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2005/08/30

I Want to See the Bright Lights Tonight

RLThompson  10数年前、ポッパーズMTVという洋楽のPVを流すピーター・バラカン氏司会の番組があった。その中にバラカン氏による来日アーティストへのインタビューコーナーがあって、リチャード・トンプソンが出演したときがあった。

 その時にバラカン氏の前で「Hand of Kindness」ってソロアルバムに入っている「Two Left Feet」という曲をフォークギターで弾き語っていた。
 バラカン氏の無邪気な興奮がこっちにも伝わってきたけど、彼がまだ英国にいた頃に初めてフェアポートの音楽を聴いたときはピンとこなかったそうだ。「liege & lief」に収められた「メドレー:朝のひばり~アイルランドの放蕩者~狐狩人のジグ~トス・ザ・フェザー」というトラディショナルを超ロックにリレーした曲を聴いて初めてカッコいい!と思ったとかなんとか。
 ということでその時の凄いギターでちょっとこの人、これまで聴いてきたロックギタリスト(実はあまりギタリストに注目したことなんて無かったけど)とは別格じゃない?って僕は思った。

 僕の親父はサンディー・デニーの大ファンだ。サンディー・デニーは英国を代表する女性歌手で、僕が彼女を知った頃には既に亡くなっていた。
 その親父に数年前リチャード&リンダ・トンプソンの「I Want to See the Bright Lights Tonight」→amazon.co.jpを聴かせた。あろうことか親父はサンディー・デニーの相棒だったシンガーソングライターでギタリストのリチャード・トンプソンを知らなかったのである。だからこのアルバムも聴いたことが無かった。

 そして親父は言った。「またこういうの持って来い。この声はサンディー・デニーよりいいかもしれない。」親父の耳は悪くなかったらしい。
 それもそのはずで、歌っているリンダ・トンプソン(ピーターズ)を一番評価していたのはサンディー・デニーだった。

 リチャード・トンプソンの魅力はギターテクニックだけではなく(多くの人気ギタリストがそうであるように)楽曲の良さが際立つ。
 このアルバムに含まれた全ての曲は隙の無い名曲であり、英国の古典文学を引っぱってきたような暗い歌詞と伝承音楽を取り入れながらも斬新なアレンジで構成されている。そして前作「Henry the Human Fly」では欠けていたリンダ・トンプソンの素晴らしいボーカルがある。まあ弱点はその暗い歌詞を増幅するようなこもった彼のボーカルとスター性の欠如といったところか。最近はその増幅効果を売りにしていて結構怖い。

 ということで名盤を紹介し始めたから僕もオヤジロックファンの仲間入りである。名盤紹介には感情を入れづらいものがあるな、上手く出来ない。

(追記)

 などと書きながらサンディー・デニーが聴きたくなって「No More Sad Refrains: The Anthology」→amazon.co.jpってベスト盤をさきほど注文しちゃったのね。そういう季節なのかな。

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2005/08/28

ツール・ド・フランス 1985~1991

le_tour_de_france_m  あまりの懐かしさに「ツール・ド・フランス 1985~1991 7YEARS BOX」→amazon.co.jpを買ってしまった。

 このNHKのドキュメンタリーのおかげでバイク(自転車)のロードレーサーになるぞなんて思った人多いんだろうなぁ。特にイノーの時代からレモンの時代へ変わる'86年のツール・ド・フランスに興奮してバイク買っちゃた人。

 僕の場合、父の弟が自転車屋をやってたおかげで'85年の初回放送から観ることが出来た。せっかくイノーって名前を覚えてファンになったのにいきなり次の年引退で結構ショックだった。
 その後民放での毎日編集な放送に変わってインデュラインが連覇しまくっていた頃までツール・ド・フランスを観てた。
 だからこのDVDを観てると思い出すなあ、バイクに暫く乗ってないので忘れてたけど他にもこんな選手がいたよ。フィニョン、ロッシュ、デルガド、ケリー、キャプーチ等々。

 '91年のレモンのあまりの苦しそうな様子を観てて僕まで苦しくなったことを思い出す。どうみてもダメなのに番組の方はレモンに優勝のチャンスがあるかのごとく放送するのだけどそれがさらに苦しかった。その後レモンは急激に失速するけど、散弾銃による事故の後遺症による筋肉疾患なんて話もあった。

 インデュラインの時代になると毎回別の楽しみがあった。僕とインデュラインは同い年で二人ともツールの最中に誕生日を迎えるので、ツール中に行われるインデュラインのお誕生会をこっちでも密かに祝ってた。

