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2006/05/29

コクーン

 天気が良い日は朝の出勤前にロードバイクに乗る。
 先日も家を出て近所の動物園(「旭山動物園物語」の悪い頃の絵に使われたようです)の坂を上った。かなり体力が落ちてるよう。ちょっときつめの坂なのでここを登った時の調子が自分のバロメーターになるのである。1月に風邪をひきながら上ったときよりさらにスピードが落ちている。

 頂上まで上って以前はプラネタリウムだった原っぱで休憩。こんどは別な道から下ろうとした。先に段差が続いていることに気付くのが遅れ急停車、こけた。

 こけたところにウォーキング中の老人が反対側から来た。シャキッとした脚。
 「坂が急だからすべるでしょう?」
 「いえいえ階段になってるのに気がつかなくて」
 何故か僕は自転車に乗ってると年寄りに話しかけられることが多い。

 お爺さんは僕のバイクに近づいて「いい自転車のってるねえ。何段?」と聞いてきた。
 「3かける9で27段変速です。」
 不思議なことにお爺さんに会えば必ずと言っていいほど「何段?」と聞いてくる。

 「僕はねえ、この辺を毎日1時間半歩いてるんですよ。」
 「それでね。僕は毎日テニスをやってるんですよ。」
 「テニスっていったら体力使いますよね。凄いですねえ。」
 「テニスは池の川の運動公園でやってるんです。そこまで自転車で行くんですよ。僕の自転車は3段なんですけどね。」その運動公園までたぶん4~5kmくらいあるだろうから往復で10km弱。

 「あれなんだっけ、そうそう白内障。白内障だからテニスボールが見辛くてね。靄がかかってるみたいなんですよ。でも相手も年寄りだからボール遅いし大丈夫。ハッハッハ。」
 「お爺さん。失礼ですがお歳は・・・」
 「91歳。ハッハッハ。」
 それはすごい。どうみても70代って感じなんだよね。

 「それにね、おにいちゃん。やっぱりね、趣味を持つっていうのは大切ですよ。」
 「はい。」
 「僕はね。絵を描くのが好きなんですよ。」
 「どんな絵を描かれるんですか?」
 「何でも描きますよ。僕は絵を描くのを教えてるんですよ。だから何でも描けなくちゃならない。」

 それから空爆の話、オーディオの話、8mmフィルムの話等延々と続き、遅刻ぎりぎりの時間になった。とにかく元気なお爺さんで、帰りながら宇宙人の繭で若返って騒動を起こす映画「コクーン」の老人たちを思い出した。

(追記)
昨日ジンギスカンを食べながら話してた「きょうの猫村さん 2(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838716648/qid=1148876139/tornose140-22/)」は5月31日発売だそうですよ。west様サンクスです。

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2006/05/23

フレームツリー・アート・フェスティバル

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 今回の旅では観光のひとつに「フレームツリー・アート・フェスティバル」を入れていた。4月末に毎年行われるお祭りで今年で25回目。場所はアメリカン・メモリアル・パークの海沿いの広場で行われ今年は4月27日から30日までの開催だった。北マリアナのみならずグアムやミクロネシア諸国、さらにハワイなど関連する国々からの出演者がステージで芸能を披露する。またお祭りムードを盛り上げる数々の出店も面白い。近所の飲食店、各国のお土産屋、ギャラリー(主に欧米人)のテント、日本人の出店も、さらに法輪功(なのかなぁ)のものらしきテントまである(!)。僕が最終日の昼間に行った時は彼らの瞑想の時間だった。
 ところでフレームツリーは鳳凰木、火炎樹のことで5月をピークに真っ赤な花をつける。日本統治時代は南洋桜と呼ばれこの木を桜に見立てて花見をしたそうな。

 今回のフェスティバルにはそれぞれ短時間だけど3回ほど足を運んだ。今回は25周年ということもあってか結構規模が大きくて駐車場はサイパン島中の自家用車(程度の良い車が沢山あって先住民が多く集まっているのが分かる)が全て集合したような賑わいである。
 アメリカン・メモリアル・パークは泊まっているホテルから近い。ビーチ側から歩いていくと会場に近づくにつれ、フェスティバルにかこつけてバーベキューをしている何組かの家族と出会う。サイパン島では週末に家族でバーベキューをやるのが一般的なのである。そういうことで時々バーベキューチームに声をかけられながらお祭り会場へ向かった。

