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2005/05/31

キリング・フィールドと権力と栄光

killingF-SP  以前、ローランド・ジョフィの「キリング・フィールド」について書いた。そのころのDVDは出来がいまいちだったことで購入をひかえていた。最近になって画質も少し良くなって特典もついて、ついでに字幕もON/OFF可能になった「キリング・フィールド スペシャル・エディション」→amazon.co.jpがリリースされた。だから買ってみた。

 カンボジアと言えばで今だ引っ張り出されるシドニー・シャンバーグ。「キリング・フィールド」は彼のピュリッツアー賞受賞作(1976年)「Death and Life of Dith Pran.」を元にした奇妙な男の友情を描いた映画である。何回も観ているのに不覚にもまた涙が出てしまった。男の友情で涙が出たのは20年も前のことで今回は「アンカ(ポル・ポト率いる革命組織)」に疑問を持ち始めたあるクメール・ルージュの男が、自分の息子を主人公であるプランに託して殺されてしまうシーン、そしてその幼い息子も地雷の餌食になるシーンでいってしまった。子供をもつとこんなところがとても辛くなる。
 ベトナム戦争に端を発する米軍による相次ぐ誤爆、米軍の撤退、アンカを中心としたクメール・ルージュによる虐殺までを映画の中に順序よく描いているから、当時カンボジアに何が起きていたか理解しやすい。友情がテーマでもこちらに目が向いてしまうのはしかたがない。
 文革前夜、毛沢東による農業社会主義とその弾圧を目にしたポル・ポトがいかにカンボジアでの虐殺に及んだか、また西側を中心とした自由主義がどれだけ不甲斐ないヨレヨレなものだったか。そんな両陣営のダメぶりもバックに描いている。シャンバーグの米国人的な嫌らしさも特典によれば意識的に描かれているらしい-なるほど。それでも共産主義幻想から覚めたばかりの時代の映画だからまだまだ先は長いよといった感じだ。映画はまだまだ中途半端な西洋観なのだと思う。そいうえばローランド・ジョフィ、次の映画が「ミッション」だなんてどうしてなんだろう。

 平行して、意識的ではなかったけど、1930年代にメキシコで起こった共産主義革命によるカトリックの弾圧を描いたグレアム・グリーンの「権力と栄光(ハヤカワ文庫 ep)」→amazon.co.jpを読んでいた。カンボジアもそうだし中国もそうだけど共産主義幻想の高まったあの時代はいたるところで多かれ少なかれ同じ悲劇が繰り返される。共産主義だけではない台湾の2.28事件を描いた侯孝賢の「悲情城市」のような白色テロもあった。なにか僕には理解できない力が働いて人間を殺す。どんな理由であれ人殺しは嫌だよ。ということでこんな映画を観たり本を読んだりしてしまうのかなとも思う。
 ところで「権力と栄光」(解説によるとカトリック的に力と光)は、なかなか理解の難しい(抵抗もある)カトリシズムないくつかの小説に比べ格段に理解しやすいし面白い。名匠ジョン・フォード監督の「逃亡者」の原作だが、著者も述べているように「逃亡者」のほうはちょっとおかしな脚色がされているようだ。原作の意図を180度捻じ曲げたような、まあ1960年代以前の西部劇のようなものらしい。インディアンは共産主義者ということか。辛いよね。

 ところで何か変だなと思ったら、今読んでるナギーフ・マフフーズの「渡り鳥と秋」(季節はずれ?)はエジプト革命、細かく言うと1952年のスエズ運河でのドンパチから始まる。そういうつもりで読み始めたわけじゃないのにね。

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2005/05/25

カエターノ!

DOMINGO  カエターノ・ヴェローゾCaetano Veloso(本blogで3回目の登場?)が日本でライブをしているようです。残念ながら処々の都合で行けません。骨抜きになりたかったんだけどなあ。

 ということで仕方なく「ドミンゴ」→amazon.co.jp「ムイト」→amazon.co.jp「リーヴロ」→amazon.co.jp「トロピカリア2」→amazon.co.jp「エストランジェイロ」→amazon.co.jp「ジョイア」→amazon.co.jp「フェラ・フェリーダ」→amazon.co.jp「シネマ・トランセンデンタル」→amazon.co.jpやオマケで「カフェ・カエターノ」→amazon.co.jp等をiPod shuffleに入れて聴いてます。空しいです。
 リストを見れば分かるように最近のアルバムが入ってないのがさらに難点です。

 悔しいね、東京にいるのに。

余談ですがJALのサイパン線廃止?だそうです。JALのマイレージの使い先が今までサイパン無料航空券だったからなあ。今後はどうしようか悩む。ついでにマーシャル諸島についての米国立がん研究所の報告も気になるな。