 僕は80年代中頃ヨーロッパで人気のあったパナソニック(地味でいいでしょ)の練習用のバイクを長い間通勤に使ってたけど、その後MTBの時代になってタケノコのように沸いてきた一部の公園乗りのMTBの奴らに指を指されて笑われた。
 まだ少し若かったからバイクの世界にもそんなマスな時代が来てしまったのかとガッカリして乗るのを止めてしまった。中学生の頃手作りバイクを盗まれて暫くを除いて、小学生の頃から自分の部屋でバイクと一緒に寝てたというのにね。クソ真面目だったのね。まあレースに出ようなんて考えた事もなかったので僕も中途半端だったわけだけど。
 今は健康のためのバイク乗りが丁度良いと思ってる。

 番組はロードレースの予備知識がなくても楽しめるようにドラマチックに仕上げてある(チームプレイを強調してるあたりは日本人向け)けど、ロードレースの観戦に慣れてくると少々物足りない。そのあたりを補うためと、さらに放送時の誤りなど補正するために市川雅敏さんの「市川雅敏の眼」というのが付いている。これは面白いので出来れば音声解説でコアファン向けの解説を入れてあればと思った。値段は少々高くなってもいいから。

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2005/08/24

通勤の音楽(ザ・サンズ・オブ・ハワイ)

gabby_pahinui  今年の夏はハワイ音楽を聴いてなかったなとCDラックを眺めた。
 そして僕が所有するハワイ音楽はコンピレーションが多く、所謂まともなアルバムが少ないことに気がついた。ハワイ音楽っていっても30年代~70年代の録音が中心だから編集モノが多くなってしまうんだな。もともとハワイ音楽って編集モノが売れ筋なんだろうけど(皮肉をこめて)。

 数少ないハワイ音楽の中から1962年の「ギャビー・パヒヌイ・ウィズ・ザ・サンズ・オブ・ハワイ(フラ・レコーズ)」→shinseido.co.jpをiPod shuffleに入れて歩いた。ハワイを代表するウクレレ奏者エディ・カマエと病気療養中のギャビー・パヒヌイが出会って出来上がったバンドで、このアルバムが空前のヒットとなりギャビー・パヒヌイの名声が確立した。僕のお気に入りアルバム。

 ギャビーの若々しい歌声とザ・サンズ・オブ・ハワイのハワイ音楽の域を越えた独創的なアレンジと演奏力。「ブラウン・アルバム」などその後のギャビーも素晴らしいが、このアルバムは初めてハワイ音楽の本当の力をビニール盤に記録できたハワイアン・ルネッサンスの始まりみたいなアルバムだと勝手に思うのだ。

 ところで最近はギャビーというとスラック・キー(スラッキーって書いたほうが馴染みがあるけど)のギターだけど、ギャビーファンにはお馴染みのようにウクレレがいいんだよね。
 このアルバムを聴いてるとギターとウクレレにレンジの違いはあっても使い方として大きな違いは感じられない。カマカ謹製の6弦ウクレレを使っているところも要因の一つかもしれない。
 ちなみに6弦ウクレレが分からない人のために説明すると通常は6弦ウクレレって4コースで1、3弦が複弦かつ1弦は1オクターブ低い。ギャビーのチューニングもそれだとするとギターと思っていた伴奏がウクレレだったりするかもしれない。
 ついでにギャビーは最近のフラの伴奏のようなザンッ、ザンッとしてドローンなストロークはほとんどやらない。もちろんエディ・カマエもピキピキとウクレレを演奏してる。ハワイ音楽ではなかなか聴けないテンションがある。
 ハワイではスラッキーのリードやスティールやヨーデル風ファルセットは太古な楽器や歌唱法に取って代わられたけど、これらの演奏が70年代までハワイの音楽文化を引っ張ってきた役割は大きい。他の同時代の音源を聴いても思うけど創造性の高い時代だったんじゃないかな。

 最初に書いたけどハワイ音楽は編集モノが花盛り。意外とアルバムという作品で聴けるレコーディング草創期からルネッサンスまでのハワイ音楽は希少。だからフラ・レコーズあたりでCD化されてないアルバムどんどんCD化してくれないかなぁ。その他のレーベルもね。新星堂さんお願い。

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2005/08/22

通勤の音楽(ラテン・プレイボーイズ)

Latin-Playboys 茹だるような暑さで体力が吸い取られていく昨日今日。この暑さに合うんじゃないかとラテン・プレイボーイズのアルバム「ラテン・プレイボーイズ」→amazon.co.jpをかけた。暑いときは暑い音楽と思ったけど・・暑さ増幅。失敗だったかな。
 もう少し涼しくなったらまた聴いてみよう。

