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2005/01/31

SMiLE Tourへ行く

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 Vega-Tablesでは手が空いているミュージシャンは皆野菜を手にしていた。日本調達だろうから大根があったのが良かった。

 まず間に休憩時間15分があるというのもロック・コンサートとしては異例だろうけど、その休憩時間に出来上がった男子トイレの行列が物凄くて、対する女子トイレに行列が出来てないというところがこのブライアン・ウィルソンBrian Wilsonの人気を表していた。中野サンプラザは満席にできても、到底東京ドームを満席にできない超カリスマ大物アーティスト。来ている女性の大部分は彼氏もしくは夫に、有無を言わさず散々ブライアン・ウィルソンを聞かされ麻痺してしまった、もしくはその素晴らしさにパートナーと共にははまってしまった人たちに違いない。

 私見だけどオーディエンスの年齢層も20代後半から60代位と高く、中心は30代、40代だろうな。普通は何かのライブがあったりすると格好や年齢層などから「この人このライブの客だな」なんて分かるものだけど、中野サンプラザの前に沢山集まっている人たちは、集まってなければSMiLE Tourの客だなんて分からないくらい中野に溶け込んでいる。
 一人一人を見ればかなりバラエティに富んでいて普通のおじさん、おばさん、子連れ、大学生、喫茶店のマスター風な人、レコード屋の店員みたいな人、業界の人、普通のサラリーマン、普通のOL、普通の主婦、マニアな感じの人、町工場の社長風、バンドマン、DJ?、渋谷系の生き残り、外国人とこれも勝手な判断。一つの町を形成するために必要な人種がほとんど揃っているのでライブの客だなんて分からなくて当然?あえていえば子供、若者のいない住民の平均年齢が高い町。せっかく気合を入れてお洒落をしてきた人がいても霞むなこれは。
 そしてグッズ売り場には長蛇の列。時間的に余裕がない上にブライアン・ウィルソンだからパンフレットぐらいみんな買うんだろう。こんなになかなかグッズが買えないのも初めてかな。冗談だけどチケットがもともとexpensiveだから、チケットにパンフレット代くっつけて入場の時に配ってしまえというところ。
 それと僕の大注目はコンサートが始まる前に席で文庫本を読んでる人たちの多いこと!

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 とライブ以外のことをうだうだ書いて、じゃあ実際の中身はどうなんだと怒られそうだけど-僕も上記の人たち同様ブライアン・ウィルソンのファンだからね。いきなりアコースティック・セットでAnd Your Dream Comes Trueではなくて予想外?のSurfer Girl 。アコースティック・セットで聞かせるハーモニーは絶品というか結婚式の余興でやってくれないかなとふと思う。最初の方でブライアンが「ライターの火をつけて」みたいなジョークを言ったけど、会場ではかなりまばらにライターの火がついた。喫煙者の人口が相当減ってるのか?とりあえず僕も火をつけてみた。
 アコースティック・セットからバンド・セットへの切り替えは見もので、You're Welcomeって曲は何?と思ってたけど、この辺りはまだ見てない人にはあまり言わない方がいいか(既にどこかで書かれているけど)。バンド・セットの方は想像以上に演奏の質が高くて、過去にもこんなプロフェッショナルな演奏聞いたことないな。
 第2部の「SMiLE」の全曲演奏はアルバムを遥かに超えてた。ライブだから当然迫力やマニュアルなうねりがあるわけだけど、ブリッジや転調が強調されてワクワクした。
 とはいえ、すっかり神聖なムードになってしまってロックンロールのコンサートじゃないよ、皆クラシックのオーディエンス状態だった。本当は1曲目から立ち上がって見たい気分だったけど、我慢しなくちゃならない感じだった。Roll Plymouth RockとかSong For ChildrenとかWind Chimesとか組曲以外では日当たりの悪そうな曲がかなり良かった。そしてステージ上でくるくるまわる照明-あれは良かった。

