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2004/08/31

子供たちの王様

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 '89年の第二次天安門事件がきっかけで、それまでほとんど興味の無かった中国のことを知ろうと思った。いくつか買った本の中に陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「私の紅衛兵時代―ある映画監督の青春(講談社現代新書)」→amazon.co.jpがあった。
 陳凱歌が文革時代の下放体験を綴ったもので、新書っていうのはダイジェスト版みたいな偏見があるから、陳凱歌の初めての長編が最初から新書では少し勿体無いのでは?と思う内容だった。

 「私の紅衛兵時代」が出版された'90年当時、僕は陳凱歌について何一つ知らなかったが、彼はそれまでに'84年の「黄色い大地」'85年の「大閲兵」、'87年の「子供たちの王様」という3本の作品を撮っていて、4作目である「人生は琴の弦のように」を撮っている最中だった。
 とにかく文章に引き込まれて「全ての映画を観てやる」と思ったのだけど、田舎のレンタルショップの実力か、観れたのは「黄色い大地」だけだった。ちなみに「黄色い大地」の撮影は彼と同期の張芸謀(チャン・イーモウ)。
 その後「覇王別姫」あたりから(陳凱歌ファンからみて)商業的と受け止められそうな作品が続いて、いつのまにか僕も興味を失っていたが、最近の「北京ヴァイオリン」で思い出した。そこで陳凱歌映画がDVD化されていないかチェックしていると8月21日に「子供たちの王様(原題:孩子王)」→amazon.co.jpがDVD化されたので購入した。

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 「子供たちの王様」は「私の紅衛兵時代」を翻訳した刈間文俊さんが字幕をやっていたので、DVDの特典は少なかったが14年ぶりにその新書が特典がわりに役に立った。
 観てみると映画らしい映画だなと感じた。ストーリーは単純で文革時代に雲南省の山村に下放していた主人公”やせっぽち”が中学校の教員として就任する。”やせっぽち”は教育も途中で下放され、教員の経験など無いのだがそこは文革時代、「労働者が教壇を占領する」である。文革時代の劣悪な教育現場で、”やせっぽち”は党の教育方針を無視した教育を展開する。
 一見、山村の素晴らしい風景を舞台に、文革批判映画と子供たちと教育に対する喜びを表した感動映画をミックスしたような映画だが、その背景にはもうひとつ大きなテーマが流れている。
 それは刈間さんも新書の後書きで指摘しているように「昔、お山がありました。お山にお寺がありました。お寺の和尚がはなしました。昔、お山がありました。・・・」という回文を暗唱するシーン、360度ゆっくりとパンするカメラワーク、全てを焼き尽くす野焼き、誰もいなくなった教室の風景等々。なにをやっても同じ地平に戻ってきて全てがリセットされてしまう中国の歴史の悪循環を表すショットが画面のいたるところに挿入されているのである。これが単純なストーリーに深みを与えている。

 陳凱歌及び原作者の阿城(アー・チョン)はこの映画のように雲南省の山村に下放した経験がある。「私の紅衛兵時代」の第5章「青山―野焼きそして新生」はこの映画を紐解くテクストが多く含まれる。今の中国が循環のどのあたりにいるのか、それとも悪循環を抜け出しているのかはよく分からない。

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2004/08/30

モンティ・パイソンの襲撃

 最近になって毎日1時51分に、アメリカ人が好んで食べるあのショッパイ肉の缶詰と同じ名前のあいつがコメントを打ち込んでくる。
 IPでブロックする、そんなの役に立つわけない。ココログでも対策を強化しているとのことだけど、個人での対応は限界点早いので、爆発する前にココログ殿頑張ってほしい。しかし僕程度のところに缶詰攻撃があるなんてブログ界に蔓延の兆しですよ。

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2004/08/27

八王子

 「遠路はるばると××からおこし頂いて、さぞおつかれでしょう」と労いの言葉をもらい「いやあ、東京から八王子がまた遠くて」と返すと全員が笑った。そんな場所「八王子」で仕事のミーティングをした。
 ところで案内された会議室のテーブルが異様に長い。こちらはこれくらいがベストと思われる3人でミーティングに臨んだが、待っているとミーティングの相手は13人。しかも全員発言する。ミーティングはスムーズに進み、顔合わせとしてはいい感じで終わった。
 それにしても八王子駅前はミニ宇都宮駅前というか、砂漠の中のオアシスというか5分歩いて振り返ると住宅の砂漠の中に蜃気楼のように立っている。東京も広いなと思った。
 しかし最近の仕事の忙しさにはそうとう心身ともに疲れきった。そんなことに気がついたのは帰りの東京駅のホームで、あの東京特有のべっとりと肌に間にまとわりつく重い空気がいつも以上に辛く感じたときだった。だから2,3日なにも考えずゆっくりしようと思う。