 ラテン・プレイボーイズはミッチェル・フレーム&チャド・ブレークのプロデュースチームとロス・ロボスのデヴィッド・イダルゴ&ルーイ・ぺデスで作ったバンド。
 思い出してみると90年代半ば当時、フレーム&ブレイクのコンビの音はかなり流行っていた。約10年前のアルバムってことで今が一番ダサく聴こえるころだろう。でもこのアルバムは90年代の傑作のひとつだった。
 無ジャンルぶりながらカレーのようなじんわり皮膚に染みていく感じの音。つなぎになるのはTECH21のSANSAMPなるアンプ・シミュレーターやビニール管。僕のまわりで音楽やってる奴らは誰も彼もTECH21、TECH21だった。
 そういうわけで、僕もご多分に漏れずSANSAMPを購入し変に歪んだ録音をしていた。対策を怠ってすぐノイズがのってしまったので、途中から気が変わってギターエフェクターとして活用したな。使ってた人みんなそうでしょう?

 帰りも暑いんだろうなぁ。

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2005/08/18

ホクレア号最新情報

saipan200507-19  ホクレア号来年来るぞとアナウンスした責任もあるので次の最新情報をお届けします。ホクレア号のミクロネシア及び日本への航海は延期だそうです。

 ホクレア号って何だ?という人はこちらを「ホクレア号をめぐる沢山のお話を

 ホクレア号の来航延期に関して、正確には航海そのものが決定していたわけではなくPVSとJapanese Cultural Center of Hawaiiによる航海コンセプトに、予定とはいえ具体的な期間が記されていたことと、その内容が素晴らしかったのでこちらは浮かれと焦りで躍ってしまったということかもしれません。westさん情報によれば「理由はナイノア氏が多忙のため、航海に向けて充分な準備ができないというもの。できれば1年延期できないかというナイノア氏本人の申し出を、主催者が受理したという格好です。」とのこと。
 「航海に向けて充分な準備」っていうのをどうとらえるかでしょうね。これに悩んでいる人は結構多いはず。

 このニュースを聞いて少々がっかりされた方もいらっしゃるとは思いますが、僕は上記の航海コンセプトは今までのホクレア情報の中でもっとも具体的で、ホクレア号の日本航海が現実に近づいているのだと思ってます。
 もちろん僕などよりずっと前からホクレア号を待ちつづけていた方にとっては、またもや恋人に裏切られた感も強いでしょうし、議論の必要も無いくらいにホクレア号と自分を定義しているわけですから結構ツライかもしれない。気持ちを立て直してまた盛り上げていきましょう。

 ところで延長されたこの期間をどう見るかですが、これはいい機会が生まれたということだと僕は思います。僕はたぶん楽天的な方なので良い方に考えてみたいと思います。
 ただこの延期が、ポリネシアンペースが主な原因ではなく、日本側がプロジェクトの規模に比例した受け入れ態勢を取れてないっていうことが大きいのでしょうから、1年の延期じゃすまないって可能性もありますね。ハワイからばかりで日本側から何の情報も聞こえてこないからなぁ。

 最近の草の根的な話です。
 ネット上では8月に入って「オセアニア諸地域のカヌーを中心に、適当にダベりましょう」というコンセプトでwaka moanaさんを中心にoceaniacanoeというメーリングリストが開設されました。現時点でホクレア来航を望む10人の方々によって運営されています。現在はYahoo!Groupsのpacificanoeに移行してますがその中でホクレア号の応援サイトを準備中です(今回の打撃で軌道修正に余儀なくされそうですが)。今まで個人でホクレア号を応援していた人たちの横の繋がりが始まったわけです。
 たぶんサイトが公開されれば航海日程に近づくにつれ、さらに活発な情報交換を目にすることができるのではないかと期待してます。もちろん参加も可能なはずです。一時的なブームに陥らず健全にホクレア号の裾野を広げ、航海コンセプトを確実に実現するようにキャンペーンできるかもしれない。

 またホクレア号関係の書籍は現在のところ「Tarzan特別編集 ホクレア号について語ろう! 」と「ホクレア号が行く―地球の希望のメッセージ 」くらい。どちらも良い本ですが、ホクレア号を深く知ってもらうには脇を固める書籍も必要です。
 時間ができたことでホクレア来航前に何がしか出版されることも考えられます。waka moanaさんのところでの「EDDIE WOULD GO」の翻訳に関するやりとりで感じるのですが、これらの本の出版には時間が必要です。

 それでは、じゃあ僕たちは何をすればいいのか?ってことになるのですが、westさんのおっしゃるとおり「ホクレアを「呼ぶ」という発想」が必要なのはたしかです。
 ホクレア号という航海カヌーは「来いよ」と言っても簡単に太平洋を横断してこれるような船じゃありません。19×5.3mの大型とはいってもちっぽけな帆走カヌーでスターナビゲーションという芸術的な伝統航海術を使って命をかけてやって来るわけです。
 彼らを勝手に来させるわけにはいかない。日本側での働きかけは重要なんです。もっと多くの人に関心を持ってもらうこと。これが一番難しいんですがお役所を動かすくらいにね。どうやって?!
 ホクレア号に関心を持つことで、その先にある数々の地球の危機を知ることになるはずです。まずは身のまわりの方々とホクレア号の話をしてみましょう。