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 さて今回は到着翌日に地球人村に向かってビーチを歩いてみたが、前回の旅行で僕が乗った小さいほうのカロリニアンカヌーが無かった。海上を見たけどそれらしきものは見当たらず、しかもビーチにはナビゲータールームらしきものだけが痕跡としてころがっていた。シミオン・ホクレア号みたいなデカイ方は相変わらずそこにある。
 それで何処へ行っちゃったのかなと思っていたら、あった。「フレームツリー・アート・フェスティバル」の会場の真ん中に。いくつか修理され何故か上のほうが白く塗装されたアウトリガーカヌーが飾ってある。乗ったのは去年だから、こんなことを言うのもなんだけどちょっと懐かしい。

 ステージの出し物は伝統芸能など間違った期待をしていると、プログラムがよく分からずグアム島のカントリーミュージックや女の子のロックバンドなどを観る事になってしまう。グアム島のカントリーミュージックといってもそれがどんなものかというと、これがいかにもアメリカのカントリーやグリーングラスのテイストだったりする。でもちょっと考える。グアム島のあるミュージシャンがこのカントリー調の音楽を引き合いにチャモロの大衆音楽について「さまざまな音楽を取り入れてゼロからつくっている」と言っていたことを思い出した。暫しまじめに聴いてみよう。

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 夜になるとさらに混雑が増し、最終日ということもあってステージ前も大盛況だ。僕が終わりの2時間前に行ってみると、同じTシャツを着た大勢の子供たちがスティックダンスを踊っている。本当の名前は知らないがこれがなかなか勇敢な男の踊りなのだ。我が息子もこのダンスに釘付けである。そしてダンスが終わると大人の男性から長い説教が発せられ、最後に全員で「ビバ!マリアナ!」と叫んだ。ちょっと感動してしまった。

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 続いては・・・というところで観客席から怒涛の笑い声や口笛やヒヤカシが飛ぶ。アナウンスもあおりにあおって(というかこの人1日中凄い勢いであおってます)、ついに登場した彼らは村の青年団とでもいえばいいのかフンドシをしめてスティックを持って、またそのお尻がプルプルするだびに、本来は力強い男のダンスも暖かい地元の笑いに包まれていった。まわりを見ると先住民の方々のみならず韓国系、フィリピン系の方々などみんなで和気藹々盛り上がっていてサイパン島が多民族で構成されていることを再認識するのである。

 僕の横に座っているチャモロの家族に向かって少し離れたところでビデオを撮っている白人の女性の方が話しかけてきた。席をゆずると「シェアしましょうよ」と言われたが、息子も疲れてきただろうからと演目ひとつ残して帰ることにした。
 ところでこの会場に来て思ったのだけどゴールデンウィークにもかかわらず日本人観光客の姿は極端に少ない。今年は観光向けにアナウンスもほとんど無かったらしいけどこれでは少々勿体無い。観光向けでないこのようなイベントをサイパン島で味わえることはほとんど無いのだから、来年この時期にサイパン島に行く方は是非足を運んでほしい。

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2006/05/18

テニアン島北半分

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 空からテニアン島を見たときはそのフラットすぎる地形がとても不思議だった。フラットといえば、ここでは毎年「テニアン・ターコイズブルー・トライアスロン」というトライアスロン大会が行われるらしい。立ってみると分かるけど本当に起伏がなくて自動車もほとんど走ってないから無性に自転車に乗りたくなった。明らかに気温は30℃を振り切ってクソ暑いんだけどやっぱり乗りたい。

 そういうわけでタチョンガ・ビーチでかなり時間が余っていたのを利用して、よく南国リゾートにあるMTBモドキでもいいからとレンタサイクル屋を探した。そして結局タガ・ビーチ付近にレンタサイクル屋を発見したが、なんということか軽井沢よろしくタンデムしかなかった。一人で乗るには厳しい。以前はもう少しまともなレンタサイクル屋があったらしいが台風被害でやってないそうだ。スクーターはうじゃうじゃあるのにね、残念。自分の自転車をハワイに持って行かなくても手ごろにサイパン島やテニアン島に持っていけばいいじゃないかとも考えたり。

