便利なくらいだ。日本食を食べたければウブドラヤや影武者があるし(ウブドラヤのざるうどんは美味しくて息子が現地料理が辛くて厳しい時に助かった)、安くて美味いワルンやルマ・マカンもある。インパクトには欠けるが安心して食べられるツーリスト向けのレストランも何件かあるし、スーパーもベーカリーもスパも美術館もある。プリアタンもニュークニンも近いし散歩も楽しそうだ。なので次もこのあたりに泊まろうと思った次第。

 さて明日からゆっくりとバリ始動です。

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2009/07/12

ウブドへ バリ島2009

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 さてやけにビラリシが長くなっている気もするけどまだ2日目。
 ホテル近くのパーマ屋で足マッサージ(3万ルピア)を受けてたら(この女将のスタッフへの指導の厳しさが見ものだったのだけど)、早々に部屋に戻り出発の準備。12時には待ち合わせどおりに次のアコモ、ウブドのTunjung Mas Bungalows(トゥンジュン・マス・バンガローズ)のスタッフ-マデ君が迎えに来た。僕1人で混乱するんだけどホテルの名前は岬のTanjungではなくて睡蓮のTunjung。

 クタからウブドへの道はドライバーによって微妙に異なるので1時間ゆったりと風景を眺めながらの移動はなかなか楽しい。今回やけに目に付くのは(前に書いたけど)選挙のポスターや旗。それに今までに体験した事の無い人出と渋滞。町の雰囲気も、今までのどの過去より華やかな感じで、この時期がいつもと違う事はすぐ分る。たいしたことではないけど、それについては後日バリ人M氏に解説してもらう。

Dscf5374_2  今回はウブドでの宿泊先を決めるにあたって、1.過去に泊まったジャラン・モンキーフォレスト/チャンプアン/クデワタン/プネスタナン以外の場所(ニュークニンやプンゴセカン等)にする、2.部屋にテレビがあること(息子の希望。ローカルでOK)という条件を設定した。1だけだったらいくらでもあるんだけど、2を入れると選択肢が結構絞られる。その中でも連絡のレスポンスが良いところにした。

 トゥンジュン・マス・バンガローズに到着。ここはバンガローとあるように全6部屋の小さなアコモで、ウブド中心からやや南のプンゴセカンにある。レストランも無いしホテルではない。料金はVilarisiの倍弱くらいで、参考に宿泊経験のある同等の広さの高級ホテルKomaneka resort(コマネカ・リゾート)の1/3~1/4の料金程度である。もちろん高級ホテルと比べてはいけない様々な点が存在するわけだけど、結論としてはコストパフォーマンスが高いアコモだった。
(ただし本アコモのウェブサイトは最近Googleのセーフブラウジング診断に引っかかっているようなので本blogからのリンクは入れません。6月は大丈夫だったんだけどねぇ)

 ということでここからウブドです(といいながらほとんどギャニャールとデンパサールだったけど)。

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2009/07/10

STAY AT ビラリシ

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tornosの妻です。愛するビラリシの続きを書かねば落ち着かない衝動に駆られて再び
お邪魔します。

そんな訳で、ヒトとして偉業を成し遂げたと言わんばかりな達成感の中、ビラリシがすでに愛おしくて仕方が無い。

以下、I love ビラリシ なポイントを記します。

 バスタブがある!シャワーのお湯がちゃんと出る!しかも、よくアリがちな、シャワー
ヘッドから太いお湯が一本ジョボジョボ、、、では無くてしっかりと、パァーっと、
お祭り気分で踊るようにお湯がシャワーっている!
全身が脂汗にまみれたわれ等(というより私だけですね)は世界一クリーンな気分。

 さっぱりして、荷物をほどきながら室内をキョロキョロ。
おー、これは!?
家具類は茶系でクラシカルな超ヨーロピアンだ!しかもイタリアを彷彿させる、というかイタリアン家具なの? ネコ足の家具たちよ、なぜこの部屋に来てしまったのか。

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 カーテンは突然だが真っ黒なサテン生地。カーテンを開けたらビックリ!窓がステンドグラスになっていますよー。
息子はこのステンドグラスに感動し、「美しいお部屋だねー。ずっとここに泊まりたい!」と言う位の惚れこみぶり。

 バルコニーはそんなに広くないけれど、ここもヨーロピアンな金属製の囲いで仕上げられていた。そして、ブーゲンビリアの大きな鉢植えが置かれていた。さっきからギャップが激しくて、どうにも揺さぶられっ放しであります。

 シングルベッドに寝相の悪い息子と2人で泥のように眠り込んで夜はオシマイ。


 翌朝、フロントで朝食クーポンを受け取りレストランへと向かいました。レストランは
窓が多くて明るい感じでした。そしてここでも沢山のステンドグラスが息子を感動の渦へと誘ってくれた次第です。われ等は外のテラス席に座り、一息ついてホテルを外から見上げたら、、、まあ、ステキ。

Dscf5232_2 オーナーはイタリアのビラを再現しようとしたのかなぁ、、、、。

朝食はホテル代のわりにメニュー豊富で、ビュッフェ式(これはインドネシアンね)。満足度がさらにUPであります。

 部屋に戻る前に、せっかくなので洞窟に橋がかかったテーマパーク式通路を通ってプールエリアを見に。通路だけを見ると物凄い意気込みを感じる仕上がり。しかしプール本体は小さいよ。
それでもここがイタリアだとしたら相当スタイリッシュに映るに違いない。

 ついでに屋上のガーデンも覗いてやる!鼻息荒くエレベーターに乗り、開いたら目の前はすぐに芝生と木々の緑あふれるルーフガーデン! でも太陽光線が余りにもエネルギッシュ過ぎて1分程で退散してしまいました。本気で日焼けをしたいお客様にはビーチよりもプライバシーがあるし、かなりリラックスできる場所ではなかろうか。

ヤルなぁーー ビラリシ。また来るよーー!

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2009/07/09

ROAD TO ビラリシ

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Tornosの妻です。夫の隙を狙ってお邪魔いたします。グダグダで済みませんが書かせて下さいね。

まず、次のバリも最初の宿はやっぱり「ビラリシ」にしたいと心に決めております。
ビラリシlove。

①初めはホテル割引サイトで予約を取ろうと試みを。日本の会社が運営していて現地スタッフも日本人。しかし、、、返事が来ないぞ??  これでもか!と計5回の催促メールを出し、本部にもメールしちゃったぞ。そしたら待ちくたびれた頃バリから返事が来た。
「連絡が遅れまして、とんと見当もつかない程に反省しております。」、、、、うーん日本語すら怪しいよ。しかもホテルサイトのレートより高かったんでがっくし。それにしても待っていた自分は随分とのん気でありました。

②こうなったらホテルに直接予約だす。空室あった!カテゴリーも希望通り。3人で寝るからダブルベッドの部屋をリクエストするも、即確認メールが届きひと安心。。。うぅー、最初から直接にすればいがったです。

③デンパサール空港に到着し、テキトー丸出しタクシー運転手にしつこくチップをねだられながら、ビラリシに着いた時には、深夜だしネバ暑いし脳がクタクタで「早く部屋にとおしてちょーだーいぃ!」以外には何も考えられなかった。最後の力を振り絞りチェックインじゃー!受付にまっしぐらです。

④ホテルの受付には笑顔のおにーさんが立っていた。うおー!とうとう来たよビラリシ。ここまでの苦労も疲れも吹っ飛ぶよ。ウフフ、まったく随分ジラされちゃったじゃないのよ。さっそくですが「マイネームイズ○○○。うぃーメイド ア りざべーしょん!! 」

Dscf5263_2 そしたらおにーさん、「予約した際のメールを印刷してきましたか?」と一言。
そんなの知らない。無いとどうなるの?

「無いと困ります。んーーーーーーーー、仕方ないですね。どこかで印刷して来てください。」
どこかって、どこ? 自分のPCは日本の自宅なのにどうやって印刷したらよいの?

いろいろゴネて20分間位かかったでしょうか、、、とりあえずルームキーを渡してもらえました。疲労困憊。息子は終始心配そうに私達を見つめていました、、、。

カギを開けたら そこは ダブルでは無く、 ツインルームでした。トイレに緑の苔が密生していて、便座は割れていました。
でもそんなのはどうでもいいんです。部屋に入れた瞬間の達成感が全てを満たしてくれました。ああ、、、ビラリシlove。

(写真撮影:息子)

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2009/07/08

インドネシア大統領選 バリ島2009

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 ちょっと番外編。

 今回のバリ島旅行ですぐ気がついたのは、あちこちに立てられた大統領選立候補者のポスターだ。初めてまともな選挙が行われた2004年のバリ島旅行はホントに選挙一色の雰囲気だったが、5年ぶり2回目の今回は「選挙の手順が2回になった」とバリ人M氏が言っていた。そしてポスターやら旗やら前回よりもかなり派手にやってる印象だ。相変わらずスシロ・バンバン・ユドヨノとメガ(ワティ)の対決だが、前回はユドヨノ陣営だったユスフ・カラも立候補していた。
 現地では圧倒的に現職ユドヨノ有利の雰囲気だったが、投開票の今日、やはりユドヨノに決まりそうだ。
 ちなみに写真はマスコミ嫌いと言われているメガワティがめずらしくメディアを前に演説しているニュース映像。と思ってパチリ。

 また次から旅行記に戻りま~す。

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2009/07/07

今年もバビグリン バリ島2009

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 Vilarisi Hotelの朝食をすませたらハーフウェイ方向へ散歩。と、しばらく歩いていたら何だか海に近づいている気配が感じられない。
 僕をマレーシア人だと思って近づいてきた物売りのオジサンに海への道を尋ねるとまるで反対のジャラン・レギャン近くに来てしまったようだ。どうやら寝ぼけてホテルの建っている向きを勘違いしていたらしい(マレーシア人と思われたのは初めてだ。マレーシア人の特徴ってどんなだろう)。
 オジサンに帽子とメガネを買わないかと言われたが(ここで妻がLaut=インドネシア語で海の発音をオジサンから習う)、とりあえず12時にチェックアウトするまでに海を眺めて飯をブンクス(テイクアウェイ)してフットマッサージをしなければならない。その場を離れて海に向かった。
 朝のハーフウェイと言うかレギャンビーチの南端はクタビーチのような派手さはないが清々しくて気持ちがいい。ビーチパラソルのレンタル屋が「ここよりクタビーチのほうがいいよ」となどと言いながらも「1時間レンタルしていけ」と商売していたのがなんだか矛盾していて可笑しかった。

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 ジャラン・ムラスティのアートマーケットに戻り、昨年もブンクスしたバビグリンをまたブンクス。昨年食べた時はカレー風味の味付けがとても美味しくてとても気に入ったんだけど、やっぱりここのソースはナベの中をみてもかなりカレーだった。どういう計算なのか分らないけどバビグリン2人前+アクアのボトルで25,000ルピア(250円くらい)。この美味さだったら結構安いんじゃないかと思う。

 その後、近くの店で30分のフットマッサージを受けて(これが上手だった)ホテルに戻った。

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2009/07/06

Vilarisi Hotel バリ島2009

 7度目のバリ島旅行。

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 さて初日は最近のパターンでバリ島到着日は空港に近いところに1泊だけのホテルを予約。そのホテルがクタとレギャンの境にあるジャラン・ムラスティ(というか本当はどこが境なのか僕には分りません)のアートマーケットの南にのびる細い路地上にあるVilarisi Hotel(ビルディングタイプのホテルのなのでカタカナ表記はヴィラリシではなくてビラリシが適当だろうナ)。
 このホテルのクラスは安いパックツアーでよく使われるホテルだけど、どのホテルがいいのか分らない・・6歳の息子も連れてるし・・ということでこのクラスなら百戦錬磨のボスザルにいくつか大丈夫なホテルを教えてもらい(以前教えてもらった飯屋が美味かったし)その中からビラリシを選んだ。ボスザルの基準が何処にあるかはよく知らないのだけど、買い付けに便がいいとか、ビンタンを飲んでぶっ倒れても何となく大丈夫だとか、スタッフとトラぶったことがないとか、色々あるのだと思う。
 僕も妻もある程度のレベルのアコモまでなら全然平気なので心配はないけど、ちょっと心配なのは息子。息子は前回のバリ島で泊まったバンガロー(ロスメンとホテルの間)にテレビが無い&部屋の照明が暗いがご不満だった。それがなんだか面倒で息子さえ問題がなければ問題なし。結果-もちろんホテルと名のつくくらい場所なので息子6歳も大変気に入りテレビでおさるのジョージが放送されていた(インドネシア語)こともあり「ずっとここでいいよ」と言っていた。ですがムードを求める人、当然ハネムーンには向いてませんョ。

(最初の写真:部屋の中 黒いカーテンがよく寝れます。)

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(2枚目 バルコニーからのビュー 正面 もちろんもっと良いプールビューの部屋もあります)

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(3枚目 バルコニーからのビュー 南 朝ずっと先の建物のバルコニーでずっと踊ってるお姉さんがいました)

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2009/07/05

帰国しました

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 バリ島から帰ってきました。
 観光地らしいところにはほとんど行ってませんが結構充実した家族旅行だった気がします。帰りの飛行機ではあまり眠れなくて、、、かなり眠いです。ぼちぼちと報告します。

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2009/06/26

バリへ行ってきます

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 なんだか仕事が忙しかったり暇だったり忙しかったり落ち着きませんでしたが、明日からバリ島へ行ってきます。やっと一息つけます。ふ~
(超手振れバッソ)

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2008/06/23

バティック工房 バリ島2008

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 プネスタナンの宿では毎日、朝になると鶏の鳴き声や雨の音に混じってポコッポコッポコッポコッと不思議な音が聞こえてきた。
 それが何かは朝の散歩ですぐ分った。宿の向かいの子供がカジャールという楽器を叩いていたのだ。カジャールというのは鍋のような小さいゴングを木バチ(パングル)で叩くガムランではビートを刻む楽器。
 そしてその前には鶏たちが篭に入って並んでいる。闘鶏用の鳥たちだ。向かいの家のオヤジさんは大の闘鶏好きだそうだ。前に書いたとおりプネスタナンはカルヨ・アグンの真っ最中で、人が沢山集まるということはこいつらが活躍する。

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 宿屋のおとうさんが娘の散歩に我が息子を連れて行くという。我が息子の要求で僕もついて行く事になった。田んぼ道を二人乗り以上のバイクたちを避けながらの散歩はなかなか楽しかったが、最後に向かいのオヤジさんのお宅へお邪魔した。
 中に入るとそこは(まったく予想してなかった)バティック工房だった。バティックとはロウケツ染めの事。
 1階の奥では女性たちが座りながらロウ引きを行い、手前では男たちがロウ引きされた布地に筆で染色をしている。時々崩れていて怖い階段を使って2階に上るとそこではオジサンが紙に図案を書いているところ。巻かれた図案が部屋狭しと並べられている。
 写真では伝わらないとは思うけど製作中のバティックはデザインも色も柔らかく繊細で美しい。染物にはまったく疎い僕なので何の説明も出来ないのが大変申し訳ない。
 息子のおかげでちょっと得した朝の散歩だった。

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2008/06/17

センゴール バリ島2008

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 結局今回のバリ旅行で1回だけ組んだ現地ツアーがギャニャール界隈をちょろちょろするだけだった・・・というのは帰ってきてから気がついた。

 そういうわけでギャニャール・ツアーの最後は市場前のセンゴール(夜市)だった。以前昼飯を食べたバビ・グリン(ブタ丸焼き)屋の向かい側にセンゴールが賑わっている。そこで夕食をとることにした。

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 ところでこれもバリ人M氏に付き合ってもらったわけだけど、M氏宅からセンゴールまではほんの1ブロックしかない。めちゃくちゃ近所なので屋台のオバチャンから交通整理のオヤジまでみんな知り合いである。それで日本人を連れ歩いているわけだから沢山の方から声をかけられる。ギャニャールを歩いてるといつもこうなんだけどまさに自分達が外国人だっていうのを実感できるな。
 そして初めてセンゴールに行ったがこれは楽しい。そのほとんどは飯屋台で通路の両脇をぎっしりと固めている。ところどころにアクセサリー屋やエセVCD/DVD屋が挟まっている。(下はジャムー屋)

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 当然M氏も一緒に夕食をすることになった。M氏に「家族の夕食は?」と訊くと「インスタントラーメンがあるから大丈夫」と言う。それって大丈夫か?M氏のお宅は朝もインスタントラーメンだって言ってたし、つまり常にインスタントラーメンってことだ。ご家族を連れて来ればよかった。うちの息子もお土産を貰っちゃったし、お礼にYくん、Yちゃんにオモチャやアクセサリーをプレゼントしたんだけど。

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 M氏によると通路の真ん中くらいに何がしかの広告の看板があって、そのあたりを分岐点として入口に近いほうがバリ料理、奥がジャワ料理なんだそうだ。つまりムスリムの方々が間違って豚肉や獣脂などを使用している食べ物を口にしないようにハラール(許された)な屋台は奥に集まっているのである。
 という理由でブタがこんがり丸焼きになっている姿をいきなり入口付近で見ることになる。