 ところで日本での寄港予定地には皆さん関心が高いようですが、日本に来る前にホクレア号はミクロネシアの島々に寄港する予定です。先日メーリングリストの中でちょっと話が出たのですが寄港地をあげてみるとハワイを出航してジョンストン島、マジュロ、ビキニという2つのマーシャル諸島、そしてミクロネシア連邦の島々、グアム、サイパン、そして那覇ときます。
 マーシャル諸島で思い出すことってなんでしょう?そう核実験です。あの南の島に降った雪で多くの子供たちが雪合戦をしてしまったんです。内田さんのおっしゃるとおりそのような意義も持って来るなら、僕は応援続けなきゃなりません。

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2005/08/16

サーフィンできたかな?

 今年のお盆休みは休みのほとんどがお盆らしい行事でうまっていたので、blogの更新もまったくサボってました。

 2日前は近所の花火大会の日。ボスザル夫妻他数名とともにY宅に招待された。彼の家はビーチの真ん前の崖の上にあって、さらに花火師が目視できる距離にあるということで花火を大いに楽しむことができる。「ボスザルnet通信参照(http://yaplog.jp/orang-hutan/archive/322)」

 巨大な花火とその地響きを楽しんだ後、ホクレア号のことや男の小便のことなどの前置きの後、話題はY殿を中心として、男たちはサーフィン映画を観ながらのサーフィン話になった。
 たぶんその日の会で一番若い45rpm君に「サーフィンやれよ」って説得してたのだけど、結局は昨年サーフィンに誘ってもらいながらも応えられなかった僕が再度の、そして最後の初サーフィン修行に招待されることになった。僕が知ってる限りサーフィン仲間以外とはサーフィンの話が出来ないサーファーが多い中、彼が未経験者の減らず口に付き合ってくれる男でラッキーだったと思う。

 次の日の朝5時に家をトボトボ出て、昨年借りた本「How To ロングボーディング!」を歩き読みながらY宅へ。(ロングボードなのですよ)
 着替えをすませボードを頭に載せて階段を降りポイント前のビーチまで歩く。はっきり言ってこの時点で僕はやばいと思った。ロングボードってでかくて結構重いのだ。すでにバカボンのパパと同い年になって、普段何の運動もしてない僕にはこれだけで結構キツイ。

 その日の波はあまり楽しめる波ではないけど初心者がロングボーディングを覚えるにはちょうどいいんじゃないかとの事だった。僕たちが着いたときはショートボーダーが1人だけ海に漂っていたけどまもなく消えて2人だけになった。

 ところで何をやるにしても、見るのとやるのは大違いとはいうがサーフィンはそれが大きいということはすぐ分かった。同じヨコノリでも正直言ってスケボーもスノーボードもただ滑るだけだったらイメージよりやってみると実際は簡単だった。でもサーフィンはイメージの10倍は難しい。まず波に乗るまでが大変。当然スキー場のようにリフトがあるわけじゃないのね。

 パドリングがキツイキツイとは聞いてたけどホントにキツイ。どうもパドリングのやり方が悪かったというのが最後の頃に分かってきたけど、既に腕がパンパンでよく分からない状態。それに波待ちでプカプカ浮いてるのも見た目より結構難しくて下半身をかなり使う。あんな小さい波で何度もひっくり返るとは思わなかった。
 まあこれは普段の体の鍛え方にも問題があって、たぶん僕は覚えるのに20代の体力の人間と比較すると3倍くらいは時間がかかっているんじゃないかな。

 ということでY殿には我慢強く付き合ってもらって、最後は僕に波乗りを少しでも味あわせようと波乗りのサポートまでしてくれた。実際にはボードにちゃんと立てなかったけど、波に乗って一瞬ノーズが落下していく感じはこれは快感に繋がるなって思ったりもした。サーフィンって出きるようになるとかなり面白いんだな、たぶん。
 そういうことで体中が痛い。続くかどうかはまだ分からないけど回復したらまた連絡しますよ。

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2005/08/11

おじいさんのはじめての航海

ojiisan-koukai  2週間ほど前の「サイパン島2泊3日強行!土曜出発週末旅行」のスケジュールの中で、是非とも実現したいアクティビティがカロリニアンカヌーの体験だった。サイパン地球人村が日曜お休みのため、月曜の午前中のみの体験だったけどその感覚を少しだけでも体験できて良かったと思う。

