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2004/07/30

氷河とユーコン川と英国

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 初めてヨーロッパに行ったその年は、仕事のことを考えると散々な年だった。

 ある日の深夜、職場の男子トイレから呻き声が聞こえた。個室の一つを開けると当時同僚だったA君が倒れていた。すぐ救急車を呼んだ。仕事のプレッシャーが凄くて精神的なストレスが原因で体が硬直していた。同じようにして一緒に仕事をしていた人たちのほとんどはリタイアしてしまって、鈍感な僕と天才のBさんだけが残った。
 疲れている自覚はあまりなかったけど、その頃になると仕事の帰り道、運転する車が何回かガードレールに吸い込まれそうになってヒヤッとした。心配になってカウンセリングを受けに行った。頭のほうは正常だったが仕事を1週間くらい休みなさいと言われた。
 僕の抜けた穴埋めに人が一人増員された。彼は親身になってくれていい人だった。彼への仕事の引継ぎを済ませ休みに入った。僕が仕事に復帰するその日の朝、彼が人を殺害したというニュースが目に入った。とてもショックだった。

 この難破船のようなプロジェクトの打ち切りがほぼ決定したことで、僕は旅行に行くことにした。日本に戻ると会社を辞めた。
 その頃はソビエト連邦の都合でシベリア上空を飛べず、ヨーロッパに行くといえば北極圏を突っ切り、アンカレッジを経由し、大西洋を横断するというもので20時間近くを要した。その他には南回り線というのもあった。その後、アンカレッジを経由するような不便なコースは、旅客機の大型化と輸送重量と燃料と世界情勢のバランスで貨物便のみとなった。
 北極圏を突っ切る間-ほとんどの人は寝ていたが、眼下にひろがる氷河が素晴らしかった。ヨーロッパで何をしてたのかあまり記憶に残ってないのに、今でもその風景は鮮明に思い出せる。
 真夏だというのにアンカレッジから見える山々には雪がかかっている。その山々を見ながらマッキンリーで消息を絶った冒険家・植村直己のことを思った。植村が消息を絶って3年くらいの頃だったと思う。どこかのこの山の中で生きているような気がした。
 上空から見るユーコン川はどこから始まってどう広がっているのか分からないくらい、くねくねと枝分かれして不思議な風景だった。子供の頃、父親が製作中のUコン(飛行機のおもちゃ。小さなエンジンでプロペラを回し、羽から伸びたワイヤーとU字型のコントローラを繋いで旋回させて遊ぶ)のエンジンの固定部のバルサを折ってしまったことがある。怒った父は製作途中のUコンをバラバラに壊してしまった。ユーコン川を見たときに、僕は言葉の響きのせいでそのことを思い出していた。今なら野田知佑とかインディアンとかだろう。
 とにかくカナダからアラスカにかかる大自然の魅力は、沢山の人たちを虜にする。月並みだけど、バイダルカを操るジョージ・ダイソンと彼の親で宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンのことを取材したケネス・ブラウワーの「宇宙船とカヌー」や星野道夫の本を読んで、今度はアラスカの大地を歩いみたいと考えた。

 英国に着くと、そこは酷いところだった。ホテルのロビーで寛いでいると、一緒のツアーで来ていた男の人が大男の警備員に襟首をつかまれ空中に浮いた。不審者だと思ったらしい。ホテルのレストランで朝食を食べたばかりだった。
 英国から出るときも嫌だった。ヒースロー空港での手荷物検査で、鞄の中のジャムの蓋に反応し金属探知機が吼えた。僕の鞄は逆さにされ鞄の中のパンツを含むあらゆるものがみんなの前にさらされた。検査官は僕の鞄に拳銃かヌンチャクが入っていることを期待していたのか、首を横に振ってとてもがっかりしている様子だった。

(写真はカナダのバンクーバー島と本土を繋ぐフェリーからの写真、本文とは関係ないですね)

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2004/07/28

タヒチとマーロン・ブランド

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 ボラボラ島でジープ・サファリに参加して島を巡っていた時のこと。ドライバー兼ガイドのフィリップ(仮名)がジープを運転しながら、海に突き出た一棟のバンガローを指さして「マーロン・ブランドの別荘です」と言った。それは意外に地味な別荘で一般の人も貸別荘として利用できる。

 今月初めに俳優マーロン・ブランドが亡くなった。死亡直後は彼の遺産相続(2160万ドル)のことが話題になり、不動産にタヒチの小島が含まれるなどということも出ていた。これはボラボラ島で見た別荘のほうではなく、タヒチ島沖40kmにある小さな環礁「テティアロア環礁」のことを指している。
 テティアロア環礁は12あるモツ(小島)のほとんどが無人で、人が住むのはマーロン・ブランドが建てたテティアロアビレッジというアコモのあるモツ・オネタヒだけ。マーロン・ブランドは「戦艦バウンティ」のロケでこの環礁に魅了され、さらに映画をきっかけに共演者タリタ・テリピアと結婚した(3度目の結婚、タリタともその後離婚)。
 テティアロアはポマレ王朝の時代に王室の別荘があった。当時は太った女性が美人ということだから、妃となる女性は結婚式までテティアロアで生活し、大量の食事をとらされていたとのこと。