 今回の食事についてはマイ・ワイフは既に食べたいものを考えてたようで、それが「マルタバ」と「バッソ」と「サテ・カンビン」。全部ジャワ側の屋台だった。

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「マルタバ」は薄く広げた生地に卵やら何がしかの具を入れて油の中でグルグル回す、それがぷく~と膨らんできて、最後に折りたたんで出来上がり。熱いうちに食べたけどこれが美味い。お祭りでチヂミを食べてる気分。息子4才もがつがつ食べていた。

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 「バッソ」はあっさりとした肉団子スープで、香港の茶餐廰で食べる肉団子スープと似ている。これに辛いサンバルを入れるとバリの味になるんだけど辛い物好きの僕にはこれが美味い。この辛味好きがM氏いわく「日本人なのにオカシイ」らしい。

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 「サテ・カンビン」は山羊の串焼きなんだけど、臭い物好きの僕としてはまったく臭みを感じなくてちょっと肩透かしだった。美味かったけどね。もう少し山羊らしいクセがあったほうがよかったな。

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 ということで「焼きトウモロコシ」も食べて・・・これが実は一番独特の風味だったと思う。センゴールに夢中だったためかあまり腹いっぱいにならなかったので、またも恒例ブンクスでナシゴレン(M氏曰くこれは分類上バリではなくてジャワ料理かつもともとは中華料理との事)とバビグリン(こちらはバリ料理か)を持ち帰り。部屋について確認したら、あまりのゴハンの量に度肝を抜かれ半分も食えず。結果食いすぎの刑だった。

 とにかく誰一人腹を壊さなくてよかった。

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2008/06/14

M氏宅 バリ島2008

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 毎度恒例のM氏宅訪問。M氏宅はギャニャールの中心Alun-alun(王宮前広場)のすぐ近くにある。長屋住まいとはいえたぶん一等地。観光地にはない雰囲気を味えるとあってここに寄るのがいつも楽しみだ。

 ところでM氏の長屋に変化があった。初めてM氏宅を訪れた時は彼が借りている部屋は1部屋だった。前回行った時は2部屋。今回ついに3部屋となり長屋を1棟借りきっていた。そのため長屋前のテラスにはダイニングセットも置かれちょっとゴージャスに。
 さらに一番目を惹いたのが新しい立派な門。2004年は今より少し小さい門で低い屋根の木の門扉の付いたやつだった。2005年には車を入れられるようにする為に門自体を取り払ってしまった。そして今回はまた新しい門が取り付けられていた。人の家のことではあるけど・・・

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 夕方だったからか今回も長屋の皆さんほぼ全員(十数人)が出てきてくれた。バリに来て一番温かみを感じる時間かもしれない。そして子供達の成長している姿を確認するとさらに嬉しくなってしまう。その中でスマトラで病気になってバリに来たお爺さんがインドネシア語でず~と僕に何かを語り続けていたのにはまいったな。けれどそれも大変有難い事だと思ったりしてる。インドネシア語ってことはヨソイキの言葉だから。

 ということで今年も我が息子はM氏からお土産を貰ってしまった。M氏の息子Yちゃんが集めていた動物のフィギュアをごっそりと。

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2008/06/11

ルビビーチ バリ島2008

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 次はルビビーチへ移動。実はルビへ行く事はすっかり忘れていた-もしくは知らなかった-訳だけど、意外にもこれが自分の中でヒットしてしまった。

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 バリ人M氏はかなり申し訳無さそうにビーチの案内・・「海が汚い」「波が荒れててサーフィンもできない」「臭い」「これはトラディショナル・カヌー、エンジンはヤマハ」「海が侵食してワルンが移動した」をしてくれたのだけど、ここでは海は青い必要も無いし、サーフィンをやる理由もないし、当然帆走ではないが魚を運んだりと現役のトラディショナル・カヌーが腐るほどある。近くにはローカル向けのプールもある。噂ではこのビーチにある薄暗いワルンのサテ・イカンが旨いらしい。ちなみに妻が何か食べてみたいと言ったらM氏に無視されていた。

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 海の向こうにはレンボガン島が見え、そのむこうにはペニダ島がある。
 とりあえずルビをロンリープラネットでみると「・・・遺灰が海に託され、火葬の儀式が終了する。寺院で使われる物を清める儀式もこの辺りのビーチで行われる。荘厳なスガラ寺院は海峡をはさんで、悪魔のジェロ・グデ・ムチャリンの住居であるペニダ島の方を向いている・・・」とムードのある説明。

 何がいいのかは上手く説明できないけどここに来てとてもよかった気がする。

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 そしてルビビーチのすぐ近くのマスチェティビーチに移動。こちらはトラディショナル・カヌーこそないが不気味な馬鹿でかい白鳥が海を向いている。観光名所にするために造ったらしいが、M氏いわく「インフレーション」だかなんだかが原因でお化けのような姿で放置されている。
 と思ったら馬に乗った人たちが来た。ここはホースライディングのコースになっているらしい。息子もポニーに乗ったし、なんだか羨ましい。

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2008/06/09

バリ・サファリ&マリンパーク バリ島2008

 全然知らなかったけどバリ島にサファリパークが出来ていた。ギャニャールの南の方にあるらしいが宿のオーナーも知らなかったしM氏も行った事がないという。
 でいつの間にか今回の旅行の日程に入っていた。M氏の話によればジャワにあるサファリパーク(タマン・サファリ)系列の新しいサファリパークとのことで、M氏はとにかく1オーナーだということを強調していた。

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みんなダチョウに大興奮。

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みんなクマに大興奮。

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セスナやマサイ族の家や動物をみながら泊まれるホテルもある。ライオンを見ながら飯が食えるレストランもある。我が息子は象さんと写真を撮ってポニーに乗った。

 なんだかんだで結構楽しめた。写真はないけど一番楽しめたのが併設されているウォーターパークで、小さいウォータースライダーが何本もあり、でかいバケツから水が溢れでるやつでオージー家族は大興奮。うちの息子もでかい水鉄砲で大興奮。バリに行ってM氏を何時間も待たせてまで、こんなことをやってんだから暇だよな。(ちなみにM氏はドライバー仲間とトランプなどして過ごしてますから・・との事だった)

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2008/06/08

プネスタナン バリ島2008

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 クタの次はウブド郊外のプネスタナンという村に泊まった。ウブド王宮から歩いて20分ほど西に歩いたあたりから始まる-ウブド・セントラルに比べてバリらしい霊気に満ちたエリアだ。

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 プネスタナンの入口に大きな人形が2体立っていたので、何かのお祭り?と訊いてみた。プネスタナンはカルヨ・アグンという大きなオダランを行っている時期だった。そういう雰囲気はぷんぷんしていたし観に行く事も可能だとの事だったけど、息子が耐えられなさそうだったので早々に行く事は諦めた。このあたり夜道は怖そうだし。

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 プネスタナンは小さな民宿が多い。僕が泊まったところは天井ファンも風呂もありオーナー家族も肩肘張らずにお付き合いできる方たちで、過ごしやすい大きなテラスもあり快適だった。いつものM氏に「この宿はロスメンなのかホテルなのか」と訊いたら「バンガローです」と言った。とりあえず解決。

 なぜか乾季にもかかわらずギャニャール地区は毎日夜に激しい雨があり、朝の散歩の時も一発雨の洗礼をくらった。おかげでレンズが曇って朝の写真が上手く撮れない。これについてまたまたM氏に訊くと「地球温暖化」のせいなんだそうだ。ミャンマーのサイクロンの事など考えると納得した。

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2008/06/07

クタ散策&ブンクス バリ島2008

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 家族がプールで過ごしている合間に、クタ初心者ということでクタ散策(ジャラン・ジャラン)に出かけた。
 特に目的はなく、なんとなく地域に慣れようということでお友達のボスザル殿にもらったクタ・レギャン地区の白地図をポケットに、ブロック単位に歩いた分数を書き込みながら歩いた。

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 クタをよく知ってる人にはどうでもいいことだろうけど、歩いたコースはこんな感じ。他、途中細い道に入り込んだり余計な道を歩いたりもしてる。

・クタ・スクエア付近から出発。
・ビーチに沿ってJl. パンタイ・クタを北上。
・Jl. ベネサリ(ブネサリ)を東へ。
・Jl. レギャンは無視してそのまま東進。この通りJl. PATIMVRAっていうのかな?スペルが間違ってるかも、歩きながらメモったので。
・その通りにあるワルンでナシゴレン・シーフードをブンクス。この店、ボスザル殿オススメの店。130円くらいか。学校のようなものあったし、このエリアが楽しかった。
・Jl. マジャパイトを北上。
・Jl. ムラスティを西へ。
・この通りにあるワルンでバビ・グリンをブンクス。この店もボスザル殿オススメの店。180円前後か。このバビ・グリン屋の場所はなかなか分りづらい。
・海が見えてしまったのでJl. ムラスティを東へ戻る。
・一度は通る必要があるかと思いJl. レギャンを南下。
・Jl. パンタイ・クタへ戻る

 ※Jl=ジャラン(通り)
 ※ブンクス=持ち帰り

 といことで2時間ほど歩いた。残念だったのは、またこのあたりを歩くだろうと思って写真をあまり撮ってなかったこと。結局また歩くことなくプネスタナンへ移動してしまった。

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 写真はブンクスしたもの。左がナシゴレン・シーフード(揚げた白身魚を付け合せたナシゴレン)、右がバビ・グリン(豚の丸焼き、ソーセージ&ご飯)。どちらも今まで食べた中でもバリ島旅行中最高峰の味だった。さすがボスザル殿。バビ・グリンはほんのりカレー風味だった。

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 上の写真はJl. レギャンのグラウンドゼロにあるモニュメント。バリ島爆弾テロの直後は恐ろしくて近づけない場所だった。被害者の方々の名前が列記してある。黙祷をした。

 久しぶりのサンダル履きでの散歩で足にマメが出来てしまった。前回のサイパンの時もサンダルで歩きすぎてマメが出来た。
 旅行に行く前にサンダル慣れしておかないとね。

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2008/06/02

いきなり番外編 バリ島2008

 帰国早々、明日から4日ほど宮城へ出張。・・・なのでバリ島、早々に番外編。

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分単位で世界の時差を表した世界時計。バリ島は昼の12時5分で正確。

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おきまりのなかなか日本では食べられない日本語タイトルのお菓子、EGO編。

商品名:トウモロコシの米のビスグシト・・・食べたら本当にビスグシトだった。
「海苔(のり) ピーナシ味」・・・食べたら本当にピーナシ味だった。

商品名:ミックヌビンズ
「人気を超えます 特殊な特色」・・・その特殊な特色を知りたいところです。絶妙なミックヌ具合なんだと思います。
「結合のいろいろな蚕豆(そら豆)のお菓子」
「厳選する 美味で、マルチ享受」
「やまだ」・・・あくまでメーカー名はEGOです。シンガポールの会社らしいです。

商品名:マソゴ味のビスケット・・・食べたらたぶん本当にマソゴ味なんだろうな。

商品名:すいじょうきじゃがいもビスケット

商品名:たまねぎなっとうもち・・・茨城でも見たことないです、これは

どうもすみません。

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2008/06/01

クタビーチ バリ島2008

 2年半ぶり6度目のバリ島旅行。
 6度目にして初めてクタに泊まった。到着初日にクタの南に位置するトゥバンに泊まってクタまで歩いて買い物に行った事は何度かあったけどクタ宿泊は初めて。

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 実は「最近バリ島ってどうなんだろう」って気持ちでバリ島に向かったんだけど、クタの活気は相変わらずだった。ただ物価が着実に上がっているのは気になった。
 その中でも世界的とはいえガソリンは少し前の30%以上の値上がりで、所得に対してガソリンの値段が高いバリ島ではかなりこたえてるらしい。デンパサールでは学生デモなどが行われててちょっと物々しい感じだそうな(そんな風景は見なかったけど)。9月にバリ島ローカルな選挙があるらしいけど、デモをしようが政治家が変わろうがガソリンは安くならないだろうって言うのはバリ人M氏。またトランスポートのお兄さんは「日本は一ヶ月だけガソリン値下がりしましたね」とそれだけでも羨ましいんだそうだ。

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 ところで・・・初めて有名なクタの夕日を観た。以前ジンバランでは夕日を観たけど、クタの夕日はなんかハッピーな気分になるね。この時間になると沢山の人がビーチに集まる。そして日が沈んだ後の子供達をすし詰めにしたベモ(ライトバンを改造したバスのようなもの)と次のベモを待つ子供達の群れが凄い。

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2008/05/22

バリ島へ

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5月24日(土)からTシャツなどを買いにバリ島へ行ってきます。

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2005/11/22

ちょっとガンサを叩く

 先週の土曜日に航海カヌーを愛する人々によるオフ会があったのですが、急激に仕事が忙しくなり行けなくなってしまいました。誘っていただいたのに申し訳ありません。
 シミオン・ホクレア号に乗船しヤップ島~パラウ島を航海した林さん、ニュージーランドでシーカヤックのガイドをしておられるryuさん、いまだ謎の翻訳家?-若藻庵さんが集まって超マニアックな話を展開したかと想像すると残念でなりません。忙しくなった理由のそのひとつが今月はじめにバリ島でノンビリしすぎたことであることは疑いようがありません。ということで・・・いまだ激務中です。

bali01260020  今回のバリ島では何か楽器でも体験しようということになった。考えてみればバリ島に何回か行ってるのに音楽は聴いてばかりで演奏したことがない。若い頃に少しも楽器を触っていたことを考えるとこれは少しチャレンジすべきだろう-とウブド・レスタリに(実際は妻が)連絡をとった。ウブド・レスタリは日本人女性が経営するバンガローで旦那様がティンクリックという竹で出来た木琴のような楽器を教えているらしい。この旦那様から以前見たバリ島の旅行番組の中で田中律子さんがティンクリックを教わっていた。

 しかし連絡をとってみるとその日本人女性の方が今すぐにでも出産というただならぬ状態で、僕たちがウブド滞在中にティンクリックを教えることは保証できないとのこと。そのかわりガンサというガムランで使う青銅楽器の先生を呼んでもらうことになった。クンダンというガムランでは指揮者の役となる太鼓も教えられるとことだったが、ガンサより興味はあるものの、たぶんクンダンはスキルが高いだろうと勝手に考え初心者らしくガンサをお願いした。1人1時間の体験レッスン。

 ウブド・レスタリに到着するとすでに先生が待っていた。なんとスマラ・ラティの方らしい(写真が先生)。ということで心の準備なく唐突にレッスン開始。
 ガンサは5音階の鍵盤が2オクターブ並んでおり、最初は左から右へ叩き右から左へ戻る練習。右にむかって音程が高くなる。
 ところでこれが結構難しい。単純にバチを振り下ろして音を出せばとりあえずいいんだろうと思いきや(今までガムランの演奏を見てきて知ってはいたものの)右手で鍵盤を叩くのと同時に前に叩いた鍵盤を左手でミュートしなければならない。絶対に。一度叩いた音は中々減衰しないのでこうしないと妙な共鳴音が鳴ってしまう。頭で覚えようとすると混乱して演奏にならないのでこれは体で覚えるしかない。なんとなくミスがなくなるまでこの練習。

 鍵盤の往復がなんとか出来るようになると今度は簡単なメロディの練習に移る。メロディはトペンのメロディだそうだ。トペンは仮面のことで、仮面をつけた踊りのメロディ。
 ああ、これがまた大変。今までは一方向に叩く練習だったので折り返し地点や鍵盤の幅の変化に気をつけていればよかったけど今度は右に左に飛び跳ねる。ミュートする手は一つ前の鍵盤をつまむわけだからさらに混乱が増す。しばらくするとどうにか出来るようになってきた。それでも無心で演奏しているときはいいが、ちょっと何か考えるとメチャクチャになる。どんどんスピードを上げていく。
 最後は何のメロディか分からないがスタッカートばかりで構成された演奏。しかも途中で反転する。右手のバチのほうはスタッカートを描けるが、つまり具合を出すキモはミュートする手のほうだ。これは辛い。これは全くダメなまま練習終了-僕よりセンスのいい妻に交代する。いやあ疲れた。でもガンサって楽器は凄くいい音がする。自分で演奏するとその音の響きに含まれる音がひとつではないということに気がつく。うまく叩けたときは体全体に響いてくる。金属の振動で詰まった耳糞もスッキリしたようだ。
 お茶を飲みながら、次はクンダンを練習したいなと考える。

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2005/11/12

ギャニャールのブタマルヤキ

bali01260036  バリ人のM氏から「今度はどこ行きたいですか?」と実際はテロのおかげで少々錆びてしまった日本語で聞かれた。そういえば何度かバリ島に来てるのにバビ・グリン(豚の丸焼き)食ったこと無いな。
 ということで「バビ・グリンが食べたい」と伝えた。「えっ、バビ・グリン食べたこと無い?何回バリに来てるの?」といつものようにM氏は驚く。来るたびに「バビ・グリン食べたこと無い、ケチャ見たこと無い、モンキーフォレスト行ったこと無い(その他もろもろ)、何回バリ来てるの?」と無いが増えていく様子を口にすることをM氏は楽しんでいる。たしかに僕たちはメジャー級観光をあまりしてない。

 何処のブタマルヤキ(M氏の言い方)食べに行こうか、ということでM氏宅にも行くことだしM氏の住むギャニャールの町中にあるM氏御用達のブタマルヤキ屋に行くことになった。美味いと評判のギャニャール市場のブタマルヤキ屋ではなく町中のブタマルヤキ屋。では出発。

