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2004/06/29

シュノーケリング好き

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 シュノーケリングは楽しい。シュノーケリングらしいシュノーケリングを初めてやったのはタヒチのボラボラ島へ行った時。水上バンガローから直接マスクとフィンを着けてドボンといったのは本当に楽しかった。しかし最初に泊まったそのホテルはボラボラ島の周りに点在するモツ(小島)のひとつに作られていて、水上バンガローは遠浅の砂地の上に建てられていたから珊瑚を目にすることはまずなかった。
 水上から見る海は澄んだ青のグラデーションがとても美しく南の島そのものだが、中に入ってみると本当に白い砂地しか見えない。何百メートルか先には環礁内から外洋へつながる水路もあるため(このあたりまで泳ぐと急に深い谷になっていて流れも速くシュノーケリングでは怖い)珊瑚があまりないのも当然といえば当然かもしれない。

 珊瑚はないものかと今度はビーチをつたってモツの端に向かって歩く。モツの端は環礁につながっていて、その環礁には大きな音を立てて外洋からの波がぶつかっている。タブーと書いてある立て札のところまで来ると、僕たちはマスクとフィンを着けて海に入った。タブーという言葉はポリネシアが発祥らしく、この立て札はまさしく「この先危険」といったところ。だからここから先には行かず海から環礁に向かって進むことにした(このタブーを無視したのか別のルートを行ったのかモツを歩いて一周してる人もいる)。
 しばらくは水の中は水上バンガローの周りのような白い砂地が続くが、深さが股下くらいになると少しずつ珊瑚の柱がぽつぽつと出てくる。今までいたボラみたいな白い魚ではなくて、いかにも熱帯魚らしい姿もちらほらしてくる。さらに進み水位が腰のあたりまで来ると珊瑚の柱がさらに増え色とりどりの魚が現れる。
 そこでシュノーケリングを楽しもうと思ったが、環礁にうちつける波の波動が強くてすぐ流される。腰ぐらいの深さとはいえこの流れはなかなか怖い。前を見てみれば環礁まではかなり近い。後ろを振り向けば岸はなかなか遠い。僕はここで進むのをやめて、しばらく環礁にうちつける波に見とれていた。想像以上に波の力は凄くて、ぶつかった波は頭半くらいまで立っている感じ。その後激しくはじけて飛び散る、しかし環礁を飛び越えることは無いようだ。そして環礁も想像できないくらい長い間その波を受け止めて静かな内海をつくっていたのだから凄い。外洋で遭難した人が珊瑚礁の島に漂流するなんて話はこれを見る限りそうとうの運が必要としか思えない。大概は環礁にうちつけられて死んでしまうにちがいない。しばし大自然を感じ、シュノーケリングはちゃんと出来なかったが充実した気分だった。
 ということでシュノーケリングらしいシュノーケリングはその後場所を移して楽しむことに。そこでの話はそのうち。

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2004/06/28

駐車誘導屋とトイレおばさん

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 最近読んだ本で「バリ島で駐車誘導屋なるものを見た」という記述を読んだ。僕の勝手な思い込みで駐車料金を払っていたと思っていたもの、そういえばあれは駐車誘導屋だったんだなと思った。
 デンパサールの市場とかそういうところで、駐車場に男が立っていて車で入っていくと空いているところに誘導してくれる。そして誘導してくれた彼に運転手から小銭を渡す。それが色んなところ、たとえば路上駐車でさえもそんな経験を何度かしたのでどんなシステムになってるのかさっぱり分からなかった。あれが駐車誘導屋とすれば、日本じゃ成立しない面白い職業だなと思う。いろんな稼ぎ方があるもんだなあと感心する。

 「無料の施設でお金を稼ぐ職業」ということで香港のトイレおばさんを思い出した。香港で公衆トイレに行くと必ずといっていいほどいた(今は分からないけど)。トイレの入り口に座っていて、出る時にタオルを半強制的に貸してくれる。その代金として小銭を渡す。チップという感じのものでもない。なんとなくその威圧感に負けておばさんのタオルで手を拭いてしまう。公衆トイレにかぎらずホテルのロビーのトイレにもいる。あるときどうしてもトイレが我慢できず、レスリー・チャンが飛び降りて話題になったマンダリン・ホテルのトイレを借りたけどそこにはいなかった。超高級ホテルはちがうなと感じたしだい。

 こじつけ気味。日本でこの類の職業は絶滅の危機にあるのか、僕がいつも利用する駅のロータリーに何年か前までいつもいた靴磨きのおじさん。いつも賑わっていたけど最近見ない。歳をとってやめてしまったのか、別の理由か分からないけど少し寂しい。最近駅前のロータリーが綺麗に整備されて全体的に良くなったのか悪くなったのか分からないけど、僕が利用するバス乗り場への道のりは遠くなった。

(とうとう先週は旅関係の話は全然なし。今週は少し気持ちをあらためます。「「Walk@nifty8月号掲載」の件もあるし)