 7月4日の「くまにちコム」の新生面という短いコラムでマーロン・ブランドが取り上げられていた。「作家の三島由紀夫はマーロン・ブランドが大好きだった。(中略)、三島は『八月十五夜の茶屋』のブランドを「味があり、絶品に近い」と激賞している。」というのは知らなかった。
 マーロン・ブランドは日本が舞台の映画に二本出演している。「八月十五夜の茶屋」と「サヨナラ」→amazon.co.jpである。僕は「サヨナラ」のほうはDVDで持っているが、たしか「八月十五夜の茶屋」のほうはDVD化されていないと思う。沖縄を舞台にした映画でブランドは通訳の役を演じている。
 さらに「くまにちコム」ではテティアロアについても書いている。「環境保全を最優先とした夢のリゾート地の建設に乗り出す。映画よりもその島に建てる風力発電機のデザインの方に夢中になった。二十年かけて作り上げたこの夢の島もハリケーンに二度襲われ、ついえるが▼『ゴッドファーザー』、『ラストタンゴ・イン・パリ』、『地獄の黙示録』に出演したのはその夢のプロジェクトのためのお金が欲しかったためだったという。」
 テティアロア環礁にあるモツ・タフナ・ラヒは通称バード・アイランドと呼ばれアジサシ、軍艦鳥などの海鳥の生息地として欧米人に人気が高い。マーロン・ブランド亡き後はどうなるんだろう。
 現在、テティアロアへのツアーは中止されいるようだけど、彼のこととは関係なく滑走路の問題らしい。

 池澤夏樹氏の「夏の朝の成層圏」→amazon.co.jpというロビンソン・クルーソーのパロディで、遭難した主人公が無人島で初めて出会う人物マイロン・キューナードはマーロン・ブランドをモデルにしている。設定も超大物俳優。アルコール依存症を治療するために無人島に別荘を持っている。無人島とマーロン・ブランドの神秘的な部分が、それまでプリミティブな生活を送ってきた主人公以上に調和していて、テティアロアでの彼と重なる。
 小説の舞台は実のところタヒチではなく、たぶんミクロネシアのマーシャル諸島と思われる。だから小説のほうはマーシャル諸島らしい結末をむかえる。

 追悼の意味もこめて、AMAZONのクーポン券が余っていたので「ゴッドファーザー DVD-BOX」→amazon.co.jpを購入した。遅ればせながらゴッドファーザー3部作を続けて観た。3部作のうち1作目しか観た事がなかったが、それも中学生以来だったのでまったく記憶がめちゃくちゃだった。3部作全てが面白かった。これは続けて観たほうがいい。ゴッドファーザー本編より、コッポラの音声解説で語られるマーロン・ブランドのほうがタヒチに魅了される男という感じがする。

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2004/07/27

タヒチと映画

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 映画のことが続いているのでついでです。南国を舞台にした映画はやはり気になるのでDVD化されてないのかチェックしています。観てみたいものの中から今回はタヒチものです。タヒチものはフランス映画とかイタリア映画が多いですね。それにしてもなかなかDVD化されないですね。「めぐり逢い」とか「バウンティ号の反乱」とか「南太平洋」など有名どころはいつでもあるのに。他にも沢山あるんでしょうね。

「チコと鮫」

 監督:フォルコ・クィリチ
 出演: アル・カウイ
 1962年公開

 ボラボラ島を舞台にした少年と鮫の物語、文明批判、名作。フランチェスコ・デ・マージの音楽がいい味を出してるらしい(写真はそのサントラ)。フォルコ・クィリチ監督は「最後の楽園」とか他にも観たいのがあるんですが。
 この映画は'79年にフランク・C・クラーク監督によって「少年と鮫」という邦題でリメイクされています。「チコと鮫」より少し新しいボラボラ島が舞台というのは気になります。音楽はフランシス・レイなんですね(何かと音楽のことばかりですみません)。

「タヒチの男」

 監督:ジャン・ベッケル
 出演: ジャン=ポール・ベルモンド、ミレーヌ・ドモンジョ
 1966年公開

 ジャン=ポール・ベルモンド主演の女たらしものコメディです。音楽をミシェル・ルグラン(シェルブールの雨傘、ロシュフォールの恋人たち等々)がやっている以外はその程度の(つまりはジャン=ポール・ベルモンド主演らしい)映画のようですが気になります。

「タヒチの誘惑」

 監督:フランコ・ロッシ
 出演: エンリコ・マリア・サレルノ
 1965年公開

 この映画情報薄いんですが観てみたいです。文明批判を交えたロマンス物といった趣です。

「ハリケーン」

 監督:ヤン・トロエル
 出演: ミア・ファロー
 1979年公開

 巨匠ジョン・フォード監督が撮った'37年の傑作パニック・ラブロマンスのリメイク。ジョン・フォードの古いほうはDVDになってます。しかもジョン・フォード版はそのオープンセットの巨大さが今も語り継がれる歴史に残る映画です。対してこのリメイク版は失敗作、凡作と散々。お金つぎ込みまくりのディノ・デ・ラウレンティス製作(レッド・ドラゴン、フラッシュ・ゴードン、気狂いピエロ等々)。音楽は巨匠ニーノ・ロータ。当時この映画が話題になったとき、これがニーノ・ロータの遺作だと聞いた記憶があります。
 しかも舞台がサモア?(ロケはボラボラ島らしいんですが)

