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2006/10/30

ひさしぶり

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 風邪もかなり回復して久しぶりに自転車に乗りました。板室温泉ツアー(往復200km、1泊)のお見送りで往復80km。ここ1ヶ月は風邪でトータル3kmしか乗ってなかったので、ジーンズにTシャツでの80kmはなかなかこたえました。
 そういうことでこちらも久しぶりに自転車を洗いました。いくつかのネジがうっとうしく錆びてました。先週は随分とうらぶれてたなあ。

 ところで今回のライドで初めてカーボンリムのホイール(たぶんMAVIC COSMIC CARBONEなんとか)をつけたロードバイクにちょっと跨らせていただきましたが、乗っただけで壊れそうで怖かった。とにかく自転車が軽くて、同じ体力でも僕の自転車の倍の距離は走れそう。

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 TSUTAYAでビデオ借りたらギネスをおまけにくれたけど、マニュアルどおりにやったのにうまく泡が立たないよ。下手だな。

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2006/10/25

風邪のため南の島妄想

 職場は何回か変えたけど現在の職業に就いてかれこれ20年以上が経った。就職したばかりの頃はまったく成熟してない情報産業ということで忙しいばかり、僕のようにちょっと阿呆でも就職できて、そのかわりまわりにはヒッピーみたいな連中ばかりだった。たしか当時は秒進分歩の技術向上に対して、過酷な職場環境から開放されていることを期待していた。
 現実は技術の進歩以上に扱う情報量が増え、その上古い技術は容赦なく捨てられることとなり、それら変化に対応する柔軟性も必要になった。僕は以前から各人が机から離れないで作業が完了する環境を非常に心配していたけど、案の定ダメパーソナルな環境に侵食され続けている。ツールの性能向上も使い手次第ではアダとなって共有性を希薄にして、見えない一人仕事が増大する。そして現在はそれらの環境が一般家庭や学校にも浸透して、そればかりが原因ではないとは思うけど、結果的に最新の技術を持ちながらもコミュニケーション能力の著しく低い人材を増やしていることが、この業界での大きな問題のひとつになっている。
 そんな中でさらにこの年齢差別後進社会では、比較的新しいこの産業においてシニア層を生かす機能が働かず、また見えない一人仕事は作業を全て個人が負担することとなりコミュニケーション能力の乏しい技術者のストレスを増大させている。近年それらに押しつぶされて誰にも助けを求められず病院送りになってる人間を頻繁に見るようになった。

 困ったことに、こういった類のことを考えてる夢をよく見るようになった。正確に言えばそんなスタッフばかりに囲まれて、僕はそれをやりこなせるのかというアドベンチャーである。家族いわく僕の寝言は仕事の寝言ばかりだそう。とりあえず現実に先週も一人病院送りの長期休暇となった。
 僕は比較的ストレスを溜め込まない性格らしい(「ストレスないよねえ」とよく言われる)ので精神的には丈夫なんだけど、最近は珍しく業務内容の変化に悩んでいる。最近の激務で体力も弱っていたけど、悩み始めたら風邪もひいたしこれまた長引いている。いつが最後だったか久々にプレッシャーを受けてるのかもしれない。跳ね返すための作戦が必要になってきた。だが作戦を練るためには南の島に行く必要がある。旅行は決定したけど、そのパラオまで耐えられるのだろうか。だからそれまでの期間は南の島を妄想することにした。

 旅行が決定すると何でもいいから目にした南の島本を読む。今回は以前読んだ本を何冊か読み直すことにした。読み直すなら、南の島が好きになったのも6年前のタヒチ旅行がきっかけだったわけだから、タヒチ旅行にあわせて読んだ片山一道氏の「ポリネシア 海と空のはざまで」にした。
 その本は、著者としてはたぶんポリネシア入門という感じで、今読むとその多くがミクロネシアやメラネシアなどに共通していて低い天井にすぐ頭をぶつけるフラストレーションがあるんだけど、ポリネシアについて何も知らない当時としては、驚くことが多かったと同時に納得することが多かった。それにこういうところで展開される社会学が仕事のグループ運営に役立つことも多い、なんて事は今は考えないようにしよう。時々「低い島式運営方法」とか考えてるから通じない。なんか混乱してるな。
 読んでるうちに、ボラボラ島で見た、大量のゴミ焼却で立ち上る大量の黒煙と海の青さのコントラストとタヒチ人の陽気さとそのフランス人嫌いと中国人の焼くバゲットとホテルで毎日配られるタヒチの神話小冊子と腑に落ちないカヌーブレックファーストとリーフに打ち寄せて激しく砕ける波と小さな島ならではのハッピーでフレンドリーで素晴らしい日本人観光客たちを思い出し妄想モードに入った。
 そういうわけで風邪が長引いて頭がちょっと発酵してるようだけど少しずつ立ち直るようにがんばろう。南の島に行くって事がさらに社会復帰を遅らせると考えてる人もいるんだろうけど、南の島に行ってテレビがないことに不安なまま日本に戻る人は大丈夫だと思う。テレビで007放映してるといいな。