 ギャニャールへ到着し町を歩いていると、見慣れたM氏が超観光客な日本人家族を連れているのが面白いのか、町の方々が度々「今日はなんだよ?Mちゃん」みたいに声をかけてくる。
 ブタマルヤキ屋の前に来ると、香ばしいブタマルヤキの匂いと少々のドブ臭さと少々の埃臭さと香辛料の香りと妙な香水のような香りが混ざったバリ島らしい匂いが鼻へ流れてきた。いいね。

bali01260037  ところでバビ・グリンはやはりブタマルヤキだった。豚を丸ごと焼いている。この丸ごと焼かれた姿はかなり美味そうだ。昼少し前なのでブンクス(テイクアウト)の客が絶えない。
 店のオバチャンはカリカリの豚の皮を剥ぎ取ったり、内臓を調理したり、血の塊を焼いたりと手が休まることが無い。その外では煙草をくわえたオヤジが豚の串焼きやつくねを焼き続ける。「写真どんどんとっていいよ」ということで僕は写真を撮る。(あとからシャッター速度を誤って数枚露出不足となっていることが判明しガッカリ)
 で肝心のブタマルヤキはどうかというと最高に美味い。M氏はそこのブタマルヤキが大好物とのことで物凄いスピードでたいらげていた。M氏が「バリ人向けなので辛い」と言っていたラワール(色々ぐちゃくちゃ混ぜたバリ料理)も今まで食べたラワールの中で一番美味い。ご飯にチャンプルーすると凄く美味い。この爽やかな激辛と甘い炭酸コーヒーとの組合せも素晴らしい。満足。

 息子が退屈になってきたので息子を抱いて外を歩いく。「オレの娘の写真を撮ってくれ」とどこかの店のオヤジに言われ女の子の写真を一枚、息子が時計屋に興奮したので時計屋さんにまざってもらって写真を一枚、こっちであっちで写真を一枚。ギャニャールの町は楽しかった。

(写真はKodak BW400CNというお気軽白黒フィルム)

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2005/11/10

女性たちのガムラン バリ島

bali01280013  ウブドを散歩しているとタマン・サラスワティ寺院で女性だけで編成されたガムランの練習が行われていた。ちなみに女性ガムランと言ってしまうとガムランの音階を指してしまうことがあるので紛らわしい。

 本来、バリ島ではガムランを女性が叩くことはタブーだった。素人考えだが僕はバリ島がとても柔軟な文化をもった島だと思っている。だからガムランを女性が叩くようになるなんていうのも近年当然の流れなんだろうなと思う。
 しかしながら部外者が多くのバリ島の宗教・儀式に外部の人間が参加することは一見容易ではなくいくつかのタブーを守らなければいけない。しかしタブーを守ればよいだけだ。抵抗があればタブーを礼儀と解釈すれば分かりやすい。

 実は近代バリは昔から上手に欧米人をちょろまかして文化を守ってきた。戦時中を除けば、自分達の文化を時代の変化にあわせて修正していくところは、欧米に駆逐されてしまったポリネシアよりはるかに上手に立ちまわっている。また自分たちの文化を見直す運動も近年盛んに行われていて今はなかなか充実しているようにも感じる。

bali01280007 過去、欧米人によってガムランが譜面におこされピアノでスラッと再現されることに驚愕こそしても、それはあくまで欧米人の採譜方法であって自分達のガムラン音楽に関するスタイルを変えるわけではなかった。ただの昔話、面白話となっている。
 しかし僕たちが聞いているガムランのスタイルは昔からある伝統音楽のようで、実はその多くが近代の作曲家たちによるヒット曲や近年発案されたスタイルであることが多い。バリ島の芸能は生きた芸能であると言う点でこのあたりは大事だろう。
 特殊な例を除き特別な楽器を取り入れることも少ないが多少はある。欧米の楽器とのフージョンの優先度は低い。あるとすれば5音階や4音階のアジアの楽器との融合だろうか。そういう融合を目的とした音楽集団はたしかにある。

 今回行ったバリ島ではいたるところにペンジョール(竹飾り)が飾られている。そして正装をした人々が目に付く。ちょうどバリ島の暦の関係で合同火葬が各地で盛んに行われているそうだ。風を感じるバリ島らしい良い風景だった。こういう道を歩いているだけで結構楽しいのがバリ島なのだ。風にのって先ほどの女性たちによるやわらかいガムランの音色が聞こえる。

 ところで最初にタブーのことを書いたけど、waka moanaさんのタブー記事「タブーを取り除くのは誰か(http://voyaging-canoe.cocolog-nifty.com/hokulea/2005/11/post_c71b.html)」はもっと具体的で面白い。僕も大方同じことを考えているような気がする。気長に話さないと、話す相手によってはヒステリーを与えてしまう話、だけど。
 
(写真はKodak BW400CNというお気軽白黒フィルム)

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2005/11/07

テロ-清めの儀式 バリ島

 バリ島へ行ってきたので忘れないうちにしばらく旅行記でお茶を濁そう。

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 今回のバリ島も到着日は空港に近いトゥバンエリアに泊まった。JALが2時間遅れ真夜中の到着だったので正解といえば正解だったがちょっとした不安もあった。10月1日に爆弾テロのあったクタスクエアまでは歩いて15分くらいの距離だったし、そのエリアがオージー天国だというところ。

 到着すると空港で待っていてくれたウブドで宿を経営する日本人Kさんから「あなたの泊まるホテルからちょっと北に歩いたところが次は危ないって噂だから、そこでは買い物しないでね。」と忠告を受ける。
 従ってトゥバンにいた2日間のほとんどは白い巨体たちを眺めながらホテルで過ごし、外出は少しだけの買い物と食事。その買い物の1回はTシャツだったので、仕方ない・・北に向って歩き、次は危ないわよのエリアを横目にテロのあったクタスクエアに向った。

 クタスクエアに近づく、どうも様子が変だ。店がみんな閉まっている。マタハリの前まで来ると理由が分かった。テロが発生したラジャスというレストランの前で大規模な清めの儀式を行っているいるのだ。その時間クタの店屋は軒並み閉まっていて大勢のヒンドゥ教徒が儀式に参加していた。クタでこんな大勢のバリ人を見るとは思わなかった。
 儀式を行っている径数百メートルはテープで囲まれていてそのままでは入れない。セキュリティチェックを行っていた警察官から「こっちから入りなさい」と手招きされたので、そこで持ち物検査を受け金属探知用のゲートをくぐって中へ入った。テロ現場に行こうと思ったわけじゃないが手招きされて関心が表に出てしまった。不謹慎かもしれないが許して欲しい。

bali01260012  テロ現場の横まで近づいたものの、沢山の参加者や供え物に囲まれてよく確認できないが、以前ネットで見たようにベニヤに囲まれている。上のほうを見ると爆発した跡が確認できる。さすがに気持ちは抑えきれず写真を1枚撮るたびに手を合わせた。
 バリ島でこういう現場を見た後は不思議と乾いた気持ちになるものだ。儀式が終わり人々が散り始めて、テープが除去されて、なかなか開店しない店をみてると時間が止まっているようだ。
 ところで滅多にこないクタだけど、以前訪れたクタビーチはやはりテロ直後で閑散としており、前回は30分ほどクタスクエアに立ち寄ったに過ぎない。だから観光客でごった返すクタを僕は見たことがない。いったい本当のクタはどんなところなのか。

 今回短期間バリ島に滞在した印象だけど、案の定極端に日本人が少ない。欧米人旅行客も多少は減ってるだろうけど、普段なら旅行客の3人に1人くらいは日本人を見かけるはずなのに、今回は本当に100人に1人くらいの感じだ。日本人が慎重なのか欧米人が大胆なのか良く分からないが、世界的にも名高いテロ「地下鉄サリン事件(事件?)」では大勢の欧米人が日本に来ることを恐れ、バリ島のテロでは退かない。いつもは日本人に占領されているウブドの高級ホテルも欧米人に占領されている。とにかく判断基準は違うようだ。

 ところで今回の爆破は小規模だけど、ラジャスが人気店であり華人経営であるところはメッセージ効果を考えた結構意図的なテロだろうか。そんな情報をどこかで見かけた。日本人には伝わりづらいだろう。ついでにバリ人と話していると「ここではテロがない」「そこではテロがあるかも」など、僕には分からない判断もある。

 クタスクエアからの帰り道、今回の旅行ではじめてクタらしいものに出会った。道端に座っていたお兄さんが「葉っぱあるよ」と言って近づいてきた。よしよしクタらしいぞ。「葉っぱいらないよ」と僕が言うと、2才の息子が続けて「葉っぱじゃないよ」と返した。頼もしい。みんな日本に一生帰れなくなるからお兄さんの後について行っちゃだめだよ。

(写真はKodak BW400CNというお気軽白黒フィルム)

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2005/11/06

帰国

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 バリ島から帰国しました。

 ギックリとはこなかったけど息子を抱いて歩いていた時に腰を痛めた模様。自動車より自転車に乗ってるほうが体重が分散されて楽というのがなんとも・・・

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2005/04/07

4月も相変わらず忙しいなと何処に行ってもドイツ人

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 全て3月で片付く予定だったけど4月に入っても相変わらず。今週でなんとか始末をつけよう。親父にまで体を心配される有様だ。

 おかげで読んでる本もなかなか終わらない。「ポール・セローの大地中海旅行」はまだアルバニアを出たばかり。ポール・セロー(セルー)が旅先で度々ドイツ人を見かけることに少し皮肉めいたことを書いている。
 思い出してみるとたしかに僕も行く先々でドイツ人を見かけた。たしかに彼らは、まるで(広義での)オフシーズンを狙って来ているようだ。

 爆弾テロの直後にバリ島へ行った時、ウブドを歩いているのもサヌールを歩いているのも、欧米人といえばドイツ人だった。いつもは日本人ばかりが泊まっているホテルもドイツ人が占領している。タンジュン・サリのビーチで日光浴をしている欧米人の家族が全てドイツ人だと知った時は少々驚いた。あの時のバリ島に3世代で複数の家族でリゾートに来ている(消えてしまった日本人たちも不思議だけど)。他には「サヌールはホントに素敵!」と言っていたほのぼのとした人のいい日本人の新婚さん、それにプールに沈んでしまいそうなくらいに太って足だけ細い米国人のお婆さん姉妹くらい。

 ウブドでガムランを鑑賞後、僕たちが待たせていた車に先に(!)相乗りしていたドイツ人。「日本人?僕、京都に行ったことあるよ。なんでバリ島に来てるかって?こんなに空いてるのに逃す手ないよ。いつもはなかなかとれないホテルも簡単にとれるし、しかも安い!(意訳)」イメージ通り。京都へはもちろんオフ・シーズンに行ったんだろう。そしてやはりと言ってはなんだけど彼は車代は一切払わずホテルに消えてしまった。ヒッチハイク?

 ドイツ人の面子のために少し訂正すると、そういえばタヒチで一緒のツアーになったドイツ人夫婦は彼らとはちょっと異なる人種だった。英語の達者な妻と僕のように英語がまったくだめな夫。彼らはタヒチで一番高級なホテルに泊まり、海の中で抱き合ってくるくると回転していた。もちろんヨットを所有していた。先のような人ばかりではない。

 とにかく長期の休暇をとって南国に行けるのならなんでもいい。5月のバンコク行きもわけありで潰れた。ポール・セローのように500日くらいかけて旅行をしたいものだ。最近の僕と言ったらホント仕事しすぎだよ。

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2005/02/20

ハッテンワイン

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 ハッテンワインのラベルが写っている写真を探しましたがデジタルにおちてなかった-ので冷やしてあるのを。バリ島はほぼ赤道直下だから1年中葡萄が収穫できるんだって。軽くて飲みやすい(辛党にはパンチ足んないかな)。暑い所で冷やしたハッテンをグビグビやるのが美味い。初めて見たのはホテルのオーナーがリピート有難うって差し入れてくれたとき。

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 この写真は4度目の宿泊ありがとうということで、部屋にデイナーの差し入れがあったときのもの。夕暮れ時、セミオープンのリビングで田んぼを眺め蛙の声を聞きながらの料理は美味しかったなあ。でも(前にも書いたけど)アヒルを丸ごと土に埋めて蒸したやつが出てきた時にはビックリした。体内に卵まで入ってた。食後はアイスクリームで。

 ということでこれは、「花兵衛/HANA BAY→http://hanabay.exblog.jp/へのTB。

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2004/11/24

ガムランと息子と帰国

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ところでガムランを聞かせに連れいていった息子たちは、あの長い演奏に耐えられたのか。

 僕の息子1才3ヶ月は終始、ガムランの演奏に合わせて手拍子をたたいていた。子供らしいといえばそれまでだけど、ガムランに手拍子を付けられるなんて凄いことだ。ガムランのライブで手拍子をしている人なんて見たことがない。

 妹の息子4才はもう少し人間らしい反応。ウブドを散歩していたときから、トペン(仮面)を見ると、「神様?神様?」と興味深く反応していたが、さすがにトペンをつけて踊るバリ舞踊はインパクトが強く、「コーワーイー、カーエールー」を連発していた。そして泣いたまま寝てしまった。しかし面白いもので、一夜明けると4才は怖かったことなどすっかりわすれて夢中でバリダンスの踊る真似をする。バリダンスの素晴らしさは彼の脳にしっかり染み渡って、帰国2ヶ月たった今も踊っている。結局バリ島旅行をもっとも楽しんだのは彼で、彼のためのバリ島旅行だった。

 さてバリ島旅行記を続けていて少し飽きてきた。忘れないように連続で書いてたけど、これからは気が向いたら書くことにしよう。そろそろ次の旅行に気持ちを切り替えて行かないと今後の設計がたたない。
 とりあえず海外旅行といえるかどうか分からないけど、貯まったマイルを1月のサイパン往復チケットにした。サイパンに行くと言うと「もっといい場所があるでしょう」と言われることもあるけど、たぶん僕の旅行の基本なのかなサイパン(と香港)は。そこに帰ってリセットするというか初心に戻ると言うか。

 それに来年はお安くセブ島あたりにでも行きたいね。あとゴージャスにタヒチにでも。

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2004/11/23

ガムランとカルボンと本上まなみ バリ島

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 今年のバリ島は、ガムランを観に行ったのは1回だけだった。今回はガムランに1才3ヶ月と4才の子供を連れて行っても大丈夫か?という想像がつかない部分があったから、周りに迷惑をかけそうだったらさっさと退場しようとなんて考えていた。それも取り越し苦労だったけど。それで1回。
 ガムランはバリ島に行く楽しみの中でも大きな楽しみのひとつで、ガムランを鑑賞出来なかったら香港で美味い料理を食べられなかった時のような気分になるかもしれない。だから1回しか行かないのなら、失敗のない有名店をということでSemara Ratiにする。

 演目は相変わらず数年前からSpirit of Baliという名前のままだった。代表的なバリダンスをつなげたもので、表面的にはその他の観光客用ガムランと変わらない。ただ以前にも書いたとおり、この楽団はオリジナルの楽曲にアカデミックなアレンジを施していて、それがとても面白い。演奏にもキレがあり、特に印象的なのは1曲目で必ず踊りなし演奏のみの音楽が奏でられるが、これを初めて聞いたとき(これも書いたけど)、それはジャワの伝統音楽をアレンジしたもので、ジャワ風のテーマをSemara Ratiらしいというかバリ風に緻密にしたジャワとは正反対のスピード感あるアレンジだったと思う。ガムランヒットは何重にもリミッターかけたようなギーンとした爆発音のような効果があったし(左右に異なるチューニングを持ってくるとの説もある)。その秘密を少しも知りたいと少しSemara Ratiに中毒した。

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 今回も相変わらずの演奏で、変化を言えばアレンジはどんどんカオス化が加速しているような感じだった。いくつかの曲は原曲が崩れ始め、実は今回これが進みすぎるのに抵抗があった。美味しい料理屋だけど腹いっぱいだから、そろそろバリ島の心を感じる優しい音楽を聞くのもいいかなと少し感じた。
 そして僕がSemara Ratiを観に行って初めての超満員だった。初めていったときはリハーサルなどもゆっくり楽しんで、予約席なんかも全然少なくて余裕で鑑賞できたし、人が少ない分、僕の周囲をブンブン飛んでいる蚊にいつ刺されるかが心配だった。
 ということで今回はゆっくりしようと一番後ろのほうにパイプ椅子を持ってきて座って鑑賞した。そんな後ろのほうに陣取っても、僕がカメラを持って撮影に出かけるといつもまにか椅子を奪われてしまう。

 演奏が終わると、前の方から知った顔がやってきた。妻の知り合いのカルボン(仮名)だった。偶然に同じ日にバリ島に来ていた。
 そしてカルボン曰く「本上まなみが来てた」らしい。しかし妻は本上まなみが何者か分からず、あとから僕がテレビで「これが本上まなみだよ」と教えたら「そういえば、ガリガリ痩せて目立っていた」人がいたことを記憶していた。ちなみに僕も本上まなみって人をあまり分かっていない。芸能人なら出来れば(バリ島といえばの)西城秀樹を目撃してみたかったな。そして超西城秀樹ファンの知り合いのお母さんが、バリ島まで西城秀樹を追っかけて行ったことを思い出す。