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2004/06/24

いつになったら解放してくれるの?ブライアン

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 昨日、amazonから2枚のDVD、ブライアン・ウィルソンの「ペット・サウンズ・ツアー」→amazon.co.jpと水木しげるドキュメンタリー「水木サン大全」→amazon.co.jpが届いた。どうも最近はこの二人のご老体(水木しげるなんて半分は人間じゃないって言ってるし)に翻弄されっぱなし。

 「水木サン大全」のほうは後で楽しむことにして、とりあえず「ペット・サウンズ・ツアー」のほうを観賞する。以前発売され(イギリス人にとっては)記念すべき奇跡の瞬間を記録したCD「ペット・サウンズ・ライヴ」→amazon.co.jpのDVD盤だが、ペット・サウンズ製作の裏話などをブライアン他、トニー・アッシャーやハル・ブレイン、キャロル・ケイなどが語るメイキング・オブ・ペット・サウンズが入っている。相変わらずのブライアン・ウィルソンに対する賛辞の嵐。オフィシャルには、怒涛のCD6枚組「グッド・バイブレーションズ・ボックス」→amazon.co.jpや怒涛のCD4枚組「ペット・サウンズ・セッションズ」→amazon.co.jpあたりで始まったビーチボーイズ、ブライアン・ウィルソン賛歌、でもこれがまだ続くらしい。新譜も出るし(米国では既に発売)、「ペット・サウンズ」のアナログ盤LP(しかも赤盤)も発売された。面倒なので東芝EMIのオフィシャルサイトを。僕自身25年近く振り回されて少し息切れ、いつになったら解放してくれるの?ブライアン。現役から追っかけてる人はもっと大変だろうね。

(なんだかよく分からない人御免なさい)

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モフタル・ルビス

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 (今週はなんとなく横道にそれてますが)
 インドネシア文学の事ということで最初は何にしようか、プラムディヤ・アナンタ・トゥールとモフタル・ルビスどちらにしようか迷ったが、特別な意味も無く今回はモフタル・ルビスの「果てしなき道 アジアの現代文学3(めこん)」→amazon.co.jpに。インドネシア文学なんて普通の人にはあまりなじみが無いはずだしあまり翻訳もされていない。しかしバリ島を含めインドネシアに行く人も多いし、日本との歴史的なかかわりも深いと思うのでチャンスがあれば目を通してみる価値があると思う。

 第二次世界大戦の終結により、悲惨な日本による軍政から開放されたインドネシアは、スカルノらによってインドネシア独立宣言をする。再度、植民地化をねらうオランダとの戦闘が各地で発生し、やがて国際社会の非難によりオランダが撤退するまでのインドネシア独立革命の時代。「果てしなき道」は、その時代を舞台に一人の教師の心の中をたどる。彼の目を通じて、大きな力によって翻弄されるテロリストたちを見ることが、独立をもぎとった経験の無い僕のような日本人にどのように響くか。少なくともこの本を読んでからは、現在の国際的感心の中心にすむ中東の人たちの思いの、ほんの一部ではあるが理解できるような気がしてくる。
 ジャーナリストでもあるモフタル・ルビスは「戦う文化人」とよばれているように、その文章一つ一つが痛い。その鋭い社会批判によって彼はスカルノ政権によって逮捕される経験もしている。小説はインドネシア人の苦悩をインドネシア人そのものに対する批判でオブラートのように包んだ。押川典昭氏の訳もインドネシアらしい独特の語調の強さをそのまま日本語化しているよう(それともこの人の癖?)、英米文学の訳になれた人たちにとっては新鮮かもしれない。

 時々このあたりを舞台にした本や映画に出会うと、事実関係よりも敗戦国日本らしい主観が読後の不快感につながる時がある。そんな時はモフタル・ルビスの本を読んで少し補正する必要があるかもしれない。僕自身は戦争とか政治の話は苦手だけどこれは文学の話。

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2004/06/22

フレンズ ポールとミシェル

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 ルイス・ギルバート監督の映画「フレンズ ポールとミシェル」。僕にとって青春映画ってなんだろうと考えた時には必ず出てくる映画。DVD化はされていないし(というかDVD化される見通しもないだろう)、サウンドトラックもエルトン・ジョンの「レア・トラックス」というさえないジャケットのCDに収められてるだけなので、今回の写真はアナログ盤サウンドトラックのジャケット(秀逸)。

 15歳のポール(ショーン・バリー)と14歳のミシェル(アニセー・アルヴィナ)の愛の逃避行。裕福な家庭に育ちながらも父の後妻とその連れ子とうまが合わずいつもぐれているポール。父を亡くし従姉を頼ってパリに出てきたミシェル。その二人が出会い、そして逃避行、結婚、妊娠、出産と展開しラストはちょっと切ない。70年代は「小さな恋のメロディ」や「リトル・ロマンス(これは少し時代的に後ろのほうかな)」など少年少女による逃避行ものが作られたように、ある意味メルヘンティックな映画の時代だったわけだけど、出産までいってしまうという、その時代にしても抑制を振り切っているこの映画はなかなかセンセーショナルだったらしい。