 ブライアン本人のことを書くのを忘れてた。衣装の色がバックと馴染んでしまって、席が遠かったから最初は誰がブライアンか分からなかったよ。でも恐れていた普段着ではなくてウエスタンな感じだったからSMiLEのテーマにはぴったりだった。そして彼は大きいジェスチャーをとって、あれは指揮者だった。彼の突発的なテンポ調整にもバンドはよくあわせていた。

 帰りの混雑の中、アルバム「SMiLE」にも参加して今回のツアーに同行しているストックホルム・ストリングス・アンド・ホーンズ(Stockholm Strings and Horns)のメンバー(チェリストのMarkus Sandlundさん)が、例の津波でプーケットで行方不明という看板。帰るときの気分を何か変えたなあ。未だ情報求むという感じなんだろう。

 帰りの中野駅。沢山の客が中央線に乗ったはずだけど、既に新宿で誰がSMiLE Tourの客だか分からなくなってあっという間に日常の風景になってしまった。

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2005/01/28

台風1号「クラー」

 サイパン滞在中は生憎の曇り空が続いた。だから海にあまり行くことも無くガラパン地区に2回出かけた。シュノーケリングすらしないサイパンは珍しいと思う。だから時系列でサイパンのことを書くことから少し逸脱して、今回のサイパン旅行を象徴したことを先に。
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 ガラパン地区にあるジョーテン・ショッピング・センター前のL字型の通路沿いには、「××マッサージ」、「○○指圧」等々呼び込みの中国人たちが並び、休み無く通行人に声をかける。一人一人はそれほどしつこくも無いが何件もの店の呼び込みが続き、いつもなら少しうざったい感じの場所だ。
 その日は家族がショッピングをしている間、僕は息子を連れてジョーテン・ショッピング・センターの前をうろちょろしていた。正確には息子の指差す方に向って歩いているうちに、その通りを何往復かしていた。そして息子が呼び込みのお姉さんたちに愛嬌を振りまいてるうちに、何人かと仲良くなって立ち話をしたりした。

 一人の中国人女性は、生後7ヶ月の娘をあやしながらの呼び込みをしていて、結局子供同士の国際交流も実現した。いつも慎重な息子は少し怯えていたけど。
 そしてぼんやりと気づいたことだけど、ガラパン周辺は微妙にチャイナタウン化しているのか、観光客じゃない中国人の子供も多少見かける。サイパンでもっとも多いだろう外国人であるフィリピン人は女性の単身出稼ぎが多く、子供は自国の家族に預けていることが多い。お国柄かな。ある日本料理屋で楽しく息子の相手をしてくれたフィリピン人のお姉さんは3人の子供がいるそうだが彼女も単身出稼ぎだろう。

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 話が横道にそれた。そういうことでショッピングも終わりジョーテンを後にしようと思ったところ、呼び込みのお姉さんの一人が「明日は台風よ。」と言った。台風?たしかに少しずつ風も強まり雨がポツポツと降ってきた。
 ホテルに戻ってテレビで気象情報を確認すると、たしかに台風みたいな形状の雲の中にサイパンやグアムが突入している(逆か?)。

 そして次の日の朝早く。どんよりとした雲の下、椰子の木は大きく揺れ、いつもは静かな環礁内の海も風に大きく時化って、これは台風だろうという風景が部屋の外に展開していた。再度テレビで気象情報を確認すると「Tropical Storm KULAP」と出ていた。Tropical Stormが台風なのかどうか分からないがKULAPという名前もついてるし、とにかくStormy Mondayだ。
 飛行機の具合が心配なので、ホテルのフロントに「これ台風ですか?」と確認。すると帰ってきた答えは「心配ありません。南国のいつもの天気ですから。」と言われる。たしかにほどなく雨風も弱まり帰りのダグラスDC10も飛んだ。ホテルのチャペルでは結婚式もやっていた。でも海で遊ぶのは危険かな。ホテルでは何のアナウンスもないけど。

