2009/05/29

Colin McPhee

Colinmcphee

 久々のコリン・マクフィー(マックフィー)である。
 カナダ人音楽家のコリン・マクフィー(1900~1964)は1930年代にバリ島に移住しガムランを研究、「Music in Bali: a study in form and instrumental organization in Balinese orchestral music」という大著を残した。(まだまだ植民地主義な時代-当然本人も少々王様なわけで、かつ滞在した時期は欧米人によるバリ島のイメージがまさに完成する頃)そしてガムランに魅了された音楽家らしい作曲がいくつかある。
 さらにガムランとの戯れ/バリ人との交流を描いた滞在記「House in Bali(熱帯の旅人-バリ島音楽紀行)」は、70年を経過した現在も人気のある紀行文である。僕が初めてバリ島に行ったのはこの本がきっかけだし、バリに通う人たちにとってはヴァルター・シュピースやマーガレット・ミードらと並んで避けては通れない名前である。

 とはいってもバリ島もしくは音楽に興味の無い人には、なんてことはない人物なので、こんなニッチな市場のために本が一冊出版されているとはまったく気がつかなかった。
 で、その本が「魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代」という小沼純一著作の本。asahi.comの書評を引用すると「ガムラン音楽に魅せられ、1930年代にバリ島に渡ったカナダ出身の音楽家コリン・マクフィーの軌跡を追いつつ、音楽における越境について深く広く考察した書である。」だという。音楽における越境・・・
 小沼氏らしい独特な文章で、20代の若者にでもなった気分で読まないとちょっと混乱するけど、テーマは普遍的だし音楽の知識も必要なく読める。そこにニッチなマクフィーを中心においたという点がとても面白い。ただしギャンブルではなくて必然のコリン・マックフィーである。

 バリ島に行く準備として読み始めたんだけど、参考書としてマクフィーの「熱帯の旅人-バリ島音楽紀行」、東海晴美さん他の「踊る島バリ―聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち」、エイドリアンヴィッカーズの「演出された「楽園」―バリ島の光と影」を並行で読みながら、すっかり頭の中がバリ島になってきた。昨年は「もうそろそろバリもいいかな」なんて気分でバリに向かったんだけど、今年はもうすでにナシ・チャンプルが食べたくて仕方が無い。

「魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代」→amazon.co.jp

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2009/04/11

ソングライン/ホノカアボーイ

 横浜、塩竃と出張が2回続いたので本を2冊読んだ。

Songlines

 ひとつはブルース・チャトウィンのソングライン。めるくまーるのものが絶版になっていたが最近になって英治出版から新訳がでた。オーストラリアのアボリジニの文化であるドリーミングとソングラインを巡る事実を基にした小説、トラベローグでチャトウィンの代表作である。
 本の評判としてソングラインに放浪ということばを結びつけること自体がどうも気にくわなかったんだけど、読んでみるとチャトウィン自身はそこまでは浅はかではなく多少でも動いている(いた)ものにより惹かれるという感じだった。当然チャトウィンの文章は冴えていて彼の他の作品同様面白い。
 この本はアルカジーというアボリジニ擁護運動家と動き回る前半とカレンで3週間ほどストップする後半の曖昧な2部構成になっている。後半の意味深(でたぶん深い意味はあまり無い)にモーレスキンに書かれたアフリカメモを大量に並べて3週間の時空を作っているところなど前半からの突然のテンポの落としっぷりはちょっとガツンとくるところだ。そういえば「ウィダの総督」という短い彼の小説もその短さの中に大河小説並みの時空を作っていたところが凄かった。
 ちなみに2年前の横浜でコンビニに一緒にビールを調達に行く際に忽然と姿を消してしまった石川直樹氏が解説を書いている。知らなかったけどチャトウィンの後を追って色んなところを歩いてるんだね。