 僕がこの映画を初めて観たのは、たぶん小学6年生の時で、父親が上記アナログ盤サウンドトラックを持っていたおかげで、この映画がテレビで放映された時には自然に映画を観ていた。父親としてはサントラはいいとしても映画の内容が小学生には早いと考えたらしい。父親にはだいぶ注意されながら屁理屈をこねて観た。その後もビデオテープ(ベータマックス!)に録画し父親に隠れて何度も観ていた。
 僕はちょうど小学6年生から中学1年生にかけて母親を亡くしたが、ショックで父親は頻繁に飲みに出かけていた。だから中学生の時の僕の日課は飲み屋まで父親を迎えに行くことだった(おかげでグルメ三昧だったけど)。そのせいか少しぐれていて逃避行願望があった。映画の逃避行先であるアルルの美しい風景や闘牛の映像、さらに少年でありながら働いて生活費を稼ぐその姿を目にして映画が心にシンクロしていたのだと思う。中学校の音楽の時間には歌のテストでこの映画のテーマ曲を歌ってしまうほどの入れ込み具合。

 数年前ビデオを借りてみたら、以前は鼻についていたポールの身勝手さもなにか愛らしくみえた。また観たいのでDVD化されることを望む。さらにサウンドトラックも独立したCDで出てくれればと思う。「レア・トラックス」にはオリジナルとは異なる曲順で収録されているし、オリジナルジャケットには愛着がある。

【びっくりした。カテゴリを映画・テレビにしたつもりが経済・政治・国際になってた。修正】

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2004/06/21

梅雨なのでウォール・オブ・サウンドを

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 ほんとに昨日の夜は蒸し暑かった。中々寝れずに今年初めて冷房のスイッチを入れた。夏を前にしてこんな季節に何かよい音楽はないかと家にあるCDをガサガサと探し、「これかな」と思ってロネッツのベスト盤「The Best of the Ronettes」→amazon.co.jpをかけてみた。案の定いい感じだった。「Be My Baby」、「Why Don't They Let Us Fall in Love」、「I Wonder」とウォール・オブ・サウンドの心地よい音の厚さにいつのまにかウトウトとしてしまった。ヴェロニカ・ベネット(後のロニー・スペクター)の歌声といい、「Be My Baby」に代表される名曲の数々は、青春映画のように遠い夏の日々を映し出してくれるよう。そういえば「Be My Baby」を使っている映画、80年代にヒットした「ダーティ・ダンシング」→amazon.co.jpはこんなムードを上手に使って当時女の子たちの間で話題になってたことを思い出す。

 ちなみにウォール・オブ・サウンドはフィル・スペクター(昨年、殺人容疑で逮捕された)という天才プロデューサーによって作り出されたサウンドで、それまでのポピュラー音楽の録音スタイルだったコンボ演奏による録音を、一つの楽器にユニゾンを多用し比較的大きな編成での演奏に代えることで、それまでにない深みのあるサウンドを生み出していた。最近はエコーなどの音処理を用いてウォール・オブ・サウンドと言ってるものもあるが、似て異なるものだなというのをフィル・スペクター自身によるこのベスト盤を聞くと感じてしまう。ウォール・オブ・サウンドにはまっていた時は、大瀧 詠一や山下達郎らの推薦する鑑賞法、つまりもとはモノラルを前提に録音されていたものだから、2つあるスピーカーのうち1つのスピーカーを外して、残った1つのスピーカーと対面してウォール・オブ・サウンドの効果を楽しんだな、と思い出す。

 さて本格的な夏になる前に夏向けのCDを探さなくては。夏に楽しむ音楽はいっぱいありそうだから大丈夫だと思うけど、引越し以来何百枚ものCDがダンボールの中に入りぱなしなので。

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2004/06/18

walk@niftyに掲載していただける模様

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 先週、walk@nifty編集部より連絡がありまして、アット・ニフティ会員向け月刊誌「walk@nifty」(15万部)の8月号(2004年7月1日発行)にtornos E-140の紹介を掲載していただける模様です。予定では連載「インターネット散歩道」の見開き左下のほうに小さくちょこんとのるらしいです。特にnifty関連のホームページを紹介しているページではないところが嬉しいです。8月号の内容はまだ予告されてないので詳しくは言えませんが、海とか珊瑚礁とかリゾートとかがキーワードです。他のブログその他をさしおいて申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ところで僕はこの「walk@nifty」を購読してなかったので、どんな雑誌か分からずためしに買ってみようかと思ったんですが、もう既に8月号からの購読受付は終わっていました。だから見れないかもしれません。もし手に入ったらその時にはまた報告します。

 暑いのでなにか飲みたいという訳でピンボケヒナノ、どこかで使ったなこれ。

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2004/06/17

再会はバリ島で

「曽我さん:家族3人との再会場所、バリ島で最終調整 政府」→MSN-Mainichi INTERACTIVE

 曽我さんは「静かな環境の中で、時間をかけて話し合いたい意向」(政府筋)で、再会場所で2人の娘を含む家族と一定期間生活する希望を明らかにしている。

だとすればバリ島で再会はいいかもしれないですね。

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バリ島でまわしてみた

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 以前バリ人のお宅(一ヶ月の家賃500円の!)にお邪魔したときのこと。彼の4畳半ほどの部屋に何十枚かのCDとミニコンポがあるのにちょっと驚いた。ちなみに彼の部屋のお隣さんは、親が失業中で家にあるものといったら毛布くらい。だから中学生の娘は学校を休学してベビーシッターの仕事をしていた。同じ貸家に住んでるのに対照的だった。