 日本に帰った翌日、テレビをつけると森田さんが「これは台風1号です。」と言っていた。1月早々台風かと思ったが、説明によると実際は去年の台風の続きで年が明けたから1号。カロリン諸島付近で発生した。
 ちなみに英語でいうtyphoonは最大風速33m/s以上の強い台風で、弱くなるに従ってsevere tropical storm→tropical stormとなるらしい。知らなかった。
 そして、この台風1号の名前「クラー (KULAP)」はタイ語でバラのことらしい。

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2005/01/27

一周年

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 特別に何か変化があるわけではないのですが無視するのもどうかな、と1周年です(正確には明日)。記事のほうもちょうど200番。小学校の夏休み以外は日記すらつけたこと無いから、最初は3ヶ月もつかなと思ってたけど、慣性の法則って感じで今日になりました。
 ヘタクソな文章ですが、読んでいただいた方全てに感謝です。

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2005/01/26

DC10にて

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 なかなかサイパンに着かない。まだ旅客機の中です。

 ところで今回のサイパン行きは、閑散期のせいなのかいつもそうなのか、機体はロッキード事件縁のダグラスDC10だった。250~260人程度乗れる小さ目のやつ。国際線はもう少しで引退なんていう話も聞く。80年代はよく航空機事故のニュースを見たけどこれも記憶にあるな。

 そんなDC10、エコノミー席専門の僕にとっては某イング社のシートよりちょと過ごしやすいことに気がついた。席は左から2、4、2で今回のように大人2名、手荷物状態の息子1名で窓側の席をとった場合、プライベートが確保しやすい。トイレなどにも行きやすい。そして子供がいるとフライト中は席と席の間の肘掛を上げておきたいところだけど、スクリーン前の真中の4つ続きのシートでも右側2つのシート間の肘掛を上げることが出来る。ちょっとしたことだけど子連れで周囲を気にする人にとってはシートのつくりは重要だ。

 余談だけど今回の××ウェイズ、いつもは客室乗務員も外国人が多くて、その外国人スタッフがとてもよく働き、よく気が利いていた印象だった。しかし今回はほとんどが日本人スタッフ。案の定、何回呼び出しボタンを押しても気がつかない。忙しいのは分かるが時々は天井のランプ見てよ。病人が出たときとか心配だな。

 やっと窓の外にサイパン島が見えてきました。「サイパンは曇り、気温は28度です。」とアナウンスが。これがずっと続くとは。

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2005/01/25

成田空港にて

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 実は今回のサイパン旅行、ほとんど何もせずに過ごしたため報告することがほとんど無い(ついでに理由もあって写真もほとんど無い!)。だからこんなことでも、ということで成田空港。

 これでは子連れ旅行記になってしまうかな?とにかく前回のバリ島に引き続き1才7ヶ月の息子を海外に連れ出したわけだけど、今回は成田空港第2ターミナルのプレイルーム(キッズルーム)を利用した。幸運なことに搭乗口の近くだったので搭乗時刻いっぱいまで利用できた。

 プレイルームに入るとまず、機械的な口調で入り口のおねえさんに「飲食はだめです」みたいな注意事項を聞かされる。中には滑り台や縫いぐるみやシーソーやディズニーのビデオ(この時はファインディング・ニモ)などがあってほとんど子供を放し飼いにできる。親は楽できるし息子は遊び疲れてきっとフライト中は多少寝てくれる。子供なしの旅行の時は全然気にもとめなかったけど子連れには必須の施設だと実感した。ゆっくりと準備もできる。ついでに第2ターミナルの場合、愛煙家の方にしか関係ないがプレイルームの近くには喫煙所もある。

 僕たちがプレイルームに入ったときにはまだ誰もいなかったけど、その後どんどん子連れ家族が現れてあっという間にプレイルームは子供だらけになった。そしてその大半がサイパン行きの飛行機に乗って、結果サイパンでもたびたび顔をあわせることとなった。

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 おまけで離陸待ちの旅客機の行列。僕たちが乗っている機体の前にも1機、後ろ(写真)にも5機以上ずらっと並んでいる。目視ではかなり可笑しかったんだけどね。