 大内青琥著「おじいさんのはじめての航海(理論社)」→amazon.co.jpは、故大内青琥さんがミクロネシア連邦はヤップ島(正確にはヤップ州のマープ島)での大型帆走カヌー「ペサウ号」の建造から日本(小笠原群島の父島)を目指す航海までを共に過ごした記録を綴ったノンフィクション。
 小学生高学年向けの児童文学として書かれており内容も児童文学に相応しい。もし子供の頃に読んでいたらヤップ島に行ってカヌーに乗りたいって夢を持って、今とは別の人生を歩んでいたかもと思う内容。

 本書を読むと、まるで何十年も前の出来事と錯覚するくらい現在の日本の生活とかけ離れたマープ島の描写が飛び込んでくる。実際には約20年ほど前の話で、僕レベルで言えば髪の毛を爆発させて音楽演るのはそろそろ終わりにして、ちゃんと大人しようよなんて思ってた頃。世間で言えばダイアナ妃が来日してチェルノブイリがメルトダウンした頃である。最近の僕は流れもあって文明ってものに多少反省しているものだから、マープ島の出来事がまるで未来の描写のように見えてしまう。マープ島のほうが丁寧で手間がかかって価値のあるものを造っていると思える。

 本書はカヌーの建造、マープ島の生活を詳細に分かりやすく説明している。現在では南海の多くの島で普遍的宗教がアニミズムにとって替わっている。たしかにいくつかの不自由から解放されているが、カヌーを作る上で自然との対話は重要だ。木が育ち始めた時からカヌー造りが始まっていることを本書は教えてくれる。ミクロネシアにはまだ沢山の精霊が生きているらしい。
 「オチ・オチ・ムウ」カヌーは人間が造るのではなく木の中に眠っているカヌーを掘り出すという。

 正当な時間をかけて造った「ペサウ号」は太平洋を北上し日本を目指す。ペサウを通過し環礁から外洋へ、民族の誇りと本当のアドベンチャーが始まる。おじいさん=ガアヤン酋長の願いは日本へと繋がる。彼らが父島に着いた時、それがヤップ島に似ていると感じたその気持ちがわかるだろうか?日本統治時代だけがミクロネシアと日本を関連付けているわけではない。今度世界地図を見るときは、飛行機でいきなりワープするような遠地ばかりでなく、日本からちょっと南下してみるというのをお勧めします。

 本書のことについてはwaka moanaさんblogに遥かに詳しい記事があります。僕も参考にさせていただきました。以下に記します。

「老人と海と航海カヌー(http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/682217.html)」
「おじいさんのはじめての航海(http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/859109.html)」
 もっとあったと思うけど。

以下の記事があることを教えていただきましたので追記します。

ミクロネシアの航海カヌーを研究されているEric Metzgar氏向けに英語でまとめた記事
「 A tiny story about Yap Island's traditional voyaging canoe called Pesau. (http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/5744178.html )」
大内青琥さんが亡くなられたときのものです。
「訃報(http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/5797176.html)」

その他、waka moanaさんblogにはミクロネシアの航海カヌーに関するリンクや解説が多数含まれています。大変面白いので興味のある方はご覧になってください。

言い忘れましたが、本書はカヌーなどにまったく興味の無い方でも大変楽しめる本です。是非手にとってみてください。

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2005/08/09

移住ではなく移民

saipan200507-11

 彩帆(サイパン)香取神社の注連縄は美しい光沢を放っているが、南国では腐りやすい藁ではなく麻を使っている。栃木で作られた。
 帆香取神社の入り口に立っている松江春次銅像。「観光コースでないグアム・サイパン」という本の中で、この銅像を現地取材していた時のエピソードにこんなところがあった。
「かつて米軍に勤務していたという退役軍人のアメリカ人に松江像について尋ねたところ「彼は日本時代の知事で『スーダ』という男だ」というピントはずれな答えが返ってきた。」
 たぶんこのスーダなる謎の人物はこれから出てくる津田さんのことではないだろうか。彼は毎日ヒストリカルツアーのガイドとしてここに来ており、米退役軍人相手のガイドもしているとのことだ。

 サイパン島の2日目に朝からヒストリカルツアーに参加した。日本統治時代の遺跡をサイパン島に住んで約30年の津田さんの解説付きで巡るツアーで、砂糖王松江春次銅像、彩帆香取神社、日本刑務所跡、黒木大隊慰霊碑、弾薬庫跡、オブジャンビーチにあるトーチカと巡った。

 今まで何度かサイパン島に来ていたのに、こういう戦跡に行ったのは、マウンテンバイクでオフロードやダウンヒルを駆け抜けるバイク・アドベンチャーというツアーで休憩に立ち寄ったバンザイクリフなどの北部にある戦跡くらいだった。
 これらの戦跡を目にして、たしかにここが激しい戦場だったことが再認識できるのだけど、話を聞いてると日本を離れて遠い地で暮らす所謂移民としての望郷の念を代弁していることを強く感じた。

