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2004/04/30

ウブドの市場

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 ゴールデンウィーク、どこに行くわけでもないのですが(いつもはどこか海外にいってたのに)色々と行事で忙しくバリ島補欠写真でごまかしです。
 ウブド市場です。バリ人に「朝5時には行かなくては」と言われ早起きして行ってみたんですが、朝から凄い込み様です。写真なんか撮ってても誰も気にしません。バイクがやたら多くて目や喉が痛くなるくらいでした。帰り道、市場を振り返るとそこの上だけ雲があるように排気ガスによるスモッグが発生していました。爽やかな朝でしたが、ホテルに戻るなり顔を洗ってうがいをしました。(本当はそんなに早起きしなくても大丈夫です)

【追記 2004.06.11】

いしやbalibatuばびぐりんさんからのTB。僕は行動半径狭いんですね。行ったことないのですがブドゥグルってバリの軽井沢ってイメージですけど、それだけに市場も少ししゃれてるのかな。
そういえばいしやさんで思い出しました。近所のバリ雑貨屋さんから「ウブドとデンパサールの間にある石屋さんの前に美味しいイカン・バカール屋がある」というのを!アバウトすぎて分かりません。

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モナリザ、パリ

 「モナ・リザの保存状態を調査へ ルーブル美術館」→CNNというニュース。名画ということで、やはり修復すべきか否か議論になっているらしい。美術のことには疎いけど気になるのは「モナ・リザ専用の展示室を建築中」というところ。

 フランスはパリに行ったのはたった一回、しかも16年くらい前、そのときはもう一度行きたいというほどの印象は無かった(嫌いではないのですが)。フランス革命200年祭の前年で、祭にあわせて色んなものが修理中だったから、そんな印象で終わってしまったのかもしれない。カラックスの「ポンヌフの恋人」でパンパンと花火が上がった、その前の年。
 一応、かの凱旋門を見てみようとそっちの方に行ってみると、なぜか凱旋門が見当たらない。仕方なく近くにいた露店のアイスクリーム屋さん(たぶん学生のバイト)に「凱旋門は何処?」と聞いてみる。すると彼は笑いながら「そこですよ」と凱旋門の場所を指で指す。恥ずかしいことに凱旋門は目の前にあった、全体をフランス国旗に覆われて!!
 その他にパリで記憶に残っているのは、犬の糞をよけながら歩いたり、35度近い気温の中バスのエアコンがきかなくて気分が悪くなったり、ホテルの水道の蛇口で指を切ったり、スーツケースの鍵をホテルに忘れてしまいホテルに連絡すると、フランス語しか喋れないベットメイキングのおばちゃんに電話を代えらたり、したこと。半分以上、僕が悪いんだけど。

 僕がパリで一番感激したのは、パリ初めてのおのぼりさんらしく「モナリザ」だった。その頃のルーブル美術館は、今のようにミッテランのグラン・プロジェの産物「ガラスのピラミッド」のエントランスはなく、古くて暗い無意味に広いエントランスだった。そのエントランスの大きさに反比例するように小さいチケット売り場で「アン・チケ・シルブプレ」なんて言って入場券を購入。ミロのヴィーナスなどを眺めながら階段を登り、多くの名画に挟まれたその長い回廊の正面に「モナリザ」があった。
 実はそれまで「モナリザ」にはなんの興味もなかったけど、思っていたよりずっと小さい、その本物を見て一発で魅了されてしまった。美術の教科書にある絵を見ても、なんでこれが超名画なのか分からなかった。でもすごいオーラなんですよ本物は。だからもしも、またルーブルに行ったらその回廊の先には「モナリザ」が無いということなんだなあと、このニュースを見て感慨深くなった。

 余談だけど、グラン・プロジェといえばジャン・ヌーベル設計の「アラブ世界研究所」→外は見たかった。あのカメラの絞りみたいな窓?、あれは格好いい。コルーシュ主演の映画「チャオ・パンタン」が好きだったから、そのせいかパリと言ったらアラブのイメージがつきまとう。ベトナム料理が美味いという評判だからパリに行ったら食べたいな。それと路地裏の小さなカフェで食べた定食、これは美味しかった。そういえばタヒチってフランス領だっけ。タヒチで食べた魚のスープはめちゃくちゃ美味しかった。

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2004/04/29

憧れの水上バンガローで断水

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 前々々回の「憧れの水上バンガローで見た夢」で水不足で断水だったと書いたけど、こんな時みんなどうしてるんだろう。僕の場合、断水とは言っても夜の10時から朝7時くらいまでだったので影響があるのは夜のオシッコくらいである。だから毎日夜はバスタブのお湯を残しておいて、それをコップですくってトイレを流した。断水が解除されても気がつくまでやっていたから、なかなか節水できたのではないだろうか。
 ボラボラ島は、山があるとはいっても小さい島だし乾期などにはすぐ水不足になる。タヒチ本島からの補給も限界がある。ただ乾期は水不足と引き換えに抜けるような青空が広がる。だからいいでしょうということになる。分かっている人はアウトドア用の断水トイレキットなどを持っていくのだろうし(名前は聞くけどどんなキットなのだろう)。断水も長く続くと最後はプールの水を水道にひきこんでいた、プール50%みたいな感じ。

