2006/05/06

萱野茂さん

 萱野茂さんが亡くなった。この人の著書を読んで名前だけではないアイヌを知ったときから先住民に対するイメージが変わったんだと思う。blogを始める時も片隅にあった。
 インドネシアのプラムディヤ・アナンタ・トゥールといい、短い間に連続しちゃったな。
 ご冥福をお祈りいたします。

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2005/09/04

ハリケーン・カトリーナ

 今回のハリケーン・カトリーナによる災害を見て、被災した米国人を窮地から救おうなんて考えた事あるかな?スマトラの時は募金活動とか盛り上がったけど、ちょっと米国人となるとクールでニュースを見ているだけになってしまう。米軍がどうとか考える前に、やっぱりやばいよ何が出来るか考えなくっちゃ。被災した黒人貧困層に至っては長期的に絶望だろう。

 と思っていたら寺田直子さんのblogに「ニューオリンズが今、必要なもの」という記事が。参照下さい。

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 あまりこの手の記事を追いかけないけど、「富裕層にはマイノリティが沢山いるって知ってます?」など、被災とはあまり関係ない面白いことを書く人が結構いるのは相変わらずだね。

 ちなみに今回はスマトラ沖地震で甚大な被害を受けたインドネシアやタイ、さらにアフリカ諸国が支援を表明している。米国はこれを受け入れざるをえない状況。

 なんだか僕もイヤミな言い方してるな。

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2005/08/08

遠くにありて にっぽん人

 8月24日のNHK BS2の「遠くにありて にっぽん人」で篠遠喜彦教授が出演する「楽園の考古学者~ポリネシア 篠遠喜彦」が放送されます。1月に放送されたものの再放送です。

 ちなみに僕の家にはBSアンテナが設置してあるもののTVまで届いておりません。工事をすればいいのですが数年間放置状態です。観れるかな?

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放送日時:8月24日(水) 
     午前5:00~午前5:59
 
内 容:
熱帯考古学者の篠遠喜彦教授のルポルタージュ。マラエの発掘作業など彼のタヒチでの活動や楽園ポリネシアの風土、現地の人々との交流を描きます。

タヒチ観光局より(http://www.tahiti-tourisme.jp/SITE1PUB/sun/13/news/report73.html?t=1122131878089

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2004/12/27

時速700km

 アチェ沖の地震のマグニチュード9というのは阪神大震災のマグニチュード7.3の360倍の規模だとasahi.comにあった(産総研では阪神大震災をマグニチュード6.9として1400倍)。ニュースで流れる津波の映像。自分のことを考えると--アジアのビーチにぼんやり突っ立っていることは容易に想像できるから、これにはかなりぞっとした。現在も情報が錯綜して被害状況が拡大するばかり。最悪の結果。あんな気候の良いところにいたら津波のことなんて全然思いつかない。巻き込まれた人たちにとっては本当に瞬間的なことだっただろう。

 津波と聞いて最初に考えたことは、津波の到達時間と被災地の防災対策だったので、それに関する記事。

時速700キロのジェット機並み…産総研が津波再現(YOMIURI ON-LINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041227i504.htm

 産総研が津波の画像を再現した(アクセスが集中してるのか重くて中々見れない)。津波は東西に分かれ時速700Kmでインド洋を伝わりスマトラ島北部に30分以内、東のプーケットには約2時間後、西のモルディブには約3時間半後に到達した。

クローズアップ2004:スマトラ沖地震 津波生む「海溝型」(MSN-Mainichi INTERACTIVE)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20041227ddm002040117000c.html

警報システムあれば…米当局者、観測態勢の不備指摘(YOMIURI ON-LINE)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041227id06.htm

 防災対策の遅れは大きい。台風に向って移動しなければならない最近の仕事柄、これに関しては結構敏感になってしまう。

 今後のこと。

国連、伝染病の危険を警告 津波被災地域に(CNN.co.jp)
http://cnn.co.jp/world/CNN200412270006.html

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2004/11/25

28日はウルル登山禁止です

 アボリジニの長老が亡くなり、オーストラリアのウルル(エアーズ・ロックのエアーズは植民地総督の名前が由来)が11月28日の1日だけ登山禁止となるそうです。自分たちの文化ではないからよけいなお世話でしょうが、登ってほしくない人たちの文化的な主張にこたえて個人的にはウルルは普段から登山禁止で良いように思えます。お金があればロンギチュード131°あたりに泊まってウルルを遠くから眺めると言うのはどうでしょう。