 シガラジャ出身の彼のように、出身地をはなれてバンジャールにあまり関わりをもたない若いバリ人の生活には中々興味があるけど、その話はまとまったらいずれするとして今回は自分のこと。
 初めて彼に会った時、彼に「どんな音楽聴いてるの?」と質問した。インドネシアン・ポップスとかその類が出てくることを想定していたが、彼が答える好きなミュージシャンは欧米のハードロックとかヘビーメタルとかの類だった。よく考えればインドネシアにそんな人が沢山いるのは当たり前なんだけど、楽園バリのイメージからそういうものを勝手に範囲外に設定していたので以外な感じだった。こんな暑いところでそれはさらに暑いだろうと今も思うけど。

 再度バリ島を訪れた際に、小実験ということでCDを持っていった。テーマは日本で聞いたら暗くて寒い気分になる音楽を、日差しが強くて暑い場所で聞いたらどうなるか?
 ちょうどその頃は80年代ブームということもあり、僕が高校生の頃に親しんでいたあたりからセレクト(というか正確には家族がセレクト)したのがエコー&ザ・バニーメンのCD。このバンドの名前を出すと、知ってる人には当時の自分の青臭さが伝わってしまいそうで恥ずかしいけど、ネオ・サイケデリックなんていう暗くて冷たいムードの曲が一部で流行っていた。(僕も当時はその手のミュージシャンのようにデップ--分かります?ダイエースプレーの前に流行っていたスライムみたいな整髪料--で髪の毛を逆立ててタオルを頭に巻いて寝たり、今見ると大変恥ずかしい髪型にしてたり。その頃の写真があまり無くてよかった。)
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 ホテルの部屋に設置してあるミニコンポでCDをかけてみる。まわりは田んぼだから大音量でも大丈夫だろう。結果は全然問題無し。それも新鮮な感じ。凄かったのは洋楽なのにどこかの民族音楽に聞こえてしまったこと。次は何を持っていこう。
ちなみにこれはエコー&ザ・バニーメンの「ポーキュパイン」→amazon.co.jp。「辞書なしで学べるインドネシア語の最初歩 」という本の付録CDをかけたときのまったりとした感じに比べてもまったく良かった。

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2004/06/16

沖縄には行った事無いのですが

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 半年以内にバリ島へ行くことは決定してるけど、その前に沖縄に行こうと思っていた。今回は事情もあって断念。タイトルにもあるとおり僕は沖縄へ行ったことが無い。それでも沖縄へ行く準備と称してちまちまと沖縄情報を収集中。

 このCoralway編集「沖縄島々旅日和 宮古・八重山編 とんぼの本(新潮社)」→amazon.co.jpは気楽さと深度のバランスが気に入ってる。ただし宮古・八重山周辺の主な島をほとんどカバーしているわけだけど、ガイドブックとして使えるかと言うとあまり使えないかもしれない。何故かというと各島に1つから2つのエッセイが載っているだけだから。それに少し旅情報を足している。何故そういう体裁かというと、この本は日本トランスオーシャン航空の機内誌「Coralway」に掲載されたエッセイから、優れたものを選りすぐって集めたものだからである。編集物なりの弱点はしかたがない。
 執筆陣は沖縄、島といった観点から見てなかなかの豪華さ。沖縄音楽プロデューサー?の黒川修司氏、沖縄在住(フランスに住むらしいけど)作家の池澤夏樹氏、「宙ノ名前」で著名な天体写真家の林完次氏、人気作家の椎名誠氏その他多数。写真も上記の林完次氏他、沖縄といったらの垂見健吾氏、イリオモテヤマネコといったらの横塚眞己人氏他多数。
 通して読めば沖縄エッセイを腹いっぱい食べるっていう感じで、晴れた日なんかに細切れに読めば、飛行機に乗って機内誌を読みながら目的地へ着いたら何しようなんてワクワクしている雰囲気を味わえる本だろうか(そのままだけど)。

 兄弟本として「沖縄島々 風便り 本島と周辺の島編 とんぼの本(新潮社)」→amazon.co.jpもある。こっちは未読。

【補足】

「池澤夏樹氏がフランスに移住」というのはくるり@南国読書さんの情報です。

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2004/06/15

写真難儀

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 先月、ふくちゃん♪の*BALIモノBLOG*「サワサワ(求龍堂)」→amazon.co.jpという本を紹介していたのを見て即購入。色々手をつけてる本があったのでやっと最近読み終わった。「サワサワ」はバリ島を舞台に前半を写真家の高橋ヨーコさんの写真、後半を音楽学者の中川真さん(NHKの「音のかなたへ」などで見たことある人もいるでしょう)の小説で構成されている。中川さんの小説のほうはバリの音を文章で表現するための実験的小説のようで内容も短いのでちょっとした散歩気分で読める。音にとらわれすぎて詰めの甘い感があるが、それが小説家ではなく音楽学者中川真さんらしく愛嬌があるといったところ。