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2005/05/23

ロマン・ポランスキー短編全集

 先週は徹夜をしたり出張に行ったりでなにかと忙しかった。家に帰ってノンビリとするのにうってつけかなと思い「ロマン・ポランスキー短編全集」→amazon.co.jpを観た。ポランスキー研究なんて結構流行ってたから詳しいことはそっちとして、ポランスキーについてちょっとだけ。

POLANSKI  いつ頃だったか覚えてないけど随分昔に「へルター・スケルター」という映画をTVで観た(タイトルはビートルズのあれだね)。なかなか気分が重くなる映画で1969年のシャロン・テート殺害事件がテーマだった。有名な話だけど、殺されたシャロン・テートはポランスキー監督の当時の妻で、ハリウッドにある友人宅でチャールズ・マンソン・ファミリーによって殺害された。
 ポランスキーは当時、映画「ローズマリーの赤ちゃん」が成功していたが、(文字にするのも気が滅入るな)殺されたシャロン・テートは妊娠8ヶ月だった。アメリカには今だフラワー呆けした連中にチャールズ・マンソンにイカレてる人間がいるらしい。怖い話だ。

 ポランスキーはフランスでポーランド人の父とユダヤ人の母の間に生まれた。その後ポーランドに移住したが母親が収容所に送られ息を絶える。そのポーランドでの経験が「戦場のピアニスト」に反映されているらしい。

 ポランスキーのこのDVDはポーランドはウージの学校時代の作品が半分以上を占めている。「水の中のナイフ」が出来るまでの道のりを順番どおり収録している。
 特にウージ時代の「タンスと二人の男」はポランスキーの現在に至るまでの作品の中でも傑作とされるもので、海の中から現れた箪笥を担いだ二人の男が箪笥を担いだまま町を歩き、さまざまな出来事を経由してまた海に帰る。箪笥に貼られた鏡の演出も含め現在のポランスキーに繋がっているのがよく分かる。そしてやはりコメダの音楽が素晴らしい。映画音楽ファンやジャズファンに言わせれば初期のポランスキー作品といえばクシシュトフ・コメダである。残念かつ奇妙なことにコメダは「ローズマリーの赤ちゃん」の音楽によるアカデミー授賞式に向う途中で事故により亡くなった。

 なにかとタブロイドな話が多くなるけど、ロマン・ポランスキーのつくる映画はそういうネタと一緒に並んでもおかしくない稀有な映画だと思う。シュールに感じる幾つかの部分はそういった体験とそれらの追体験表現の試行とも感じてしまう。だから初期の作品は観て面白い。重い映画だと勘違いされると困るので弁解すると、出張帰りの疲れた頭にはとても優しい映画だったし、短編集を観ることそのものが15年近くお休みだったので何か懐かしい気分だった。

 最後にまた非道徳な話だけど、ポランスキーは過去アメリカ滞在中にクエイルードを使った未成年に対するレイプを行い、今だアメリカに入国出来ない。被害者であるサマンサ・ガイマーさんの話は興味深い。レイプで拒絶反応しちゃう人はとりあえずこのあたりを読んでからポランスキーの映画を観た方がいいかもしれない。どこで相殺していいのかよく分からない混沌とした人だね。

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2005/05/17

徹夜などしてます

photo17

今日(5月17日)は徹夜などしてます。

というわけでblogのほうも更新できてません。

なかなか変わらないね。この状況。

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2005/05/12

ヘラクレスの柱

Theroux  随分とノンビリ読んでしまいました。ポール・セロー(セルー)の「大地中海旅行THE PILLARS OF HERCULES(NTT出版)」→amazon.co.jp、間に何冊かの本を挟んで1ヶ月ちょっと。つまらないとかじゃなくてホント、ノンビリ読んでしまった。旅行日数も500日なんて書いてあるから。その他に何故か読むのは新幹線の中だけと決めてたこともあった。

 ジブラルタルの岩からセウタのアビラ山まで地中海沿岸を飛行機を使わずぐるっと周る旅(実際にはぐるっとはいかない)。1993年から1995年にかけてのほぼ地中海沿岸だけ。日本によくある自分探しの漠然とした、ある若者(東京で就職したけどすぐ五月病になってしまった人たち)向けの紀行文とはちょっと違う(でも安あがりなホテルは一緒)。緩い進路設定で得られる体験とポール・セローらしい少々きついウィットと引用の数々。もちろん相当の苦労話ではある、けど湿っていない。チュニジアで旅の終末を感じさせる下痢からルヴァンテが吹き荒れるジブラルタル海峡までの演出がセローの他の小説を思い出した。ちょっと気恥ずかしい締めはあるけどお薦め。本当に500日くらい旅行した気分になると思う。