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2004/11/16

ホテルの部屋から バリ島

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 これは妹が泊まったホテルの部屋のベッドから見た風景。
 この日は稲刈りが部屋の前で始まった。目の前でやられるとなかなか強烈。海も川も渓谷もいいけど、こういうイベントがあるときは田んぼの前に泊まって良かったと思う。
 ホテルは2つの大きな田んぼに挟まれていて、稲刈りの日は農家の方々がホテルの敷地を横断する。とても機械を使っていないとは思えないほど凄いスピードで稲刈りは進行する。
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 バリ島では1年に2~3回稲が収穫できるけど、この田んぼ、何年か見続けて分かったことだけどサイクルは大体一定で、9月の終わり位から稲刈りが始まり、10月に訪れると田んぼはすっかりはげている。すっかり一面黄色くなった10月の田んぼは牛と家鴨が走りまわる。5月は稲が青々としてたし、そういえばこの田んぼ、田植えは見てないな。

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2004/11/12

ベベッの夕べ バリ島

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 ホテルっていうのは何回かリピートしてるとそれなりによい事があるらしい。

 このホテル、初めて泊まったときは何もなかったけど、2回目はハッテンワイン(バリ製のワイン、葡萄もなんと赤道直下のバリ島で栽培してるらしい。)のボトル一本プレゼント、3回目はホテルオフィシャルのバスローブというか浴衣(日本じゃ使えないな)のプレゼント、そして4回目は写真のこれ。

 我々御一行様全員にディナーを!との連絡が。ただし最高級の食材を予約しなければならないので前日までに予約をして下さいとのこと。
 レストランではなく部屋のセミオープンエアのリビングで蛙の鳴き声でも聞きながらディナーを楽しみたいと希望し、リビングのテーブルはテーブルクロスやローソクなどで素敵に飾り付けられ、冷え冷えのハッテンワインで乾杯し、インドネシアな前菜から美味しいディナーも進み、そろそろ腹いっぱいというところでこれが出てきた。メインディッシュ。

 というわけで、首付ベベッ-アヒル-ダックの胴体に香草などを詰めて、胴体にも何やらすり込んで蒸したもの。お腹を開くとゆで卵が!食べていいのかな?「眼をこっちに向けないで」と妹は少し怯んでた。最後はアイスクリームでしめた。全部は食べきれなかった(というかどこまで食べられるのか分からなかった)のでアヒルの残骸が沢山残って、ホテルのスタッフが勿体無いという顔をしていた。手を洗うとアヒルのカスでつまった。

 今回はバリニーズマッサージ90分も無料だったし、サービス良かったな。

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2004/11/05

プレイステーション バリ島

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 ギャニャールのM氏の家の近所に沢山の子供たちが集まっている場所があった。掘っ立て小屋のようなところで、ある物に向って子供の列が5列くらい出来ている。その先頭には何台かのテレビと、そこにはプレイステーションなどのゲーム機(本物かな?)が数台繋がれていた。バリ風ゲームセンターだった。中ではおばちゃんが一人、奥の家からジュースなどお盆にのせて子供相手に仕事をしている。ゲーセンのおばちゃんだ。

 その様子が面白かったから写真に撮ろうと思ったけど、何度カメラを向けても失敗する。子供たちが僕のカメラに気がついて、ゲームそっちのけで「ワーッ」と集まってきてしまうのだ。特に写真の一番手前の赤いTシャツのデブが、毎回レンズに気がついてしまって始末に終えない。僕もこいつが来ると少しひるんで写真もブレブレ。

 プレイステーションといえば、M氏に「子供たちは今は何に夢中なの?」と聞いた。彼は「プレイステーション」と答え(このプレイステーションのイントネーションがたまらなく良いのだけど)、さらに「プレイステーション2は持ってますか?」と聞き返されたので「持ってませんよ。プレイステーションどころか他のゲーム機も」と答えたらM氏は「ウソー!」と本気でビックリしてた。持ってないものは仕方ない。

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2004/11/04

ギャニャールにて バリ島

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 ギャニャールの王宮前広場を取り囲む通り沿いにM氏の住む長屋がある。
 ここはデンパサールに次いで大きい町(と言ってもあまり大きくない)で、しかも観光地じゃないから観光客も見かけない。バリ島で日本人を含む観光客を見かけないというところが新鮮な感じ。
 その日は王宮前広場に消防の赤いヘリコプターが着陸していて、大勢の子供たちがヘリコプターを取り巻いていた。M氏のアパートへ向う途中、懐かしいパダン料理屋の前にたむろするおじさん達に挨拶して、これまた懐かしい長屋の門をくぐる。

 今回M氏の長屋へ行ったのは彼の愛娘のヤンニちゃんに再会するためだった。3年前に訪れたときは、本当に小さくて両親が働きに出ている間は隣のお嬢さん(当時14才)がベビーシッターをしていた。
 あたり前だけどヤンニちゃんは、大きくなっていて(僕の妹の息子4才と同じくらい)、小さいころは分からなかったけれど、とてもシャイだった。僕たちが近寄ると恥ずかしそうに友達と二人で大家さんの家に引っ込んでしまった。時々ちらちらと顔を出す。そちらを見ると、前回は気づかなかったけど大家さんの家は大きなガラスの扉があって部屋を締め切っている、ということはエアコンがあるということかと関心する。
 ところでヤンニちゃんには、ヤンナちゃんという小学生のお兄ちゃんがいて、これがまた見違えるほど成長していて、バリ人の子供の中でもとても垢抜けた感じで一生懸命覚え始めた英語で会話してくれた。彼の友達も来ていい感じの集合写真が出来上がった。
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 典型的なバリ農家の家は見る機会が多いが、バリ町人の長屋暮らしを見る機会は少ないから今回は敷地内をじっくり敷地を拝見した。やはり以前は気づかなかったが奥のほうまで貸家が続いていて、突然の来客にもかかわらず、住人たちは愛想よく写真に写ってくれたりお喋りを楽しんだりしてくれた。そんななか自分の住んでるところなのにM氏は相変わらずガイドとしての業務を放棄せず「こちらに鶏がいます」とか観光案内をしてくれる。
 そういえば裏に住んでる家族には、僕の息子1才3ヶ月と同じくらいの子供がいてオムツではなくパンツを穿いている。しかもパンツをはいたまましゃがみこむと、パンツのおしりの部分がパカッと開いてそのまま用を足すことが出来るという。

 ところでひとつ以前と変わっているところに気がついた。M氏の隣の部屋、両親が職を失って部屋には毛布しかなくベビーシッターをしていたお嬢さんが住んでいた部屋になんと家具がある。
 「ご両親は仕事見つかったの?」とM氏に聞くと彼は「引っ越しました。彼女は結婚しました」という。「17才で結婚なんて早いねえ」と感心すると、M氏は言った「ジャワ人ですから」。
 やはり今度のバリ島もガイドはM氏にお願いしよう。(何のことかよく分からない方ごめんなさい)

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2004/10/26

セーフティボックスにご注意 バリ島

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 部屋に備えられてるセーフティボックス。あの暗証番号を入力して空けるやつ。だいたいバリ島に限らず東南アジアの観光地では、セーフティボックスに入れておいたものが盗難にあったということをよく耳にする。
 幸いにも僕はそういう目にあったことはないけど、一応外出する際には暗証番号が分からないように番号ボタンの指紋を拭いて、さらにセーフティボックスの入っている棚の扉を閉めて、その扉にワイヤーをぐるぐる巻いてワイヤーに鍵をかけて、とりあえず2重のロックをしておく。さらに重い荷物も括り付けたり。暗証番号を知ってても開けるのが面倒だから、少なくとも自分が泥棒だったら破壊工作をしないかぎり盗難には時間を要するだろう、とこれは気休め。

 しかし今回はセーフティボックスで予想してないかった事が発生。しかも身内による犯行。セーフティボックスは息子1才3ヶ月によって謎の暗証番号でロックされてしまったのである。
 息子1才3ヶ月はボタンを見るとなんでも押してみたい年頃で、丁度セーフティボックスは息子が立って手をのばすと手が届く高さに。しかもロック・キーは触りやすいマトリクスの一番左下にあった。でも、まさか重い扉を手で抑えながらボタンを押しまくるなんて考えもしなかった。空のセーフティボックスは僕たちが使用する前に彼によって「ピッ・ピッ・ピッ・ピッ・ピー」と閉められてしまった。チェックイン早々にホテルにトラブルでお世話になるなんて。

 ホテルのフロントに連絡すると従業員がとんできた。手には大げさな怪しい機械を持っている(もちろんセーフティボックスと同じメーカー製)。それをセーフティボックスに接続するとジェームズ・ボンドのように暗証番号の解読が始まった。不思議なことにすぐには暗証番号は分からない。時間をかけてジワジワと暗証番号が1つ1つ解読される。そして無事に空のセーフティボックスの扉は開いた。とりあえずこれが無いと簡単には開けられそうもないかな、とこれも気休め。

 でも考えてみるとセーフティボックスには、盗まれても当面大丈夫なものしか入れてないな。フィルムとか。お金もいつも3万円位しか持ってきてないし。しかも今回は昼間の2/3はホテルの部屋で寛いでたし。

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2004/10/19

観光はタンパクシリン バリ島

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 今回のバリ島は直前まで観光のことを考えていなかった。しかし考えてみると同行する妹は初バリだし何か観光を入れなくては、というわけでウブドから近いタンパクシリン周辺に行くことに決めた。
 本当はもっと色々と見せてあげたいのにどうも観光に力が入っていなかった。前回も車をチャーターしても観光とは名ばかりのデンパサール!めぐりだったし、結局いつも観光には力が入っていないのかも。
だから今回もとりあえず観光地としてタンパクシリンに行って、その後はギャニャールへ行くことにした。あるガイドブックによれば、ギャニャールは「観光客が行く理由の無いところ」である。ギャニャールにはバリ人ガイドM氏(登場回数多し)が住むアパートがある。2年ぶりに彼の子供たちに会いたかった。

 ところでタンパクシリンではグヌン・カウィとティルタ・ウンプルに行くつもりだったが、M氏曰く「グヌン・カウィはだめでしょう」との事。あの急な長い階段はやはり子連れでは厳しいのだ。霊感の強い妹には是非とも見せたいところだったのに。とうとうバリ島で彼女の霊感はまったく機能しなかった。
 ガルーダの木彫りを作っている村を抜け、一山超えてティルタ・ウンプルには午前中の比較的早い時間に着いた。たぶん観光客一番のりだったらしく例のごとく駐車料金のおつりは無い模様。僕たちは大きい単位のお札しかなくM氏が駐車料金を払う。
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 静かなティルタ・ウンプルはなかなか良い所だ。朝の光もよく合っている。こんな時間に行くと何故かよく祠を修理している。昼になれば遠方から観光客が押し寄せて(物凄いというほどではないと思うけど)、おそらく雰囲気は一変する。おかげでティルタ・ウンプルで沐浴をする人はかなり減った(とある)。代わりに観光客が沐浴しているという話も(僕のように写真を撮っているだけの観光客より沐浴をする客のほうがましか)。だからティルタ・ウンプルがそれらしく機能しているのは朝と夕方だけらしい。
 朝の土産屋通りを通る。声をかけてくる物売りもいないし、観光客の代わりに子供たちが路地を走りまわって遊んでいる。そういえば静かな時間のケヘン寺院も良かったな。
 ただ生活の時間に行く人が増えるとただの観光地になっちゃうから、それはそれでどうかな。

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2004/10/18

デルタ・デワタ バリ島

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 ウブドの少し北にあるスーパーマーケット「デルタ・デワタ」。ウブドに泊まった人は皆さんお世話になっているのでは。
 といっても入り口付近から外を撮った写真。僕はあまり買い物をしないので時間が余ったら、このあたりに座って新聞を読んでるおじさんやアイスを食べている子供たちなどを風景として眺めているのが好き。
 それに僕の場合、ここにくると必ずといっていいほどトイレに行きたくなってしまう。以前、裏の事務所近くにあった超カマル・クチルなトイレに向かうとそこにはトイレが無かった。あそこで用を足すのことを考えると少し緊張してたんだけど。で探すと、もっと目立つところ(駐車場の奥)にトイレが新設されていて、以前のブロックに囲まれた暗い雰囲気では無くなってたけど、やはりシステム(手酌)は変わってなかった。流れは前より悪くなってるし。

(今日は手抜き)

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2004/10/15

子供好き島 バリ島

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 噂には聞いていたけどバリ人は本当に子供が好きだ。バリ島は子連れ旅行者にとても優しい。

 いつなら食事中の我々の横に居座って「時計可愛い。いくら?」と少々煩い店員が多い印象のウブドの有名店「カフェ・ワ○ン」も子供を連れて行くだけで別の店になる。我が家の息子1才3ヶ月を見つけると店員による抱っこリレーが始まった。息子は1時間近く帰ってこない。これで僕たちは子供から解放されてゆっくり食事が出来る。彼らは昼も夜も息子の面倒をみてくれた。お願いもしないのに。この店を見直したよ。
 そして他のレストランでもマッサージ屋でも同じように子供の面倒をみてくれた。バリ人の子供好きを実感した。
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 妹の息子4才は身長が高いのと大人びた顔のために4才とは認めてもらえず、あまり店員に相手にしてもらえなかった(カフェ・ワ○ンの「ジャイアン」さんを除いて)。だから僕の息子1才3ヶ月が羨ましかったらしい。僕は彼の機嫌をとるために一緒に店内を散歩した。
 その彼も帰りのングラ・ライ国際空港では空港職員のお姉さん(たぶんジャワ人)に「ハンサムー」と言われてまんざらでもなかった様子。

 余談。夕食の時、さえないフランス人のカップルがこちらを横目で見ながらあたり前だけどフランス語で「こんな時間に子供を連れてくるなんて日本人は」みたいなことを喋っていた。子供は店員に連れ去られていたので、子供が煩いとかではなく習慣のことだろう。
 でもバリ島では意味を成さないかと思えた。バリ島は夜でも子供大歓迎だった。限度はあるだろうけどワヤン・クリが終わる深夜くらいまでは大丈夫だろうと都合よく考えてみる。

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2004/10/14

大統領選 バリ島

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 バリ人ガイドのM氏にウブド近辺を半日観光したい旨を話すと、彼は少し考えて「朝9時集合にしましょう」と言った。「どうしてそんなに早いの?」と訊ねると「その日は選挙に行くので」ということだった。観光当日になってみるといつものドライバーK氏も選挙でお休み。選挙など全然興味が無さそうな貧相なじいさんがドライバーだった。

 その日は学校も休みとあって、いつになく子供が多い。そして投票場の周辺にはメガ-ハシムのシールがベタベタと貼られている。結局大方の予想通りメガワティ-ハシム・ムザディ陣営(闘争民主党)はスシロ・バンバン・ユドヨノ-ユスフ・カラ陣営(民主党)に負けた。投票率は嘘か真か76%。僕たち旅行者には政治的な話など一切しないM氏も今回の選挙は張り切っていた。僕自身はスハルト以前の話ばかり夢中になって、最近のインドネシアよく知らなかったなと。圧制に対するシンボルより新風を、ということか。

【追記】

 あれから2年、12日はサリ・クラブ爆破テロの追悼式が行われた。爆破直後のサリ・クラブは怖くて近づけなかった。怖くて祈ることも出来なかった。
 観光客の数も今年はだいぶ回復してきた。今後このようなテロが発生しないことを願う。

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2004/10/12

天蓋崩壊 バリ島

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 惨事は僕の部屋のベッドで立て続けに展開した。

 ウブドに移って二日目の夜。夕食から帰ってきた僕たちはオープンエアーのリビングで大人の会話の時間を楽しんでいた。妹の息子4才はその日は疲れきって僕の部屋の天蓋付きベッドで寝ていた。
 解散の時間、妹はその日の昼間重い息子を抱きっぱなしで少し背中を痛めていたものだから、僕が眠っている息子4才を抱きかかえて妹の部屋まで連れて行った。息子4才は背中がびっしょりだった。気になって自分の部屋のベッドに触れてみると、彼が寝ていた場所が広範囲に亘って濡れていた。オネショだ!パンツをはみ出したおしっこは背中まで達していた。仕方なくオネショの場所にバスタオルを敷いて寝た。

 次の日の朝、(結構注意していたつもりなのに)少し目を離している間に僕の息子1才3ヶ月が天蓋付きベッドの上でジュースを飲んでいた。恐る恐る近づくと・・・案の定ジュースをベッドの上に撒き散らしていた。ベッドにはオレンジ色の斑点模様が付着していた。
 ホテルのスタッフを呼ぶとオネショはマットレスに達していて、全て取り替えられた。申し訳ない気持ちだった。

 しかし、このベッドで一番大きなの惨事は僕が起こしてしまった。シーツやら何やらすっかり綺麗になったベッドでその日は気持ちよく眠れるはずだった。
 その日の夜。僕がベッドに腰掛けると僕のお尻は天蓋から下がった蚊帳の端を挟んだらしい。蚊帳が引っ張られ天蓋を吊っているロープの一本がブチッと切れて、ズドンという音とともに天蓋が写真のように崩れた。ロープの先を確認すると黒かったので擦れて老朽化していたに違いない。
 その日の夜は本当に惨めな気持ちだった。崩れた蚊帳の中で寝るなんて・・・みんな想像したこと無いでしょ。優雅な気分を味わいたくて天蓋付ベッドのあるホテルに泊まるのだから。