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2004/08/24

オーストラリアの「誓い」

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 オリンピックの中継を観ていて一本のオーストラリア映画を思い出した。ピーター・ウェアー監督の1981年の映画「誓い(原題:Gallipoli)」→amazon.co.jp。思い出した理由は主演の二人の役が短距離ランナーだったからに過ぎないけど。第一次大戦下のオーストラリアが舞台。

 ピーター・ウェアー監督は「ピクニック・アット・ハンギングロック」や「刑事ジョン・ブック 目撃者」、「グリーン・カード」を撮っている日本でも人気のある監督だし、ましては主演はメル・ギブソンだからこの映画もっと注目されてもよさそうだが、この映画の認知度は低い。Amazon.co.jpにもカスタマーレビューは一件も無いし。
 ところ変わって本国オーストラリアでは空前のヒットを飛ばし、オーストラリアを代表する名作とされている。この映画を観たとオージーに話したら随分興奮した。

 原題であるガリポリは、現トルコのガリポリ半島のことで第一次大戦の激戦地である。(現在はリゾート地として有名。ギリシャも近いから思い出したというのは無理がある?)
 英国本国がこの地域での戦闘に苦戦するなか、オーストラリア・ニュージーランド自治領はアンザック軍団を構成してガリポリ戦線に参加し大量の犠牲者を出した。
 映画はメル・ギブソン演じるフランクとマーク・リー演じるアーチーの二人のアスリートの友情と、彼らが参加することになる部隊の激戦の様子を描く。

 アーチーは同胞と戦うことを夢見る田舎の青年。対してフランクは戦争にはなんの興味もないパース育ちの青年。カーニバルのレースで出会った二人は少しずつ友情を深める。若すぎて入隊できないアーチーは年齢を偽って騎兵隊に、彼に心を動かされたフランクは歩兵としてそれぞれ入隊。訓練での再会後フランクも騎兵隊となって二人揃って前線に向かう。そして足の速さを買われたフランクは伝令となるが・・・。なかなか衝撃的な結末をむかえる。

 当時オーストラリアには徴兵制はなくこの戦争に参加した二人も志願兵である。プロパガンダに踊らされるように戦争に参加していく若者達を描いた映画は多いが、この映画はオーストラリアが舞台と言うことで多くの戦争映画とは少し異なった面が見れるかも。戦闘のシーンはかなり少ないので戦争映画が苦手な人でも面白いかもしれない。オーストラリアのこういった自国の歴史を見直すような映画が80年代以降、今に至るまで多く作られているところが少し興味深い。

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2004/08/23

時差6時間

 サマータイム、日本との時差6時間はつらい。いい時間に競技が始まってあっという間に深夜に突入して寝不足になる。0時にスタートしたオリンピックの女子フルマラソンを最後まで観て、続く息子の夜泣きと激しい寝相の悪さで早朝にやっと寝て2時間の睡眠で出勤。連休中の疲れもあって今日はふらふらだった。

 しかし2時間以上も走っているだけの映像をなぜ夢中になって見てしまうのか?とにかく応援している気持ちは強いのだけど、今回は厳しい地形と気候とそれに伴う駆け引き、体力の消耗。中盤での仕掛け。最後なんて正面から二人のランナーを捉える望遠レンズが二人の距離を縮めていく緊迫感を盛り上げて手に汗を握ってしまった。ギリシャの風景もよかったし(ギリシャに行ったときのことを思い出しましたよ)、奥行きがヴェンダースも描けないくらいのロードムービーぶりだった。そういえば体操団体で金メダルをとったときもライブで観てしまったけどジワジワと差を詰めて、最後の鉄棒での完璧な演技での逆転は身震いがした。
 今回のオリンピックは楽しい。けど寝不足でブログのほうに影響してる。たぶん今日のこの記事も変な日本語になってるような気がするけどチェックできない。おやすみなさい。

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2004/08/20

フライングハイとエルマー・バーンスタイン

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 18日に「荒野の七人」や「大脱走」などの映画音楽で有名なエルマー・バーンスタインが亡くなっていた。