Honokaaboy

 塩竃往復の電車の中で吉田玲雄氏のホノカアボーイを読んだ。こちらは純粋なハワイ島紀行文。ちなみにこの本は半年ほど前に読み始めたらあまりの文章の優しさがかえって読みづらくて30ページほどで断念していた。あらためて読んでみて、文章自体はお世辞にも褒められたものではないけど、ホノカア体験が素晴しかったことはひしひしと伝わってきた。

「ソングライン」→amazon.co.jp
「ホノカアボーイ」→amazon.co.jp

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2009/03/07

エリサ出発

Erisas

 数年前に購入たまま読まずにいた本が何冊かあったので読むことにした。ということでNh.ディニの小説「エリサ出発」を読んだ。他にもプトゥ ウィジャヤのこれまたインドネシアを代表する小説「電報」があってこれも処理しないと。

 Nh.ディニは70年代前半からBahasa Indonesiaで小説を書くインドネシアを代表する女性作家。とはいっても邦訳されているのはこの「エリサ出発」以外に見たことがない。
 舞台となるのは50年代後半から60年代前半あたりのインドネシア。

 エリサという女性の1つの恋愛を中心としたストーリーだが、時代的にはスカルノの1945年憲法復帰やナショナリズムが沸騰し、前宗主国人であったオランダ人に対する圧力が激しくなっていた頃らしい。そのため多くのオランダ人やインドオ(オランダ人の血をひくインドネシア人)たちがオランダにむけて脱出していた事が小説の中に描かれている。またそのオランダへの出口がインドオである主人公の心の出口と重なっているところなど、時代的に中途半端な存在ゆえに葛藤を抱える主人公を通して当時のインドネシアが透けて見えるところが面白い。
 となんだか糞真面目そうなことになりそうだけど、今まで読んだインドネシアの作家、プラムディヤ・アナンタ・トゥールやモフタル・ルビスらの激重作品またはバリ島作家のカオス小説のようなものではない。女性作家らしいとても繊細な小説だった。

「エリサ出発 (現代アジアの女性作家秀作シリーズ) 」→amazon.co.jp

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2009/02/17

テロル

Lattentat

 ヤスミナ・カドラの小説「テロル」を読んだ。

 話はとんで、作家の村上春樹氏がエルサレム賞の受賞スピーチで語った「卵がぶつかって壊れるとき、どんなに壁が正しくても、どんなに卵が間違っていても、わたしは卵の側に立つ」、まさに「作家とは」である。ちょうどヤスミナ・カドラの小説を読み終えたばかりだったので強いインパクトを受けた。とても分かりやすくコンパクトにまとめたスピーチだった。

 話は戻って、この小説はテルアビブ在住ベドウィン族医師アーミンの妻が自爆テロを起こすという衝撃的な出だしで始まる。そしてアーミンは妻が自爆テロを起こしたその真相を探す旅に出るのだが、アラブ系でありながらイスラエルに帰化した人間そして医師という立場によって翻弄される。ヤスミナ・カドラ自身はアルジェリア出身フランス在住の作家ということでイスラエル/パレスチナに対して間接的な主人公を使ったのだろう。最後の舞台がジェニンというところや旧ベドウィンの牧歌的なシーンと自爆テロを抱き合わせにしたところがなんとも強烈だった。数年前にテレビなどでも自爆テロが頻繁にニュースに登場していた時代。もちろん壁も登場する。

「テロル(ハヤカワepiブック・プラネット) 」→amazon.co.jp

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2009/01/16

九龍塘の恋/ワールズ・エンド

Kowloontong_os

 ここ1週間で出張が2回(神奈川)あったので電車の中でポール・セローの本を2冊読んだ。1冊目(横浜)は短編集「ワールズ・エンド(世界の果て) 」。イギリスやらプエルト・リコやらアフリカのどこかやらドイツやらフランスやらを舞台にささやかな異国体験。ほとんどは外国に行ったことがある人ならなんとなく思い当たるような感覚を巧みに表現している。村上春樹氏が翻訳をしているということでちょっと躊躇したが、なんのことはなく中身はポール・セローだった。