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2004/07/26

ナイルに死す

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 (旅の話はさておきで中途半端に古い映画の話ばかり続いてます。このところのあまりの暑さに頭がゆだって色々考えられないゆえの手抜きです。)
 中学の夏休みに、勢いでアガサ・クリスティーの推理小説を何十冊か読んだ。クリスティーが無くなったばかりでカーテンとかスリーピング・マーダーなどの最後の作品が翻訳され、どんどん文庫化していたのでつられて読んでいた感じもあった。読みやすかったせいもあるだろうけど、これほど続けざまに本を読んだのは後にも先にもこの時だけかもしれない。

 その時期にクリスティー作品の中でも特に分厚い「ナイルに死す」がジョン・ギラーミン監督によって映画化され「ナイル殺人事件」→amazon.co.jpという邦題で公開された。映画館に観にいった。
 ジョン・ギラーミンがタワーリング・インフェルノやキングコングなどのパニック映画を撮っている監督だというのは、子供ながらもとりあえず知っていたのでナイル殺人事件もそういう派手な映画になるのかと思っていたら、原作のイメージを損なわない良く出来た映画だった。ピーター・ユスチノフのポアロはよく評判が二分されるけど僕は好感触だった(そのころのポアロといったらアルバート・フィニーくらいでBBCのドラマはもっと後だし)。

 その頃は、この映画を観たおかげでエジプトに行きたいと思っていた。ダイナミックにエジプトの遺跡を見せる映像は上質な観光ガイドだった。ロイス・チャイルズとサイモン・マッコーキンデイルが馬に乗ってピラミッドにむかうシーンなんてニーノ・ロータの雄大な音楽とも相まってどんなピラミッドの映像より魅力的だっし、なんといっても映画のようにナイル川を船で上りたいと思った。カルナックやアブシンベルなどの遺跡やホテルに至るまで本当に行きたくなるような映像で、ミア・ファローやジェーン・バーキンやデビッド・ニーブンなどオールスターキャストも豪華だった。
 クリスティーは二十歳の頃にカイロで社交界デビューしていて、その時の体験がこの作品に華麗な設定を加えている。世界中を旅したり、二人目の夫マックス・マローワンが考古学者だったせいもあって、クリスティーの幾つかの作品は旅情を感じるものが多い。映画化されたものの中でも大掛かりなオリエント急行殺人事件、ナイル殺人事件、地中海殺人事件、死海殺人事件など設定が全て旅に通じている。地中海殺人事件なんて観ると、欧米人はこんな贅沢なリゾートを楽しんでいたのかと思ってしまう。羨ましい反面、誰を犠牲にしているかを考えるとあまり見習いたくはない気もしますが。

【追記】

 それにしてもDVDまた品切れのようです。
 ついでです。僕がクリスティーもので一番好きな映画はビリー・ワイルダー監督、マレーネ・ディートリッヒ主演の「情婦」→amazon.co.jpです。僕が観た映画の中でも10本の指に入ります。

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2004/07/25

チャオ・パンタン

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 また映画話。似合わないとは思うが、フランスの映画雑誌の日本語版「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」を91年の創刊時から購読していた。数年で早々とフランス映画に疲れてやめてしまったけど。とにかく80年代半ばから90年代半ばはフランスを中心としたヨーロッパ映画にはまっていた。雑誌をみるとそのころを賑わせていたダニエル・シュミット、レオス・カラックス、スティーヴン・ソダーバーグ、エリック・ロメール、アッバス・キアロスタミ、エドワード・ヤンとかの名前がとても懐かしい。その頃のことを考えると自分の青臭さが少し恥ずかしい。

 僕のフランス映画の始まりは少し遅くて83年のクロード・ベリ監督「チャオ・パンタン」あたりだと思う。実際に見たのは少しあとだった。時々チェックするけど良い映画にもかかわらずこの映画は品切れどころかDVD化すらされていない。ビデオではリュック・ベッソン・セレクションとしてしばらく前にでていた。
 パリにはちらっと行ったけど、本当にちっらとだったので舞台になるアラブ人街には行けなかった。どの観光地も同じだけど彼らも平穏に過ごすためにツーリストのため場所と実際の生活圏はある程度分けている。行こうと思えば行けるけど僕が行ったときは「そっちは行っちゃだめだよ」の世界だった。でも何がしかの映画のせいか、パリの18区など今ではパリ好きの行きたい場所のひとつになってる。行った人によればこれこそパリなんだと言う。パリは移民の町だなんて言う。

 「チャオ・パンタン」は、夜のガソリンスタンドに勤める中年男ランベール(役はフランスのコメディアン、コリュシュ)とアラブとユダヤのハーフである若者ベンスサンという孤独な二人の交流と、パンクヘア(こういう人たちを当時のヨーロッパで沢山見かけた)のローラという女の子を交えての復讐劇。永遠に記憶に残るラストシーン。
 物悲しいトーンで映し出されるパリの下町がとても魅力的に見えて、これが味わえるようならパリに行ってもいいなと思った。

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2004/07/23

アカバにいます?