片山一道(著) 「ポリネシア 海と空のはざまで」

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2006/10/18

危機のコスモロジー

 最近、パプアニューギニアやトンガ沖でマグニチュード6を超える地震が発生したと思ったらサモア沖でも地震が発生して、またしてもトンガ沖で地震が発生してバヌアツでも地震が発生して、今度はハワイで例の地震が発生してまたもパプアニューギニア沖で地震が発生した。ハワイの地震はマグマによる地殻変動が原因らしく100年に1回程度の規模とのことで他の地域とは関係なさそうだが、どうも太平洋諸島が揺ら揺らしている。誰かがタブーを犯したのだろうか。

 最近、石森秀三氏の「危機のコスモロジー―ミクロネシアの神々と人間」を読んだ。当時の国立民族学博物館助手であった石森秀三氏、須藤健一氏、秋道智彌氏の3人は1978年から1980年にかけてミクロネシア連邦ヤップ州のサタワル島でフィールドワークを行った。秋道氏が「人間と自然」、須藤氏が「人間と人間」、石森氏が「人間と超自然」を扱った。本書はその時の調査をもとに書かれたものだ。
 石森氏は、戦前にパラオ諸島やサタワル島に渡って本業の芸術活動のみならず貴重な民族誌を書き残した土方久功氏の活動を尊敬しており、サタワル島での作業も土方氏を引き継ぐものとして行っている。

 僕はミクロネシアが好きといっても家族旅行レベルの話で、ちょっと航海カヌーがカッコいいと思ってるくらいの人間である。そして民俗学だの何とか学だの、ちっとも脳みそに入らない。でもこんな本を読んでるのはハワイから航海カヌー「ホクレア号」が来るかもしれないからだ。

 なんといってもこの本の特別なところは、サタワル島の秘密の知識体系「ロン」について一般書籍で扱えるぎりぎりまで書かれている点である。書かれていないのは(書けないのは、が正しいのかな)呪文や個々の技術詳細と最後まで教えてもらえなかった「悪いロン」についてだけだろう。石森氏はこの「ロン」を調べるにあたりエウィヨン翁という一人の高齢のサウ・ロン(知識人)に師事し「ロン」を習得した。若者がロンを教わりに来なくなったことを嘆いていたエウィヨン翁は石森氏が記録として残すこと知り協力的に「ロン」を伝授した。サタワル島ではサウ・ロンは死を悟るとロンを後継者に教えるというが、石森氏が日本に戻ってまもなくエウィヨン翁は危篤状態となった。

 その「ロン」の中でもかなりの比重を占めているのが航海などのカヌーに関するロンである。キリスト教によってかなりの「ロン」が駆逐されてしまったが、伝統技術の積み重ねである面が大きい航海カヌーに関しては現在も生きており、基本的には伝統的伝授が行われている。

 そういうわけで学者さんなのでコスモス論を本に展開する必要があるわけで紀行文のようには行きませんが、秋道氏などの著作同様、興味のある方は読んでみてください。(古本しかないかな)

石森 秀三 (著) 「危機のコスモロジー―ミクロネシアの神々と人間」

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2006/10/16

フラガール

 映画「フラガール」を観にいった。

 とにかく最後のタヒチアンダンスのシーンがとても迫力があって良かった。
 それに炭鉱住宅のオープンセットも良くできていた。舞台となる常磐炭鉱のあったいわき市と、僕の住む日立市も似たようなところで、こっちは銅山だが日立製作所が登場するまで日立鉱山に支えられた町である。やはり僕の親戚のほとんどは鉱山関係の仕事をしていた。閉山が決まると叔父さんたちはアフリカや東南アジアに飛んで行った。
 だから日立市民には映画の風景はとても馴染みのあるもので、地方の映画館としては珍しく賑わっていた。そしてそのほとんどがやはりご年配の方で埋められていた。みなさん手ぬるい福島弁に失笑しながらも、この茨城県北部からもほど近い、40年以上前の常磐ハワイセンター誕生物語(正確にはフラガール誕生物語)に3回ほど涙を浮かべていた。