 彼の作品を読んでると結局そうなっちゃうけど、今回も旅の中で出会う同業者ナギーブ・マフフーズとポール・ボウルズの作品をいくつか注文してしまった。エンディングよろしく地中海から解放されなかったということかな。

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2005/05/08

母から父へ

 今回はロック/ポップスではなくクラシック音楽。ちなみに文章に出来るほどにはこの分野に対する知識は深くないことは分かっている。子供の頃はクラッシック!と言ってたくらい。しかもこれから書くのは超有名盤のことなので中身の話は出来ない。何故書くかというと母の日だからだ。

walter  そのクラシック音楽の中で唯一腐るほど何度も聴いたレコードがあった。ブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団の「マーラー:交響曲第1番」→amazon.co.jpである。
 父は叔父と結託して「ドアーズを聴け!」「ベルベット・アンダーグラウンドを聞け!」と僕をロック漬けにしようとしたけど、クラシック音楽も大好きだった。とりわけグスタフ・マーラーの大ファンだった。ついでにオペラ!の大ファンだった。またレクイエムなどもよくかかった。だからケネディ暗殺後はケネディ葬式版モーツァルトの「レクイエム」がよくターンテーブルにのったらしい(僕の生前だけどね。父曰く「このモーツァルトはあまり良い演奏じゃないな」とか「ケネディといえばキューバ危機の時はまた戦争かと思ったよ」とか)。

 その数あるクラシック音楽の中で、このマーラーの1番がtornos家(仮名)で特別なのは、昭和39年、今は亡き母が父に贈ったプレゼントだからだ。今も我が家に現存するそのレコードの上品なジャケットには母の手書きで父へメッセージが書かれている。
 クラシック音楽がさっぱり理解できない母もこのレコードだけは聴いた。マーラーの1番には沢山の録音があるが、このレコードはとりわけ甘ったるく-かつそのテンポ自体が曲の記憶として残るほど素晴らしいテンポだと思う。

 そういえば僕は母の日が大嫌いだった。学校では母の日に白いカーネーション(ミス・ジャービス的にはこれが本当?)を受け取ったが、同級生にからかわれるだけでなく担任の教師や大人から受ける妙な気遣いが嫌だった。子供の頃は母の日なんか無くなってしまえと思っていた。だから長い間母の日の存在を忘れていたのに、それが最近は、「今日は母の日だな」と思うわけだから僕も大人になったものだ。そしてこのレコードのことにも。

 僕はこのレコードがCD化された際、滅多にしないことだけどCDを父にプレゼントした。父はCDを開けるなり、当時使っていた大きなオーディオシステムから比べれば随分小さくなってしまったBOSEのウェーブミュージックシステムにCDをセットした。そして流れてくる第一楽章を聴きながら「やっぱりこれが一番安心して聴けるな。バーンスタインなどより全然いいよ。これよりいいレコードはないな。」と呟いていた。

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2005/05/06

神峰神社大祭禮

 馬の通り道にボトボト落ちてる馬糞はどうなるのかな?パリのモンマルトルの犬糞の道を思い出すな。片付けるんだったら乾いてからかな?それに祭りから引き上げてくるオジサンたちの集団歩きタバコ。息子の目線にタバコがあってすれ違うのが怖かった。例えて言えばパリのシャンゼリゼかな?

kamine1  先日、父方の実家に車を泊めて息子を連れて近所の遊園地へ行こうとした。良くない警告は聞きながらも行ってみると実家の前の通りは通行止め。2日後にひかえる7年に一度の「神峰神社大祭禮(神峰神社大祭礼)」の準備のためである。実家は茨城県日立市の大雄院通りと呼ばれる狭いその通りにあって日中は身動きがとれない(と思ったら実は実家の駐車場へ裏から行けた)。5月3日~5日の3日間だった。

 そのお祭りには「日立風流物(国指定重要有形・無形民俗文化財)」という高さ15m重さ5tもある巨大な山車が4台出て、その山車では大掛かりなからくり人形劇が行われる。山車の中には40~50人くらいの人形遣いやお囃子隊が入り、それを大勢の人間で操る。
 僕は子供の頃、今は無き大雄院幼稚園というその通りにあった幼稚園に通っていて、今で祖父の家の前で行われた祭りの興奮を覚えている。この山車は米軍の焼夷弾攻撃により大半を焼失する甚大な被害を受け、僕が生まれる少し前から復興作業が行われたせいか当時はそんな熱気があったのだと思う。

kamine2

 先月は僕の家の目の前で毎日のように「佐々羅(ささら)」という舞いの練習が行われていた。子供による獅子舞で、これも風流物と同じ日に行われる。毎日家の中まで笛や太鼓の音が聞こえてきて毎日なかなか風流な感じだった。しばらく地元を離れていたせいかあまりこの獅子舞についてはよく分からなかったけど、近年の力の入れようを見てると地元の人たちの熱意が感じられる。

kamine3  ということで今年の神峰神社大祭禮に行ってきた。写真はあまり撮らなかったので風流物についてはこっちなどを参考に(日立風流物(日立郷土芸能保存会本町支部による)http://www.jsdi.or.jp/~masahiro/