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2005/01/24

千葉商店のコロッケ

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 超ローカルなことですみません。久々に千葉商店のコロッケ、いわゆるチバのコロッケにありつけて感激です。(写真は急遽携帯でとったので汚いです。奥の丸いのがチバのコロッケ)

 千葉商店は祖母の家の近所にあり、おばあさん一人でやってます。そのお店の横についている厨房からチバのコロッケが生まれます。その厨房はバリ島のどんなワルンも真っ青の、おばあさん一人がちょうど入れる位の広さの全ての壁が長年の油で真っ黒になった、たいへんな歴史を感じるすばらしい厨房です。普通の人は怖くて注文できません。
 味の方は普通のコロッケとは似ても似つかないものです。形はボール状、中身はジャガイモとひき肉(豊富)であくまで普通ですが、コショウと化学調味料の量とバランスだけで通常のコロッケとまったく違うものにしています。麻薬でも入っているかのようにあとをひきます。化学調味料が味の決め手というきわめて珍しいコロッケです。そして1個50円、重さは200円分くらいあります。

 ところでこのコロッケを手に入れるためにはコツが必要です。日中はほとんど店に並んでいるのを見ません。理由はおばあさんが一日の業務を終えて「今日はコロッケ作ってもいいかな」と思ったときに作るからです(手間がかかる)。だから直接予約するか、夕方以降に何度も足を運ぶしかありません。場合によっては作らない日もあるし、夜の8時ころに行くとあったりします。周りは年寄りばっかり住んでるのに夜の8時にコロッケを作って「今日はコロッケ売れねーな」なんて言ってるようです。

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2005/01/21

通勤の音楽(マーヴィン・ハムリッシュの007)

SpyWhoLovedMe
 アナログ盤を1枚買うと小遣いがなくなる位の財政状態だったころの'77年。どうしてもほしくて親父にせがんで買ってもらったのが、「007/私を愛したスパイ」→amazon.co.jpのサントラ盤だった。映画は爆発的にヒットしていた。少しずつ内容も大袈裟化していった007シリーズもこの映画で一気にマンガ映画化し、既にSFを超えてしまった。

 音楽は007といえばのジョン・バリー(大好き)ではなくてマーヴィン・ハムリッシュ。これまたジェームズ・ボンドのテーマをアレンジした「BOND'77」がディスコ・ヒットしていた。これが格好いいと思ったわけである。YMOみたいにシン・ドラムのピューン、ポポーンっていうのが。
 マーヴィン・ハムリッシュといえば、「スティング」という映画でスコット・ジョップリンのラグタイムをピアノで弾いてアカデミー賞をとった人だから、'77年のディスコ真っ只中にあってディスコ・アレンジをしながらも、洗練されていて非常に洒落たナンバーをこのサントラに詰め込んだ(僕は監督のルイス・ギルバートもお洒落監督だと思っているけど)。これが舞台のエジプトやイタリアのサルディニアの風景にもぴったりだった。ちょっと能天気すぎなところも良かった。

 この映画でカーリー・サイモンが歌うテーマ曲「Nobody Does It Better」は僕にとって女性ボーカルが歌ったポップスの中で最高のもので、それはもう27年余り変わらない。そこまでではないにしても、本当に素晴らしいので知らない人は是非聴いてみてほしい。曲のタイトルはちょっとエッチな状況。

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2005/01/20

通勤の音楽(CD最初の一枚)

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 ipodで全曲シャッフルしていると、すっかり忘れていた曲がかかることがある。それが初めて買ったCDだとかなり感慨深い。
 昔々、1982年にコンパクトディスク(CD)が発売された。そして僕が毎日足を運んでいた近所のレコード屋には、当時のSONYの売れ線アーティスト-松田聖子やらシャネルズやらビリー・ジョエルやらフリオ・イグレシアスやらの3500円CDが並んだ。
 新譜がどんどんCD化されていったものの、しばらくはアナログ盤を購入していた。しかしあっという間にアナログ盤はCDに押されて、頑固も限界で、遅れること7年の1989年についに僕もCDを購入することになった。
 その最初の1枚がゲフィンからでていたマリア・マッキーのファースト・アルバム、「MARIA McKEE」→amazon.co.jpだった。