 感動のシーンの一つが駅のホームで展開するが、これが那珂湊駅で撮影されたらしい。たしかに僕が子供の頃の常磐線の駅はこんな感じだった。冬になると車掌が湯たんぽを配ってくれた。他にも茨城県北部~福島県いわき市でのロケはいくつかあって(炭鉱住宅の撮影は北茨城市中郷で撮影された)、これは東京に住んでる方にはなんてことないだろうけど、田舎町ではちょっとした事件のようなものだ。僕の婆さんも50年ほど前に銅山で行われた石原裕次郎のロケの日を娘のように語っているし。

 パンフレットを眺めていたら常磐ハワイアンセンターの年表があって「ルアウ大食堂」がオープンとあった。「ルアウ」で「大食堂」だからその風景を考えただけでも恐ろしい。「お客様。14番ルアウへどうぞ~」とかやってたのだろう。

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2006/10/11

星の航海術をもとめて その2

 「星の航海術をもとめて」を読了しました。その後、悪性の風邪でダウンしてます。

 1976年のホクレア号によるハワイ-タヒチ間の航海の成功は、単なる学術的な検証に留まらず「エディ・ウッド・ゴー!!」にも描かれているようにハワイアン・ルネッサンスをさらに加速させることになりました。この航海はミクロネシアのサタワル島から航法師マウ・ピアイルック(ピアイルグ)を呼び、マウイ島北端から西に航路をとるルートを選択して出発しました。
 しかしラナイ島とマウイ島の間には古代チャントでタヒチへのルートとして歌われるケアライカヒキ(タヒチへの道)海峡があり、1977年にはケアライカヒキ海峡からタヒチへの航路にのせるためのケアライカヒキ・プロジェクトを実施します。
 この本の著者であるウィル・クセルク氏(「エディ・ウッド・ゴー!!」の中ではキセルカ博士と訳されている方です)はそのケアライカヒキ・プロジェクトの頃に、プラネタリウムに通うナイノア・トンプソン氏に対して天文学のバックアップを行い、1980年の2度目のハワイ-タヒチ間の航海では伴走船イシュカに乗ってホクレア号の航海を見守った方です。

 この本はその1977年から1980年のホクレア号をクセルク氏の目を通して描かれたもので、読んでみると一般書としては類が無いほどのデータ量であることに驚かされます。たぶん英語が堪能な方でも原書を読みきるのはかなり辛い本なのではないかと推測できます。
 しかし読んで分かるように、この本はそのデータを見せることに主眼を置いているわけではないようです。現代社会の中で度々体験する大量のメソッドとの遭遇と気が遠くなる選択を経て、現代社会で暮らす僕たちにはとてつもなく難解なミクロネシアの伝統航法にどうやって近づき、新しいハワイの伝統航法を構築するのか。ナイノア、マウ、クセルク博士3人によるエキサイティングな挑戦が描かれています。読み進むにつれて頭の中の重い物が徐々に取り除かれていく感覚があります。

 僕は長い間スターナビゲーションという言葉はロマンチックな響きこそあっても、航法の一面を表しているに過ぎないと感じていました。ブルース・チャトウィンの「ソングライン」で感じたロマンチックな希望的間違いと同様に違和感がありました。
 しかしこの本では実に簡潔にウェイファインディングとランドファインディングという言葉で解決してます。道を探して陸を探すのです。自分の位置を確認しながら航海する近代航法と差別する上でもスターナビゲーション以上にぴったりの言葉だと思います。そしてナビゲーターは船上では常に危機管理状態にあり、そのための人間形成も非常に重要なトレーニングの一つです。現代ハワイ人初のナビゲーターであるナイノア・トンプソン氏はその努力によって短い数年間でこれらを習得し、新しいハワイの伝統航海術を発進させたわけです。
 ホクレア号が伝統的な天然素材で作られていないことがホクレア号の存在意義を否定できないように、この現代ハワイ独自の航海術は既に古典となってナイノア・トンプソン氏に続くナビゲーターを数多く輩出することになります。

 さて本書はホクレア号の中心を貫いてる点で、これが読めると言う事は今までの概要やサイドストーリーで埋めていった時とは既に違った感があります。しかしこれはホクレア号の航海の中では第1部について書かれているものです。この次にはハワイだけに限ってもホクレア号によるポリネシア巡礼やマカリイなどに代表される新たな航海カヌーの建造があり、それらは第1部と同様にエキサイティングなものです。しかし第2部以降に触れた情報は非常に限られています。その段階があって、少し心配な情報も含め来春ホクレア号が日本に来る可能性に至るわけです。それを忘れないようにしたいと思います。

 ところで訳者の加藤氏は、注釈についてただならぬものを持っているはずだと勝手に想像しながら読み始めましたが、「マスタング」に注釈がついているのにはやられました。全体的に通常の注釈に留まらずエリアを押し広げた注釈を付けていることに関心しました。

必読ですね。

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2006/10/06

エディ・ウッド・ゴー!!