 ふくちゃん♪も「写真がいいです」と言うとおり、僕も高橋ヨーコさんの写真が素晴らしいと思った。実は高橋ヨーコさん自身のことは何の情報も持っていなかったので情報収集をしようと軽くネットで見た限り、彼女は東南アジアとの接点が感じられない写真家(プライベートでは分かりませんが)で、考えてみれば「サワサワ」の写真はバリ島写真というより高橋ヨーコさん写真といった趣を感じる。なんのタイトルも説明もないしある意味ただ見ているだけなんだけど、中川真さんの小説より時間をかけてみることになった。

 僕自身のことを言うと写真を撮るのが結構好きで、あまり多くはないけど一回旅行に行くとフィルムを10本くらい撮る程度の好きという感じ。家に戻ってプリントするとなんでこんな出来なんだろうと思うことが多いけど、まあいいやということで次も何の進歩も無い。
 色んな人の写真を見て色々と考えてみるけど(写真を直感で見れてない証拠だね)、高橋ヨーコさんの写真を見て思うのは、失礼ながらも女性らしいということ。写真を女性男性と当てはめて考える時代じゃないけど、やはり女性は日常風景を撮るのが上手い。実はどんな光景も大体は日常なんだけど、写真に収めたときにそれが日常風景写真として力を持つのが女性に多いと思っている。実際はデジカメやデジカメ内臓携帯、TOYカメラなどの日常的適合カメラの普及で、女性問わず男性の撮る写真もそっちにシフトしてきている感じだけど。

 上の話に関連して、フレーミングについてふと思ったこと。写真撮りの基本的なことだけど、一眼レフでフレーミングをする際、ファインダーを覗きながらフレームの4隅を確認し被写体が全体の何パーセントくらいになったか確認してシャッターをきる訳だけど、仕上がりを見ると思ったより被写体が小さい。僕の場合理由は明らかで、被写体を見つめていると脳味噌が勝手に被写体をデジタルズームしてしまうために「ちゃんと大きく写ってるぞ」なんて勘違いしてしまうため。よく言われるように慌てず一歩踏み込んで撮影することになる。でも最近はこれもいいかと言い訳がましく、僕はその効果を見込んだ風景を撮ることにある程度まかせることにすることも覚えてしまった。退けば退くほど日常の光景がただの風景に変化していく。どこで止めるかここ数年分わかってきて自分なりによしとした写真になってる。ただしプリントは大きく。
 それに対して踏み込めといったら予想以上に前に踏み込むと女性的写真になるのではないかなと思う。なんと言っても僕の周りではマクロとか好きなのは圧倒的に女性だし。旅行とか行っても「あの蓮の花素敵」なんてすぐ小さなものに反応するし。かないません。

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2004/06/14

とりあえずのここまで

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 考えてみると僕が初めてインターネットの世界に触れたのは、94年の初めくらいにMosaicというウェブブラウザを仕事仲間から見せてもらった時だった。その時はWWW以外にもGopherとかNetNewsなども同時に知った。遠くアメリカ大陸にあるドキュメントを瞬時に閲覧できるなんて、しかもハイパーカードのようにハイパーテキストの機能を持ち合わせて、凄いことだと思った。実はそれまでの数年間も仕事上コンピュータを使うことが多かったけど、特にコンピュータが好きでもない僕は、夢中になったのは前出アップルのマッキントッシュ上で動くハイパーカードくらい(これにはホントはまりました)。なんというか機械音痴なんだと思う。だからハードについてはまったく興味が湧かないし今だPCの蓋を開けるのが恐ろしい。

 その後、NetscapeとかIEのようにMosaicを踏襲したブラウザが登場し、僕自身も96年初めに自宅からインターネットを閲覧できるようにした。その頃は地元のインターネット・アクセスプロバイダの立ち上げに協力したりで、できるだけインターネットの世界にかかわるようにしていた。
 その後、僕の予想を越える勢いで爆発的にインターネットが広まって(PCも同時に)、ウェブサイトを立ち上げる人たちも身のまわりにも沢山現れ始めたけど、僕自身はまったくウェブサイトを立ち上げる気持ちにはならなかった。裏方は好きなんだけど自分自身でコンテンツを提供できるほどのものがなかったからだと思う。それに自分のことになるとページをデザインしたり、FTPでアップしたりなにかと面倒くさいものにはエンジンがかからない。

 ではウェブサイトもやらなかった僕が何故ブログを始めたのかというと、実はブログがいったい何なのかよく分からなかったからだと思う。比較的早くからウェブログという言葉は聞いていたけど、何がどう今までのウェブページやウェブ日記(実はウェブ日記はほとんど見たことがなくてこっちも分かっていなかった)と違うのか、雑誌を読んだり実際にブログサイトをみてもなんだかピンとこない。それなりに鈍かったのだと思う。それではブログを始めてみればいいんじゃないか、今ならそれほど認知されてないしだめだったらすぐ手をひけばいいし、なんて思ったわけである。そして周辺には始めた理由を「文章力でも鍛えるか」なんて今考えれば意味不明な宣言をし、最初のうちは家族知人などに「てにをは」を指摘してもらったりして。