 18日の僕といえば、馬鹿映画として有名なジム・エイブラハムズ、ジェリー・ザッカー、デビッド・ザッカーの1980年共同監督作品「フライングハイ(原題:Airplane! 原題のほうが可笑しい)」→amazon.co.jpのDVDを借りて観ていた。
 監督の3人はこの前に「ケンタッキー・フライド・ムービー」という同じく馬鹿映画の脚本を手がけ、「フライングハイ」後も「トップ・シークレット 」「ホット・ショット」「裸の銃を持つ男」など相変わらずの路線を突き進んでいる。ジェリー・ザッカーだけ途中「ゴースト/ニューヨークの幻 」など脱線しているけど。

 亡くなっていたことは知らなかったので偶然といえば偶然だけど「フライングハイ」は音楽はエルマー・バーンスタインが担当している。監督からはB級映画らしく安っぽい音楽を作曲してほしいと言われたとか。
 映画音楽の巨匠などと崇められては「フライングハイ」は本人のイメージではないかなと調べてみると、ジョン・ランディス監督のコメディーホラー「狼男アメリカン」などその他面白い映画が並んでいる。僕もただの巨匠だと思っていたからエルマー・バーンスタイン、もう少し真面目にチェックしておいてもよかったかなと思った。

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2004/08/19

或る日のクタビーチ

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 クタビーチの一連の写真は2002年10月後半に撮ったものですが、その時の写真を使うと、内容によっては作為的にとられそうな気がしたのでいくつかボツにしてました。この写真もそのひとつです。宗教的な偏見は棄ててその時バリ島の平和な空気を表していると感じてください。僕はこの様子を見てホッとしたものです。
 この時期、日本では海外に行くだけで「不謹慎な」という空気が流れていたわけですが、さらにバリ島に行ったわけです。結局行って良かったと思ってます。閑散としたクタビーチを歩いていて感じた空気は、日本のニュースで伝わるものとは(恐怖も含めて)かなり違っていました。

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2004/08/18

ジュクン

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 バリ島のアウトリガー・カヌー。
 海が好きなのにバリ島では一回しかシュノーケリングをやってません。その一回はヌサドゥアの先のタンジュン・ブノアでのしょぼいシュノーケリング。季節が悪いのか場所が悪いのか過去最低の海の状態でした。ポイントにはこのジュクンで行きました。
 それにしてもヌサドゥア~タンジュン・ブノア地区に興味がわかないせいか、このエリアに足を踏み込むのは後にも先にもたぶんこれ一回だけかもしれません。
 このシュノーケリングでの一番の思い出は、男性店員全員が賭け事(カードゲーム)に夢中になってしまって店内で長時間放置されたことですね。

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2004/08/16

DEWA(デワ)

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(バリ島続きます)

逆光であまり良くない写真ですが、この2人の子供はクタビーチの砂浜にDEWAと書いてます。クルンクン王家継承の称号もしくは神様のことだと思います。僕がカメラを向けるとフィルムに納まるように寄ってくれました。

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2004/08/14

バリ島ホテルライフ

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(これについても以前書いたかもしれません)

 バリ島ウブド周辺のホテルに泊まれば、部屋のすぐ前で写真のように田んぼ(これは稲刈り後でさえませんが)や牛や家鴨やオオトカゲなどを見ることになるかもしれません。 写真を取った日はちょうど部屋のすぐ前では稲刈りが行われていて、しばしその作業風景を見ながらコピ(コーヒー)などを楽しんでいました。
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 いつもこの田んぼには、牛と牛語で会話する気になるおじさんがいるんですが、この日はすっかり稲刈りが終わってからの登場です。
 しばらくは牛に藁を食べさせたりしていたのですが、突如写真のように藁の山に火を放ち始めました。いくつもある藁の山全てに火を放ったので物凄い量の煙がたちはじめ、やがてホテル全体を覆い始めました。
 窓の外は視界ゼロの状態になって、ここはバリ島ですから窓を閉めても隙間だらけ、部屋に大量の煙が侵入してきます。部屋の中が真っ白い煙で満たされ、ついに蚊取り線香から逃げる蚊のごとく部屋から逃げ出すことになりました。
 下の階のドイツ人カップルもゴホゴホと逃げ出して、全員しばらくプールサイドを満喫することになりました。

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2004/08/13

若いベビーシッター

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(以前書いたものと内容がダブるかな?9月の旅行で再会できるといいなと思いながらなので許してください。)