 僕たちを乗せたツアーは名前に似合わずのんびりとした風景のブロードウェイを北上し、テニアン島北部のきな臭いエリアに入った。テニアン島北半分には「日本海軍司令部跡」とか「ハゴイ空軍基地跡地」とか「原爆搭載記念碑」とかそういうものが集中しているのである。ちなみにサイパン島の場合こういうものは南に集中している。旧日本軍が造った滑走路をベースにB29を飛ばすために米軍が拡張し、現在はそれを空港として使用している。
 これで想像がつくと思うけどテニアン島からは原爆を載せて広島、長崎に向けてB29が飛び立った。その滑走路のベースは旧日本統治時代に広島からつれてこられた囚人たちが2年がかりで造ったと言う。本当なら皮肉なことだ。もしテニアン島がフラットでなければ戦略は少し変わっていたかもしれない。

 広々とした「原爆搭載地点」には2つの原爆、それぞれリトルボーイをエノラ・ゲイに、ファットマンをボックス・カーに積んだその場所に花と当時の写真が飾られている。以前はこの搭載地点には木が植えられていたが近年掘り起こされて今のようになった。
 ちょっと前に叔父さんと酒を飲んだときに、サイパン島に行ったなんて話したら「サイパンっていったら玉砕しか思い浮かばないなあ。そんなところなんだよなサイパンって」と言ってなかなか感慨深い様子。それで当時の話で盛り上がったが、ここからB29が飛び立ったことは知らなかった。実は不思議なことにこの叔父さんに限らずB29がサイパン島やテニアン島から飛び立って日本を攻撃したことを知らない方が実に多い。

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 以前「テニアン島の平和式典(http://tornos.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_2dc9.html)」で書いたように、去年のサイパン島旅行では「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」の関係者と偶然ながら話す機会があった。ちょうど戦後60周年を迎えてテニアン市長の積極的な働きもあって、テニアン島での平和式典に被爆者が初めて招待されていたのである。このイベントでは米退役軍人のスピーチなどもあるわけだから、当然予想されるように双方の言い分が展開されただけだった(とガイドさんが言っていた)が、丸く行かなかったことは残念ながら実現したことを大切に考えたい。
 以前、日本が核廃棄物を太平洋に投棄しようとしたことを覚えている人はいるだろうか。そのときに激しい抗議を行ったのは当時のテニアン市長だった。これら太平洋諸国の反対が海中投棄を中止させることになった。日本も米国も時々こういうところから説教をくらったほうが良いかもしれない。

 それにしてもサイパン島、テニアン島は奥が深い。玉砕は悲劇だが戦前に栄えていた日本統治時代の入植者の生活、さらにその時代の先住民たちの生活、沖縄人たちの生活、朝鮮人の生活など非常に興味深い。本当はこのあたりの話をしたいけどまた後で。
 当時は日本人を1等国民、沖縄人を2等国民、チャモロ、カロリニアンを3等国民(歌ではブタ・チャモロ)、朝鮮人を4等国民として分けていたんだから、江戸が終わって明治、大正、昭和になっても士農工商はぬけず、むしろ世界にその手を広げていたんだな日本人、とふと思ったりもした。

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2006/05/16

元祖ノニ

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 テニアン島にもあったか・・・「これはノニの木です。テニアンはノニの原産地です。」とテニアン島観光で説明を受けた。そういえばタヒチでもノニの原産地はタヒチだって聞いたしインドネシアでもそうだ。さて各地で原産地だと名乗りたくなるわけがこの木にはあるのだけど、この現象は「元祖××」に似ていて可笑しい。ノニの花ははじめて見たけど、年がら年中花を咲かせているらしい。

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2006/05/11

テニアン島の北と南

 今日は激しい頭痛に襲われ仕事を休んでしまった。せっかくサイパン島&テニアン島旅行記を開始したのに連休明けには小田原へ、またも少々ネットから離れていました。

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 これはテニアン島の北側にある「潮吹き海岸」。うちよせた波が石灰岩の洞穴を抜けて空高く潮を吹く名所。その絵はガイドブックなどで見飽きてるでしょうから今回は特別に潮を吹く場所の左側(北側)の写真。こっちを向くと目の前にはこんな近くにサイパン島が見える。この近さならカヌーで渡れるのではと思いきや、サイパン島とテニアン島の間は潮の流れが速くて非常に危険。流れを大きく回避して渡る。だから高速フェリーで1時間かかることもある。