 しかし初めて4ヶ月強、結局ブログを何故始めたなんてどうでもよくなって、なかなか面白くて手がひけない(しんどい時もあるけど)。しかも自分のブログを紹介してもらったり少し義務感も増幅。ブログを始めて今のところ一番よかったのは、顔は分からないけどブログを通して人との繋がりがあるってところ。今のところはBBSなんかでよくあるように感情的なコメントで盛り上がっているサイトも少ないし(これが始まったらすぐ手をひくと思う)。ブログが繁栄しているのは繋ぐための機能の充実もそうだけど、みんな共通したフォーマットでやってるところかなとも考える。自分と同じ土俵でやっているので、政治的に右だ左だなんてやっている人も含め愛らしく見えるし楽しく拝見しています。

(さて記事でもアップするかとココログにアクセスするとメンテナンス中、長引きそう・・ということで変な時間にアップ。だから今日は自分のブログのことに変更です)

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2004/06/11

バリ博物館

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 デンパサールのププタン広場の近くにあるバリ博物館。観光地としてはお馴染みのところでしょう。敷地内には博物館を構成する異なる三つの建築様式の建物とジャガッ・ナタ寺院があります。ジャガッ・ナタ寺院はサンヒャン・ウィディ神が祀られたデンパサールでは最大のヒンドゥの寺院です。

 僕は博物館好きなのでしょぼい博物館でもとりあえず行ってみたくなります。リゾート地とよばれるところには小さいけど面白い博物館があることが多く、そこに行けばリゾート以外の面を知ることが出来るので旅行がより面白く感じられるのではないかと思っています。ローカルたちと同じ生活圏で行動し、その土地を知るという方法がもっともエキサイティングで面白いと思いますが、それを動とすれば博物館などを訪れるのは静の行動です。そして動だけでは得られないものもあります。

 博物館には、バリ島の歴史、生活、芸能、工芸などに関する展示がされています。ここにはオリジナルかどうかは分かりませんが、有名なププタンを描いた絵画が展示されています。ププタンとは自決覚悟でオランダ軍に立ち向かった行進のことです。絵そのものに強い衝撃を受けましたが、この博物館自体がオランダがバリ工芸品などの保管のために作った建物であることを考えると皮肉な感じです。

 僕が行った日は先生がじっと見つめる中、子供たちが木彫りの授業を受けていました。カンカンカンと木を彫るその音がバリの音楽のように気持ちよくこだまします。その日は大変暑い日だったのですが、館内は当然エアコンなどもなく、最後は暑さのあまり頭がクラクラしました。可笑しなことに同行したバリ人も暑さのあまり参っていました。

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2004/06/10

タンジュン・サリの子供バリ舞踊教室

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 サヌールのお馴染み老舗ホテル「タンジュン・サリ」のレストランでやってた地元の子供のバリ舞踊教室です。
 ちなみにこれはバリス・ダンスを練習しているようです。子供が踊っていたので確信はないのですが、かかっていたのは、「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャッジャ」というバリス・ダンス音楽だったので。記事になってないなあ。

(昨日今日と突発的な用事が入ってBLOGちゃんとやれてません。すみません)

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2004/06/08

タヒチのレーガンさん

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 不謹慎な話だけど、レーガン元大統領が亡くなったニュースを見てタヒチでレーガン元大統領そっくりなアメリカ人に会ったことを思い出しました。
 彼は見た目80歳を越えた老人のようでしたが、20代と思われる若い女性をつれてボラボラ島にお忍びで旅行に来てたようです。僕たちは、ボラボラ島ではお馴染みのジープで山に登るジープ・サファリというアクティビティに参加しました。お忍びにはぴったりのホテル「ホテル・ボラボラ」の入り口でジープの荷台に座り出発を待っていると、かなり遅れてレーガンのそっくりさんとその彼女がやってきました。彼は僕たちを見ると「オラ!」とスペイン語で挨拶し、僕が「オラ!・・それスパニッシュ!」というと「日本の挨拶はオラ!だろう?」とアメリカ人らしい答え。その後も「日立の車を知ってる」とか「SONYの車を知ってる」とか笑うに笑えぬジョークを連発し、後半体力尽きてヘロヘロになるまで喋りっぱなしの方でした。
 しかしながらみんなのカメラを預かって全員の記念写真をとったり色々と世話も焼き、金持ちそうでしたが悪い人ではなかったようです。本当のレーガン氏はどんな人物だったんでしょうね。僕の場合、レーガンというとどうもその人になってしまいます。だから南フロリダ・タスクフォースって勢いではありませんね。とにかく彼に限らずタヒチはフランス領なのでアメリカ人は目立ちました。たぶん目立つ理由はアメリカ訛りとその声の大きさと時間にルーズなところでしょうね。