「『大地の子』は観ましたか?」と問い掛ける。もちろん視聴している。
「あれは本当の話。このサイパンでも自分の苗字も分からない戦争孤児がチャモロの家族に育てられた。『大地の子』は大好きなドラマ。なぜNHK BS2が世界各地で受信できるかわかりますか、あれは移民のための放送。今度日本に戻ったら『大地の子』のDVDを買いたいと思います。」

saipan200507-12  彼は日本人であることに高い誇りを持っている。数々の戦跡で目にする高度な技術力、壁や舗装にあらわれる仕上げの美しさなどは、その誇りを維持するために重要なものである。今だに回転する戦車の車輪。弾薬庫の綺麗なカーブを描いたレール。陶器の便器。
 しかし最近の日本企業のサイパン島からの撤退にはその誇りが傷つけられている。
「このホテルは某外国企業に売られしまった。いくらだと思います?なんと、たった5億で叩き売り、悲しいね。」

 もちろん6月末の天皇皇后両陛下の慰霊訪問についても沢山語っていたが、ここで詳細を話すのは避けたい。とりあえず少しだけ国内向けの話題を話すと、日本では特に取り上げられていなかったが彼らはデイケアセンターにも立ち寄った。このことはサイパン在住の日本人にとって大きなことだった。ついで、両陛下を乗せる防弾仕様車は日本から飛行機に乗せてきた。もちろん護衛は日本の自衛隊ではなくアメリカ軍が行う。このことは彼を少々落胆させた。もちろん自衛隊が護衛できないことは知っているはずだ。
 ガラパンの町で飯を食べると、日本人経営の店の壁に天皇家の集合写真などが飾ってあることを目にした人もいるだろう。サイパン島はこういう場所である。

 今回は残念ながらラッテストーンなど先住民の遺跡は、時間がおしてしまいとばされた。特に南部は先住民の居住区になっていて北部の観光地とは違う色を見せる。以前カロリニアンから聞いた、サタワル島からのカヌーが到着した彼の村は南部にあると言っていた。もしホクレア号が日本に来る際、サイパン島を経由するとしたら、先ず先住民の住む南部に姿を現すのではないだろうか。

 ところでサイパン島にはススペの南に「チャラン・カノア」という素敵な地名の場所がある。なんで素敵かというと「カヌーの道」という意味なのだ。ハワイの「ケアライ・カヒキ」みたいだ。
 今回のツアーでチャラン・カノアの前で聞いた説明はここが韓国人居住区ということだった。ここでカヌーを造ってる先住民のおじさんなどを探すのは無理みたいだ。ついでに日本人居住区がどこなのか聞くのを忘れた。

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2005/08/08

遠くにありて にっぽん人

 8月24日のNHK BS2の「遠くにありて にっぽん人」で篠遠喜彦教授が出演する「楽園の考古学者~ポリネシア 篠遠喜彦」が放送されます。1月に放送されたものの再放送です。

 ちなみに僕の家にはBSアンテナが設置してあるもののTVまで届いておりません。工事をすればいいのですが数年間放置状態です。観れるかな?

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放送日時:8月24日(水) 
     午前5:00~午前5:59
 
内 容:
熱帯考古学者の篠遠喜彦教授のルポルタージュ。マラエの発掘作業など彼のタヒチでの活動や楽園ポリネシアの風土、現地の人々との交流を描きます。

タヒチ観光局より(http://www.tahiti-tourisme.jp/SITE1PUB/sun/13/news/report73.html?t=1122131878089

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2005/08/05

カロリニアンカヌー

saipan200507-16

 ところでサイパン島でこの帆走カヌーに乗れるって知ってる人はどれだけいるのかな。カロリニアンカヌーに興味がない人にはサイパン島の西環礁内でこいつが帆走してても目に入らないのかもしれない。後のほうが正解。地球人村のパンフレットやwebサイトには、ちゃんと目に入るように紹介されているので存在を認識してる人は多いはず。
 でもこのカヌーが帆走しているとき、ちょっと気をつけていると面白いことに気がつくかもしれない。異様なくらいに海全体からモーター音が消える。

 カロリニアンカヌー体験はガラパンにあるサイパン地球人村で行っている。地球人村はサイパンの伝統文化体験が出来るアクティビティーで、施設は小さいけど子連れの方々で賑わっている。そこにあるカヌーは浮いた感じでもあるし、セールの無い姿は失敗した日曜大工のような地味な姿だ。つまり観光用とはいえ手作りの本物のカロリニアンカヌーということ。普通だったらこれに追加20ドルで乗ろうとは思わないかもしれない。