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 エディ・アイカウの伝記である。伝記としての面白さは誰にでも勧められる出来栄えで、翻訳も柔らかく読みやすい。

 読み終えてエディ・アイカウは今の日本人サーファーにとってどんな存在なんだろうと考えた。僕の知ってるサーファーは皆とても良い人間ばかりだ。ただサーファーでない僕に対しては、サーフィンの事となると非常に寡黙である。何故サーフィンをやっているのかもサーフィンの素晴らしさも教えるのが少々面倒くさそうなのだ。とりあえず僕には考えもつかない方法「まずやってみろ」と言う。
 そして残念ながらエディ・アイカウを知らないサーファーも多い。だからサーファーからサーフィン文化について聞いた記憶が無い。たしかにポップス界でいうザ・ビートルズのような小学生でも語れる簡単な存在ではない。ただ話さないということは、他のスポーツ、芸術と比べても文化に対して失礼な気がして時々不安になるのである。まるでサーフィン文化は人間の手から離れてビーチに程近い波の上にだけ漂ってるかのようだ。実際にはその先何千キロにも渡って海は広がっているというのに。

 エディ・アイカウを知ってる人であれば、彼が60年代から70年代を代表するビッグウェイヴライダーで、何千人もの命を救ったライフガードで、優れたアマチュアミュージシャンで、ホクレア号転覆の際にサーフボードで救援を求めに行って行方不明となってしまった事を知っている。
 ただこれらの実話以上に僕を魅了するのは、彼の中から発せられるハワイなのである。僕はハワイ文化にとても興味はあるがハワイが特別なわけではない。ただ彼をフィルターしながら観るハワイは非常に魅力的で、旅番組やガイドブックなどで観る観光地ハワイとは明らかに違うハワイを感じるのである。実際にアイカウファミリーの生活はまさしくハワイアンファミリーそのものでハワイの中でも一目置かれた存在だった。そしてエディの生涯がハワイアン・ルネッサンスの時期と重なっていることで、この本は彼個人の人生のみならずハワイ文化を感じ取れる素晴らしいテキストにもなっている。
 これを読んでいると彼が最後にホクレア号に係わっていくところでは不謹慎な言い方をすれば狂気を感じる。これを読めば人間も自然も共に厳しく、それらを潜り抜けてくるホクレア号に対する認識も少々変わるかもしれない。

 最初に戻ると、しかし最近はちょっとチャンスがある。今は80年代には有り得ないくらいにロングボードがブームのようなのだ。ショートと比較する気持ちはないがロングボードはエディ・アイカウ以前の文化にアクセスしやすい。エディ・アイカウを僕のような陸の人間に持っていかれる前にサーフィンを楽しむ人たちもこの本を読んでほしい。サーファー達をただお洒落なフレームに押し込めて部数を稼ぐどこかのサーフィン雑誌ではなく、追悼式の雨を文字にしたこの本を読んでほしい。来春日本に来るホクレア号を迎える場所にハワイを理解したサーファーがいることは重要だと思う。

 それにしてもエディ・アイカウもナイノア・トンプソンもハンサムなんだよねえ。

エディ・ウッド・ゴー!!―ハワイの海に消えた永遠の英雄伝説「エディ・アイカウ物語」 スチュアート・ホルムス コールマン (著) George Nawa (翻訳)

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2006/10/02

自転車泥棒

 約一ヶ月ぶりに自転車に乗った。一ヶ月も自転車をほったらかしにしたおかげでブレーキまわりのネジやチェーンに錆が出ていた。とりあえず洗って注油してタイヤに空気を詰め込んで出発した。とはいっても1km先の近所の本屋である。
 久々に乗ると、以前は楽々こいでいた重めのギアがまったく回らない。ずいぶん体力が落ちたもんだ。リアを重くすると自転車からシャーッと音がする。チェーンがフロントディレイラーを擦っている。そういえば8月にショップで直してもらう予定だった(自分で直せないビギナーです)。

 本屋で買い物を済ませ、自宅へ帰ろうとワイヤーロックを外そうとした。するとキーをあわせてもロックが外れない(4桁のダイアル式)。ひっぱたり押したりしたがうんともすんとも言わない。ついに色んな番号を試し始めてなんだか自転車泥棒になったようで非常にばつが悪い。同じ駐輪場にはヘルメットを被ったMTBのお兄さんが見ていいのか悪いのかぎこちない感じで立ったままこちらをちらちら見ていたがやがて姿を消した。10分ほど経過したところでついに観念して家族に電話した。「ペンチ持ってきて~」
 そういうわけで最後はペンチのお世話になって1分もかからずに切断完了。ペンチを入れてるときは実に嫌な気分だった。細いワイヤーで良かったよ。

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