 朝、ホテルのスタッフを呼ぶと彼は驚愕の声を上げ、大人3人がかりの作業が行われた。僕の部屋は例の萱葺きの高い天井でたぶん5m近い高さだと思う。天蓋はその天井からロープによってぶら下っていた。スタッフたちは何本かの細い縄を集めて捩って太いロープを作り、長い梯子を2人が支え1人が梯子に登りロープを結わえ天蓋を吊りなおした。全員にビールを手渡した。

 天蓋付ベッドは注意が必要です。
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 おまけ。僕の息子1才3ヶ月が部屋でカップを割った。こんなことは可愛らしいほうだと思う。ホテルのほとんどの食器はジェンガラだったが割れたカップはIwataniだった。

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2004/10/08

スカワティにて バリ島

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 バリ島の田舎を歩く。初めての場所はコンパクトカメラを持っているだけで少し緊張する。
 スカワティはウブドからもデンパサールからもそれほど離れていないがバリ島らしい田舎だ。ガイドブックによれば、この辺りにはパサール・スニ(Pasar seni)という工芸品市場があるらしい。その時は僕自身まったく知らなくて移動の時もおそらくパサールの前を通らなかったし、なんといってもバリ人ガイドM氏も最終目的地のレジデンスまでの道のりがまったく分からず先導するU氏の車を見失わないようについて行ったくらい。おかげでいつもは饒舌なM氏の口からも道中の解説は一切無かった。しかもスカワティの奥の奥にレジデンスはあった。

 時間がとんでしまったけど、これは最終日の話。もともとスカワティに行く予定はなかったがウブドのホテルのレイトチェックアウトがキャンセルされてしまった。今回行ったバリ島はやけに旅行者が多いのでどうしたのか思ったら旅行代理店では「裏正月」と呼んでる時期だった。稼ぎ時に客をギュウギュウ詰めたいホテル側はぎりぎりでレイトチェックアウトは出来ないと言ってきたらしい。とにかく僕たちが泊まっている部屋は数ヶ月前からおさえておかないと取れない人気の部屋番号でちょっとした調整が入った。
 慌てた旅行代理店は、バリ島の達人U氏のアイデアで知り合いであるS氏が管理人を勤めるスカワティにある貸し別荘に僕たちを流すことにした。旅行代理店のO氏は一抹の不安を覚えたが、U氏が「絶対に気に入る」との強い自信を見せたためその案で決行することとなった。今回さまざまなサービスを受けたのもたぶんこれに起因している。僕自身はスカワティには行ったことが無いし面白そうなので即OKだったけど。
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 そのレジデンスは渓谷に建つ1日1組限定の4ベッドルームのヴィラで使い切れないくらい大きなリビング、大きなダイニング、大きなキッチン、そして渓谷に向かって大きなプール(アマンダリのメインプールかそれより少し大きいくらい)、プールの上にせりだしたパレブンゴン、それに「何でも頼んで下さい」の3人のインドネシア人スタッフと警備員が1人ついている。ジャカルタの中華系オーナーのもので、これまではオーナーの客人などが主な利用客で日本人の旅行者はまだ泊まったことはないそうな。そろそろ旅行者向けに力を入れたいとwebページを作成中とのこと。
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 そのレジデンスには恐れ入ったけど、僕が本当に気に入ったのは外に広がるスカワティの田舎の風景だった。それは僕が想像するバリ島の田舎の風景だった。その道をとぼとぼと歩く。すれ違った人には「シアーン(昼間の挨拶)」と声をかける。「シアーン」と何回返ってきただろう。覚えてないほどだ。そして時々写真を撮る。歩きながらスカワティ王家以外にスカワティってどこかで聞いたなと思い出した。皆川厚一氏の「ガムラン武者修行(PARCO出版)」→amazon.co.jpに出てくる皆川厚一氏のガムランの師匠がスカワティに住んでたんだっけ。
 少し歩くと村の集会所まで来た。沢山の人たちが集まっている。オダランかなにかの行事があるらしい。女性たちはせっせとお供えなどを作っている。男たちも何かやっているがよく分からない。ガムランのセットが用意されている。写真を撮ってもいいかと聞く。年寄りの女性が何かぶつぶつ言う。まわりの女性たちが「彼女の言うことは気にしないでどんどん写真撮りな(ほとんどジェスチャー)」と大笑いする。そこで写真を何枚か撮って村の寺院へ向かう。途中で食堂から出てきた子供たちが「ハロー」と言いながら僕について来る。だから僕は彼らに向かって「シアーン」というと「パギパギ(早朝の挨拶)」と冗談で返す。
 夜。帰りの車の中から村のいくつかの集会所で男たちが真剣な顔つきでガムランの練習をしていた。心地よい響きだった。

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2004/10/07

水着を忘れる バリ島

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 パスポート、お金の次に大事?な水着を持っていくのを忘れた。しかも家族そろって。いつもなら持ち物チェックリストの最重要手荷物と確認しているから忘れるわけがないのに。ホテルにプールさえあれば香港だろうが台湾だろうがバンコクだろうがシンガポールだろうがロンドンだろうがパリだろうが持っていくだろう。忘れた理由は分かっている。今回は息子1才3ヶ月の用意に追われて出発直前の最終確認を怠ってしまったのだ。

 ということで現地調達。ホテルのショップにはひどいのしかない。トゥバンのホテルのフロントで近くに水着を買えるところはないかと訪ねると「歩いていけるところには無い」と言われた。
 というわけでウブドへの移動の途中でクタスクエアへ。クタスクエアに着くとバリ人ガイドM氏は「はい、では30分で!」。超速攻で近くにあったBillabongへ突入し水着とついでにTシャツ2枚を購入。ハワイで水着を買って以来久々のリニューアル。
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 今回のことでM氏が半バックに撫でつけた髪型と同じくらいに几帳面でスケジュールに厳しいことを思い出した。車に乗せているのは僕たちしかいないのだから少しくらい時間にルーズでもいいんじゃない?なんてことは無い。それからも「では9時に」「はい、ここでのお買い物は45分で」「では食事は1時間で」「ここは車から観るだけにしましょう」「では8時に待ち合わせ」と続く。頼もしい。

 でもせっかく買ったのにそこは子連れ旅行。プールサイドなんかでノンビリなんて所詮むりな計画。息子がプールに転落しないかプール監視人と化す。水着着用時間は最終日の30分だけだった。

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2004/10/06

ファンタメロン バリ島

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 妹の息子4才が大人たちの部屋で寛ぐペースに飽きてきた。そこで妹は息子を連れ買出しに行った。ホテルの近所にあったごく小さなスーパー(バリ島によくある食料品店が小奇麗になっただけ)に行ってすぐ戻ってきた。

 子供のための駄菓子のほかにファンタメロンが2本入っていた。最近、彼女は子供を保育園にあずけコカコーラ系列のパートタイマーをしているので職業柄-少なくとも関東地方では扱っていないファンタメロンは気になったよう。そして「炭酸が少ない!」とか「甘い!」とか言っていた。僕も飲んだけど、たしかに不抜けた感じで甘味ばかりだった。日本で言う微炭酸ではなくて月日とともに炭酸がとんでしまった感じに近かった。もしかすると本当にそうかもしれないな。それとももともと炭酸が少ないのか。味はさておきビンが綺麗なので。

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2004/10/05

4才 バリ島

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 トゥバンのホテルは案の定「白人ランド」だった。自分たち以外の日本人は朝食のときに見かけた女性グループ1組だけだった。その他何百人ものお客のほとんどがオーストラリアから来ている人たち。
 妹の息子4才はもうプールに入りたくて入りたくて半ば挙動がおかしくなっていた。プールに入ったその瞬間から彼にとってバリ島旅行は人生最高の出来事になった。日本に帰ってからも毎日のように「ママ、バリのビデオ観たい!」と言ってはビデオを見ながら踊っている。

 彼が子供用の浅いプールに入ると同じ年頃の先客がいた。父親はイングランド出身のオーストラリア在住の人で、妹の息子4才と彼の息子やはり4才は瞬く間に意気投合し浮輪を使ってプールで遊び始めた。あまり言葉の心配はしてなかったけど、本当に二人の4才の間には言葉の壁など存在しなかった。お互い自分の言語で喋っているんだけど完全に通じ合っている。
 しばらく一人が浮輪に乗って、もう一人がそれを引っ張って移動する-を交代しながら遊んでいたが、最終的には浮輪にのってるのが白人の子供、それを引っ張るのが日本人の子供に落ち着いてしまって、冗談ながら子供でも人種の壁は越えられなかったかと一同笑ってしまった。親たちもそれぞれプールサイドで会話を楽しみ、バリ島最初の朝としてはいい感じだった。
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 ところでトゥバンのホテルはオン・ザ・ビーチ。これはクタ湾のホテルとしてはセールスポイントだろう。クタ以北にはオン・ザ・ビーチのホテルはたぶん存在しない。ビーチとホテルの間には道が存在し最高でもオーシャン・ビューである。しかもトゥバンのビーチはクタ・ビーチより綺麗で売り子もほとんどいないため静かでほぼプライベート・ビーチ状態である。ホテル自体は少しショボイが、西洋人向けに改善された朝食もバリ島とは思えない安心できる味になっていた。

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2004/10/04

給与明細!バリぼったくり事情 バリ島

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 途中で気がついた。10月3日のテレビ東京の「給与明細!バリぼったくり事情」の現地在住のコメンテーターの方に見覚えが。バリ島旅行ではいつもお世話になっているU氏だった。実際はもっと普通の人だけどテレビでは胡散臭い感じで映ってた。日本人会関係で活躍してて、最後にお世話になったスカワティのヴィラの管理人であるS氏とは草野球仲間。バリ人も交えての草野球とは!?
(ちなみにインドネシアでもっとも人気のあるスポーツはバドミントンとのこと)

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2004/09/29

湯沸しポットと差し入れ バリ島

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 旅行代理店が湯沸しポットを用意してくれた。息子のミルクを作るためにはお湯が必要だけど宿泊するホテルの部屋にはお湯を沸かすものが無かったのを知っていたし、ホテルに毎回お湯をもらうのも手間なので相談をしたところ現地在住の方から調達してくれた。結構容量があってベビーフードやパックのご飯も温めることが出来たので重宝した。

 バリ島に着いて湯沸しポットを貸してくれた際に「ウェルカムフルーツです」と大きな袋を渡された。袋の中には沢山のフルーツと袋菓子とビンタンビールが何本かとジュースが何本か入っていた。おかげで子供のデザートにはあらためて何かを買うことは無かったし毎日夜はビールで乾杯できた。気のきいた差し入れだった。

 バリ島に何回か行ってるのに代理店を使っているのは、面倒くさがりでリクエストは一ヶ所にしたいというのと僕たちの好みを良く知っている担当がいるためか。今回もガイドとドライバーの個人指名、飛行機のバシネットとベビーフードとチャイルドミール、小さな子供連れでもOKなウブド近郊の適当な観光、部屋番号の指定(個人ではタイプしか受け付けてないので)、蚊帳付ベビーベッドなどその他諸々を一括リクエストして後は勝手に動いてもらった。その代理店は何回も利用しているせいか大手に比べて旅行代金も良心的だし入金の融通も聞いてくれる。自力でなんでも手配する人にとっては素人前としてどうでもいいことだけど。
 ちなみに観光を日本企業が牛耳っているところは大手ツアーより少し高くても個人で手配するほうが格段に良かった。サイパンは別の島だった。

 今回の旅行はこれ以外にもサービス業とはなにかを実感する出来事が多かった。そのうち書くと思うけど、短い期間にこれは良いと感じるサービスを何回か実感した旅行だったと思う。

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2004/09/28

トゥバンのホテル バリ島

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 バリ島旅行。思いついたところから書こうと思うので時系列にはないらないだろうけど、とりあえず最初に泊まったトゥバン(Tuban)のこと。
 いつもならングラ・ライ国際空港に到着したらそのまま目的地に直行だけど、今回は子連れということで空港からすぐ(約5分)のトゥバンに宿泊することにした。トゥバンから1kmほど北上するとそのままクタにつながっている。トゥバンはクタのような繁華街ではないし、これといった見所があるわけでもない。だから好きなラーメン屋があるとか、今回のような理由があるとか、オーストラリア人とコミュニケーションしたいとか(そのうち)、クタ湾の綺麗で静かなビーチフロントに泊まりたい(そのうち)などという人がトゥバンを選ぶ。

 JALで行った関係で到着もかなり遅い時間だった。子供を寝かせる時間だから空港から近いのは実感としてやはり有難いと思った。1歳の子供がいても平気で安ければどんなホテルでもいいということで何も調べずにJalan Segaraにあるホテルにした。
 とりあえずのホテルの洗礼は「気まぐれなエレベーター」。ホテルの大きさに反比例するかのような小さなオンボロエレベーターで、行きたい階のボタンを押しても動いてくれない。何かコツがあるらしく時々動く。ただバリ島にしばらく通ってるとそんなことどうでもいいかという気になる。だからしばらくエレベーターの前で待ってなかなか動かないことを確認すると階段を使った。

 部屋まで来て初めて分かったけど、僕たちに用意されたのはキッズ・スイートという部屋でキングサイズのベッドの他に子供用の2段ベッド、さらにプレイステーションの接続されたテレビもあって、極めつけは子供部屋の壁いちめんには変なリスの絵が書いてあって、とにかく子供たち(僕の妹の息子4歳と僕の息子1歳3ヶ月)は興奮して結局なかなか寝付かない。そして妹の部屋の裏口の鍵がかからないことを発見し(ここは1階なので)、2段ベッドを活用し全員で1つの部屋に泊まることにした。疲れて就寝。

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2004/09/24

バリ島から帰国しました

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バリ島から帰国しました。
短い旅行でしたが軽障害が続き面白い旅行でした。
あまり出歩けなかったのですが初めての体験がいくつかあって今回の旅行をネタに一ヶ月くらいブログいけそうです。
写真が出来たら少しずつアップします。(デジカメ持ってないので)

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2004/09/17

バリ島へ

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 バリ島へ行ってきます。
 今回は初の子連れ海外ということで、滞在はウブドのみです。行動半径もタンパクシリン、ギャニャールくらいだと思います。
 あとはプール付のヴィラでのんびりしてきます。

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2004/08/19

或る日のクタビーチ

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 クタビーチの一連の写真は2002年10月後半に撮ったものですが、その時の写真を使うと、内容によっては作為的にとられそうな気がしたのでいくつかボツにしてました。この写真もそのひとつです。宗教的な偏見は棄ててその時バリ島の平和な空気を表していると感じてください。僕はこの様子を見てホッとしたものです。
 この時期、日本では海外に行くだけで「不謹慎な」という空気が流れていたわけですが、さらにバリ島に行ったわけです。結局行って良かったと思ってます。閑散としたクタビーチを歩いていて感じた空気は、日本のニュースで伝わるものとは(恐怖も含めて)かなり違っていました。

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2004/08/18

ジュクン

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 バリ島のアウトリガー・カヌー。
 海が好きなのにバリ島では一回しかシュノーケリングをやってません。その一回はヌサドゥアの先のタンジュン・ブノアでのしょぼいシュノーケリング。季節が悪いのか場所が悪いのか過去最低の海の状態でした。ポイントにはこのジュクンで行きました。
 それにしてもヌサドゥア~タンジュン・ブノア地区に興味がわかないせいか、このエリアに足を踏み込むのは後にも先にもたぶんこれ一回だけかもしれません。
 このシュノーケリングでの一番の思い出は、男性店員全員が賭け事(カードゲーム)に夢中になってしまって店内で長時間放置されたことですね。

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2004/08/16

DEWA(デワ)

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(バリ島続きます)

逆光であまり良くない写真ですが、この2人の子供はクタビーチの砂浜にDEWAと書いてます。クルンクン王家継承の称号もしくは神様のことだと思います。僕がカメラを向けるとフィルムに納まるように寄ってくれました。

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2004/08/14

バリ島ホテルライフ

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(これについても以前書いたかもしれません)

 バリ島ウブド周辺のホテルに泊まれば、部屋のすぐ前で写真のように田んぼ(これは稲刈り後でさえませんが)や牛や家鴨やオオトカゲなどを見ることになるかもしれません。 写真を取った日はちょうど部屋のすぐ前では稲刈りが行われていて、しばしその作業風景を見ながらコピ(コーヒー)などを楽しんでいました。
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 いつもこの田んぼには、牛と牛語で会話する気になるおじさんがいるんですが、この日はすっかり稲刈りが終わってからの登場です。
 しばらくは牛に藁を食べさせたりしていたのですが、突如写真のように藁の山に火を放ち始めました。いくつもある藁の山全てに火を放ったので物凄い量の煙がたちはじめ、やがてホテル全体を覆い始めました。
 窓の外は視界ゼロの状態になって、ここはバリ島ですから窓を閉めても隙間だらけ、部屋に大量の煙が侵入してきます。部屋の中が真っ白い煙で満たされ、ついに蚊取り線香から逃げる蚊のごとく部屋から逃げ出すことになりました。
 下の階のドイツ人カップルもゴホゴホと逃げ出して、全員しばらくプールサイドを満喫することになりました。

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2004/08/13

若いベビーシッター

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(以前書いたものと内容がダブるかな?9月の旅行で再会できるといいなと思いながらなので許してください。)

 バリ島で、ある若い夫婦のお宅に遊びに行きました(小さい子のほうの家)。ご夫婦ともに観光関係の仕事をします。知り合いの写真はどうかと思ったんですが二人とも数年たって成長しているからいいでしょう。しばらくして小さいほうの子の父親にこの写真を見せたら、抱いてる方の彼女を「太ってて分からなかったよ」と言ってたくらいですから。