 2冊目(小田原)は返還直前の香港を舞台にした長編サスペンス「九龍塘の恋」。香港には2回ほど旅行に行ったけど、2回目の香港旅行が返還直前の頃だった、ということもあって非常に気になる小説だった(11月に星野博美さんの「転がる香港に苔は生えない」を読んだばかりだったし)。ただ如何にも3泊4日程度のパック旅行らしく動いたので九龍地区は彌敦道(ネイザンロード)を中心に尖沙咀から旺角程度までしか歩いたことがない。ので九龍塘の恋の舞台になる九龍塘には行ったことがない。もうちょっと北東、九龍城の西にある高級住宅地なんだそうだ。
 とにかくこの小説に描かれる香港が、これまた今まで収集してきた返還前後視点集とはまた微妙に異なるところが収穫だった。

 ところでポール・セローの本は以前にも「ポール・セローの大地中海旅行」、ピーター・ウィアー監督ハリソン・ フォード, リバー・フェニックス主演で映画にもなった「モスキート・コースト」それにブルース チャトウィンとの共著「パタゴニアふたたび」を読んだんだけど、今回の2冊を加えてますます彼の他の本が読みたくなった。とは言ってもよく言われるようにポール・セローの小説はたいがい結末が無いまたは後味の悪い結末といったカンジで、ハッピーエンドにしろ悲劇的にしろ整理がついた結末を望んでいる人には向いていないとの事。なのでオススメしたいがオススメはとりあえずしないです。

 全然関係ないけど小説を読んでてちょっと混乱してしまって少しの間、先に進めなくなったところがあった。それが「九龍塘の恋」の中で主人公(香港生まれのイギリス人)と中国人(大陸の人)が九龍の龍の読みについて話しているところで、普通話では「ロン」と読み広東語では「ルーン」と読む、なので九龍塘は広東語では「カオルーントン」と読むというところ。これが僕の頭の中の記憶、つまりおきまりの広東語は「ガウロンGau2lung4」、英語は「カオルーン、カオルンKowloon」、北京語では「ヂウロン、チュゥロン」に余計な混乱を与えてしまった。
 ということでちょっとwebで検索すると、GaやJiは無気音ってことで濁音ではないんだけど濁音のように聞こえる人もいる-という難しい話。ということで広東語を聞いた場合、白人にはKowloonに聞こえるというのは分かるとして、少しゆとりを持って考えると昔の日本人はもしかすると評判の悪い「クーロン」に聞こえたのかもしれない。で結局ガウロンの発音が難しい人はカオルーンがいいんじゃないかということで読書も先に進めることが出来た。なんか最近はつまんない事が気になって仕方が無い。弱ったかな。

「九龍塘の恋」→amazon.co.jp

「ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)」→amazon.co.jp

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2008/11/07

謝々!チャイニーズ/転がる香港に苔は生えない

Hoshinohon1

 久しぶりに紀行文を読んだ。それもちょっと古い。星野博美著「謝々!チャイニーズ」→amazon.co.jpと「転がる香港に苔は生えない」→amazon.co.jpはそれぞれ93~94年の華南、返還前後の香港と10年以上前の中国を舞台にしている。この頃からはだいぶ変化しているだろう中国だが、この2つのノンフィクションは新鮮さを失うどころか混沌としたもっとも興味深い時代を背景に、僕がイメージする中国人像にもっとも近い中国人を映し出していた。

 僕は概ね日本でウケる紀行文と紀行文学大国イギリスおよび一部米国の紀行文学は180度趣きが異なると感じている。僕は所謂自分探しモノはちょっと苦手で-これは結果がなんとなく似通ってしまいがちなところにあると思う-どうしても通しで描写力に優れた英米トラベローグを選んでしまう。
 その点この2つの紀行文の重心は完全に人間の描写にあって、風景でさえも人間で描いているところがたまらない。そこに中央線の香りに近いしょっぱい何かが漂っているところが愛嬌。香港以外の中国に行った事のない僕が言うのも何だけど初めてまともな中国本を読んだ気がした。旅に共感するとかそんな些細なことは全く考えずに、描かれた人達を楽しむことに手応えがあった。