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 少し前に家族宛てに知り合いのイギリス人から「今ヨルダンで仕事してます。」とeメールが入っていた。添付されてた写真にはたしかにアカバの風景が写っていて、何の仕事をしているのか分からないがヨルダンにいるのはたしかなよう。
 さらに「アラビアのロレンスの舞台になったところです。」と紹介している。イギリス人としては直球的発想だと思う。アメリカ人ならぺトラ遺跡をもって「インディー・ジョーンズ」なのだろうか。

 それにしてもデビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」→amazon.co.jpのDVDを買って観たばかりだったから偶然だった。「アラビアのロレンス」はさすがに有名すぎて説明するに及ばないけど、久々に観たら、昔々テレビで放送された「アラビアのロレンス」をカセットテープに録音し(もちろん音のみ、趣味ではなくてたまたまです)何回も聞いてた中学生の頃を思い出し、オープニングの映像がカセットの音と共にかすかに記憶していた映像とまったく同じだったことに感動した。
 映画でも描かれるトルコに対するアンフェアなイギリスの戦い。中東の国境のあの変な形。映画をその国境を作っていたころの或る日の記録として観ると、今の中東はそのころ以上に酷いんじゃないかと考えてしまう。

 しかしヨルダンは観光地なんだなあとツアー情報を見て思う。アカバなんてマリンツポーツのメッカ!だし。(マリンツポーツのメッカとあるパンフレットに書いてあった。中東まできてメッカ以外の場所をメッカと言うのは勇気がいるよね)

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2004/07/22

キリング・フィールド

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 先日、会社の同僚と男だけで旅行に行くとしたらどこに行きたいか、という話をしてたらカンボジアかなんて話になった。
 男同士の旅なんて共通の目的でもないかぎり自然と行く場所が限定されて、アンコールワットとかボロブドゥールとか遺跡を見に行くなんて案しか出てこないし、男だらけの旅行が見苦しいのは自分たちがよく知っているので大概成立しない。

 カンボジアの名前がでたので、じゃあカンボジアが舞台の映画は、と超ストレートにローランド・ジョフィ監督の「キリング・フィールド」→amazon.co.jpを挙げた。ちなみに同僚が挙げたのは一ノ瀬泰造のことを映画にした「地雷を踏んだらサヨウナラ」。もちろん2人ともクメール映画などは一切知らない。
 「キリング・フィールド」は、クメール=ルージュ支配下のカンボジアに派遣されたニューヨークタイムズの記者シャンバーグ(ピューリッツァー賞を受賞した)と通訳兼ガイドのプランの友情を感動的に描いた映画(とはいっても映画の大半は一緒にいない)。
 後半のほとんどは、状況の悪化したカンボジアで脱出できずにシャンバーグと離れ離れになったプラン(離れ離れになるシーンは強烈だった)の強制労働、脱出劇が中心となっていて当時のカンボジアの異常な状態を伝える。最後はタイの難民キャンプでのシャンバーグとの感動の再会で幕を閉じるが(粗筋を言ってすみません)、軍のジープのラジオからウィングスのバンド・オン・ザ・ランを流した後、再会のシーンでジョン・レノンのイマジンを流すという超映画的演出で、映画だったんだという目が醒めるくらいのリアリズムだった。このころのローランド・ジョフィ監督らしい映画。
 プランを演じたハイン・S.ニョールは、クメール・ルージュ下で悲惨な生活を実体験した元医者の素人俳優だったけど、映画公開後ロサンゼルスで射殺されるという悲しいおまけもついてしまった。

 公開当時、少年漫画雑誌に「キリング・フィールド」が特集されていたのをみて、僕は恐怖映画か、はたまたヤコペッティの世界残酷物語やクリマティのグレートハンティグのようなショッキングやらせ映画なのかと勘違いした。人骨の道を歩くとかそんな紹介が目立ったせいだと思う。
 ちなみにローランド・ジョフィ監督は南米でのイエズス会の活動を描いた「ミッション」→amazon.co.jp(ジェレミー・アイアンズ、ロバート・デ・ニーロ主演)というカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した作品を撮っているが、この映画の日本での宣伝文句も「滝の上で起こったことは誰にも語ってはならない。」などという、内容を誤解してしまいそうなものだった。この頃の日本での映画の宣伝といったら!
 最後にプノンペンのチュン・エク村にある大量虐殺センターにある慰霊塔は、この映画にちなんでキリング・フィールドと呼ばれているらしい。行ったら是非見たいと思う。
 (しばらくぶりにAMAZONでチェックしたら)また在庫切れ?