 この夫婦のお宅は、バリ島でイメージするバレがいっぱいあるような民家ではなく、寝室とカマル・マンディ(浴室)とカマル・クチル(トイレ)のみのシンプルなアパートです。このお宅には現代的なものが沢山あります。今は家を建てるためのお金を貯めているとのこと。彼らは鍵をかけて外出しますが、帰ると壊れた窓ガラスから手を入れて内側から鍵を開けていたところが可笑しかった。

 抱いているほうの女の子(同じアパートに住んでいる)は学校を休学してベビーシッターをしています。以前書きましたが、両親が職を失ってしまったからです。彼女の家の中には何も無く広い床に毛布が数枚あるのみでした。バリ島ではこのように家庭の事情で学校を一時休学する子供は珍しくないようです。最初にも書きましたおとり、今はすっかり細くなって見違えるようとのことです。

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2004/08/10

ラ・タベルナ前ビーチ

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(ゴールデンウィーク同様、今週はお盆前後でなにかと忙しいのでの手抜き週間です)

 バリ島サヌールの老舗ホテル&ピザ屋「ラ・タベルナ」から名物石窯ピザ(味のほうは普通だったような)を食べながらサヌールビーチを望みます。
 レストランに隣接したプールで白人のおじさんたちがザブーンと飛び込んだり泳いだり寛いだりしているのが気になります。のんびりした所でした。
 この時はテロ不況でラ・タベルナも「飛び込みOK、宿泊50% OFF」なんて感じだったのを思い出します。
 それにしてもバリ島は不思議なところでパスタを食べると焼きそばのようで、焼きそばを食べるとパスタのような味がする店が時々あるんですね。イタリア料理とか洒落たものを出す店にこの現象が多いです。

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2004/07/13

ロータス

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 ロータス。蓮の花です。今日は盆の迎え火ということで雰囲気が一致してますが、南国の植物シリーズということで偶然です。それにしても、お盆の由来に関係のあるとされるお釈迦様の弟子である目蓮さんにも蓮の文字が入ってますし、蓮といったら「天上天下唯我独尊」とお釈迦様を連想してしまう、そんな雰囲気は確かにあります。(特に信心深いわけではありません)

 僕の場合は蓮といったらバリ島です。バリ島に初めて行った時に、古い民家の奥の塀の前に、水をはった大きめの鉢があって、そこに綺麗な蓮の花が咲いていました。あまりにも素晴らしかったので、バリ島から帰ると自宅でも同じような鉢に蓮を育て始めました。もちろん鉢にはメダカも放しました。今も綺麗な花を咲かせます。とても風情があります。

 この蓮の仲間には大賀蓮という、弥生時代の地層から出た古蓮の種を開花させた大型の蓮があります。この実験に成功した大賀一郎博士は、とある方に将来のご夫人となられる女性を紹介してますが、その方こそ、タヒチのファヒネ島でホクレア号を越える25mに及ぶ大きさのカヌーを発掘したビショップ博物館の篠遠喜彦博士です。強引ですがちょっとバリ島からポリネシアに繋ぎました。

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2004/06/28

駐車誘導屋とトイレおばさん

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 最近読んだ本で「バリ島で駐車誘導屋なるものを見た」という記述を読んだ。僕の勝手な思い込みで駐車料金を払っていたと思っていたもの、そういえばあれは駐車誘導屋だったんだなと思った。
 デンパサールの市場とかそういうところで、駐車場に男が立っていて車で入っていくと空いているところに誘導してくれる。そして誘導してくれた彼に運転手から小銭を渡す。それが色んなところ、たとえば路上駐車でさえもそんな経験を何度かしたのでどんなシステムになってるのかさっぱり分からなかった。あれが駐車誘導屋とすれば、日本じゃ成立しない面白い職業だなと思う。いろんな稼ぎ方があるもんだなあと感心する。

 「無料の施設でお金を稼ぐ職業」ということで香港のトイレおばさんを思い出した。香港で公衆トイレに行くと必ずといっていいほどいた(今は分からないけど)。トイレの入り口に座っていて、出る時にタオルを半強制的に貸してくれる。その代金として小銭を渡す。チップという感じのものでもない。なんとなくその威圧感に負けておばさんのタオルで手を拭いてしまう。公衆トイレにかぎらずホテルのロビーのトイレにもいる。あるときどうしてもトイレが我慢できず、レスリー・チャンが飛び降りて話題になったマンダリン・ホテルのトイレを借りたけどそこにはいなかった。超高級ホテルはちがうなと感じたしだい。

 こじつけ気味。日本でこの類の職業は絶滅の危機にあるのか、僕がいつも利用する駅のロータリーに何年か前までいつもいた靴磨きのおじさん。いつも賑わっていたけど最近見ない。歳をとってやめてしまったのか、別の理由か分からないけど少し寂しい。最近駅前のロータリーが綺麗に整備されて全体的に良くなったのか悪くなったのか分からないけど、僕が利用するバス乗り場への道のりは遠くなった。

(とうとう先週は旅関係の話は全然なし。今週は少し気持ちをあらためます。「「Walk@nifty8月号掲載」の件もあるし)

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2004/06/17

バリ島でまわしてみた

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 以前バリ人のお宅(一ヶ月の家賃500円の!)にお邪魔したときのこと。彼の4畳半ほどの部屋に何十枚かのCDとミニコンポがあるのにちょっと驚いた。ちなみに彼の部屋のお隣さんは、親が失業中で家にあるものといったら毛布くらい。だから中学生の娘は学校を休学してベビーシッターの仕事をしていた。同じ貸家に住んでるのに対照的だった。

 シガラジャ出身の彼のように、出身地をはなれてバンジャールにあまり関わりをもたない若いバリ人の生活には中々興味があるけど、その話はまとまったらいずれするとして今回は自分のこと。
 初めて彼に会った時、彼に「どんな音楽聴いてるの?」と質問した。インドネシアン・ポップスとかその類が出てくることを想定していたが、彼が答える好きなミュージシャンは欧米のハードロックとかヘビーメタルとかの類だった。よく考えればインドネシアにそんな人が沢山いるのは当たり前なんだけど、楽園バリのイメージからそういうものを勝手に範囲外に設定していたので以外な感じだった。こんな暑いところでそれはさらに暑いだろうと今も思うけど。

 再度バリ島を訪れた際に、小実験ということでCDを持っていった。テーマは日本で聞いたら暗くて寒い気分になる音楽を、日差しが強くて暑い場所で聞いたらどうなるか?
 ちょうどその頃は80年代ブームということもあり、僕が高校生の頃に親しんでいたあたりからセレクト(というか正確には家族がセレクト)したのがエコー&ザ・バニーメンのCD。このバンドの名前を出すと、知ってる人には当時の自分の青臭さが伝わってしまいそうで恥ずかしいけど、ネオ・サイケデリックなんていう暗くて冷たいムードの曲が一部で流行っていた。(僕も当時はその手のミュージシャンのようにデップ--分かります?ダイエースプレーの前に流行っていたスライムみたいな整髪料--で髪の毛を逆立ててタオルを頭に巻いて寝たり、今見ると大変恥ずかしい髪型にしてたり。その頃の写真があまり無くてよかった。)
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 ホテルの部屋に設置してあるミニコンポでCDをかけてみる。まわりは田んぼだから大音量でも大丈夫だろう。結果は全然問題無し。それも新鮮な感じ。凄かったのは洋楽なのにどこかの民族音楽に聞こえてしまったこと。次は何を持っていこう。
ちなみにこれはエコー&ザ・バニーメンの「ポーキュパイン」→amazon.co.jp。「辞書なしで学べるインドネシア語の最初歩 」という本の付録CDをかけたときのまったりとした感じに比べてもまったく良かった。

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2004/06/11

バリ博物館

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 デンパサールのププタン広場の近くにあるバリ博物館。観光地としてはお馴染みのところでしょう。敷地内には博物館を構成する異なる三つの建築様式の建物とジャガッ・ナタ寺院があります。ジャガッ・ナタ寺院はサンヒャン・ウィディ神が祀られたデンパサールでは最大のヒンドゥの寺院です。

 僕は博物館好きなのでしょぼい博物館でもとりあえず行ってみたくなります。リゾート地とよばれるところには小さいけど面白い博物館があることが多く、そこに行けばリゾート以外の面を知ることが出来るので旅行がより面白く感じられるのではないかと思っています。ローカルたちと同じ生活圏で行動し、その土地を知るという方法がもっともエキサイティングで面白いと思いますが、それを動とすれば博物館などを訪れるのは静の行動です。そして動だけでは得られないものもあります。

 博物館には、バリ島の歴史、生活、芸能、工芸などに関する展示がされています。ここにはオリジナルかどうかは分かりませんが、有名なププタンを描いた絵画が展示されています。ププタンとは自決覚悟でオランダ軍に立ち向かった行進のことです。絵そのものに強い衝撃を受けましたが、この博物館自体がオランダがバリ工芸品などの保管のために作った建物であることを考えると皮肉な感じです。

 僕が行った日は先生がじっと見つめる中、子供たちが木彫りの授業を受けていました。カンカンカンと木を彫るその音がバリの音楽のように気持ちよくこだまします。その日は大変暑い日だったのですが、館内は当然エアコンなどもなく、最後は暑さのあまり頭がクラクラしました。可笑しなことに同行したバリ人も暑さのあまり参っていました。

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2004/06/10

タンジュン・サリの子供バリ舞踊教室

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 サヌールのお馴染み老舗ホテル「タンジュン・サリ」のレストランでやってた地元の子供のバリ舞踊教室です。
 ちなみにこれはバリス・ダンスを練習しているようです。子供が踊っていたので確信はないのですが、かかっていたのは、「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャッジャ」というバリス・ダンス音楽だったので。記事になってないなあ。

(昨日今日と突発的な用事が入ってBLOGちゃんとやれてません。すみません)

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2004/05/17

旅行ガイドブック

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 昨年、息子が生まれたために中断していた海外旅行(実はマイレージを使うためにサイパンに行ったけど)、しかも約2年ぶりという久々のバリ島旅行を9月に控え、準備とばかりにバリ島関係のガイドブックや紀行書、雑誌、インドネシア語講座などを引っ張り出す。

 バリ島はご無沙汰だったのでほとんどの本はダンボールの底や本棚の奥(本棚に入りきらないので一段を前後2重に活用。あまり読まないものは後ろに入れている)なので面倒くさいと思いながら探す。まあバリ島関係といっても色々あるものだと思う。
 あらためて見てみるとガイドブックが結構面白くて、やっと翻訳版のでた「ロンリープラネット バリ島」→amazon.co.jp、ちっともわがままじゃない「わがまま歩き バリ、ジャワ、ロンボク」、まるでホテルジャンキーな「地球の歩き方リゾート バリ島」、なかなか地味な「JTB ワールドガイド バリ島」、その他お馴染み「まっぷる バリ島」、「るるぶ バリ島」等々。
 バリ島も何回か行ってるとガイドブックなどあまり見なくなってしまうものだが、久しぶりとあってペラペラとページをめくっていると感慨深い。ガイドブックに頼った旅行なんて醍醐味を半減させるだけだなんていう人もいるけど、僕はどうやらガイドブックに頼る派なのか、色んなところを○で囲んだりアンダーラインを引いたりしている。これを見ると初めてバリ島に行く時はここに行きたかったんだとか、当時はこんなところに興味があったんだとか、なんだか手探りのバリ島という感じが思い出されて新鮮な気持ちになる。最初の頃の気合を入れた頃が懐かしい。今では海外旅行は近場の温泉に行くより気楽な感じになっている。でも今度は初めて子供を海外に連れていくということで出発前から脳味噌を使わなければならず、それが嬉しい。

 さて手元にせっかくロンリープラネットの翻訳本があるので、ファミレスのメニューのように写真満載の日本のガイドブックと比べてみようと本をひろげる。よく雑誌の紀行文なんかで「日本のガイドブックはだめ、僕は旅行にはいつもロンリープラネットを持って行く」みたいなことが書いてあるので。
 たしかにロンリープラネットは興味深い、スマラプラ周辺に「日本人洞窟(ゴア・ジュパン)」という場所があるが、これが紹介されている。短い紹介文の最後にこう書いてある「立ち寄る価値はほとんどない」と。ちなみに僕のもってる日本のガイドブックにはこの「日本人洞窟」が紹介されているものはない。どんなにつまらないところでも僕たち日本人にとっては、オーストラリア人よりは名前からしても立ち寄る価値があるかもしれない場所なのに。いきなり考えてしまった。

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2004/05/14

クラブサンド

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 写真はウブドのチャンプアン渓谷にあるホテル「○○○ハ」の部屋で帰る直前に食べたクラブサンドです。僕が泊まったバリ島のホテルでは一番値段の高いホテルでした。宿泊当時、日本人に凄い人気だったので(人気もめまぐるしく変わるのですが)、ためしにとばかりに定宿にしているところから移って泊まってみました。とりあえず一回泊まったからもういいと思いましたが。ちなみに定宿をつくると何回かリピートしているうちにすこぶるサービスも良くなってくるし、民宿ほどではないにしろスタッフとも親しくなれるのでいいですよ。

 ホテルのことはさておいて、日本に帰国する用意も済んだところで、(滅多にこんなことは無いのですが)すっかりバリ味に飽きてきたのでクラブサンドを注文、これが凄く美味しい。なんていうか洗練されているわけです。シャキッとした感じ。なかなかバリ島では味わえない感じです。僕はツーリストですから、そっち向けのバリ料理をよく食べる訳ですが、だいたいツーリスト向けってことは程よくチューニングされているので、それなりに洗練された感じです。しかしこのクラブサンドは洗練度が数段上で、いつもは「腹こわしても現地の料理を食べる」がモットーの僕も、このタイプの食事を見直すことになりました。だんだんこだわりが無くなってきているってことでしょうか。

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2004/05/10

サヌールのプリ・サントリアン(補足)

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 5月9日の日曜日の昼間、テレビでバリ島の旅番組「田中律子・加藤紀子・バリ島癒しの旅」が放送されていました。キラーナ・スパに行ったり、スマラ・ラティ→外でガボール(花をまく踊り)を踊ったり、バビグリンを食べたり、沐浴したりという1時間30分の番組だったんですが、見ているとなんとホテルとしてプリ・サントリアンが紹介されているではないですか。バリのイメージらしくアマンダリとか沢山あるラグジュアリーホテルの類を紹介するのならともかくテレビでプリ・サントリアンを紹介するとは。ゴールデンウィーク中にサヌールのプリ・サントリアン前のビーチという記事をアップしたんですが、おかげで「プリ・サントリアン」で検索してくる人が沢山という不思議な現象になりました。ではその記事はというと手抜き記事で、近隣の方より「ヨーロッパにいるよりヨーロッパにいるみたいです。」の意味が分からないとの指摘があったので少し補足します。

 なぜ「ヨーロッパにいるよりヨーロッパにいるみたいです。」なのかというと、少なくともヨーロッパを旅行した時より欧米人率が高いと感じたからです。1日中NOVAにいると考えても差し支えありませんでした。
 プリ・サントリアンのあるサヌールは比較的早くリゾート化されたところです。プリ・サントリアン自体の開業は80年代なのでそんなに古くはないのですが、30年くらい前までは沢山の欧米人がハネムーンに来てたらしく、リタイアした彼らが思い出の場所へもう一度ということでサヌールの南よりのホテルに1ヶ月~3ヶ月程度滞在してます。
 プリ・サントリアンは日本のガイドブックなどに小さく載っていることがあるので良いほうですが、サヌールの海側の遊歩道を歩いていると、ガイドブックには紹介されていないようなホテルが沢山あることが分かります。そこにいるのはだいたい欧米人ばかりです。日本人の宿泊率がプリ・サントリアンの場合1%~3%とのことなので180部屋くらいあるわけですから稼働率が高くても日本人は多くて1組~2組くらいです。ですからホテルのありとあらゆる場所、プールもレストランもレセプションもビーチもバーも欧米人の社交場と化しています。そこにはオーストラリア人、ニュージーランド人、ドイツ人、アメリカ人など各種人種が揃っていますがアジア人はホテルのスタッフであるインドネシア人しか見かけません(しかも皆背が高い)。日本語が通用するか心配な方は、まず通用しませんので避けたほうが良いでしょう。
 また日本人は珍しいので宿泊客のみなさんから声がかかります。プールでは家族を紹介され(ちなみにプールは欧米人に合わせてかなりの深さです。底まで潜ったら耳が痛くなりました)、レストランでは今日は何処行くのかと声をかけられ(僕たちは親切な欧米人からタクシーのクーポンを頂きました)、と非常に皆フレンドリーです。ということでいつも国外で日本人を見かけてがっかりしている方にはお勧めです。ちなみに僕は日本人宿泊率が高いホテルが好きです。僕は現地で出合った何人かの日本人たちと仲良く楽しくすごせた良い記憶があるからだと思います。ホテルで他の日本人にすれちがったら明るく挨拶をしましょう。