 断水のおかげでついていたこともあった。夜、レストランに来いとホテルからのメッセージがあった。GMのなんだか聞き取れないフランス英語をしばらく聞いていると、どうもお詫びとして宿泊客全員にディナーのプレゼントがあるらしい。物価高のボラボラ島だからディナー!なんてホテルでとったら一人5000フレンチ・パシフィック・フラン(つまり5000円)は下らない。しかも好きな料理を頼み放題だった。

 それにしても超有名なホテル・ボラボラに泊まった時では事情が違った。デビット・ナカノさんの説明によると海水をろ過する装置が導入されていたのである。だから全然水不足ではなかった。島民に分けてあげたい気分だった。

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2004/04/28

沖縄デー

 忘れるところだった、今日は沖縄デーだった。ブログを検索してもあまりこのことを取り上げてるところがない。静かな沖縄デー。
 本土人!である僕が、初めて仲良くなった沖縄出身の人は、なんというか一般に言う沖縄デーとは反対ではないかという人だった。彼は沖縄が日本に返還されようとしているときに中学生だったが、テレビのインタビューを受けて「返還反対!」とやっていた(僕はそれを見ていたらしい)。米軍のパレードで落下傘で降りたなんて楽しそうに話していた。でもいつも感じていたんだけど、彼は屈辱の裏返しのような感じだった。結局、米軍基地がそこにあって、それぞれの言葉で語っている。
 静かな沖縄デーだけど、少しずつ、小さな民主主義が地盤を動かしてるような、そんな感じ。

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リッキー・リー・ジョーンズを聴く

 リッキー・リー・ジョーンズを聴く。去年あたり女の子たちの間で流行っていたので、今頃ということでまったくタイムリーじゃないけど(少し前に来日したのかな)。
 家の近くにカフェらしいカフェがある。毎週日曜日、家族で午後の一時を過ごす。時々、彼女の「浪漫」か「ポップ・ポップ」がかかる。艶があって少し気だるいところがカフェにあってる(カリフォルニア出身なんだけど)。

 僕にとってリッキー・リー・ジョーンズは記念すべきミュージシャンである。何故かというと、自分のお小遣いで初めて買ったレコードが彼女の「恋するチャック」というシングル(45回転、ドーナツ盤)だったから。中学生だった。日本で発売されるやいなやレコード屋に走った。何回も聞いてとうとう割れてしまったそのドーナツ盤はしばらく壁の飾りとなっていた。その次に同じく彼女の「ヤング・ブラッド」を買った(こちらはまだ聴ける状態)。どちらも「浪漫」に収録されている。
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 今まで聞いてきた中で「パイレーツ」→amazon.co.jp「フライング・カウボーイズ」→amazon.co.jpが特に気に入っている。共通点は元気なところか。
 「パイレーツ」は傑作だから特に説明する必要もないが、「フライング・カウボーイズ」は立ち位置が微妙かもしれない。このアルバム、話をしても通じないことも多い。「そんなレコードあるんだ」という具合に。
 理由は裏ジャケットの写真、彼女の後ろの風景に見てとれる。最近の現象だろうが彼女に求めているムードではないのだ。80年代のゲフィンレコーズの音がする。それに(変な嘘ベーシスト伝説の)ウォルター・ベッカーが絡んでいるのが一部の人に受けが悪い。素晴らしいプロデュースをしているのだけど。
 ということで僕はこのアルバムが好きだ。いや実際昔ながらのファンにはこれが一番好きという人もいる。ヘッドフォンで聴いていると1曲目から涙が出てしまうことがある。涙といっても嬉し涙のほうだけど。フランス人ミュージシャンと結婚し(その後別れるが)幸せ絶頂の頃のリッキー・リー・ジョーンズが聴ける。

【追記】
 横浜での仕事の帰りの電車の中で書いてたのだけど、いやあ今日の強風といったら!21階の部屋でのミーティングは建物が揺れ揺れ続きで本当、気分が悪くなってしまった。

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2004/04/26

憧れの水上バンガローで見た夢

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 たぶん多くの人の憧れであろうタヒチの水上バンガロー。僕はボラボラ島のモツ・テヴェイロアにあるパールビーチ・リゾートの水上バンガロー(17号室)にお世話になった。
 この部屋に入ると、その素晴らしさに頭がクラクラした。部屋の下も右も左も前も後ろもみんなエメラルドグリーンの海である。しかも部屋を出るとそのまま海にザブーンといける。ちなみにバルコニーから直接ザブーンと飛び込みをしているフランス人もいたが、僕はちゃんとタラップを降りて入水。すぐ目の前には海に浮ぶようにオテマヌ山が見える。

 水不足で夜10時に断水しようが、とにかく夢のような心地よい部屋である。夜になるとガラステーブルを通してパンダナスを葺いた天井に水の文様がゆらゆらと描かれる。部屋の中を吹き抜けていく風が心地よく移動の疲れもあってベッドの中に吸い込まれるように寝てしまった。