【追記】

 ところでジャッキー・チェンが作りたいと言ってるクメールのための映画って実現したらどういう内容の映画になるんだろうね(ラスメイカンプチア新聞日本語版の4月の記事から)。

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2004/07/20

ナショナル・ジオグラフィックのバリ島

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 僕の家族が、地元の英語講師でサーファーでバリ島好きのオージーと、バリ島について話していた時のこと。たまたま我が家に「「神秘の島 バリ」→amazon.co.jpというナショナル・ジオグラフィックのDVDがあることを話をしたら、そのオージーにえらく受けてしまったらしい。
 なぜかというとナショナル・ジオグラフィック誌から連想される読者層がヤッピーな人たちだかららしい。そしてこのオージーはヒッピーあがりの中年で、彼はリチャード・バックの薄い小説で十分と思っていたのか、黄色い背表紙がずらっと並大きなぶ本棚を趣味の悪い壁紙のように想像したにちがいない。バリ島のクタはヒッピーやサーファーの町だったわけだし。

 ちなみに僕はといえば、ナショナル・ジオグラフィック誌の日本語版を創刊号から5年ほど購読した。本棚の一部が黄色い背表紙で埋まったので少しはその雰囲気は分かる。引越しとともにダンボールに詰めて(重かったので)解約した。内容は日本のグラフ誌より、文章は楽しいし写真は綺麗だし、オックスフォードやエルサレムなどの楽しいおまけの地図などは今でも時々見たりする。
 という訳で、ナショナル・ジオグラフィック・テレビジョンをDVD化したこの「神秘の島 バリ」は少し情報が古いがよく取材されていてバリ島をきちんと紹介している。ありそうでなかなか無い映像。個人的にはお薦め。真面目なDVDです。それにしてもまた在庫切れ。

【追記】
 先週いきなり始まった風邪、おかげで山積みになった仕事の片付けに追われているうちにすっかりブログのことを忘れていた。

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2004/07/17

熱にうなされながらフィッシュヘッドカレー

 40度近い熱を出し寝汗をかきながら、僕は外国で食事をしている夢を見ました。場所はシンガポールのリトルインディア。シンガポールと言えばその小ぎれいなイメージからガーデンシティなどと呼ばれて、シンガポールへ行った友達の中には期待を裏切られたかのように「きれいすぎてアジアじゃないみたい」なんて言う人もいます。

 たしかにオーチャードロード周辺はそのとおりかもしれません。ゴミ、タバコのポイ捨て、地下鉄の中での飲食がだめなんていうのは有名ですが、ガムもこの国では御法度(持ち込みも)。だからオーチャードロードは北京の天安門前のようにガムが地面を埋めているようなことはありません。それどころかゴミひとつ落ちてません。ポイ捨てをして捕まったら、しばらく公園の清掃とかやらされるとか。

 本題に戻って夢の中で何を食べてたかというと、フィッシュヘッドカレーを食べてました。東南アジア最大のインド人街、リトルインディアにある人気カレー店「バナナ・リーフ・アポロ」です。
 フィッシュヘッドカレーの歴史は浅く、インドからシンガポールへやってきたインド人(当たり前か)シェフが考案したもので、つまりはシンガポールオリジナル料理です。見た目は大きな魚の頭がどーんとカレーの真ん中に鎮座していて少々グロテスクですが、鮮烈な刺激のカレーと魚がとても相性よく大変美味です。このカレーを食べたいがためだけにシンガポールへ行く人もいるようです(大げさに言ってるわけじゃないですよ)。

 初めてリトルインディアに行ったときはこのエリアのインドぶりに胸がわくわくしました。たしかにインド本国の混沌とした感じに比べれば整然とした街ですが、北インドオンリーのインド好きはともかく、インド好きの人にとってはインドの次にインドなところらしいです。とにかく市場やお店の中に突入すること。外と中はえらく違います。だから深夜特急でのシンガポールの評価はとりあえず忘れることです(誰に行ってるのやら)。

 それで僕は現実はどこでフィッシュヘッドカレーを食べたかというと、同じくリトルインディアにある「ムトゥス・カリー」です。シンガポールで1,2を争うカレーの店との評判なんですが、その1,2を争うもうひとつの店が「バナナ・リーフ・アポロ」なわけで、どうもそちらの方が美味しいとの意見が多く、このカレーを食べたいがためだけにシンガポールへ行きたいひとりである僕は夢に見てしまったようです。おかげで寝汗も倍増です。

 実際にこのカレー屋さんに行ったときのことですが、僕は出てきたカレーをスプーンで食べましたが、インド系のお客さんは手で、なんと中国系のお客さんは箸でカレーを食べてました。日本人である僕がこんな場所で西洋の食器を使っていることに少し恥ずかしさを感じました。次に行ったときは箸はさておき、せめて手で食べてみたいと思います。

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2004/07/14

ここからががんばりどころ

 考えてみたら昨日をもって病気で亡くなったときの母と同じ年齢になりました。子供のころは随分先のことだと思っていたんですが。これからは健康に気をつけて出来るだけ長生きできるようがんばります。勝手ながら忘れないように記録。

【追記】
 さっそく風邪をひきました。なかなか症状が重いので2~3日ダウンしてます。

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2004/07/13

ロータス

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 ロータス。蓮の花です。今日は盆の迎え火ということで雰囲気が一致してますが、南国の植物シリーズということで偶然です。それにしても、お盆の由来に関係のあるとされるお釈迦様の弟子である目蓮さんにも蓮の文字が入ってますし、蓮といったら「天上天下唯我独尊」とお釈迦様を連想してしまう、そんな雰囲気は確かにあります。(特に信心深いわけではありません)