 地球人村のスタッフに「これ人気あります?」と聞いてみた。
「う~ん、人気があるとは言えないですね。」
 この日の体験者は僕1人だけらしい。貸切だと思えばいいか。

 ところで9時出発のはずなのに全然始まる様子もない。後ろの方では日本人の子供たちがワイワイと伝統文化体験に勤しんでいる。暇なスタッフはウクレレ?を弾きながら男女の会話に忙しいし、現地の子供はハンモックに夢中だ。

 今度はスタッフに「いつ始まるんでしょうか?」と訊ねてみた。
「用意が出来次第始めます。少々お待ちください。」
 でも周りを見渡しても用意をしているようには見えない。

 しばらくして1人の男性が畳んだセールを担いで村内に入ってきた。
 彼がクルーらしい。

 彼はビーチに立つと手のひらをかざした。
「ウィンディ、ウィンディ」
「大丈夫?」
 南南西の風。
「ダイジョウブ、今日は日本に向って走る」
「日本に?」
「日本に向う風。日本語でなんていうの?」

 5、6人のスタッフが駆け寄ってくる。ビーチに丸太を敷いてカヌーを海に移動する。申し訳ないなあ、僕1人のためにこんな大袈裟なことになって。
 海に浮かべたところでセールをセットアップする。ちょっと予想外だったのが、セールもマストも「穴に差し込むだけ」と聞いていたのに、正確には「ほんの少しのすり鉢上の窪みに置くだけ」だったこと。ロープで支えているだけ。
 セールを持ってきて約30分、目の前にドーンとセールが広がる。なんかカッコいいぞ、ヘッポコ日曜大工の船がいきなり注目を浴びる。この様子を見物に人が集まってくる。

saipan200507-17

「そっちに乗って!」
 クルーが前後に1人ずつ。僕は腕木の反対側へ。カヌーがするすると北北西に向って動き出す。思い出してみるとこのリーフ内はホビーキャットくらいしか乗ったことがない。同じ風を受けて帆走するのに全然乗り心地が違う。まったくスポーティーな感じは無く優しい微風になった気分だ。海面を滑るような走り。
 暫く超低レベルの英会話力で世間話をしなから進む。妻がいればよかった!

 前方からバナナボートを曳いたモーターボートがモーターを止めて近づいてきた。朝だからもともと客を乗せてるモーターボートは少ないのだけど、客引きのためにバナナボートを引っ張り回して走っている。僕らを発見したモーターボートたちは皆モーターを止めてくれるのだ。海が一気に静かになる。これには感動した。
 聞いた話ではこのすっかりアメリカになってしまったサイパン島ですらカロリニアンたちは、このカヌーに特別な思いがあるらしい。見渡せる限りはもう海の上にはただボートがプカプカ浮いているだけなのである。まあ昼のかきいれどきはまた違うかもしれないけど。

 リーフに近づいたところで折り返し。『船尾は船首の、船首は船尾の役目を果たす』ということで僕の頭の上をロープが飛んで、つづいてセールが反対側に固定される。僕を仲介して水汲みが前へ、オールは後ろへ。カヌーは往路の半分くらいに速度が減速しビーチへ向う。

 近づいてきたボートから声がかかる。
「ねえ!並漕していい?」
「並漕していいかって聞いてるけど、いいよね。」
 僕がOKのサインを出すとボートがゆっくりと横に並ぶ。モーター音もまったく届かずノンビリとした復路だ。

 風がパタリと止んで、カヌーはとうとうビーチへたどり着けるのか?っていう速度になった。まったく風まかせである。となりのボートでは1人がバナナボートの上で昼寝?をしている。
 これはまさしく「おじいさんのはじめての航海」のミニミニ体験だ。動かないときは動かない。止まっていると日差しがやたら強く感じる。クルーの1人が口笛を吹いている。こんな時間が一番楽しいなんて思わなかった。

 観光用?侮れないよこれ。

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2005/08/04

早起きして走ろうよ

saipan200507-08

 数週間前から毎日1時間程度の走ったり歩いたりを始めたものだから、サイパン島へ行っても止めるわけには行かない。毎朝6時に前日着用のチト臭うTシャツと海パンを着て部屋を出た。

 フッフッハー。カッコよくビーチを走ってみようと思ったけど結構辛い。ビーチは砂に足をとられて走りづらいとばかり思っていたけどビーチの傾斜の方が強敵だった。しかもビーチっていつまでも続くかと思ったら綺麗なのはホテルの前のビーチだけ、途中には小川も流れてるし、木は倒れてるし、ビーチもどんどん細くなって10分くらい南下すると海岸線に沿って走るのが難しくなった。無理すればさらに南下できたけど、走るって言うよりピョンピョン跳ねる感じになってきたのが不安だった。