僕は何故か海の中を泳いでいた。上を見上げても水面ははるか彼方。
そしてしばらく泳いでいると息が苦しくなった。どんどん苦しさが増してくる。
この状況から逃げ出そうと必至に泳いでいると洞穴を発見した。
この長い洞穴に入る。もう息がもたない。
危機一髪のところで僕は水面に顔を出した。
そこは夜の室内プールだった。
僕はプールからはいあがりホッとしてその場にへばりついた。
そして後ろを見ると遠くから、目も口も無い真っ黒な顔の人が自転車にのってこっちへ向かってくるではないか。
僕は必至でその自転車から逃げた。
そしてもう少しで追いつかれるところでプールに足を滑らせて落ちた。

 そこで目が覚めた。汗をびっしょりかいていた。うなされていたらしい。天井にはまだ水の文様がゆらゆらと描かれていた。まだ夜中の3時頃だった。

慣れないところに泊まるとこうである。

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シュウェップス

 ココログでプラスとかプロにしてる人、こんなワードで引っ掛けて来る人がいるんだ、と面白くて記事に載せてしまう人が多いのですが、今日はネタ詰まりなので僕もそのへんのネタで勘弁して下さい。

 ちなみにココログのアクセス解析全然強力じゃないので、誰が来たのか全然分からないところが気に入ってます。というかどんな記事が何人に見られてるなんて気にしはじめて「イラク」とか「冬のソナタ」の記事ばっかり書くようになってしまうのは少し辛いです。僕の場合、今回の「ウェブログ 虎の穴」のように「アクセス数が30倍!」になったら義務感で気が重くなること間違いありません。(5倍くらいはいいかもしれません)
 僕のサイト一応旅関係で始まったのですが、記事にしている南国関係のキーワード(ハワイとかバリとか)で来る人は極少数です。これは意外だなと思ったのですが、ブログを見渡してみるとハワイとかバリ関係のブログはわりと少なく、つまり感心が低いということでしょうか?。しかもほとんどは女性(らしい)です。しかも僕のようにうだうだ書いてません。これは見習うべきところです。男性の書くブログで旅関係で面白いものは、(僕のブログもそうですが)まったく見当たりません。

 そして検索ワードなのですが、「シュウェップス」で来た方がいたのには感激しました。バリ島のアマンダリで飲んだやつなんですが、死にそうなくらい喉が渇いていたので本当に美味しかったです。ちなみにどのくらいの人が「シュウェップス」を知っているか僕の周りのサラリーマン13人に聞いたのですが、知っていたのはたったの4人でした。しかもみんな35歳以上です。これは味覚糖が”砂糖の含有が世界一の純度の高いキャンディ”とうたう「純露」という紅茶味のアメが、昔は薬のあの押し出すタイプのパッケージに入っていたのを知っていた人と一緒でした。
 ちなみに「シュウェップス」は世界的には「コカ・コーラ社」と肩を並べる大企業です。傘下には「カナダドライ」や「サンキスト」があります。
(「霊幻道士」と「浜美枝」で来てくれた方、「霊幻道士」と「浜美枝」について語ると長くなるので割愛しますがありがとうございます。)

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2004/04/23

今更ながらブライアン・ウィルソンを聴いてしまった

 今更ながら1988年のブライアン・ウィルソンのソロアルバム「ブライアン・ウィルソン」→amazon.co.jpを聴いてしまった。1990年代には小山田圭吾や黒澤健一君やリチャード・D.ジェイムスやショーン・オヘイガンやマシュー・スウィートなど多数のミュージシャン達が大好きらしいとの情報から妙にカリスマ化されてしまったブライアン・ウィルソン。
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 1988年といえば僕は何かの縁か地元でバンドをやっていて(なんか時代がかっているなあ)、リリースされたばかりのこのアルバムを同じバンドのメンバーK君と夢中になって聞いていた。1曲聞くたびに天才!なんて連発していたような、若かったんだなあ。そういえばK君に「ペット・サウンズでは何が一番好き?」って聞かれた時、「スループ・ジョン・B」なんて捻くれた答えを言って彼をがっかりさせた。そんな質問の時には「僕を信じて」とか「ドント・トーク」とか「少しの間」とか「駄目な僕」とか言わなくてはいけないんだけど。

 久しぶりに聴いたらやっぱり良かった。何が良かったかって「ラブ・アンド・マーシー」がかかったら妻が「新婚を思い出すね」と言ったこと(結婚生活が行き詰まっているという訳ではないです)。(そろそろ旅のことも書かなければ。)

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2004/04/22

セバスチャン・サルガド

 最近の世界情勢のおかげか、ニュースなどで現地で活動するフォト・ジャーナリストなどを取り上げることも多くなってきた。そんな時に僕が思い出すのはセバスチャン・サルガドである。といっても知名度も高いし、写真展も終わってしまってタイムリーじゃないし、今ではなんとなく戦場とは縁の遠い感じだけど。
 少しは写真を嗜んでいるつもりだったので1994年に「WORKERS」、2002年に「EXODUS 国境を越えて」といった写真展を観に行ったがなかなか度肝を抜かれた。なんというか躍動感とは正反対の感じで悲惨な写真もかなりフラットな印象なのだが、それゆえの緊張感というかずっしり重いものを感じた。「WORKERS」の頃なんかサルガドの写真を真似る(といか憧れと言うか影響を受けたと言うか)人たちも多かったと思う。
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 マグナム脱退後は、フランスを拠点にAMAZONAS imagesを立ち上げ、またユニセフの特別代表となってフォト・ジャーナリスト単体としての活動よりも、さまざまなプロジェクトへの関わりが多くなっている。僕がここで活動内容に触れていないのは、難民や貧困などをテーマにした活動が写真本来とは違った議論をサルガドの周りで展開してしまっているのを度々聞いているから(「WORKERS」の頃と「EXODUS 国境を越えて」の頃では随分と写真展の客層も変わっていた)。重要な活動を行っているのだが、個人的には作品そのものをじっくりと見てみるほうがインパクトが強いと思う。もちろん現在の展覧方法も悪くないと思うけど。