 そしてついでにプリ・サントリアンの部屋ですが、僕たちはガーデン・バンガローというカテゴリに泊まりました。運にもよると思いますが、床が地面に近いので虫とかの侵入はあります。僕の場合バスタブで赤いムカデが遊んでいました。また、このホテル広くて手入れされたガーデンが素晴らしいのですが、夜になると各種動物が屋根の上や木を駆け巡ります。ということで「ドーン、ドーン」かなり騒々しい夜を過ごせました。静かに過ごすならスタンダードルームやサントリアン・クラブなどのほうにお泊りになったほうが良いかもしれません(バックパッカーやホームステイに好んで泊まる方からするとどうでもいいことなのですが)。ただし最近はリノベーションも進み、ガーデン・バンガローのバスタブも僕が泊まった時の古いのではなく新しいものになっているところもあるようですし、侵食していたビーチもなんとかなりそうだし、オープンエアーのレストランでの朝食は、バリの音楽が流れる中沢山の欧米人に囲まれ食事をしながら、インドネシア人のスタッフが歩き回るその様子を見ていると、ベルトリッチが映画で描きそうなポストコロニアルな世界へトリップしているようで、この植民地スタイルを味わいたい人にはうってつけです。遠くビーチが朝日を浴びて煌めいているその風景に気持ちが吸い込まれていくような、そんな朝食でした。

 ホテルの紹介みたいになりましたが許してください。テロ以降、まだバリの景気は回復してないようなので僕が行った時の事を報告してもあてにならないでしょうね。

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2004/05/05

サヌールのプリ・サントリアン前のビーチ

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 引き続きゴールデンウィークなのでバリ島補欠写真でごまかしです。
 初めてサヌールに行った時泊まったのがプリ・サントリアンだったんですが、どうです、このビーチ。砂浜の侵食が激しくて工事中です。ウブドの後だったので泳ぎたかったんですが、これではという感じ。ちなみにその後もサヌールに泊まって海に入ってみたんですが、足が埋まっていって泳ぐのには適していませんでした。バリ人が「ビューだけ、ビューだけ」と言ってた意味が分かりました。(でもサヌールはかなり気に入ってるんです)
 ところでプリ・サントリアンに限らず、このあたりに並んでいるホテル、ヨーロッパにいるよりヨーロッパにいるみたいです。レストランで朝食を食べているとベルトリッチの世界にいるようでした。50年前に新婚で来たとかいうリタイア組でいっぱいでした。

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2004/05/04

デンパサールのパサール・ブルン

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 引き続きゴールデンウィークなのでバリ島補欠写真でごまかしです。
 行ったことのある人も多いでしょうけど、デンパサールの鳥市場、鳥のほかにもサルとかウサギとか犬とか金魚とかも売ってます。その辺で捕ったり、ジャワから持ってきたりするので珍しい動物が並ぶこともあるとの事。

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2004/05/03

デンパサールあたりのプレミアムガス屋

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 引き続きゴールデンウィークなのでバリ島補欠写真でごまかしです。
 PREMIUMと看板に書いてあればそれはガソリンを売っているということらしいのですが、やっぱりこれもガソリンなんでしょうね、結構見かけます。バリ島は暑いし、お天道様にさらされて危険な感じですが、こんなところでバイクにガスを補給する人もいるのでしょう。ガソリン屋で買って売ってるんだろうから割高でしょうし、安いとしたら混入物入りなんて疑ってしまいます。

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2004/05/02

ジンバランのGWKゲーウェーカー

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 引き続きゴールデンウィークなのでバリ島補欠写真でごまかしです。
 本当の名前はガルーダ・ウィシュヌ・クンチャナで略してGWKです。バリ島らしからぬ巨大なカルチャーパークです。僕が行った時は建設途中(今もかな)で写真に写っているガルーダそうとうデカイのですが、さらにこの上に巨大な像が乗ります。このガルーダとりあえずここに置いてあるようです。ここからの眺めは絶景です。少なくともバリ島の下のピョンと出た部分と繋ぐように絞ったあたり(南部エリアと呼ばれるあたり)を全て眺めた気分になれます。

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2004/04/30

ウブドの市場

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 ゴールデンウィーク、どこに行くわけでもないのですが(いつもはどこか海外にいってたのに)色々と行事で忙しくバリ島補欠写真でごまかしです。
 ウブド市場です。バリ人に「朝5時には行かなくては」と言われ早起きして行ってみたんですが、朝から凄い込み様です。写真なんか撮ってても誰も気にしません。バイクがやたら多くて目や喉が痛くなるくらいでした。帰り道、市場を振り返るとそこの上だけ雲があるように排気ガスによるスモッグが発生していました。爽やかな朝でしたが、ホテルに戻るなり顔を洗ってうがいをしました。(本当はそんなに早起きしなくても大丈夫です)

【追記 2004.06.11】

いしやbalibatuばびぐりんさんからのTB。僕は行動半径狭いんですね。行ったことないのですがブドゥグルってバリの軽井沢ってイメージですけど、それだけに市場も少ししゃれてるのかな。
そういえばいしやさんで思い出しました。近所のバリ雑貨屋さんから「ウブドとデンパサールの間にある石屋さんの前に美味しいイカン・バカール屋がある」というのを!アバウトすぎて分かりません。

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2004/03/30

スッペタでサヤン

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ウブド、リゾートの朝を思い出す→本サイト内の続き)

 このままスッペタ(自転車)で集落の中に入り込みたい気持ちもあったが、地理的にもなれていないこともあり集落には入らず、予定通りアユン川に並行する大きな道に出る。予想はしていたがいきなりのその交通量に圧倒された。もちろん交通量だけでなく東南アジア特有の運転の荒さの中で走らせることは可能なのか不安になる。舗装されているものの道は両側に極端に落ち込んでいるし陥没も多い。僕たちの横をギリギリにかするように車や3人、4人、5人乗りのオートバイが抜いて行く。このあたりは地域的にはウブドなのだが日本のペラペラガイドブックにはほとんど情報が無い。しかも時期も時期、スッペタなんかに乗っている観光客は皆無、乗っているだけで周りから強い視線を感じる。地図でみればただの直線の下り坂だが、走っている限り前方の視界にはいつになっても何も目標が現れず距離感がつかめない。
 しばらく走らせると両岸に美しい田園風景が広がってきた。道端に少し広いエリアが出てきたのでペダルを漕ぐのをやめ、しばらくその風景を眺めながら休むことにした。視界いっぱいの広大な田園で大勢の人たちが農作業をしている、今は稲刈りの時期らしい。女性たちのあるグループは穂を引き抜き(稲刈り?)それらをまとめ天火に干す。またあるグループは乾燥した穂を何かに打ちうけている(脱穀?)、しかも凄い勢いで。男たちは選別された籾を袋につめトラックにリレー式に積み込む。なかなか手際が良くどんどん袋が積みあがっていく。他の田んぼで見たのだが、このあと残った藁は集めて燃やすに違いない。人力のみ(正確には牛、家鴨、ガチョウなどの協力有り)での作業は普段日本で見慣れた機械式農作業とは違い感動的だ。
 そんな光景を写真に収めていると一人の女性が近づいてきた。僕の前に立ち、
「1000ルピア」と手を出してきた。
たぶん僕が写真を撮っているのにかこつけてお金を貰おうという考えだろう。
「だめだめ」
と僕が言うと彼女はなあんだという感じで農作業に戻っていった。戻った後は僕のことなど気にもとめず農作業を続ける。

しばし通り過ぎる車に恐怖しながらスッペタを漕ぐ。(長い田園風景や住宅が続く)

 しばらくすると土産屋などが現れ始めサヤン村の中心に来たようだ。なかなか着かないような気がしていたので少し安心する。そろそろ戻ろうと考えているとアマンダリが現れた。僕たちは戻らずにそちらへ方へ向かうことにした。有名な「おじさんのホテル(とバリ人が言っていた)」を一度見ておきたくなったのである。
 ホテルの入り口の警備員に
「アユン川はどう行けばいいか(忘れていた、これが本来の目的)」と聞くと、
「ホテルの敷地を抜けてアユン川へ行っていい」と言われた。
 僕たちはスッペタを駐車場にとめ、ホテルの敷地へ入っていった。

 ホテル内に入ると双子のフロントマンが現れ要件を聞いてきた。二人は見分けがつかないもどそっくりだ。彼らに教えられたように敷地内を通りアユン川へ向かった。アユン川への道はかなり急な坂道でアマンダリのメインプールを見ながら一度躊躇する。かなり暑い。意を決して坂道を下りきるとそこには大きなアユン川がゆっくりと大量の水を運んでいた。
 何十年も前、このバリに惹かれ訪れた芸術家たちはこの川を前にサロンを開き思い思いに過ごしていた、それが想像できるようなそんな幻想的な風景である。
 川では何人かのバリ人がマンディをしていた。めったに宿泊客もここまで来ないのか珍しそうに僕たちをみている。失礼なのでそちらはあまり見ないようにしてしばし川の流れをながめ無心に浸る。そしてはずんだ息が整ったところで戻ることに。
 やはり帰りの坂道はかなり身体に堪えた。その僕たちの横を子供たちが走るようにすれ違って行った。マンディをするためだ。元気がいい。挨拶を交わす。
 もう死ぬかと思ったころやっと登りきりホテルの敷地に戻った。ホテルでは先ほどの双子が分厚いおしぼりを用意してくれていた。部外者である僕たちになんというサービス、アマンダリ。そしてバーに入ると喉が渇いたのでバーでシュウェップス(ビター&レモン、美味い)を注文した。喉が潤うと元気が出てきた。バーの人間と短い会話を楽しみすっかり体調も整ったのでスッペタにまたがり走り出した。おかげで帰りの道のりは軽かった。通り過ぎる風景も行きに比べ余裕がある分良く見える。大勢を荷台にのせたトラックが来た。通り過ぎるトラックの荷台に乗った子供が僕たちに向かって大きく手を振って「ハロー」と叫んでいた。

 ホテルに戻ると部屋でごろごろ、プールでちゃぷちゃぷしながら次は何をしようか考える。その時間が有意義に感じる。
 僕たちは普段から自動車による点から点への移動による観光に慣れている。スッペタで散策すると移動の速度も落ち連続した線による移動になる。少し視界も広がる。思いついた場所ですぐ停められる。さらに時間と体力があれば歩いみるのがいい。欲張って沢山の観光地を周らずにゆっくりとひとつの場所を散策する日をつくってみることも大事だと思う。必ず移動の速度とは反比例した収穫がある。なんのことは無い時間だったが楽しかった。今度はスッペタで別の場所へ行ってみよう。

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2004/03/29

ウブド、リゾートの朝を思い出す

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 時々テーマの無い紀行文を書いてみようと思う。(といことで前回のバリ島旅行の覚書から)

 バリ島旅行の初日、この日もそうだがウブドでの朝は気持ちが少し緊張していていつものように早起きだった。夜中のチェックインだったためリゾートの全貌が分からない。このホテル自体があまり大きくないことは知っていたので冒険がすぐ終わることは分かっていたが、カメラを片手に敷地内を散策することにした。
 その日の朝も渓谷のほうから顔を出す朝日とともに現れる素晴らしい景色を臨むことが出来た。いったん日が昇り始めると急激に気温が上昇し、あっという間に汗ばむ感じとなった。この朝の空気を全身に浴びるとバリ島に来たことを実感する。
 パブリックスペースへ出てせまい敷地ながら入り組んだ細い道を歩く。僕たちが泊まっているビラと同じようなビラがチャンプアン渓谷に向かうように整然と並んでいる。鶏の鳴声を別にすれば誰もいないのではないかと錯覚するほど静かな朝だ。だが渓谷を挟んだ反対側の斜面ではすでに農作業をしている光景が目に入る。彼らは僕たち以上に早起きなのだ。敷地内のいたるところに南国の植物が植えられ甘い香りがほのかに漂い、蝶や蜂がそれらの花に群れている。ホテルは自然と一体となっているようだ。バリ島のリゾートは植物による演出がとてもうまいと感心する。
 やがてまだセッティングのされていない小さめのL字型の外側が大きくアールしたメインプールにたどりつくとそこは太陽の上昇に誘われるように大量の湯気を発していた。プールは渓谷へ流れ落ちるようにせり出しその向こうには椰子や大型のシダ類などの熱帯林や棚田が広がっていた。

 朝食をとりにレストランに行くと朝も早くて客がいないと思っていたレストランで話し声がする。周りを見回すと、西洋人たちとホテルのスタッフが打ち合わせをしている。ホテル側は西洋人たちにこのホテルを売り込んでいるようだ。テロの後でセキュリティに敏感な日本人ツーリストが激減し日本人宿泊率が高いオープン間もないこのホテルはいきなりの窮地だろう。売り込みに必至の様子だ。この日も宿泊客は三組しかいない。(サリ・クラブ爆破テロ→本サイト内参照)
 朝食をとりながら今日はレンタルバイクでこの周辺を散策しようと決定する。この朝の感じを壊さないで1日を終えようという考え。ウブドは起伏が激しくレンタルバイクは要注意との情報もあったが、以前タヒチのボラボラ島で行ったレンタルバイクが非常に満足できるものだったのが決定を後押しした。しかし無理をせずに街の中心に下るコースは回避しアユン川沿いの道を行ける所(たぶんサヤン村の中心部あたり)まで行ってまた戻ってくるという単純なコースに設定した。

(バリ島で聞く単語は楽しいものが多いと思う。バリ島ではバイク=自転車のことをスッペタというらしい。バイクより愛嬌があるので気に入ってそれ以降バイクはスッペタとなった。バリ人の前でバイクを漕ぐまねをして「スッペタ、スッペタ」とやると案の定大受けだった。だからバイクはスッペタに統一しよう。)

 レセプションに行くと明らかにカップルな男性2人がインダスというレストランの場所を確認していた。サングラスの奥から視線を感じ少しうろたえたが、彼らがいなくなるとレセプションでスッペタを借りる旨を告げた。駐車場で暇を持て余していた男性が2台のスッペタを持ってきた。僕たちはスッペタを受け取ると空気圧やブレーキの効き具合、サドルの高さをチェックし、久々の乗り味を駐車場内で試し、たぶん安全だろうことを確認すると期待半分不安半分の状態で試し乗りそのままホテルを出た。今回の旅行もなかなかの滑り出し。

 ホテルを出るとそこはすぐ小さな集落になっている。そしてどこから出てきたのか子供たちが大勢飛び出してきた。僕たちが日本人であることにはお構いなく「ハロー、ハロー」と声をかけながら集団で追いかけてくる。僕たちが子供の頃、外国人を見つけるとやっていたことと同じだろう、その頃は何処の国の人間であろうがアメリカ人だった。だから誰かまわず「ハロー」と言って追いかける。ここの子供たちも外国人をみるとすぐ屈託なく近寄ってくる。さすがにこの奥まった集落は観光とは縁の無さそうな、しいていえば写真家が好んで足をのばしそうな場所なのでどう振舞っていいか考える。生活のエリアに足を踏み込んだ感じなのである。観光地でも車道からひとつ奥に入り込むと多少なりともこの雰囲気は味わえるが、ここは本当にバリ島の集落らしい雰囲気に溢れている。ホテルが出来たことによってツーリストに対するこのヤンバル(もちろんツーリストに対してのみ)もまた奥へ後退するのだろう。本当はここで彼らを入れて写真でも撮ればバリ島の写真集にあるような絵が撮れたのだろうが、僕は迫り来る子供たちに圧倒され、狭く凸凹の激しいこの村道でスッペタを倒さないようにコントロールすることで精一杯だった。

 (もうちょっと長くなりそうです、続きは「スッペタでサヤン(仮)」という記事で。)

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2004/03/05

ガムランの夕べ

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 同じ南国とはいえポリネシアやミクロネシアの島々とはバリ島は異なっていた。同じ東南アジアのタイやシンガポール、香港ともバリ島は異なっていた。ポリネシアやミクロネシアとは文化もかけ離れているし比較的小さな島々で感じる快適さ(たとえばからっとした風の心地よさ)とは対照的に空気も重く、乾期であっても気持ちが良いというほどのものでもない。東南アジアの国々と異なっていたのは、僕が都市部ばかりいっていたのも大きいが人種や宗教の違いも大きい。
 とにかくバリ島は過去に行ったどの場所とも異なる雰囲気だったから、初めて行ったときはどう対処すればいいのか分からなかった。コリン・マックフィーの本を読んで以来10年以上行きたいと思っていてスケジュールも出来ていたのに、着いてみれば常にバリヒンドゥーの神々に見られているような、そんな落ち着かない気分だった。自分はこの土地にむいているのか、歓迎されいるのか、本当に馴染めるのか不安だった。

 バリ島がしっくりくるようになったのはガムランの演奏を聴いてからだった。初めてバリ島に行って以来、とりあえずウブドに泊まり必ずガムランの演奏を観賞する。ガムランの知名度を考えると説明するのも気が引けるが、ガムランとはバリ島に限らずインドネシア全域で打楽器合奏のことを指す(「叩く」のマレー語が由来)。但し僕がいうガムランはバリ島で演奏されているガムランを指す、理由はバリ島以外のガムランをよく知らないから。とにかく鉄琴のようなガンサ(こんな風に言うと身も蓋も無い)、鼓のようなクンダン(パタパタパタパタと刺激的)、銅鑼のようなゴング、クンプル(これで小節を数える感じ)、笛などで構成され、(西欧音階と比べて)独特の音階(ペロッグとかスレンドロ)で複雑な演奏をする。通常、観光客を前にしたときにはレゴンやバリスなどのダンスが付く。(というかダンスに付くと思っている人もいるだろう)宇宙的だと感じるときもある。詳しいことは別のサイトを。