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 今度はテニアン島の南側にある「タチョンガ・ビーチ」。あれ?こっちにも島が見える。この方面にあるのはロタ島だと思っていた(わけではない)けどこんなに近くは無い。さて北マリアナはサイパン島、テニアン島、ロタ島を含む全部で14の島でコウセイされている。ということでこれもその1つ「アギーハン島またはアギガン島(山羊島)」。日本統治時代に沖縄の方が連れてきたという山羊が終戦と共に置き去りにされて山羊が野生化しているらしい。ちなみに終戦で置き去りにされたのは山羊だけではない。この島は無人島などと紹介されたりするが(というかこの島のことが書かれた一般の旅行ガイドはあるのかな)有人島である。今回はサイパン島をベースにテニアン島に行ったけど、今度はテニアン島をベースに山羊島に行ってみたい。ダイビング以外の目的で山羊島に渡る方法を考えよう。
 ちなみにサイパン島やテニアン島の西に広がる海はフィリピン海である。なので、この写真のあたりもフィリピン海か。さらに日本人がおらが町の海は太平洋だと思っている太平洋も一部は太平洋じゃなくフィリピン海だったりする。我が茨城県の海は太平洋らしい。

 とにかく島から島が見えるというのには心が躍る。

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2006/05/06

萱野茂さん

 萱野茂さんが亡くなった。この人の著書を読んで名前だけではないアイヌを知ったときから先住民に対するイメージが変わったんだと思う。blogを始める時も片隅にあった。
 インドネシアのプラムディヤ・アナンタ・トゥールといい、短い間に連続しちゃったな。
 ご冥福をお祈りいたします。

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ラッテ

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 サイパン島のホテルでNHK WORLDを視聴していたら、たぶん日本でも放送されたんだろうけど京都議定書による排出権ビジネスと温暖化によるツバルの海面上昇をシンクロさせたドキュメンタリーが放送されていた。サイパン島のような場所にいてこのようなドキュメントを見ると受けるショックが大きくてまったく他人事ではない。もうツバルは救えない。

 さてテニアン島につくと、フレミングホテルの周りでノニの木などを見てからレストランで暫し観光が始まるまでホテル所蔵のアルバムなどを見て過ごす。昔のテニアン島の写真など貴重なものが多く感慨深い。特に愛嬌のある常連さんの釣アルバムの表紙の裏にリアル・マッコイのCD「アナザーナイト」の帯が貼ってあって「テニアンの夜はこのナンバーでキマリっ!(最高!!) 日中はTOTOの『アフリカ』がいいね!!」のコメントがたまらない。ペニー勝広さんって何回テニアン島に釣にきてるんだ。
 ホテル併設のフレミングストアの入り口の横には鯉のぼりらしきものが1匹ぶら下っているそんな季節か。

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 観光の最初はテニアン島に来た観光客は100%観るだろうタガ族が造ったとされるサン・ホセ村のラッテ(英語ではラッテ・ストーンというのはフラのことをフラ・ダンスと言うようなものかな)というチャモロ人の遺跡がある。これが造られていた800年~1600年代をラッテ期という。
 間近で見ると中々巨大だ。ここはハウス・オブ・タガと呼ばれているが一体何のための建造物かは解明されていない。ハリギという柱にタサというキャップがのっている。元々はこれが6本づつ2列に並び、その上に家や集会所が乗っていたとか宗教的な何かだったとか説も色々だ。中島洋氏によるとなんとあのインドネシアのボロブドールの壁面にアウトリガー・カヌーなどとともにラッテが描かれているらしい。ジャワとマリアナ諸島の間で往来があったのである。ミクロネシアの文化を何も知らずにこれを聞いていたら、あの海の距離を考えると途中どこか経由していたとしてもちょっと驚いていたんじゃないか。
 ところでラッテについては文字を持たないせいで記録が残らなかったという説明があったけど、文字が無いだけで伝承が途切れるなんていうのは文字信仰の現代人が考えることだと思う。実情はスペインの侵攻から始まる侵略の歴史の中でチャモロ人の男性のほとんどが死んでしまうという太平洋共通の悲劇の中で男性が掌る文化が消えてしまったのだという。

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 そのまま巨大な中華系のダイナスティ・ホテルを横目にタガ・ビーチへ。サイパン島では見る事の出来ない素晴らしいグラデーションの海が広がる。こういうコバルトブルーの緩やかなグラデーションは期待する珊瑚ではなく長い砂地によって造られるわけだけどタヒチのモツ(小島)などでも以前見ていて魚は少ないが目にはとても良い。
 さてそのタガ・ビーチにはラッテが切り出されたとされる場所があり、珊瑚による石灰岩がタサの形にくりぬかれているのが分かる。ガイドさんの説明で「数100メートル先のハウス・オブ・タガへこの岩を持っていくためには巨大なカヌーが必要ですね」なんて説明があったが、これまで太平洋のカヌー文化うんぬんなんて足を突っ込んでいたおかげで驚きでもなんでもなくてそのまま受け入れてしまう僕であった。
 ところでチャモロも文化が抹殺される前はカロリニアン同様、素晴らしい高速帆走カヌーを持っていた。ヨーロッパ人はそれをフライング・パロアプロアと呼んだらしいけどそれは消えてしまったわけ。