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 今日は仙台からの帰りの電車が小動物と激突。3時間半も「スーパーひたち」に乗ることになるのは想定外で車内にてiPhoneで書いてみました。しかし小動物って何だろう。車両がゴーンと跳ねて如何にもヒキマシタって感じで結構衝撃は大きかった。それにしても電車の中で書くのはこれが限界です。ケータイでひっきりなしにメール打ったり、PCで仕事してる人たちは凄いですね。

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2007/11/30

ガラスの家

Garasunoies

 現代インドネシア文学の傑作、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの「ブル島4部作」の最終巻「ガラスの家」を読んだ。プラムディヤは2006年の4月に既に亡くなってしまったが、第3巻である「足跡」が1998年に翻訳出版されて以来、続く「ガラスの家」はいつになっても出てこなかった。2007年8月に待望の「ガラスの家」が「めこん」から出版された。

 この本を読むにあたっては現在のインドネシアの原型が形成されるオランダ植民地時代後半からの歴史を簡単でもいいから知っていると良いと思う。ということで簡単に並べてみる。こうやって並べてみると、なんて絵に描いたような歴史なんだろうと考えてしまう。

オランダによる強制栽培制度の導入&植民地化(オランダ領東インド)
ナショナリズム運動の拡大
ドイツ国占領下によるオランダの弱体化
日本軍の侵攻及び軍政支配~第二次世界大戦日本軍降伏
スカルノらによるインドネシア独立宣言~イギリス軍&オランダ軍の最介入介入~独立戦争~独立
マレーシア対決政策による国際社会からの孤立、経済政策の失敗
9月30日事件(軍事クーデターの失敗、スハルトによる共産党勢力の掃討、インドネシア共産党の壊滅)~スカルノの失脚
スハルトへの大統領権限の委譲~開発主義(開発独裁)政権、東ティモールの軍事併合
アジア通貨危機、民主運動~暴動、スハルトの失脚
スハルト政治の清算と民主化への流れ、東ティモールの独立
初の国民直接投票による大統領選挙(2004年)

 そういえば2004年にバリ島へ行った時にバリ人M氏に午後の観光案内をお願いしたところ、丁度この選挙の投票日で投票に行く都合上、観光は午前中に強制されたんだっけ。彼はスシロ・バンバン・ユドヨノに入れたのかメガワティに入れたのかとにかく選挙熱は凄かったのだ(脱線)。

 「ブル島4部作」の舞台はナショナリズム運動の拡大~ドイツ国占領下によるオランダの弱体化の時期にあたる。主人公ラデン・マス・ミンケは当時「サレカット・イスラム(イスラム同盟)」を結成したプリブミ(非華人系原住民)のジャーナリスト、ラデン・マス・ティルトアディスルヨをモデルにしている。その他の登場人物も実在の人物をモデルにしたものが多く、フィクションとノンフィクション、メロドラマ(主人公は女たらしである)とナショナリズムが交錯する中にスハルト時代を思わせるいくつかの仕掛けが組み込まれ、単純な大河小説とは味わいが異なる。

 実際にプラムディヤは9月30日事件の直後に共産党員ではないにもかかわらず政治犯としてブル島へ10年間流刑された。そのブル島で書かれた大河小説がこの「ブル島4部作」であり、出版された4部作全てがインドネシア内では発禁処分となり、読んだ者まで逮捕されるという事態となった。
 反して国外に持ち出されたこれらの本は多くの国々で翻訳されプラムディヤの作品は世界的な評価を受けることになった。