 僕の場合は蓮といったらバリ島です。バリ島に初めて行った時に、古い民家の奥の塀の前に、水をはった大きめの鉢があって、そこに綺麗な蓮の花が咲いていました。あまりにも素晴らしかったので、バリ島から帰ると自宅でも同じような鉢に蓮を育て始めました。もちろん鉢にはメダカも放しました。今も綺麗な花を咲かせます。とても風情があります。

 この蓮の仲間には大賀蓮という、弥生時代の地層から出た古蓮の種を開花させた大型の蓮があります。この実験に成功した大賀一郎博士は、とある方に将来のご夫人となられる女性を紹介してますが、その方こそ、タヒチのファヒネ島でホクレア号を越える25mに及ぶ大きさのカヌーを発掘したビショップ博物館の篠遠喜彦博士です。強引ですがちょっとバリ島からポリネシアに繋ぎました。

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2004/07/12

カラカウア王のニッポン仰天旅行記

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 プーコさんの「プーコのハワイ生活」の「航海カヌー「ホクレア」、2006年に日本に航海予定!」という記事のなかに、カラカウア王が日本に来たときのことが書かれていたので、それ関係の本持ってたなあということで「カラカウア王のニッポン仰天旅行記(小学館文庫)」」→amazon.co.jpの紹介です。

 カラカウア王のつるの一声で始まった、寄港地に日本を含む、ハワイ王朝世界一周を記録したものですが、荒俣 宏氏が翻訳してるせいなのか、カラカウア王自体が魅力ある人物だったのか、それとも随員であった著者のアームストロングの欧米人特有の変なユーモア(ポストコロニアル調とも言えなくは無い)でつづったせいなのか、非常に面白い記録になっています。本の位置付けが映画「ラスト・エンペラー」的な感じと言えなくもありません。
 初めて手にして9年近く経ちますが、当時、その珍道中ぶりにワクワクして読んだことを思い出します。
 実際のこの旅はその面白さとは裏腹に、表の目的は移民要請となってはいますが、実際は欧米との不平等条約の改正を目論んだハワイ、日本双方の思惑がからんだものとされています。その後カラカウア王の死去、リリウオカラニ女王の幽閉と続き、欧米人社会の圧力によってハワイ王朝は衰退し、ドール大統領によるハワイ共和国の成立によりハワイ王朝は終焉をむかえます。面白いながらもそれを考えるとカラカウア王の言動、行動ひとつひとつが非常に悲しい響きに変わります。
 この本にはちょっと残念な点があります。原作は世界一周全てを記録しているにも係わらず、タイトルのとおり日本に寄港した際の記録を翻訳したにとどまっていることです。大変な量になるとは思いますが、全てを読めればさらに新しい事実に出会えるかもしれません。
 ハワイと日本の関係を知る上でもお薦めです。(今、品切れ?)

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2004/07/11

ついにと言うか

 先日、ピーピコピコ、ピキーン、ビキーン、シャーと8年間続いたダイアルアップ歴ともおさらばして、今更ながらついに我が家もADSL(なんで光じゃないの?)になりました。
 ブログをやってなかったらいまだダイアルアップだったでしょう。なんといっても自分のブログ見るのですらストレスだったから。速度は実測5M程度ですが、ほんと100倍早いです。ネットで沢山買い物をしてしまいそうで怖いくらいです。
 夜更かししながら森永カリンチョを食べてるんですが、準チョコレート菓子の浅い味わいに懐かしさのあまり感激してます。個人的なことですみません。

【追伸】

M君、無線LANルータありがとう。

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2004/07/09

パンノキ

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 パンノキ(ウル)。前回に引き続き小休止ということで南国の植物。ポリネシアやミクロネシア、メラネシアなど太平洋の島々に行くとよく家の庭先で見かける。その他オーストラリアなどのオセアニア、マレー半島、インドなど広範囲で栽培されている。
 原産地についてはいろんな本でポリネシア原産とか、インド原産とかその他色々で、インドとかマレー半島あたりからポリネシアまで人の移動とともに広まったとか、そのわりキャプテン・クックがヨーロッパに紹介するまで、ヨーロッパ人は知らなかったとか、僕自身は良く理解できてない。

 だからポリネシアに限定してみる。ポリネシア人にとってパンノキはタロ(イモ)などと並んで主食的な存在。種が無い実は実の部分を、種が有る実は種の部分を調理して食べるらしい。この木が何本かあれば一生大丈夫という。しかし、さらにフランス領であるタヒチに限定してみれば、庭に沢山のパンノキが生ってはいるものの、現代の主食は100%中国人の作るフランスパン。
 そういえば、ハワイではタロを蒸した(またはさらに発酵させた)ものをポイと呼ぶけど、タヒチではパンノキの実を穴を掘った地面に埋めて発酵させたものをポポイと呼ぶのが紛らわしい。とにかくキャッサバも含め、太平洋の島々ではこの手の食べ物が非常にポピュラー。

 パンノキの名前の由来がまたいまいちバラバラで、実を焼いたものがパンに似てるとか、味がパンに似てるとか(実はイモぽいし、種は栗ぽいらしいからこれは有り得ないかな)、宣教師が手に持つパンがない代わりにパンノキを使ったとか。個人的には最後のが一番面白い。それに宣教師といえば、有名なハワイアン・キルト。これが宣教師のご婦人達が始めたとのことで、この柄のモチーフになったのがパンノキという説もある(当然別の説もある)。