写真集、けっこう値がはるのでとりあえず以下に一部紹介。

「Workers: An Archaeology of the Industrial Age」→amazon.co.jp
「Migrations: Humanity in Transition」→amazon.co.jp

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2004/04/21

威勢のいい頃の香港映画が観たいのですが

 せっかく暖かくなってきて頭も南国モードだったにもかかわらず、最近気分の重いニュースが多くてどうにもすっきりしない。僕はそんな時、いつも香港映画が見たくなる(何故か広東語の響きがヒーリングなんですよ)。ということで最近のテレビでチャウ・シンチー監督の「少林サッカー」が放映されていたので、ついつい観てしまった。
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 で自分がもってるDVDはというと同じくチャウ・シンチー監督の「0061北京より愛をこめて!? 」→amazon.co.jpツイ・ハーク監督の「金玉満堂 決戦!炎の料理人」→amazon.co.jpの2枚しかない。ジャッキー・チェンも無いし(香港に行った際は彼の家やポリスストーリーのラストシーンで使われたデパートも見に行ったのに)、ブルース・リーも無いし、ピーター・チャンとかのUFO製作の頃の映画(UFOなんて始まったときは期待しました)も無いし、とっても流行ったウォン・カーウァイとかも無いし、チャイニーズ・ゴースト・ストーリーも霊幻道士(幽幻道士は台湾製ですよね)も少林寺も無い。
 そしてAMAZONで何か生きのいい香港映画のDVDはないかと探していたのに、何故か悲しいイー・トンシン監督の「つきせぬ想い」→amazon.co.jpを購入してしまう。本当は「Mr.BOO!」シリーズとかにしようと思ったのに。だからってアニタ・ユンのファンと勘違いしないでほしい。

 とにかく威勢のいい頃の香港映画が観たい。ところで威勢のいい頃の香港映画っていつごろの映画なのだろう?

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2004/04/19

アテネに向けて、村上春樹は椎名誠か

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 8月から始まるアテネ・オリンピックに向けて以前行ったギリシャ旅行を思い出すべく、家にあるギリシャ関係の本を読み始める。そしてついに昨日から柄にも無く村上春樹の「遠い太鼓」に突入した。
 僕は村上春樹不適合者で、十代の時に熱狂的な春樹ファンの友達から「1973年のピンボール」をたぶん強制的に読まされたのを手始めに、その年は自分の思いとは裏腹に村上春樹年間となってしまった。なってしまったというからには馴染めなかったわけである。面白くなかったわけではないけどどうも僕の貧乏臭い生活感とはちとずれていたんだと思う。そして何故かその友達はその頃熱狂的なブライアン・イーノのファンだった。「Music for Airports」や「Ambient 2」を聞かされ、僕は村上春樹と聞くとフィッツジェラルドとかサリンジャーとか思い出すわけでもなく、ビートルズやチャーリー・パーカーが聞こえるわけでもなくブライアン・イーノの電子音がシュー、ピーピーと聞こえてしまう悪い相乗効果で悩んでいた。
 ということで「遠い太鼓」に戻ると、これは読んでなかった。小説ではなくて紀行文である。出だしのほうの「いくつかのポジティヴな理由があり、いくつかのネガティヴな理由があった。いくつかのプラクティカルな理由があり、いくつかのメタフォリカルな理由があった。・・・」のようなところは気持ちが入らないところだが、何だか読みやすいではないか。だがなんで読みやすいのか途中で気がついた。村上春樹を僕は(僕の親父の大好きな)椎名誠に変換して読んでいたのだ。失礼ながら椎名誠の「あやしい探検隊」の気分で読んでいたのだ。どっちがどっちかよく分からない。写真の村上春樹も椎名誠に似ているではないか。だがこのフィルターのおかげでだいぶ読みやすい。ちょっと気取った椎名誠。そして「あやしい探検隊」シリーズ中、最高傑作の雰囲気だ。これで村上春樹アレルギーも解消できるかもしれない。アテネの焼き栗売りを思い出してきた。

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庶民的海外渡航自己責任

 最近、例の人質事件のせいで「自己責任」という言葉がやたら脚光を浴びて(もう収束したかな)、海外旅行好きの僕にとっては肩身の狭い思いだ。というか「自己責任」という言葉は、行く側が最終的な言い訳として使う言葉だと僕は思っていたので、テレビを見ていると(言い訳をする)自分が沢山でているようで心苦しい。