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2004/06/17

再会はバリ島で

「曽我さん:家族3人との再会場所、バリ島で最終調整 政府」→MSN-Mainichi INTERACTIVE

 曽我さんは「静かな環境の中で、時間をかけて話し合いたい意向」(政府筋)で、再会場所で2人の娘を含む家族と一定期間生活する希望を明らかにしている。

だとすればバリ島で再会はいいかもしれないですね。

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2004/05/26

シャルル・ドゴール空港崩壊と関空

photo95.jpg
 今頃のCDG事故絡みの件。シャルル・ドゴール空港の新しいターミナルの屋根が崩れ落ちて、何人かの死傷者が出たというニュース、その崩れ落ちたところが関西国際空港のターミナルに似てるなあ、と思ったところで「仏空港の崩壊事故、設計は有名建築家 関空の構想も担当」→asahi.com

 この有名建築家というポール・アンドリューは同じシャルル・ドゴール空港のあのやたら長いパイプ上のエスカレーターがあるターミナル1を設計した人。僕もパリへ行ったときにはお世話になりました(シャルル・ドゴール空港を利用する人は皆お世話になるでしょうけど)。記事には関空の構想も担当とあったので、あれってレンゾ・ピアノじゃないの?と思い出し、似てるとはいっても関空は”基本構想だけ”なんだよねと少し安心する。それにしてもレンゾ・ピアノ設計のポンピドー・センターにも似たようなエスカレーターが付いてるし紛らわしい。(余談だけどレンゾ・ピアノといったらパリのリュ・ドゥ・モ集合住宅がいい感じ)

 仕事で関空の建設現場に何ヶ月も通っていた時があった。工事現場の方々とラジオ体操をしながら仕事に励み、最初は、だだっ広いところにどうなるのか想像もつかない骨組みだけ(僕が作業をするANAが発着するあたりの建屋は出来ていた)があり、特設トイレがピカピカのトイレに変わる頃、空港版ポンピドー・センターが姿をみせた。誰もいない空港っていうのが気分が良くて、休み時間には滑走路を走り回ったりした。

 その後、空港が完成した後もしばらく仕事が続いた。羽田から旅客機に乗り、直接作業場所である関空へ入るというなんとなく贅沢仕様。おかげでその仕事だけで旅客機には100回以上乗った。
 阪神淡路大地震が発生した直後に関空に行った。僕がいつものように仕事場に入ろうと大きな鉄のドアを開けようとするとドアが開かない。地震で開かなくなったらしい。
 そこでいつもチェックしている大きな柱を見てみる。関空は空港島の沈下に対応するため建物全体をジャッキアップする構造になっている。僕がチェックした柱はそのジャッキの役割をする柱だった。で僕は面白がって柱が伸びたり縮んだりするのが分かるように鉛筆で線を軽くひいていた。
 そして線をチェックしてみると柱が数センチ縮んでいるのが分かった。これでは天井がドアより低い位置に来てしまいドアが開かなくなるわけである。物凄い力が島全体にはたらいたらしい。その時の情報ではターミナルの最上階では深度7を記録したらしい。おかげでこのドアが開くまでの数日間仕事が出来なかった。

 ということで関空、これだけの地震に耐えたのだからシャルル・ドゴール空港のようにはならないよね。今だに関空利用率が高い僕は祈ります。

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2004/03/12

マドリードで列車爆破テロ

スペイン列車テロ(ニュース特集)→asahi.com

(南国とは関係ないニュースですが)

 すでに多数のサイトで取り上げられてると思うが・・・僕が過去に行った数少ないヨーロッパで特に気に入っている都市がマドリード(スペイン)とアテネ(ギリシャ)だったので。

 爆破テロのアトーチャ駅は南方面からの帰りに利用したけど、19世紀の終わり頃にモネオのデザインで建てられたなかなか素晴らしい駅だったことを記憶している。

続きを読む "マドリードで列車爆破テロ"

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2004/03/01

ビキニ環礁水爆実験50周年式典

苦難今も 水爆実験から半世紀、マーシャル諸島で式典→asahi.com

前回の話が話だったので(「ナージャの村、東海村」→本サイト内)まるで続きのよう。
今日がそんな日だって↑を見るまで分からなかった。
50年前のこの日、常夏のロンゲラップ島に雪が降り、この死の雪で子供たちは遊んだ。
こんなに経っていたんだ。しかし50年とは半減期にもほど遠い。

そして同日、何か因縁づているわけではないだろうが・・・

被爆病理学の第一人者、元名大学長の飯島宗一さん死去→asahi.com

原爆症について偉大な功績を残した方。

最近読んだミクロネシア関係の本で同実験に関する記述のあるものを、
オリヴァー サックス著「色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記(早川書房)」)→amazon.co.jpでは、米国側からのルートでミクロネシアを訪れるけど、途中でこの恐怖に少し触れるシーンがある。アメリカ人の反応にしては真っ当なほうだと思う。
大野 俊著「観光コースでないグアム・サイパン(高文研)」)→amazon.co.jp、(シリーズものらしいタイトルだけど)マーシャル諸島での同実験の後遺症に関してとても易しく解説している。

僕は原子力について完全否はしないが、米国に対するミクロネシアそして東京に対する東海村はどうかなと思う。

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