 名前がまったく南国的ではないけど、見た目はとても南国。カヌーの材料にもなるし、ロビンソン・クルーソーやバウンティ号の反乱を読んだ人には憧れの植物(子供の頃は本気で木にパンが生ってるのを想像してた)。だからちょっと男性的かとも思う。

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2004/07/08

ティアレ・タヒチ

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 今日は小休止です。以前は(たぶん庭のある家に住んだことがないからだと思うけど)植物に興味がなくて、道端の植物を見てスラスラと名前が言える人(特に女性の方)を見ると凄いなあと思った。
 ここ数年、南の島に行くようになってからは、それも少し変わったかもと思う。純粋に綺麗だねえなんて見る。時には本やネットで調べる。はたまた熱帯植物を育てたりする。育てるほうはいつも長く続かないけど。

 ティアレ・タヒチはタヒチ(フランス領ポリネシア)の国花(ティアレは花って意味だからまさにタヒチの花)だから、タヒチ中いたるところで見る。クチナシの仲間らしいけど、家に咲いているクチナシを見る限り、花はかなり似てるけど南国の雰囲気は全然感じない。「クチナシの花」って曲も南国には全然結びつかないし。西洋でいうガーデニアはまだいいか。
 小さい花だけど香りが素晴らしい。植物音痴の僕でもこんないい花の香りは初めてなんて思ったくらい。男女問わずタヒチの人はこれを耳にさしているけど、さしかたで恋人募集中とか独身ですとか結婚してますとか表してるのがいい。夏の日本、この花の香りを入れたココナッツ石鹸を使っているとすぐタヒチな気分になれるのがいい。

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2004/07/06

ジャック=イヴ・クストー

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 小学生の頃、日テレの「驚異の世界」という番組が大好きで毎週のように見てましたが、その中でもジャック=イヴ・クストーものが大好きでした(海洋探検だったか海底探検だったか)。クストーはダイビングをやっている人なら知ってるでしょう、あのアクアラングを発明したフランスの海洋学者のクストーです。よく家族で「クイズ・タイムショック」とチャンネルの取り合いになりました。

 「驚異の世界」は70年代の番組でしたが、クストーは50年代に、海洋ドキュメンタリーの金字塔というべき映画「沈黙の世界」を撮っています。なんとルイ・マル(死刑台のエレベーター、地下鉄のザジとかの監督)も共同監督として参加してます。横道にそれますがルイ・マル作品では「ルシアンの青春」が好きです。この映画、カンヌ映画祭パルムドールを受賞してますが、ドキュメンタリーのパルムドール受賞というとマイケル・ムーア監督の「華氏911」が記憶に新しいですね。ずいぶん趣が違いますが。
 ちなみに「沈黙の世界」は「ジャック=イヴ・クストー 3つの世界」→amazon.co.jpというDVDボックスセットに収録されています(今は品切れ?)。このボックスセット、「沈黙の世界」の他に「太陽のとどかぬ世界」、「世界の果てへの旅」が収録されていて大変興味があるのですが、少し値がはるので躊躇してしまいました。僕自身が持っているのは、NHKが販売した「沈黙の世界」のVHSで、時代を感じるナレーションが泣かせます。DVDのほうはどうなんでしょうか?

 家の近所にジャック=イヴ・クストーの名前にあやかって店の名前を付けたイタリア料理屋(なんでフランス料理じゃないの?)があったのですが最近店名を変えてしまいました。悲しいです。
 内容のことまったく書いてないですが許してください。とりあえずこれで海に潜りたくなりました。実際はダイビングのライセンス取得計画は頓挫したまま時が流れています。クストーに影響されてダイバーになった方は沢山いるんでしょうね。

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2004/07/05

和歌山県串本出張日誌

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 先週は「やるぞー」という意気込みで毎日blogを更新するつもりだったのに、和歌山県串本(本州最南端?)へ出張!いきなりだったので、blogを更新するための用意も出来ず間が空いてしまいました。そして我が家から串本まで約10時間の行程。これは(家から成田までの時間、成田での待ち時間を入れたとしても)サイパンだったら着いて海でひと泳ぎして夕食までこなせるし、香港だってたぶん空港には着いてるはず。強烈です。

 串本には初めて来ましたが、台風が下を通っていたせいもあるけど蒸し蒸しと暑くて、そして台風が過ぎたらその日差しの強さにクラクラ。本当にここは南国かと思いました。蘇鉄(ソテツ)もいっぱい植えてあるし。同じ日本なのに我が家のまわりの自然とは随分違います。
 蘇鉄で思い出しましたが、ミクロネシアのグアム島にはチャモロ人固有の風土病があって、原因は蘇鉄を食する習慣にあるのではないかという説があります(結論は出てない 参考:オリヴァー サックス著「色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記(早川書房)」)→amazon.co.jp)。そして世界で同じ風土病が唯一存在する地域がありますが、それが和歌山県です。何か因果関係があるのでしょうか?患者はどんどん減っていて原因は特定出来ないかもしれません。ちなみに沖縄には蘇鉄味噌(毒は抜いて)という物がありますが、沖縄にはこの病気は無いようです。