 全然レベルの違う話で申し訳ないが(といことでプロ市民?の方の話ではなくただ旅行者の話)、9.11のテロが発生した際、僕は一ヵ月後にバリ島旅行を計画していた。現在こんな旅だ何だのサイトをやっているくらいだから、当然ながら旅行に踏み切った。
 そしてバリ島のクタで爆弾テロが発生した時も一ヵ月後に残念なことにバリ島旅行を計画していた。さすがに(あまりあてにならないと思っている)外務省の海外安全ホームページを見たり、バリ島爆弾テロに関する掲示板やら現地情報を毎日のように見て、これが僕の問題点なんだけど「何とか行けるように」周囲に説明するために知恵をしぼっていた。そしてバリ島へ行った。
 イラク戦争が始まった際は全然場所は離れていたもののサイパン島への旅行が間近だった。この時期になるとサイパン島も中東もへったくれもないので当然色々言われたが、結果サイパン島に行った。
 もちろん生きているわけだから何かあった訳ではない。行った場所は戦地ではないから何かに巻き込まれる可能性も低い。しかしタイミングによってはバリ島でテロの犠牲になった2人の邦人のようになってしまうかもしれない(前にも話したけど、ギリシャのエーゲ海クルーズで僕が乗っていた船が、次の週にアメリカ人を狙ったミサイル攻撃で撃沈。これも運か)。
 上にあげたどの旅行もツアーではなくて個人手配みたいなものだったから、大手の旅行代理店のように危険情報のレベルによってはツアー自体をキャンセルする(してくれる?)こともない。そして自己責任率が高いので、自分の甘い判断は旅行決行のほうに転んでしまう。何か事件に巻き込まれたら、今回の事件のように日本全土では無いにしろご近所、家族からは「ほうら、やっぱり」と言われるに違いない。しかし色々言われてもいいけど「自己責任」で説教は受けたくない気がする。やはりこれは渡航する側の最後の言い訳にしてほしい。と言いつつも周囲が心配するのも当然、それを蔑ろにしている自分は本来の「自己責任」の意味で反省しなければならないと思うこの頃。

 (少し話題のほうに触れて)本来の「自己責任」とは別な温度であちこちでヒートしている「自己責任」論。当事者の思想やバックボーンなど色々プロファイリングして、なにか色々出てくるものだから「自己責任」なんて本当はどうでもよくてそれ絡みの政治的な議論を引っ掛けるためのキーワードになってるような。だから間違ってきたここに来た人、ここには政治的な話は何も無いので申し訳ない。
 それにしてもイラクは「退避を勧告します」で、ルートになるヨルダンは「十分注意して下さい」というところ中東を国で区切るとなにか不思議。国際的にも憲法的にも簡単には「渡航禁止」に出来ないわけだから、「自己責任」を連発しても人の流れは止められないだろうな。
 そしてファルージャでよく聞くムジャヒディン、これを聞くと果てしなき道に突入したのだろうか?と思ってしまう。インドネシアではムジャヒディン、最後には統制出来なくなってしまったんじゃないか、と考える。どうなって収束したんだろう。

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2004/04/16

ポリネシアを掘る-補足リンク

 「ポリネシアを掘る」で紹介した篠遠博士は「やしの実大学」→外の学長ということです。このサイトはポリネシアに限らず太平洋全地域の面白い情報が得られるのでよく活用してます。
 その中のポリネシア講座の中で「「楽園考古学」の一部を読むことができます。また「ハワイの神話と伝説」→外にもリンクが貼られているのでそちらに興味がある人はどうぞ。

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ポリネシアを掘る

 ハワイなどポリネシアの文化を知る上で必読というかお勧めという本がある。それは「楽園考古学―ポリネシアを掘る(平凡社ライブラリー)」→amazon.co.jpという本で、ハワイのビショップ博物館の特別研究員で太平洋考古学の第一人者、篠遠博士(前にも書いたとおり僕は彼の大ファン)と作家荒俣宏(トリビアの泉のほぼレギュラーなのにほとんど喋らないですね)による対談形式になっている。
 考古学とはいっても自分は門外漢だからといって敬遠する必要はない、内容はかなり充実しているが対談形式だし篠遠博士の半生を追っているような内容なので読む敷居はかなり低い。聞き手の荒俣宏になった気分(結構抵抗あるかな)で読めばいい。
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 篠遠博士は日本では知る人ぞ知る存在であるが、タヒチではタオテ・シノト(タオテはタヒチ語でドクター)という名前で親しまれている有名人。1924年生まれだからもう80歳。カリフォルニア大学バークレー校に留学するためにアメリカ本土に向かう途中、ハワイで途中下車し、そのままエモリー博士についてポリネシア研究にはまってしまった面白い経歴の人だ。
 土器のまったく出てこないハワイで、釣り針に着目することでポリネシアの考古学を発展させ、マラエやヘイアウなどの数々の遺跡を発掘し、ファヒネ島においてはついにあのホクレア号を越える25mに及ぶ大きさのカヌーを発掘した(ポリネシアン・ポンペイと呼ばれている)。このことが現在のハワイやタヒチのアイデンティティの盛り上がりに大きく影響している。それと同時に本書は最近のハワイ人による過剰な運動にも警鐘をならしているところも感慨深い。

 とにかくこれを読んでポリネシア文化の奥深さにふれてみることをお勧めする。続き物として「南海文明グランドクルーズ―南太平洋は古代史の謎を秘める(平凡社)」→amazon.co.jpも発売されている。