 ジャケットの写真が写真だからか、複数の友人から「こういう女が好みなんだな」と言われ戸惑ったが、どうもこのCDはジャケマニアの欲望をそそる誉れ高いCDとして有名らしく、実際にCDを聞いたら想像とはかけ離れていて少々がっかりするに違いない。
 80年代に彼女が所属していたバンド、ローン・ジャスティスLone Justiceが来日したときのインタビューをテレビでみたけど、一言で言えばUntamableな女である。彼女の兄さんがラブLoveのブライアン・マクリーンBryan Macleanだから頷けないこともない。だから上記のような不純な購入理由ではあまりない。

 ところで彼女のCDはセールス的にはあまりパッとしない。ジャニス・ジョプリンの再来と言われ、とにかく業界、ミュージシャンたちは彼女を何十年に一人の逸材と絶賛した。大概そういう人に大きな成功はないのか。
 彼女がらみのヒットといえば彼女の作品「A good heart(邦題:夢の恋人)」をアンダートーンズのフィアガル・シャーキーFeargal Sharkeyが歌って全英1位になったとか、某映画で使われた「Show Me Heaven」がヒットしたりくらいか。本国より英国での人気の方が高い。分かりやすいところでは、映画「ストリート・オブ・ファイヤー」や「パルプ・フィクション」などでも彼女の歌声が聞ける。
 このアルバムの僕にとっての幸運な副産物は、リチャード・トンプソンのギターを初めて聞いたことで、それ以降彼のギターにはまった。最初の1枚としてはなかなか良かったと今も思う。

 ちなみに恥ずかしながら次に購入したCDはスクリッティ・ポリッティScritti PolittiのProvisionだった。80年代とマイルス・デイビスMiles Davisがまだ頭に残っていたらしい。

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2005/01/18

帰国してしまいました

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 この時期に常夏のサイパンに行くと、日本に帰りたくなくなります。が帰国してしまいました。
 今回のサイパンは海パンを着用しながらも海やプールでも泳ぐこともなく、なにかスポーツをすることももなく、買い物をするわけでもなく、プールサイドで本を読むわけでもなく、探検するわけでもなく、日中はボーっとして時々散歩して、子供の相手をしながら飯を食っただけでした。あいかわらずカメラはフィルムカメラですが、まだ現像に出しておらず、報告はそのうちです。

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2005/01/13

ちょっとだけサイパンへ行ってきます

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 貯まったマイルが期限切れになりそうだったので、ちょっとだけサイパンへ行ってきます。所謂の週末リゾートです。
2日ほど前まで行けるかどうか分からなかったから全然用意できないなあ。

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2005/01/12

マンダリンの名盤

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 数年前のこと。僕と同い年の従兄弟が2年ほど住んでいた台湾から横浜に戻ったのを期に久々に酒を交わした。台湾では仕事で一緒に行ってた連中は皆、夜は日本人向けの酒場に集まっていたが、彼は同胞でなれあうのがどうも苦手だったらしく台湾人しかいない酒場に出入りしていた(このあたりは僕に性格が似ている)。おかげで日常会話程度の台湾語を習得した。
 翌朝、彼に自宅の近くまで車で送ってもらった。すっかり台湾にはまった彼のカーステレオから聞こえてくるのは、やはり台湾歌謡ばかりだった。僕が台湾人の歌手で知っていたのは鄧麗君(テレサ・テン)ぐらいという、彼からすれば超素人な状態だったけど、鄧麗君の僕が持っている数少ない彼女のCD、「淡淡幽情」→amazon.co.jp「永遠の歌声~中国語曲のすべて」→amazon.co.jpのことを話すと「鄧麗君いいよねえ」と言って、そこから中国語曲の素晴らしさを1時間語った。