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 串本はとりあえず何も無い、つまり田舎です。矛盾しているようですが何も無いところには何かあるはずです。いや橋杭岩や海金剛や海中公園がある観光地です。串本の地理は分からないし、昼間は仕事をしていて外はほとんど歩いていないので、実はなにも見ていませんが、少なくとも串本で会った人たちは皆おおらかで気持ちのいい人たちばかりです。
 ところで串本の名にあやかって「串にささった料理を食べようか」ということで焼き鳥屋に行きました(かなりこじつけ)。幸運なことにその焼き鳥屋はとても美味しかった。ちなみにそこでモツ刺しを食べましたが、胡麻油に塩をふったものにつけて食べるなんて初めての経験でした。他にも焼き鳥に蟹みそを塗って焼いた蟹みそ焼きも初めてで、関西の人たちにとっては普通の食べ方なのでしょうか。
 串本駅の前に大きく「トルコ友好の町」とあったので串本記念にトルコライス(トルコとは関係ない?)を食べました。一緒に仕事に来てた人は「トルコ風アイス」も食べてました。

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 7月1日、仕事からホテルに戻ると、ロビーに沢山「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産に登録という号外が置いてありました。こちらの方に仕事に来るたびに「世界遺産に登録されるだろう」と聞いていましたがついに登録されたわけです。遅ればせながらおめでとうございます。
 世界遺産に登録されたのは「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」とそれら三つの山岳霊場に通じる「参詣道」です。奈良県、和歌山県、三重県にまたがり、号外によると史跡・名勝495.3ヘクタール及び周辺の緩衝地帯11,370ヘクタールという広大な面積です。
 特に気になるのが世界遺産に道が登録されたことです。道が登録されるのはフランスからスペインへ続く「巡礼の道」に続いて2例目とのこと。ちょうど出張先のすぐ山側に、参詣道のひとつ熊野参詣道大辺路が通っていることになります。
 僕は、神社、お寺めぐりをする人間ではないですが、こちらに来るとなにか霊的な力を感じる気がします。

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2004/07/03

フィッシュスープ

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 海外に行って色々と美味しいものがあったけど、タヒチで食べたこのフィッシュスープは本当に美味しかった。日本にも魚介類の旨味がきいた料理が多いけどこれは印象的だった。魚の旨味が凝縮濃縮されて、臭みも無く、そして具がまったく無い。ブイヤベースなどより遥かに濃厚。
 もう一度食べたいけど、このために40万円も出してタヒチには行けないなあ。ちなみにタヒチでは別な店のフィッシュスープも食べたけど野暮ったくて全然違ってた。(役立たず)

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2004/07/02

インドでもないのに蝿に慣れる

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 モツ(小島)にあるリゾートに泊まった場合とボラボラ本島にあるリゾートに泊まった場合では過ごし方は随分違ってきます。
 本島のホテルに泊まっていると、沢山のアクティビティ、観光、食事の誘惑(あくまでモツと比較して)が待っていて何かと忙しく、ゆっくりと自然を堪能できる機会が少なくなるような気がします。それに対してモツの場合は、誘惑といったら青い海や空などの景観であってリゾートから離れる気も無くなります。

 そんなモツのリゾートにもダイビングやシュノーケリングやピクニックなど楽しいアクティビティが揃っていますが、マリンスポーツも、煩くしかも自然を破壊するモータースポーツのようなアクティビティを禁止しているところも多いようです(ないところがセールスポイントなんだけど)。しかしモツにリゾートが建っている時点で、珊瑚礁を破壊したり、熱帯だから大量の殺虫剤を撒いたり、樹木を切り倒したりなど(かなり自然に配慮して設計したとしても)何かしら自然を破壊してるわけだから矛盾といえば矛盾でしょうか。

 そういう訳でほとんどの食事をリゾートで摂ることになります。その日も昼はカフェ、夜はバーになるその場所でブランチをすることにしました。いつもはすぐ前に海が見える場所に席を確保しているのですが(ほとんどの席で海が見えるけど)、その日は気まぐれで椰子の林に面した席でフィッシュ・バーガーを注文しました。フィッシュ・バーガーといっても揚げてあるわけではなくてマヒマヒかなにかの魚のステーキが挟んであるもの。
 ポリネシアといっても、フランス領にある高級リゾートだから(素材は別として)ポリネシア料理が出てくるわけではありません。ディナーはフレンチが中心で、軽食はこんな風にバーガーとかになったりします。魚を使った料理が多いところがリゾート風。とはいっても侮れません、値段がはるだけになかなか美味い。ここのはホテル・ボラボラのものより数段美味しかった。

 場所が悪かったのか、魚料理を頼んだのが悪かったのか(たぶん両方)少しずつ蝿が集まってきました。大量殺虫処置のおかげかほとんど見かけなかった蝿だけど、どんどん蝿が集まってきます。手で掃っても掃っても集まってきます。そしていつしかインドで定食を食べているような状態になっていました(数えられない状態)。あまりにも手で掃うのが無意味なので、蝿を掃うのを諦めました。それ以来多少蝿がたかろうが平気になったよう。高級リゾートの綻びが本来の南国を見せた感じでしょうか。蝿が集るリゾートに一泊500ドル以上も乙なものです。

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