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2006/05/04

フリーダムエアーの哀川翔

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 さて長いのを書く力がなかなか出ないので暫くサイパン島旅行記でいこう。

 実は今回の旅行では是非家族にもあのカロリニアンカヌーを体験してもらおうと考えていた。いざ到着翌日の28日に申込に行くと、なんと29日から暫くお休みなのだ。正確には謎のミクロネシア旅行者?林和代さんには「30日から休み」の告知が出てると教えていただいてたのだけど、やはりここは南国1日2日の変更に腹を立ててもしかたない。第2のプラン「テニアン島観光」を実行することにした。

 テニアン島はサイパン島のすぐとなり、サイパン島南側のオブジャン・ビーチに立てばすぐ目の前に見える。いつも横着な旅行しかしないから飛行機でたった10分、フェリーでも40分で行けるこの島にサイパン島旅行7回目にして初めて行く事になった。そして僕が行ったテニアン島は初心者よろしく半日観光に申し込めば誰もが周るコース。しかしテニアン島は日本との係わりも含め20世紀の世界の歴史の中でも特にユニークで重要な歴史を持つ島なのでサイパン島に訪れた際には是非足をのばしてほしい。僕も次回は是非泊まってみたいと思った。

 そういうわけで同じツアーに参加したのはサイパン島へダイビングに来ていたカップルと一人旅の熟年の女性の方、そして僕たち家族。サイパン空港に到着したツアー参加者は6~8人乗りのフリーダムエアーの小型のプロペラ機に体重で振り分けられ乗り込んだ。操縦士を含めた体重のある男性がジグザグに配置され、ゆっくりとサイパン空港を飛び立った。考えてみるとこんな小さな飛行機に乗ったのは初めてだな。この飛行に関しては一人旅の女性が「こんな低空飛行なら落ちても大丈夫そうじゃない?」と言ってたのが印象的だった。

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 さて、あっという間にテニアン島が見えてきた。テニアン島の大きさはサイパン島より少し小さいくらい、特徴的なのは島全体がとてもフラットなことだ。このフラットな点がとても重要だ。個人的には島にはちょっとした山があるのが好きなんだけど、テニアン島がフラットだったということがこの島を歴史的に有名な島にした。

 ところでこのフリーダムエアーの操縦士が哀川翔に似ていた。ということが一緒に乗っていた女性たちの間で話題になっていた。正面の写真を撮ったの何の。哀川翔に似ていると言われると哀川翔にしか見えなくなってくるくるから困ったもの。たぶん韓国系の人で、残念なことに我が家には後ろから撮った刈り上げの写真しかない。
 余談だけどテニアン島には韓国系の先住民がいる。テニアン島に韓国の人がいるのは日本のせいでもあるんだけど、この60数年で先住民という存在がつくられることが、先住民という存在について考える上で僕にとっては非常に良いわけである。
 だからといって哀川翔が韓国系先住民と言ってるわけではない。ビジネスで来てる人かもしれないし。

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2006/05/02

帰国しました

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 サイパン&テニアンから帰国しました。サイパンに行ってみると告知より1日早くカロリニアンカヌーはお休みになっていたので眺めるに終わりました。スタッフもほんとに休んでいるかはたまたハワイにでも行っているのでしょうね。ところで弐隻あったカヌーの大きい方は相変わらずハファダイの南のビーチにころがっていたんですが、僕が乗った小さい方は見当たらずその後別の場所で見ることになりました。

 海外に行ってるとニュースなど全く見ないので短期間ですっかり世間についていけなくなるんですがサイパンのテレビではインドネシアの作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールが亡くなった事とヘイエルダールの孫が筏に乗る映像だけは確認しました。プラムディヤについては残念なニュース。「人間の大地」シリーズの最終巻「ガラスの家」がなかなか翻訳されない。

 それにしてもテニアンの海をみたら疲れたアタマもすっきりしました。体の方は疲れが増した気もしますが・・・

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