 ところで何年に一度というと、僕の母方の実家のある茨城県北茨城市の大津港では「御船祭(神船曳祭り)」というお祭りがあって、これがまた5年に一度、町の中を御船と呼ばれる大きな神船を引っ張りまわす。こっちは日立の祭りより荒々しくて道沿いの家が壊れるんじゃないかという迫力。
 それでで、これも実家の前の道を通るため車で実家に出入り出来なくなる。佐波波地祇神社へ行く途中では大漁旗がはためいてそこが漁村だということを思い出す。
 そういえばこれまた子供の頃、親戚のおじちゃんの漁船に乗って盆の灯篭流しに行ったな。横に並んだ漁船が何mも上に行ったり下に行ったりはよく覚えてる。ついでに実家の近所には石井竜也さんの実家があって、子供の頃彼らと時々遊んだらしいんだけど、こっちはよく覚えてないんだよね。

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2005/05/02

慰霊と文化の旅

saipan050

 それにしてもサイパン島はちょっと行って遊んでくるだけではもったいない場所だと思う。そしてミクロネシア文化圏への入り口がこんな簡単に行ける所にあるというのに観光と伝統文化がうまく連動していないのが残念なところだ。僕にはサイパン島には不思議なマスクがかかっているように思える。

 文化以外の面に目を向けると、6月には天皇、皇后両陛下がサイパン島を慰霊訪問するらしい。サイパン島にはそれぞれに立場の異なる沢山の慰霊碑がたっている。お手軽な敷居の低いリゾートというイメージ以外にそこが激しい戦場だったことが分かる。
 特別な思いがある人を除けば戦争が観光の目的にはならない。これから紹介する本で言えば、戦争と観光が戦勝国でしか有効的に機能しないという現実、それがグアム島やサイパン島などの文化施設へ訪れる日本人の割合に反映されている。

 というわけで、この慰霊の旅のついでに簡単にミクロネシアの現状を分かりやすく解説してる本を思い出してみると「観光コースでないグアム・サイパン(高文研)」→amazon.co.jpが我が家にあった。お年寄りの本棚に並ぶサイパン玉砕という文句が躍る気分の重い大戦物よりは入りやすいし、戦争以外のこと政治、観光、産業、原爆実験などについても分かりやすく書かれている。文化面についてはほとんど触れられていないが、それは出版社の性格かな。

guam-saipan  この本を軽く再読して思い出したけど、サイパン島にはあまりの低賃金が米国本土から問題視されている圧倒的な数の出稼ぎフィリピン人(観光客の大半はフィリピン人をサイパン人と勘違いしてるかもしれない)がいる。
 たしかにガラパンなどではホテルなどを除きチャモロやカロリニアンなどのサイパン人はあまり見かけない。居住区も特定の地域にかたまっていて人数も意外と少ない。ほぼ彼らのみに選挙権が与えられて、サイパン全人口の割合から見るとひどいバランスになっている。
 あるチャモロと会話したときに彼が古い錆びた乗用車とピカピカの日本車を指して「汚い方はフィリピン人の車、きれいな方はサイパン人の車」と差別感たっぷりに笑っていたのには苦笑した。そんな彼らの雰囲気は注意していれば色んなところで見れる。
 このあたりの嫌な差別感は戦後の歴史の中で生まれたものだ。彼らの一部はそんな狭いエリアでの優越感で自分の居場所を確保している。それもアメリカという存在の大きさのためだろうか。目の前にぶら下がったスパムの誘惑に負けない小国を作ってほしい。経済力の魅力が大きいのは当然だけど、マーシャルやパラオではもう少し違った政治的決断をしているわけだし。

 ところで、最近は目がなれて誰がカロリニアンかは分別できるようになってきた。嬉しいことに少々口の重い邦人に比べ、直接声をかければ現地のカロリニアンやヤップ、チューク等からの出稼ぎの人たちは(たとえば腕に彫った刺青などから)自分たちのことをよく話してくれる。そういう機会が簡単につくれる島になってほしい。ところで以前サイパン国際空港に展示してあったカヌーはどこへ行ったのかな。

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