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2004/04/14

「カイマナヒラの家」を読みたくなりました

 最近暖かくなってきたせいか、やっと頭が南国モードになってきました。(そういえば冬の間は南国ネタは厳しかった、読み直すと文章もそれを反映してますね)
 頭もかろやかになってきたところで”ハワイ”でブログを検索していると小仙さんのHawaiian Sketchesという記事に目がはいり(2週間も前の記事にトラックバックしてすみません)、サーフィンをやってる友達にも薦めていたので、それでは最初のハワイ本は池澤夏樹の「カイマナヒラの家」ということにしました。

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 「カイマナヒラの家―Hawaiian Sketches(ホーム社)」→amazon.co.jpはカイマナヒラ(この呼び方を使うところが池澤夏樹らしいというか、1940年代生まれというか)に建つチャールズ・W・ディッキー設計の1936年に建てられた家を舞台にしています。チャールズ・W・ディッキーについてはあまり詳しく分かりませんがハレクラニ・ホテル、ナニロア・ホテル(ヒロ)やシティ・ホールなど幾つかのハワイの建築に携わりました。おかげでこの小説は現代を舞台にしながら、ハワイのある時代のイメージを引っ張ってくることに成功しているように思えます。
 実際の家はバブル時代に購入した日本企業が管理に手を焼いているという話を何年か前に聞きましたが(今はどうなったのでしょう)、小説の中でも管理人とその家に集まってくる人たちのエピソードを連作短編形式で語っていて、連作短編形式というその軽やかさが池澤夏樹の流れるような文章と相まって清々しいハワイの雰囲気をうまく表現しています。これは池澤夏樹自身も語っていたようにバリ島を舞台にした「花を運ぶ妹」では使えなかった手法かもしれません。
 そしてサーフィンですね、池澤夏樹もサーフィンを中心に置いています。ここで語られるサーフィンはサーフィンをしたことのない僕にとっても非常に魅力的なもので、禅的というか地球と一体化するようなその雰囲気は、僕が今まで出会った無口なサーファー達が語ってくれなかったものです。

 池澤夏樹の南国モノというとそれまではミクロネシアであり、その少し寒々とした南国のイメージが彼にあっていると思っていて、ポリネシアを取り上げたのは少し不思議な感じがしました。ですからそんなムードのままに読んだ「ハワイイ紀行」以上に後から読んだこちらのほうがハワイの深みを感じることができました(実際のところ彼はタヒチにもいたことがあるわけですからポリネシアを語れても不思議ではないのですが)。
 ほとんど会話が中心の小説なので池澤夏樹のスムーズな文章に誘われてすぐ読み終わってしまいますが余韻はかなり長いです。芝田 満之氏の写真も何回も見直してしまいます。一度読んでしまうとパラパラとめくっただけでハワイに行きたくなります。

 ということで本棚を見てみると池澤夏樹の本が27冊あって、僕はもしかすると彼のファンなのかと少し悩みます。最近はイラクやアイヌと少し南国がお休みのようですが、そのうち南太平洋の方にも足を伸ばして下さい。

(たしかに旅のおともには文庫版の「カイマナヒラの家(集英社文庫)」→amazon.co.jpがいいかもしれないですね)

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2004/04/13

ファルージャでの出来事を見ながら

 イラク関係のニュースが慌しいです。僕自身は回り道をしながらというか牛歩のごとくイラク情勢を追っかけていたんだなあと今更思っています。イラクでの邦人誘拐のニュースを見てて、初めてファルージャの現況に注意がいったのですから。
 どういったわけかここ数年の中東での出来事を見て、僕は新聞やニュースを追っかけたり、どんどん出てくる中東情勢をテーマにした新書を読んだりするよりも、イスラムに近いもの、たとえばプラムディヤ・アナンタ・トゥールやモフタル・ルビスのようなインドネシア文学や少し話題になったアティーク ラヒーミーのアフガンものやパキスタンあたりが舞台になるような紀行文とかを選んでたわけです(馬鹿の一つ覚えのようですが何冊か重ねるしかないと思ったのですね)。おかげで時事にはちょっと疎くなってしまいました。
 少し、それ関係のブログを見渡して少し時計の針を進めなくてはだめですね。
 僕のこのブログはそういったタイムリーな情報を発信するわけではないので、時事問題にはあまり関係ないといえば関係ないのですが、少し今回の件を通して頭の中を整理してみると、イラクにベトナムを持ち出したりするような(例が稚拙ですが)過去の欧米的な枠組みで中東を見るという感じはあまり無くなったような気がします。その点は変な日本語ですが牛歩なりの進歩ですね。
 最近いくつか読んだものの中には、聖職者協会幹部が邦人誘拐犯人グループについて「ファルージャの普通の住民だ」と言ったように、普通の住民によるテロルをテロリスト(一方的に悪い響きに利用されますが)側から描いたような作品も少なくないです。あまりイデオロギーに触れたくはないのですが、そういったものを読んでいる限り彼らの主観は僕たちが考えているものとはやはり異なりますし、刺激として受け止める部分も少し異なるので、事象の変化も突発的に見えたりします。
 少なくとも邦人以外に米国人、英国人、韓国人、中国人、イタリア人、カナダ人、パキスタン人、トルコ人、インド人、ネパール人、フィリピン人、ロシア人など拘束された人は多数の国にわたっていますが、ここ数日、拘束と解放の繰り返しです。その中で情報が途切れて行方不明になったり今回の邦人のようにこう着状態が続いたり米国人のように処刑されたりする人も出てきてます。色んな情報が錯綜する現在ですがルーレットになる前に良い結果で終わることを願います。