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 初めてのガムラン体験は宿泊先から歩いてすぐのubud Puri Saren Agung(ウブド王宮)での演奏だった。ここはバリ島の他の地域の宿泊客がツアーで来るので人が沢山集まってくる。それなりにガムランを味わったが何故か少し物足りない。ということでフラストレーションを解消するために次はPura Desa Kutuh(クトゥ村寺院)へ行った。途中「こっちへ曲がるとプリアタン村です。」と言われたときに本当は僕はウブドという聞き慣れない土地ではなくプリアタン村やサヤン村に行きたかったことを思い出す。Pura Desa Kutuhに到着すると今回は練習時間からお邪魔する。そして最前列をキープしてもらい(ありがとうネカさん宅居候のほうのワヤンさん)真剣なミーティング風景を見せていただく。
 演奏が始まると圧倒され「素晴らしい」と溜息をついた。その演奏も観光向けのものではあったが、1曲目はジャワの伝統音楽をアレンジしたもので本来のバリ島の音楽ではない。1930~40年代、ガムランは決して伝統音楽ではなくワヤン・ロットリングなどの作曲家によって常に新しい曲が生み出されていた。ジャワの伝統音楽をアレンジするなどというその創造性の部分にとても感激した。演奏もキレが有り素晴らしかった。その後もガムランを聴きに行ってるがその時の感激が一番大きかった。今でもこのように新しい曲に取り組んでいる人がいるに違いないと確信し安心する。現在進行形、そういうことをバリ島に期待していたのだと思う。ただ伝統音楽というのではガムランの魅力は半減する。

 その演奏会でとなりに座っていたガムランの演奏をDATに録音していた男性は、本当はYama Sariというグループを聴きたかったらしい。スケジュールが合わず仕方なくPura Desa Kutuhに来たが思わぬ儲けものをしたと言っていた。その男性からイ・マデ・ルバ老人が既に亡くなっていることを聞いた。大きな火葬だったとのこと。こちらも現在進行形、考えてみればとっくに90歳を越えている。
 ガムランを聴くことでバリ島が見えるようになったのはコリン・マックフィーの本のイメージと直線で繋がったからだろう。初心へ帰れということ。ウォルター・シュピースの本を読んでバリ島に憧れた人はケチャが僕のガムランに相当するかもしれない。それにしてもガムランの独特の音色を聴くことで僕はまたバリ島に来たなと実感する。それ以来バリ島は僕にとって何度も足を運ぶ場所になった。僕にとってガムランを聴くことはバリ島旅行のスタートである(ナシゴレンを食べるのも)。そういえば未だケチャを観ていない。このことをバリ人に話すと「何回も来てるのにケチャを観てないんですか」と笑われた。

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2004/02/24

ジャワ料理を食べながら

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 一昨年のバリ島(爆破テロの直後、「サリ・クラブ爆破テロ」→本サイト内参照)では、デンパサールにあるジャワ料理の店に案内してもらった。こちらから現地ガイドのワヤン(仮名)と一緒に食事が出来ることを条件にしたので、ワヤン、僕たち双方で食べられる妥協案としてジャワ料理になった。その店はバリ人には値段が少し高めで金曜の夜や土曜に奮発して家族で食べに行くところ、日本人からすると観光客向けではないので激安の店となる。ジャワ料理=インドネシア料理という話もあり、全体的に優しい味でバリ人には少し辛さが足りない。日本人はスパイシーなものが苦手との彼なりの判断(過去の統計による、はたまた定説)で、辛いパダン料理は避けられた。ちなみに僕は辛い料理が大好きなのでそちらでも良いと思った。
 店のつくりは観光客が行く洒落たものではなくワルンといった風情で入り口のすぐ脇に丸見えキッチンがあり、その横を通り抜け、まったく風通しの良い店内には長テーブルにパイプ椅子が並べられている。出てくる料理はまるで台湾や香港の屋台のように、全て赤や緑のプラスチックのお椀に入ってくる。スープはソト・アヤムのように透明なスープに様々な肉のボールが浮いている。その他に中華料理のように挽肉やら野菜をパーム油で炒めたもの。そしてバリ腹を避けるために僕たちはテボトル(テ=紅茶、やたら甘い紅茶飲料)とスプライトのストロー挿し。
 案の定ワヤンは自分用の皿に料理を分けるとサンバル(単純にいえば辛いソース)をかけ、僕たちもサンバルをかけて食べてみた。肉ボールは豚の他、牛や鶏と数種類が出された。彼が牛の肉を口にしたので「ヒンドゥーなのに牛は大丈夫なの?」と聴くと「牛、大丈夫、大丈夫」と言ってまた口に入れた。といことで、「バリヒンドゥー初歩」→本サイト内にあるようにボッダ派かスノップな人間なのかどちらかであろう。まあ色々な彼の言動を聞いている限り後者のようである。とにかく鶏肉ばかりで少し飽きていた僕たちには美味しかった。

 話が最初に戻るが、この店がどう少し高級かと説明するには、1にやや清潔な感じ、2に新聞を読んでいる人がいる、それに3として中華系の女子学生が入ってきた、というところで説明できるらしい。特に今回に限り3は重要。
 ということで食事をしてしばらくすると、中華系の女子学生たちがキャアキャアと入ってきた。そして一人の女の子が携帯電話を取り出し何か喋りまくっている。それを見たワヤンが反応した。彼は「バリに住んでいる中国人は金持ちです。」と言って自分の胸から携帯電話を取り出し「僕も持ってます。仕事用ですが」とニヤッとした。ただし少し羨ましさが顔に。携帯電話を持ち歩いていることはそれで彼にとってステータスらしいが個人のものではないので「あんな子供が持って大人の僕が持ってないなんて」という感じで少し不満なのだろう。ということで平日の昼間に、携帯電話を持ち歩くような中華系の女の子が入るような店は、バリ一般としては少し高級なのである。まわりを見てみれば店は空いてはいるが、少しお金のありそうな人たちばかり。食事もゆったりと食べている。

 急な展開ではあるが、インドネシアにおける中華系の人々を、単純にお金持ちで羨ましいというバリ人の感情のみで書くのは、中華系の人々にとってフェアではないだろう。華人であるための苦労も多い。よくバリ島のガイドブックで中国語の本など、漢字が書かれたものは持ち込めないとあるのを目にした方も多いと思う。簡単ながら少しかための説明を。(ワヤンの気持ちとは関係ないと思うが)

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 1965年、インドネシアではインドネシア共産党によるクーデターをスハルト達陸軍が鎮圧するという9・30事件が発生し、これによってスハルトが実権を握り、オルデ・バルー(新秩序)という政策がとられることになった。これには西側諸国の援助による大型プロジェクトの推進が含まれ、それと同時にスカルノ派の粛正、共産党を非合法化し、中国との国交を断絶することとなった(つまり反共)。このことを引き金に華人に対するそれまでのフラストレーションを起爆剤として暴動が頻発し(軍の権力抗争及び華人実業家と日本企業の癒着への反発によるマラリ事件という反日暴動などもそうかな)、結果として華人の経済活動を制限しプリブミ(華人以外の現地人)を優先させる政策を施行。(余談だが、オルデ・バルー下での高度経済成長のもと東ティモールへの侵攻も行われる。)その間、インドネシアにおける華人は非常に虐げられた状態となった(ただし一部の華人財閥はなぜかバブルの中、急成長)。その後、1990年には中国との国交を回復し、バブルがはじけインドネシアに経済が悪化すると1998年(意外に最近)にはジャカルタで大暴動が発生、多くの華人も殺害された。そしてスハルトが失脚しオルデ・バルーも終わりを告げ、漢字が解禁された。
 とにかく一般の中華系の人々にとってインドネシアは、何時このような状態になるか分からない場所でもあるのだ。裕福ではあるが、そんな不安定な場所で生活しているというのはどんな気持ちなのだろう。(しかし携帯電話の事とこの話はレベルが違うのでバランスがとれないなあ)

 多数の民族が集まって成り立っているインドネシア。各民族が微妙な均衡を保って生活している。国民に単一民族の意識が高い日本(本当にそうなの?)においても過去にはこれ以上のことがあっただろう。現在も差別意識のない差別は延々と続いている。ジャワ料理を食べながらこんなことを思案するのも旅なのかもしれない。旅は、自分の国のことを少し離れて考えられるいい機会でもある。それにしても東南アジアの料理は美味しい、そのうち旅先で食べた料理について書くのもいいかな。

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2004/01/30

バリヒンドゥー初歩

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 バリ島のアコモにはテレビが無いことが多い。隠れ家リゾートなどと言われ20室程度のヴィラを配し少ないゲストに手厚いサービスを提供することを売りとする高級リゾートから格安のロスメンまで、なにかしらの理由でテレビが部屋に置かれていない。 (テレビを排することにより非日常の演出をすることを目的としているものや単に経済的なところによるものまで、従ってどっちの理由にしろ僕たちもテレビの無い部屋に泊まることが多い。)
 だがテレビはリアルタイムに現地情報を届けてくれるから時に必要となることもある。僕の場合も個人的にテレビが必要と感じた時があった。クタのサリ・クラブ爆破テロの直後に訪れた時である。いつどのように状況が変わるか分からないから(飛行機が飛ばないとか、新たなテロが発生したとか)言葉は分からないが映像だけでも確認したくなった。しかし、最初に泊まったホテルはいわゆる一泊200ドル以上のリゾートだったせいかテレビはなくテロの話題は一切出さず、ゲストを寛がせるための努力がさらにパワーアップしていた。テロの記憶がだんだん薄れていってしまうほどである。
 旅の後半、サヌールへ移動することになったが、うれしいことにそこには部屋毎にテレビが設置されていた。嬉しくなって1日中、部屋にいる時はテレビをつけていた。テレビの電源を入れると、吹き替えの海外ドラマ、クイズ番組等が流れ、東南アジアらしいコマーシャル(洗剤やらお菓子やら、原色でコントラストも高くしかもインドネシア人とは思えないくらい白い肌の美女が登場する)が何度も繰り返し放送されている。もちろんテロに関するニュースも日本では見られないくらいたっぷりと流れた。
 日本にいるとまるで沢山の情報に囲まれているように感じてしまうが海外のテレビを見て感じるのは日本で見られる情報は実際のところほんの一部の情報でしかないということだ。
 暫くテレビをつけているとそれらの他にどうもイスラムな番組が多いことに気が付いた。インドネシアの90%はムスリムである。ある統計で世界で一番信仰心の薄い国民は日本国民であるということだからテレビに宗教番組が流れていることは考えられないが、世界的には経済力や先進国家うんぬんとは関係なく信仰心の厚い国は沢山の宗教番組が放送されている。インドネシアも例外ではない。
 時期的にもラマダン(イスラム暦第9番目の月で、断食月、非常に重要。帰国後、米国による9・11の報復としたアフガニスタン侵攻が始まった。ムスリムを刺激しないためにラマダン中は休戦すると思われたがタブーを破り侵攻を続けた。)に入る少し前で前夜祭ムードで非常に盛り上がっていた。日本人の宗教感からは不謹慎と思われるだろうが「ラマダン」という曲がヒット中だった。
 バリ島である。ご存知のとおりバリ島は世界一のムスリムを抱えるインドネシアにあってヒンドゥー教徒が90%以上を占めるという特異な地域である。なぜこれだけメディアを通してイスラムが流れているのに誰もイスラムに改宗しないのだろう。テレビからヒンドゥーに関するものはほとんど流れてこない。バリにいるムスリムのほとんどはジャワから来た人でバリ人ではない。(とあるバリ人は言っていた。本当?)
 バリ島を訪れると分かるがバリは目にするもの全てが宗教的行事のようなものだ。それが神々の島といわる所以であろう。そのヒンドゥー教も実際はバリ古来からのアニミズムとインドヒンドゥーが合体したものでバリヒンドゥー(正確にはアガマ・ヒンドゥー・ダルマ)と呼ばれインドヒンドゥーとはかなり異なる。(感想としてはタブーが緩い。カーストによる生活レベルの差が感じられない。ご法度の牛もときどきはよろしいようだ。牛がよろしい人はボッダ派という仏教と接近した宗派の人が主だろう。戒律が緩いというのは宗教として成熟しているのだろうか。)なかなか土着度も高い。人口300万人に対して寺院が3万近く存在する。
 近代オランダが植民地化したことでイスラムの影響を受けなかったというのもあるが、極端に言ってしまえば世界がイスラム化していくなかで、しかもこのインドネシアの中でどうやってバリヒンドゥーを維持しているのだろうか。バリの観光はこのバリヒンドゥー無しでは語れないだろう。見るもの全てがバリヒンドゥーによって彩られているからだ。バリ全体が巨大に観光化していくなかでバリヒンドゥーの地位もさらに強固なものになっているような気がする。
 ニュースをみていたらテロの犠牲になった人々のためにバリ式の追悼の儀式が行われていたが、その絵の中にムスリムの人々もバリヒンドゥー形式で参加していた。感慨深い光景だった。

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2004/01/29

サリ・クラブ爆破テロ

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 バリ島のウブドにあるホテルに向かう途中、現地スタッフに「バリの様子はどうですか?」と聞いた。
 というのもクタのサリ・クラブで爆破テロがあった。最終的に死傷者は500人を超え、被害者の大半はオーストラリア人でその時点で死者は100人を超えていた。日本人も1組のカップルが犠牲になった。9・11、フィリピンなど東南アジアを中心とした爆破テロ、そしてバリの爆破テロ。加速度的に国際情勢は緊迫し海外渡航者の数も急激に落ち込んだ。テロとは無縁と考えられていたリゾート地がテロの標的とされテロも無差別化していく様相を示している。世界的に有数のリゾート地であるバリはテロをアピールするには絶好の場所となってしまい旅行産業は大打撃を受けている。だが本来バリはテロとは無縁の地域である。宗教間紛争の絶えないインドネシアにあって唯一安全で楽園のイメージを保ってきたが今回のテロによってそのイメージは吹き飛んでしまい日本人の減少率は群を抜いていた。
 道中、僕は彼を安心させようと「3ヶ月もすればみんな戻ってくるよ」のようなことを言っていたと思う。バリ島は底力があり、実際にその後バリ島の観光業は回復の兆しをみせている。しかしその後続いたアフガン、イラクに対する攻撃そしてSARSの広がりは現在もバリを含めた観光業に大きな打撃を与え続けている。今回の旅は色々な場所でテロの影響をみることとなった。
 この日はいつも大通りで見かける物売りの子供は見かけない。車は曲がりウブド方面に向かって北上した。ウブドに向かう道は暗く静かでバリに戻ってきた感じがこみ上げて来た。
 いつものウブドの繁華街(といっても小さな)をぬけ車はさらにアユン川にそって北上した。
 このあたりはサヤン地区といいコリン・マックフィーの「熱帯の旅人(原題:House in Bali、河出書房新社)」→amazon.co.jpの舞台となっている。その本は1930年代に1枚のガムランのSPからバリへの旅立ちを決心し、そこで体験した内容を綴ったものだが、バリの表情を活き活きと捉えた内容であり、僕のバリのイメージも大きく膨らんでいた。(当時の西洋人らしくポスト・コロニアルな感じもうけるが・・・また日本でのガムラン第一人者である皆川厚一氏の「ガムラン武者修行(PARCO出版)」→amazon.co.jpを読んでみるといいかもしれない。こちらもガムランに強く魅せられてバリを訪れた著者の体験談だがバリ人との関係はまったく逆である。)
 サヤンテラスなどという名前はそのコリン・マックフィーの住居のあった場所の名残が有名になったものである。今までウブドに来てもジャラン・モンキーフォレストから歩ける範囲しか動いてなかったので(なんというグウタラ)、初めてバリに興味をもって以来、12年以上の月日をもって初めてこの地区に足を踏み入れることとなった。バリはこの10年で大きく変わったと聞くが、実際のところイメージは70年前の著書と変わらないのではないか、と感じた。本当は著書に登場するグヌン・サリ楽団のイ・マデ・ルバ氏を確認したかったのだが前回のバリ旅行の時に既に亡くなっていることを聞き、さすがにその時は70年の月日を感じた。もっと長くバリに通えば小さな変動、風化や喪失といった負のイメージを受け止めてもっと別な感覚を得たかもしれない。ただこの時は70年前と本質的な変化がないように感じた。
 車はアユン川沿いの道を右折し、こんなところにホテルがあるのか、という狭い通りに入った。まもなく僕たちが今夜泊まるホテルに到着した。
 車を降りるとそこは昼の動物は既に寝静まり、虫の声に包まれ、時折夜の鳥の声が木霊し、全ての空気が山や渓谷に吸い込まれていくようだ。ホテル全体が暗くレセプションだけがほんのりと明るく風景全体が幻想的だった。チェックインを済ませ冷たいウェルカムドリンクを飲んだ。
 「バレービューの部屋を用意しました。今日はお客様を含めて三組だけです。」といわれた。バレービューは来る前にリクエストしていたが、テロの影響で宿泊客がたった三組では特にリクエストしなくてもバレービューだっただろう。
 「あさって」といって現地スタッフが帰っていった.その日は空腹に耐えられず、夜遅いにもかかわらずミーゴレンを注文し部屋で食事をとった。スタッフは「こんな遅くにですか?」と吃驚していたようだった。

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