 余談です。レーガンでさらに思い出したんですが、高校生のころ美術の先生が、ヨーロッパで開催される帽子をテーマにした展覧会に出品するためにある作品を作っていました。レーガンにロシアの毛皮の帽子を、ブレジネフかアンドロポフだったかにテンガロンハットを被せた作品です。皮肉が利いてて製作していたときのことをよく覚えています(そういえば同じ頃フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドも二人を戦わせる変なプロモーションビデオを作ってたなあ)。冷戦、そんな時代だったんですね。とにかくこの先生、線を引いたりコレクションしたりで、その後エジプトに行ってピラミッドの頂上から長い線を引いたり面白いことしてました。

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2004/06/07

バリ本ではなく池澤本

 以前、同じ池澤夏樹のハワイを舞台にした小説「カイマナヒラの家」のことを紹介しましたが、自分なりに少しばかり公平に、ということで池澤夏樹がバリ島を舞台にした小説「花を運ぶ妹(文芸春秋)」→amazon.co.jpについて紹介します。池澤夏樹については一時夢中になって、普段はめったに同じ小説家を続けて読まないのになぜか立て続けに20冊くらい読んだことがありました。その中でも印象に残っている1冊だと思います。文庫にもなっています(「花を運ぶ妹(文春文庫)」→amazon.co.jp)。

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 画家である兄・哲郎はバリ島で麻薬のおとり捜査に引っ掛かり逮捕されます。ご存知のとおりインドネシアの麻薬に対してはかなり厳しく彼も場合によっては極刑という状態に置かれます。そして紛らわしくもパリから妹・カヲルがかけつけ救済劇を展開します。「花を運ぶ妹」のストーリーを要約すればこんな感じでしょうか。
 池澤夏樹には「夏の朝の成層圏」や「マシアス・ギリの失脚」というミクロネシアを舞台にした傑作小説があります。実はそのために読む前から池澤バリは大丈夫?と心配していました。自分の体験からも実感としてミクロネシアとバリ島は、南の島という以外なんの共通点もないまるで別の世界だったからです。
 しかし結局この小説も池澤小説を代表する傑作だったわけです。相変わらずの池澤らしい濁りの無い文章、そしてなによりも映画にたとえると非常に洗練された編集により仕上げられた作品、そんな感じの小説でした。
 哲郎の章とカヲルの章を交互に展開し、しかも二人は10年近く会っていなかったという物理的に離れた状況を作り、さらに池澤味というか、哲郎の章では哲郎が哲郎自身を「おまえ」と二人称で語りかける徹底振りです。しかもカヲルは最後の方までバリ島が嫌い、といかバリ島に馴染めないわけです。このため小説を読んでいる間中感じる、バリ島にいつになっても着地できない飛行機のような奇妙な浮遊感を生んでいます。バリ賛歌の多いバリものの中では少し異質な感じです。
 おかげでバリ島らしい描写は少なく、実は池澤夏樹自身はバリ島については・・と勘ぐってしまうほど奇妙なバリ島素人感で溢れている感じです。しかし期待するバリ物とは異なるのに、ねっとり感あふれるその他バリ物とは一線を画した面白さがあるところが池澤夏樹の力量かなと思います。だから、これはバリ本ではなく池澤本です。

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 参考ですが、「花を運ぶ妹(文芸春秋)」の元ネタには「未来圏からの風(Parco出版)」→amazon.co.jpという本があります。龍村 仁によるテレビ・ドキュメンタリー「未来からの贈り物」に同行したときの様子を欠いたものですが、ヒマラヤ、アラスカ、ニューイングランド、バリと旅をします。
 その中でダライラマ、星野道夫、フリーマン・ダイソンらに会います。「マシアス・ギリの失脚」や「楽しい終末」という未来に向けて比較的テーマの重い本を書いた後、彼はある壁にぶつかってしまったようです。これからの自分を探るべくこのテレビ・ドキュメンタリー・ツアーに参加したようですが、それは非常に意味のある旅だったようです。
 「未来圏からの風」をさかいに彼の書くものは「カイマナヒラの家」や「花を運ぶ妹」のように救いのあるものに大きく変化しているようです。どう辛い未来にうまく付き合っていけるかそこへのヒントがあるように思われます。この中に「花を運ぶ妹」を書く下敷きとなった取材の時のことが収録されています。バリ島が好きな人たちにとってはあたりまえのことが書かれているに過ぎませんが、本を通して読むことで印象は大きく変わります。お薦めです。

【追記】

 実は池澤夏樹氏の本を紹介するときに、その強い政治的な発言のせいで少し躊躇してしまうことがあります。そのあたりどう表現していいのか分からなかったのですが、南国読書さんの記事「池澤夏樹氏トークショー&サイン会」に実に良い表現があったので、申し訳ありません勝手にトラックバックさせていただきました。