 最後の「ガラスの家」はこれまでの主人公ミンケの語りから一転して、ミンケらナショナリストを弾圧、コントロールする側であるプリブミの官僚パンゲマナンの口から語られる。
 また「人間の大地」から読み返さなきゃいけない。

「人間の大地 上 (プラムディヤ選集 2)」→amazon.co.jp
「人間の大地 下 (プラムディヤ選集 3) 」→amazon.co.jp
「すべての民族の子 上 (プラムディヤ選集 4)」→amazon.co.jp
「すべての民族の子 下 (プラムディヤ選集 5)」→amazon.co.jp
「足跡 (プラムディヤ選集 6)」→amazon.co.jp
「ガラスの家 (プラムディヤ選集 7)」→amazon.co.jp

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2007/09/18

グアムと日本人

Guamjps

 山口誠著「グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園」→amazon.co.jpを読んだ。新書のスケールとしては良書ではないかと思う。失礼ながら著者の若さを考えてもコンパクトにまとまっている。もちろんミクロネシア好きが喜ぶような余計なことは一切書かれていないが、日本人として最低限知らなければならないグアムのことは書かれている。この程度のボリュームがそのままグアムの観光ガイドとしてガイドブックに入っているのが本来の姿だろう。新書自体がガイドブックのようなものだし。

 話が飛ぶけど「日本兵の遺骨見せ物に トラック環礁」ってさぁ。

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2007/07/27

おしりに口づけを

Epelihauofa

 サモアのアルバート ウェントにつづいてトンガの作家エペリ・ハウオファの小説「おしりに口づけを(岩波書店)」→amazon.co.jpを読んだ。

 南太平洋の架空の島国ティポタを舞台に痔を患った地元の名士オイレイ・ボムボキが治療の為に民間療法を渡り歩く。風刺文学でウェントの作品のようにキリッとした文学作品ではないけど中身は実に南太平洋的。あのあたりが好きな人にはティポタの住民のとぼけた脳みそと話のテンポがたまらないだろう。
 しかしもう少しこの地域の小説を読みたいんだけどもう無いってくらいに翻訳されてないんだなぁ。

 日曜日は例の007ホクレア号日本航海プロジェクト記念シンポジウムに行くつもりなんだけど天気がイマイチらしい。早起きしなくちゃならないのが辛いです。以前紹介した時から少し内容が追加されてます。周りに飯を食えるところが無いっていうし、よく知らないけど喫煙なんて大丈夫?

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2007/07/12

自由の樹のオオコウモリ

Albert_wendts

 ニュージーランド在住サモア出身の作家アルバート ウェントの中短編集「自由の樹のオオコウモリ―アルバート・ウェント作品集(日本経済新聞社)」→amazon.co.jpを読んだ。

 アルバート・ウェントは太平洋文学の第一人者であり南太平洋に文学の基礎を築いた。物語は全て西サモアのヴァイペ(架空の場所?)を中心に進行し、サモアの常識道徳概念と植民地支配によるねじれを様々な人物の物語を通して語る。何故か可愛らしい絵のカバーと、物語に現れる太平洋諸島に平均的な下品で暴力的な描写のギャップも日本の太平洋観を現してるような。

 ところで僕は英語が読めないのであまり関係ないのだけど、彼の作品は全て英語で書かれている。ピジンで構成した短編も2つあり日本語では面白さが伝わらないのが残念。
 とにかく太平洋諸国で広く読んでもらうために共通に通じる言語としての英語選択なんだそうだ。今読んでるタイランドのラッタウット・ラープチャルーンサップの短編集も原作は英語なんだそうだがタイの生活を描きながらも最初のターゲットは欧米。母国語を選択しない理由もいくつかあるもんだ。

 しかし太平洋文学という分野はかなり興味は惹かれるけどアルバート・ウェントはこれ1冊しか翻訳されてない。最近のカヌー来訪の日本人の反応と同じような切なさ。しかたがないのでトンガのエペリ・ハウオファの小説も注文。

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