 バリ島で、ある若い夫婦のお宅に遊びに行きました(小さい子のほうの家)。ご夫婦ともに観光関係の仕事をします。知り合いの写真はどうかと思ったんですが二人とも数年たって成長しているからいいでしょう。しばらくして小さいほうの子の父親にこの写真を見せたら、抱いてる方の彼女を「太ってて分からなかったよ」と言ってたくらいですから。

 この夫婦のお宅は、バリ島でイメージするバレがいっぱいあるような民家ではなく、寝室とカマル・マンディ(浴室)とカマル・クチル(トイレ)のみのシンプルなアパートです。このお宅には現代的なものが沢山あります。今は家を建てるためのお金を貯めているとのこと。彼らは鍵をかけて外出しますが、帰ると壊れた窓ガラスから手を入れて内側から鍵を開けていたところが可笑しかった。

 抱いているほうの女の子(同じアパートに住んでいる)は学校を休学してベビーシッターをしています。以前書きましたが、両親が職を失ってしまったからです。彼女の家の中には何も無く広い床に毛布が数枚あるのみでした。バリ島ではこのように家庭の事情で学校を一時休学する子供は珍しくないようです。最初にも書きましたおとり、今はすっかり細くなって見違えるようとのことです。

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2004/08/12

サイパン島上空

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 サイパン島を上空から。日本から3時間強、海外旅行に数えてもらえないくらいの場所ですが立派な珊瑚礁の島です(日本には沖縄というもっと立派な珊瑚礁のある場所がありますが)。
 僕にとっては自然・文化・歴史と興味の絶えない場所です。そっち方面に行こうと思うと、なぜかグアム島ではなくいつもサイパン島に行ってしまいます。グアム島に駐留している米兵さんたちもサイパン島にリゾートに来るわけですから、そういう良さがあるのだと思います。ミクロネシア文化の入り口として最適です。
 それにしてもせっかくいい島なんですが、日本資本の下品なものには閉口します。ホテルにしてもショッピング関係にしても日本、アメリカが土台を作ったリゾートは僕の好みではないようです。水上でモータースポーツをやってるのも五月蝿くて静かなところに避難したくなります。もちろん静かで綺麗な場所は沢山あります。
 ついでにフィリピン人、インド人、タイ人、韓国人、中国人と人種が多様なところも気に入ってますし、現地の方はスペイン語の挨拶をしているところがさらに気に入ってます。ブエノス・ディアス!完全にチャモロ語になってます。

(記事を書いてて自分で気になったので言い訳:どうしてもバリ島、サイパン島、タヒチ、ハワイのことばかりになってしまうのか。それは、それしか写真をスキャンしてない、他の地域の写真のネガが見当たらないからです。そのうちどうにかしたいと思います)

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2004/08/11

水上バンガローのガラステーブル

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 これはボラボラ・パールビーチリゾートの水上バンガローの部屋の中にあるガラステーブルから、下を覗いた(つまり海です)ところです。海の中が見えるだけでなく部屋全体に開放感も生まれ、ガラステーブルを通ってパンダナスの天井に映し出される光の揺らぎがとても心地よいという効果もあります。
 ボラボラ島だけのことはあって写真のようにボラみたいな魚ばかりと思いきや、この水上バンガローが建っている場所には珊瑚などが無いため、カラフルな熱帯魚があまりいないというということらしいです。これは悪いことのようですが、視界に広がる海が白い砂地のため、海のグラデーションは珊瑚でまだらになるより綺麗なくらいです。
 ところで僕はこのガラスがスライドして、魚に餌を与えることが出来るということに気がつかないまま過ごしてしまいました。となりのバンガローにはなんであんなに沢山魚が寄ってくるんだろうと悔しがっていたんですが。

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2004/08/10

ラ・タベルナ前ビーチ

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(ゴールデンウィーク同様、今週はお盆前後でなにかと忙しいのでの手抜き週間です)

 バリ島サヌールの老舗ホテル&ピザ屋「ラ・タベルナ」から名物石窯ピザ(味のほうは普通だったような)を食べながらサヌールビーチを望みます。
 レストランに隣接したプールで白人のおじさんたちがザブーンと飛び込んだり泳いだり寛いだりしているのが気になります。のんびりした所でした。
 この時はテロ不況でラ・タベルナも「飛び込みOK、宿泊50% OFF」なんて感じだったのを思い出します。
 それにしてもバリ島は不思議なところでパスタを食べると焼きそばのようで、焼きそばを食べるとパスタのような味がする店が時々あるんですね。イタリア料理とか洒落たものを出す店にこの現象が多いです。