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2004/06/04

横浜中華街の朝

 横浜出張も終わり帰ってきました。最近出張ばかりで結構こたえました。

 昨日の朝は泊まっているホテルから駅へ向かうため中華街の中を抜けていきました。考えてみると中華街を朝歩くのは初めてだということに気がつきました。馬鹿かと思われるかもしれませんが中華街って、僕が今まで行った他の国にあるチャイナタウンのように朝から活気にみなぎっているのかと思っていたのですが、まるで温泉街の朝の散歩で感じるような静けさでした。店先をほうきではく音がこだましています。朝から屋外で茶を飲みながらお粥でもすすりたいななんて思っていたのですが。生活のための街では無いんですね。沢山の災難に見舞われそれでも頑張っている中華街ですが、客が日本人だから当然と言えば当然かな。

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2004/06/03

横浜出張日誌&ロディ

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 夜中にホテルで目がさえてしまいました。今日は横浜出張中で限りなく中華街に近いところ。NHKで「赤道の首飾り」なんてインドネシアの番組がやっていたのでさらに目がさえています。

 この横浜出張シリーズ、今までは慌しさのあまりまともな食事が取れなかったけど、今日はまともに食事を取ることが出来ました。女性スタッフの提案で昼はKIHACHI ITALIANでイタリア料理、夜は北京飯店で中華料理となり、田舎モノにとっては贅沢な食事。ただし金額に見合った料理が出てくるかというと必ずしもそうではないようです。分かってはいますが横浜の物価には閉口します。少なくとも僕の家の近所のイタリア料理屋は、KIHACHI ITALIANの半分の金額で倍の美味しさと倍の量はいけます(KIHACHI ITALIANも昼食としては美味しいんですが)。使っている食材も近所のイタリア料理屋のほうが良いでしょう。ただし夕食はチンタオビールで気持ちよくなれたのと、横浜出張シリーズでは久々にきちんと食事が取れたので文句はありません。

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 出張に行く前にカルピスウォーターを買いました。今、カルピスウォーターを買うと凄く小さいロディのフィギュアがおまけでついてきます。イタリアのレードラプラスティック社のあれです(写真がピンボケですみません)。ちなみにこのラインアップにはサリーはいません。僕はフィギュアを集めるような趣味はないのですがロディは結構気に入ったキャラクターです。子供にはぜひ乗って遊べるロディを買ってあげるつもりです。
 意外だったのは、僕の会社の周りの人たちにこのロディを見せたら誰も知らなかったということ。僕の中ではそうとうメジャーなキャラクターというか玩具だったんですが、実はそうでもないんですね。シュウェップス同様、不思議なたちいちです。

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2004/06/01

ホクレア号が行く

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 またホクレア号を取り上げてしまった。ナイノア・トンプソン自身の初の著作という「ホクレア号が行く―地球の希望のメッセージ(ブロンズ新社)」→amazon.co.jpが出ていたので早速読んでみた。ナイノア・トンプソンが読者に語りかけるような文章なので、山内 美郷によるインタビューをリライトしたものだと思われる。モンティ・コスタによる美しい写真も豊富で1時間もあれば読み終わる。

 tarzan特別編集「ホクレア号について語ろう」という記事でホクレア特集の紹介を書いたように、以前に比べてホクレア号はマイナーかつマニアックな話題では無くなってきている。むしろハワイを話すうえでは最重要項目のひとつ。だから僕の緩慢なBLOGでわざわざ取り上げなくてもいいかも、と最近思ったり。もっと距離の近い人たちが沢山ウェブ上で紹介しているし。

 サブタイトルにもあるとおり、ナイノア・トンプソンが語るのは「地球の希望のメッセージ」。南の島が好きになるとこの感覚が良く分かる。たとえばハワイ・ロア号の材料となる木を調達するエピソードでアラスカのインディアンと接続することが、彼のメッセージを説得力のあるものにする。ハワイ文化を語ることで地球全体を考えさせる。この中で語られる話は、既にさまざまな雑誌で紹介されているものだけど時系列に並べるとさらに良い。読んで間違いはないと思う。

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大阪出張日誌

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 今週は出張ばかりでBLOGがあまり更新出来ない予感(仕事に関わることをBLOGに書くのもなんですが)。
 ということで今日(というか日も変わったので正確には昨日)はなぜか大阪城公園まで日帰り出張(片道5時間)。しかも最近は出張といえば雨。大阪は好きだけど、日帰りの上にこの蒸し暑さと雨。やることもなく行きと帰りの新幹線で本を2冊読んでしまう。

 新幹線の中で流れるニュースを見て遺体が橋田信介さんのものと断定されたことを知った。4月の邦人人質事件のときとは違って、橋田さんが殺されたということはイラクは想像以上ではないかと考えてしまう。イラクの中心で、バカと叫ぶ、ほんと。

 大阪駅で環状線に乗り込むと暑さと湿度で不快指数がいきなり上がる、外よりひどい。一緒に出張に来てた人間が「大阪って本当面白いんですよ」と言い出したので「なにが?」と聞く。すると彼が「この間面白いの見ちゃったんですよ。サラリーマンだと思うんですけど、つり革を使って懸垂みたいなことしてるんですよ。あんなの見たの初めてです。」と言った。僕は「面白いねえ」と言いながら南海線で毎日通勤してたときに同じ車両にいた「つり革をつかって体操選手のように一回転をしてる人」を思い出していた。

 水曜、木曜と今度は横浜。また雨に祟られるんだろうなあ。

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