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2004/04/12

ハワイアン・ソングバード

 これから少しずつ音楽のことも書いていこうと思います。今回の記事は先週の金曜日にアップするつもりだったのですが、Tarzanの特別編集版の発売にともないずれました。まあ同じハワイですからいいでしょう。

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 今回紹介するCDは、ハワイアン・ソングバードとよばれたレナ・マシャードのタイトルもそのまま「ハワイアン・ソングバード」→amazon.co.jpです。
 レナ・マシャードはハワイ音楽史上最高の最高の女性歌手といわれています。僕はこのCDを聞いて初めてハワイアン・ミュージックの素晴らしさを知りました。それ以来、ハワイの女性歌手で彼女を超えるものありません。
 彼女の活躍した時代の作品は、近年のハワイ文化の復興という力の入った作品たちとは比べるものではないのですが、その堂々とした歌声の素晴らしさは他に類を見ないものです。そういえば最近は、彼女のようなファルセットというかヨーデル風という唄い方はすっかり減ってしまいましたね。
 ちなみのこのCDの構成は前半がSP盤のコレクション、後半が1962年のアルバム「ハワイアン・ソングバード(ハワイのひばりちゃん)」を全曲収録です。

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2004/04/09

tarzan特別編集「ホクレア号について語ろう」

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 僕の知らない間に雑誌Tarzanの特別編集として「ホクレア号について語ろう」→マガジンハウスが発売されてました。ハワイ、タヒチ間を航海したアウトリガーカヌー「ホクレア号」の大特集になってます。
 キャッチフレーズは「あなたの知らない、もうひとつのハワイ」。以下のように内容を紹介しています。

ホノルル空港のイミグレーション。 あの広い部屋に入ると、 左手に不思議なカタチをした船の 写真が飾られています。 「あの船は、いったい何だろう?」 そんな疑問をもった『ターザン』は、 やがて言葉にならないほどに壮大で、 ロマンチックな物語に出会ってしまいました。 リゾートの向こうに見える 本当のハワイをお届けします。

 僕のこのブログは「ハワイアン航空ホクレア号」という記事で始まりました。その後「サイパン島とカヌー」と続きましたが、僕なりの憧れのハワイやミクロネシアの文化を1年くらいかけて記事にしていこうと思って始めたのがきっかけでした。
 この雑誌にはダイレクトにホクレア号やそれにまつわるハワイの魅力を満載しています。大変お買い得なので是非手にとってほしい。新しいハワイの魅力に知ることになるでしょう。
 僕が書こうとしていた内容のかなりのことがこの雑誌には書かれていますが、僕は僕なりに少し離れた視点で記事を書いていこうと思います。

 そういえば、尊敬するビショップ博物館の篠遠博士がでかい写真で載っていたのがとても嬉しかった。

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2004/04/07

007で日本の異国情緒を楽しむ

 最近、「ラストサムライ」やソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション」などの日本を舞台にしたアメリカ映画のおかげで、やや日本への感心が高まる中(貿易摩擦の減少やイラクへの自衛隊派遣がアメリカ人に良い印象を与えてるせい?)、僕が個人的にもっとも異国情緒が楽しめた映画を紹介しようと思う。

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 その作品は「007は二度死ぬ」→amazon.co.jp。でご存知007シリーズの1967年の日本を舞台にした作品。20作品を数える本シリーズ中ワーストに限りなく評価が低い(というかこれは日本での話で、海外では評価が高いらしい)。しかしマニア度はかなり高く007ファンどうしでこの作品は話を始めたら話題が尽きない。(という僕は007ファンなのか)
 内容は007おきまりのパターンで、米ソ直接対決を引き起こそうとするスペクターの陰謀を暴くべくジェームズ・ボンドが日本に乗り込むというもの。ジェームズ・ボンド役はこれを最後にボンド役を辞めようとカツラまでとってみせたショーン・コネリー。共演に丹波哲郎、若林映子、浜美枝、ドナルド・プレザンス他。特に丹波哲郎はショーン・コネリーより遥かに格好良い。これを機会にテレビ番組の「キーハンター」に繋がっていったらしい。