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2004/08/06

8時15分

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 毎年この日は「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」のテレビ中継を見ながら出勤です。子供の頃は夏休みになると祖父母から戦争中の体験話を聞かされ、またテレビなどでも体験話がよく放送されてましたが、戦争体験者が減ったせいかそういったことが随分減ったように感じます。

 昨年、ミクロネシアのカヌーに興味があったのでサイパン島の北マリアナ歴史文化博物館に行ったのですが、この北マリアナ歴史文化博物館は日本占領時代の病院跡を博物館にしたもので、カヌーなどの文化や、沈没したガリオン船のこと、スペイン、ドイツ、日本による占領時代のこと(現在は米国に半分占領されてるようなものですが)、そして建物が病院だったころのことなど小さいながら興味深い展示がされていました。

 現代のコーナーでは第2次世界大戦の頃の展示がされていてビデオ鑑賞もできます。部屋の中には対戦前夜の日本の領土が地図上に記されています。北太平洋の半分から東南アジアのかなりの地域を占領しているその図を見ると、知ってはいたもののリゾート気分も吹き飛びます(すぐ戻りますが)。
 グアム島でも同様の展示があるのですが、日本人は訪れる割合は少なく関係者は嫌な歴史は遠ざけたいという敗戦国意識のせいだと分析しているようです。
 あくまで僕のまわりという狭い範囲でのことですが、戦後まもなく生まれた世代の人たちにはサイパン島が日本の植民地だったことすら知らない人もいます。これは興味深いことだと思いました。

 数年前、僕の父は祖父の半生を文章でまとめる作業をしていました。祖父は、ある鉱山で主に発破を仕掛ける作業と馬の世話を仕事としていました。祖父は鉱山の排出していた粉塵による塵肺で亡くなりました。

 父のまとめたものによると、その鉱山は満州事業に力を入れていたので祖父は単身満州へとばされ、そして満州にいる間に太平洋戦争がはじまり現地で徴兵されます。
 終戦時には不運なことにソ連軍に捕虜にされシベリアに抑留されます。相当厳しい生活を送ったようです。3年間抑留されなんとか生きて開放され兵役も合わせ7年後に日本に帰還しました。
 その間、祖母と子供たちを残した僕が今住む町は田舎にもかかわらず軍需工場があったため、終戦間際の1945年にはB29による2度の空襲をうけます。この空襲で1500人以上の方がなくなり、またはその何倍もの方が怪我をし家財を焼失しました。
 空襲から逃げるため、祖母は幼い子供たちをつれ山間部に避難し、祖父が帰還するまでの7年間、闇市などで蒸し饅頭を売ったりして子供を育てました。僕の父(当時、子供)は何度か戦闘機の機関銃掃射を身近で浴びたそうです。祖父も祖母もお互い私生児で、その環境から今の町へ逃げてきたため身寄りもなく大変苦労したことが想像できます。

 兵役中に祖父が祖母宛に送った幾つかの手紙を見たことがあります。ほとんどの手紙は日本に残してきた家族への想いと戦争の早期終結を願う内容で、当時の日本政府のプロパガンダやアジテーションにも影響されず反戦を唱えていたことに衝撃を受けました(実際に満州では戦争支持者達との喧嘩もよくやって懲罰を受けたりしたようです)。精神の総動員は受けなかったということです。これはなんとなく僕のほこりになってます。黙祷。

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2004/08/04

オリーブ畑を走る

 どんよりとした英国の後。
 アルハンブラパレスのテラスから世界遺産アルバイシンの夕暮れを見るという(柄にもなく)お決まりの素晴らしい情緒にひたる。夜は硬いパンを小型の金槌で割りながら、なかなか噛み切れないほど硬い豚肉のソテーと、今までに食べたことがないほど美味しいガスパチョと、同じく今までに食べたことがないほど美味しいトルティージャ・エスパーニャ(スペイン風オムレツ)を食べるという、その後数年間「僕をスペイン料理屋に走らせた」至福の時間を過ごした。

 三脚がなくても、困った僕を見て自動車のボンネットを貸してくれるというか「俺の車のボンネットを使え」と笑顔で強要する人。
 観光地グラナダはスリが多いということを除いて、小ぢんまりとして美しくアラブの香りが残ってとてもいい所だった。大袈裟に言うと少し南下すればアフリカ大陸、海によってアラブも打ち止め。
 次はグラナダ駅からマドリードのアトーチャ駅へ向かう。駅のちかくで水と食パン!とオリーブの実を購入し列車に乗り込む。飛行機では1時間足らずのところを6時間かけて上る。バスが好きな人にはそれでも速すぎるかもしれないけど。
 パンにオリーブオイルをたらし、オリーブの実を多めに挟み、ぽつんぽつんと流れるオリーブの木々を車窓から眺めながら食べる。またそんな優雅な旅をしたいものです。