 日本人が鄧麗君をただのムード歌謡のように扱っていたのも今は昔で、現在では中国語圏最大の巨人であることもすっかり定着している。そして中国の古典詩を歌いあげた「淡淡幽情」は彼女の最高傑作である。だから僕がこのCDを持っていても不思議ではないと。そして時が経つのははやいもの、今年の5月8日は彼女の10回目の命日です。

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2005/01/11

Rock and Roll Circus

rocknroll
 (津波のショックでリゾートネタが思いつかない、ということで)

 僕が中学生の頃。男子中学生が共通で認識できる洋楽アーティストなんていったらザ・ビートルズかザ・ローリング・ストーンズくらいだった。それでビートルズ派かストーンズ派かなんて、この世にロックバンドが2つしかないのかみたいなことをやっていた。それで同級生に言わせれば僕はストーンズ派だったらしい。(本当のところは美空ひばり絶句の、当時は顔を真っ白く塗っていたボブ・ディランだったけど)

 何故ストーンズ・ファンにされたかと言うと、親父がストーンズのレコードを沢山もっていて、僕は自分の透明下敷きに当時のデッカ/ロンドン盤におまけでついていたレコードジャケットのシールをベタベタ貼って学校で使っていたからだと思う。記憶では初めて聞いたストーンズの曲はLet It Bleedに入っていたYou Can't Always Get What You Wantで、ロック修行ということで親父に強制的に聞かされた。なんだかんだでストーンズのライブにも2回行ったから、あながちストーンズ・ファンだったと言えなくも無いかな。大人になったらすっかり遠のいた気がする。

 何十年もストーンズ関連のものは買ってなかったけど、ストーンズものとしては久々に12月にDVD化された、「ロックン・ロール・サーカス」→amazon.co.jpを購入した。AMAZONからキックバックされたギフト券を使おうと思ったところ、何を購入していいか思いつかずロックンロールとキーワード検索したら出てきたのが購入理由。

 純粋なロック・ファンからは長期間離れてたけど、正直かなり楽しめた。68年にBBCで放送される予定が、ストーンズ自らパフォーマンスが悪いと判断しお蔵入りした映像だけど、前ふりにタジ・マハール(ジェシ・エド・デイヴィスのギターが観れて良かった)やQuick One While He's Awayを演奏するザ・フー、各種サーカス!、たぶんこれは見所だろうのダーティー・マック(ジョン・レノンとギターの神様とキース・リチャードとミチ・ミッチェル。途中からオノ・ヨーコさんも参加)によるYer Bluesなどが演奏され、最後にBeggars Banquetの楽曲を中心としたストーンズのパフォーマンスがくる。
 問題のストーンズの演奏は悪いどころか期待以上で、DVDらしく特典もいっぱいで超60年代な気分に浸れた。ところでへろへろと動いてるブライアン・ジョーンズは想像以上にムッシュかまやつにそっくりで、本人はブライアン・ファンだから格好が似てるのはあたり前として動きまでも似てるっていうのは、あの動き、どっちが先なのかな。

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2005/01/08

カテゴリ整理にこりごり

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 あと3週間ほどでblogを始めて1年になるので、その前に少しカテゴリを整理してみました。結果-どう変わったのかよく分からないくらいしか変わってないのに、この作業に2時間もかかってしまいウンザリです。

 ということでお茶濁しで、サイパンの評判のイマイチなマイクロビーチの写真もご一緒に。欧米人が写ってるとサイパンじゃないみたいでしょ。

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2005/01/07

津波のあれこれ

 会社の経理の方から「××さんがいつも行ってるところは、津波大丈夫だったの?」と聞かれた。いつも行ってるところはバリ島のことで、大丈夫らしいと伝えると、「そういえば僕の友達が津波の時にリャンッカーイ(ランカウイのことを言いたかった)というところ、タイだっけ?(実はマレーシア)に行っててさ、ホテルの外で食事してたんだけど臨時の防波堤みたいなの作っていて大丈夫で、周りの他のホテルはビショビショで外でご飯食べられなくて大変だったらしいよ」と言っていた。実際にランカウイは津波の影響が少なくビショビショ程度だったらしい。バリ島は震源と同じインドネシアなので心配してくれたらしいです。