 いつもはなんとなく避けているガラパン地区に宿泊した。普段はガラパンにあまり良いイメージはないけど、前回宿泊した北部ホテルでホテル内の息子2才の食事に手を焼いたことと、ガラパンには息子2才の大好きな優しいフィリピン人のお姉さんのいる飯屋があることでガラパンに決定した。この点は成功した。

 フッフッハー。ということで針路を東に向けてビーチロードへ。教会を確認すると北に戻る。グアム銀行あたりでさらに東へずれてミドルロードへ。そういえば10数年前にサイパン島に来た時はこのあたりは山に向ってただの林だったような気がする。その頃ちょっと散歩をと思って山道に入り込み1時間ほど元に戻れず、暑い中目眩を起こしながら、やっと見つけたお婆さんのやっている掘っ立て小屋の店でアイスキャンディーを買ったことを思い出した。
 途中スケートボードをしてる子供に遭遇、っていうかサイパン島では初めて見た。

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 フッフッハー。そのままミドルロードを北上。といってもこのミドルロード沿いはあまり面白い風景は無さそうだ。むりやり総合病院に入ってスロープを走って戻る。そしてそのままガラパンの繁華街に突入してアメリカン・メモリアル・パークに入る。息が切れたので公園内を歩くことにする。アメリカン・メモリアル・パークは戦後50年に戦争で亡くなった米兵及びサイパン人の慰霊のために建てられた。ウォーキングやジョギングに最適な円形の公園になっている。

 フッフッハー。その後、メモリアル・パークをさらに北に向う。フェリーの発着所を抜けた辺りでどこからか大音量でビートルズのタックスマンが聞こえてくる。前を見ると地元の男性が車のドアを開けっ放しで聴いている。
 このあたりからいくつかの入り江が並んでいてヨットなどが泊めてある。何人かの男性がボンベを担いで歩いている。朝早くからダイビングのための機材を船に乗せている。お疲れ様。
 中学生くらいの子供たちがボートから上陸する。テニアン島あたりから通っているのか南の方から通っているのか分からないけど連絡船になってるらしい。かわりにおばちゃんたちの集団が乗り込む。
 そしてタナパグ湾のちょっと手前までくると地元の人たちが朝の散歩をしている光景が目に付くようになった。このあたりで折り返しホテルに向うとちょうどいいだろう。

 その後メモリアル・パークまで戻り公園内を歩く。この時間になると何人かの観光客がウォーキングを始めている。だいたいすれ違う人たちは韓国人か中華系の人たちだ。すれ違うたびに朝の挨拶をしながらメモリアル・パークを抜ける辺りで朝の太極拳集団を発見。これ目にするの香港以来だな。
 そしてウインドサーフィンの用意をしている白人たちを横目にもとのビーチへ戻る。もう気温もグングン上がって汗だくだ。部屋に戻るとすぐにシャワーを浴び、全裸で海を眺める。ああ気持ちいい!

 走ってるだけの話なんてガラパンが分からない人にはサッパリだよね。まあ旅行に行ったら朝ちょっと運動するとその日一日体軽いよ、てことでお勧めです。

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2005/08/03

テニアン島の平和式典

saipan200507-02

 サイパン島到着日の夜、某ホテルのロビーで通りかかった白髪の男性から息子2才が「かわいいね、何才?」と声をかけてもらった。彼は近くにあるアメリカン・メモリアル・パークへ行ってきたという。

 しばらく立ち話をしているうちにこの方が、「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」の関係者で、エノラ・ゲイやボックス・カーが原爆を積んで広島、長崎に向けて飛び立ったテニアン島での平和式典に参加するためにここサイパン島に来ているということが分かった。

 帰国後少し前のニュースを探すと、広島・長崎で被爆された3人の方が8月6日に行われるテニアン島での平和式典に、被爆者として初めて招待されたということが分かった。そして被爆体験を語る。戦後60周年を迎え画期的なイベントなので、日程があっていたらテニアン島へ行ってみたかったなと思った。

 本来はテニアン島での式典にはエノラ・ゲイの乗組員も集まって別のセレモニーが行われる予定だが、サイパン・トリビューンなどを読むと高齢を理由として今回は見送られる気配もある。裏の理由は被爆者が来ることにあるらしいという推測。被爆者を呼びたいテニアン市長と退役軍人に配慮する知事との間でちょっともめた風でもある。

 帰りの機内でNHKのニュースが流れ、広島の原爆慰霊碑の碑文が傷つけられたという。碑文の主語をめぐる争いは、主語を「人類」とする元広島市長の見解で落ち着いていると思っていたので切なかった。原爆をどこへも落とさせない、原爆による被害者を出させないためには一人一人の平和を願う気持ちが大事なのに。

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