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2004/08/03

チャトウィンのパタゴニア

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 ブルース・チャトウィン著、ダオメー(現:ベナン共和国)のブラジル人奴隷商人の生涯とその家族の歴史を描いたノンフィクション「ウィダの総督(めるくまーる)」→amazon.co.jpは素晴らしかった。200頁そこそこの本だが、短いセンテンスの中に豊富で豊潤な情報、たった4時間足らずの読書だったのに1000頁の本を読破したような読後感を味わった。

 「ウィダの総督」が僕にとってあまりに素晴らしい本だったので、読み終えると同じくチャトウィンの作品で長編処女作「パタゴニア(めるくまーる)」→amazon.co.jpを(その時は重版未定だったこともありユーズドで)購入していた。しばらく手をつけずに放置していたけど最近読み終わった。(2004年8月現在は再重版が手に入るので、もし「パタゴニア」を探していたなら今のうち。)

 祖母の家で見たブロントザウルス-実はミロドン(巨大ナマケモノ)の皮、チャトウィンの幼少の記憶。それに誘惑されるかのようにサンデータイムズを突然辞め、南米大陸南緯40°以南、チリとアルゼンチンにまたがる土地「パタゴニア」に向かう。そして半年間の放浪を経て「パタゴニア」を出版。数々の賞を受賞し瞬く間に紀行文学の傑作という地位を築いた。

 パタゴニアの大地でチャトウィンは(訳者あとがきをそのまま引用すると)「ヨーロッパからの移民たち、パタゴニア王国建設を夢見た男、アメリカを逃れたギャング団(かの有名なブッチ・キャシディとサンダンス・キッド、その恋人のエタ・プレイスの三人組だ)、ロシア人亡命者、空想家、天才学者、アナーキスト、今はもうほとんどが死に絶えた先住民のインディオ、そしてこの旅の水先案内人とでも言うべき最重要人物、チャトウィンの祖母のいとこであるチャーリー・ミルワード船長・・・・・・。」を追う。

 取材とテキストとユーモアが、鳥瞰的に境界無く細かいパズルのようにミックスされる。未開の地に絶えた人々の個の歴史を紐解きそしてパタゴニアの大地へ帰る。チャトウィン流-霊との触接である。
 とりあえず子供の頃にサム・ペキンパーの映画や「明日に向かって撃て!」などに夢中になった僕は、ブッチ・キャシディのエピソードなどで興奮し、しかし本当に面白いのは、本のきっかけとなったチャトウィンと血のつながるチャーリー・ミルワード船長を追うところからだった。ここから明らかに私的になる。そういう興奮が伝わってくる。

 補足的に終わるけど、アボリジニのソングラインを取材するチャトウィンの(これまた)傑作「ソングライン(めるくまーる)」→amazon.co.jpはいささか私的思いから脱せず、ソングラインをスターソングのように解釈するといった文明人的な過ちを犯す。移動する動物としての哲学とその信仰の不完全さを証明するほどにチャトウィンは「歩く神様」を崇拝していた。ちなみに僕も「歩く神様」を崇拝してる(ただ歩くのが好きなだけ)。

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2004/08/02

Goodbye WALKMAN.

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 物欲が働いて、アップル・コンピュータのiPodを購入しました。我が家のCDのことを考えると40GのiPodでも厳しいくらいだと判明し、選曲してリッピングするのも面倒なので、少し重いですが40GのNew ipodに落ち着きました。初代WALKMANを持ち歩いて友だちに見せびらかしていたころを思い出します。

 ミュージックライブラリ全体をシャッフルする機能はかなりいいです。最初に書いたとおり、面倒なことはだめなのでアルバムまるごと入れるわけですが、アルバムで聞いていた時は、特になんとも思っていなかった曲が思わぬタイミングで出てくると、なかなかいい曲だったりします。
 何故SONYはおかぶのジョグダイヤルがあったにもかかわらず、こういう形にならなかったのかな?本体でコントロールするなんて意味がないと思ったのかな。

 それにしてもCDDBで取得した曲情報を見ると、ジャンルが偏ってることに気がつきました。

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