 アジアでの存在感を誇示するためのステージになった感のある被災国支援緊急首脳会議のニュースは腹いっぱいだけど、行方不明者に関するニュースはあまりなくて、ネット上では少し前からThe South-East Asia Earthquake and Tsunami Blogというインド発の救援活動のリソースセンター(http://tsunamihelp.blogspot.com/)が話題になっていた。被災者と家族の再会も視野に入れていてblog上に掲示される情報から実際に連絡がついたりしている。flickrで行方不明者写真も公開されている。
 最近、安否不明者の数が発表されて、「連絡しないバックパッカー」みたいな報道がされていたのがバックパッカー一括りで気にはなるけど、米国はその数も日本の5倍で、連絡しないのは米国人の習性みたいな紹介でした。本当に連絡が出来ないなら仕方ないとしても、それにしてもこんな一大事の時に連絡しないでノンキにしているのはどんなものか。僕が想像するバックパッカーは豊かな国からお邪魔させてもらっている自分を自覚している人たちだったんだけど。
 基本的には外務省や各国の大使館、領事館なので補助的かもしれないけど、ネット上での安否情報確認システムも少しずつ出来上がってきてます。スマトラ島沖地震対応の安否情報登録検索システム(IAAシステム) (http://www.iaa-alliance.net)やタイ政府のOfficial Thai Tsunami Information Center(津波によるタイ国内で死傷・行方不明の検索)(http://www.csiphuket.com)など。募金サイト紹介やニュース評が多い中、blogが安否不明者の捜索に力を発揮できることを期待します。

 そんな中今月はサイパンに行きますが、よく言われるのが「サイパンは大丈夫なの?」。(偏見ですが経験から)特に50代あたりの人たちはサイパンが何処にあるかも分からない人が多い。サイパンにガラパン一丁目があったことも!!なんでそこがデッドエイジなのか理由はなんとなく分かります。

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2005/01/06

新年のあれこれ

新年早々、今月は何かと忙しいことに気がつきました。とりあえず正月らしく挨拶回り、仕事も2年前にやった仕事の尻拭いから始まり1月は山済みも高く、出張も何回かあるだろうな。そんな中、14日からは短い休暇のサイパン、30日はブライアン・ウィルソンのライブ。

mochi  正月休み中は12月30日の餅つきによる筋肉痛が辛かった。餅つき大会はメンバーが風邪の僕に気遣ってくれたので例年の半分だけで少し楽させてもらったのですが、それでも2日後に来ました筋肉痛が(まだ所々痛い)。

 スマトラ沖地震以来、どうも南国的に浮かれた記事がメインの僕のblogは辛いです。スマトラ沖地震被災者支援チャリティーコンテンツが@niftyで始まりました。@payで募金できるということなので、小額ですが募金しました。@payなのでnifty会員以外は面倒かも。こちらはユニセフへ。チャリティーコンテンツでダウンロードする壁紙がモルディブの綺麗な風景なので結構辛いです。

スマトラ島沖地震チャリティー公式Blog
スマトラ沖地震被災者支援チャリティーコンテンツ

osomatu ということで正月休み最後の日の夜は「おそ松くん」のDVDを借りて観てました。懐かしいと言えないくらい古いのですが、ジプリものなどはいまだにロリコンものと思ってしまう世代ですから、赤塚不二夫のアニメは僕にあってるみたいです。昔はどうしてあんなに空き地に土管があったのか。子供の頃は僕も土管を基地にして遊びました。

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2005/01/01

新年明けましておめでとうございます。

今年こそ、外野に何の言い訳もせずに楽しく旅行に行ける年になりますように。
息子の湿疹が治りますように。
家族仲良く事故も無く楽しい一年になりますように。
ボーナス上がりますように。

本年もよろしくお願いします。

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