 少しだけ内容を紹介すると、香港で一度死んだことになったボンドは潜水艦で日本に乗り込むのだが 潜水艦からウェットスーツ姿で日本の海岸に上陸し、(もちろんウェットスーツは脱いで)最初に訪れるところが銀座である。人力車が走り、様々なネオンで満ちた銀座はどこか別のアジアの都市に来たようで目が釘付けだ。そして国技館では相撲を観戦しながらの情報交換。関取もスパイの仲間らしい(それにしてもこの独特の臨場感が素晴らしい、「アラビアのロレンス」のフレディ・ヤングの撮影だというのはAmazon.co.jpのレビューを見て初めて気がついた。納得)。
 また、情報提供者であるヘンダーソン氏の部屋やスペクターの仲間であるオーサト化学(ホテル・ニューオータニ)の社内のレイアウト、インテリアの和洋折衷、無国籍ぶりは現代のデザイナーズ・ホテルだのなんだのを遥かに越える見応えがあるデザインだ。
 さらに東京の地下鉄を走る列車が丹波哲朗扮する秘密警察タイガー田中の基地になっていたり、お風呂ではビキニ姿の女性たちにマッサージを受けたり、柔道着を来た忍者が姫路城の敷地内で稽古をしていたり、新燃岳の火口湖にスペクターの基地があったり、オープンのトヨタ2000GTが走り回ったり、ヘリコプターに付けた凄く大きな磁石で敵の自動車を引き上げると東京湾に落としたりやりたい放題でつっこみどころが多すぎる。とにかく外国人のイメージする可笑しな日本が満載なのである。
 日本人に変装し漁村に紛れ込み、そこで日本語を話してもまったく誰も外国人とは疑われないほど日本語に堪能なジェームズ・ボンド。彼の目をとおしてみた日本は異国情緒たっぷりだ。

 ということでこれを見たあとは(日本人であっても)この世界の日本に行きたいと思うことうけあいである。これを見て実際に日本に来る外国人もいるに違いない。しかし現実の日本はこの映画ほどは面白くないに違いない。いやハトバスに乗れば話は別か。

(追記)

 これだけ面白い映画を撮ったルイス・ギルバート監督。彼は僕が子供の頃大好きだった14歳の少女と15歳の少年の恋を描いた「フレンズ ポールとミシェル」も撮っている。何故か僕の記憶に残る監督です。
 それにしても「007は二度死ぬ」のDVD、期間限定サービス価格は終わりですか? 

(さらに追記)

 脚本がロアルド・ダールとは!豪華スタッフ。

(訂正 04.12)

 この記事を書いた後DVD見直したのですが、どうもジェームズ・ボンドが使っていた日本語の回数は記憶してたよりずっと少なくてしかもつまらない日本語ばかり。日本語に堪能との表現は訂正です。でもやっぱり面白かったですよ。

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2004/04/06

香港新発見?シンフォニー・オブ・ライツ?

 テレビで「香港新発見」→テレビ東京という5分程度の短い番組が始まった。一回目は「香港夜景」と題して夜景に限らず香港のハーバービューを紹介していた。今後も「香港カルチャー」や「香港の離島」などというテーマで毎週放送されるらしい。

 僕は香港には2回しか行ってない香港ビギナーだが、1回目と2回目は10年くらいの間隔があってその香港の変化には驚いた。初めて行った時はまだ民族衣装を着て笠をかぶっているご年配の方を沢山見かけたし、沢山の屋台を見かけた。高いビル群は今も昔も一緒だがそれでも今ほどではなかったように記憶している。
 そして2回目はもう少し面白みに欠けていたように思う。僕は香港に対して幾分無節操な都市のイメージを持っているが、中国に返還され落ち着くかと思いきやそれはさらに増しているような気がする。予想以上にそのスピードは早くて以前は探さなくても見れた面白いものも、2回目は探さないと見つからないことが多かった。香港島も肉入り月餅を食べながら歩くという雰囲気でもなさそうだ。

 「香港新発見」で今回紹介された中にシンフォニー・オブ・ライツというのがあった。これは夜になると沢山のビルの屋上からレーザーを出したり電飾ピカピカしたりするという、100万ドルの夜景が10倍くらいパワーアップする見世物。レーザーというと田舎に住む僕のイメージではパチンコ屋の屋上から下品に出ているやつで、香港くらいもの凄いと華やかでいいのかもしれないがやはりパチンコ屋のイメージが浮かんでしまう。

 初めて香港に行った時のこと、香港島のビクトリアピークから夜景を眺めていると、ガイドさんが観光客たちに質問した。(当時香港に行った人は体験しているでしょう)
「香港の夜景を見て何か気がつきませんか?」
僕が「点滅してないですね」というと、
「当たりです。何故かというと、空港が街の中にあって飛行機の着陸の邪魔になるからです。香港には沢山のビルや看板があっても一つも点滅してないんです。だから香港の夜景は綺麗なんです。」という答え。
 その頃の空港というのは日本軍の置き土産をもとに作った啓徳(カイタック)空港。街中にあるその空港は離発着時にビルのすぐ上を飛ぶので、悪名高き九龍城砦とならんで今はもう無い香港の名物のひとつだった。現在は新しい香港國際空港(チェクラップコック国際空港)がランタオ島に作られそちらに機能が移ってしまったのでガイドさんが話してくれたような制約が無くなったのだろうか。 そんな事を思い出しながら僕は、テレビ画面から流れるシンフォニー・オブ・ライツの光景を見てその華やかさとはうらはらに何故か寂しい思いがしたのだった。

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2004/04/05

ピアノマン

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4月に入って桜が咲いているのをみると少し昔のことを思い出し、情けないことに感傷的になります。ということでたまには個人的なことを書いてしまいます、ご了解を。

 1975年、僕が小学5年の頃、母方の叔父が「これからは英語の曲を聴きなさい」と言ってエアーチェックしたある曲を聞かせてくれた。ビリー・ジョエルのピアノマンだった。(正確に言うともう一曲あってクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのジャングルを越えてだった)
 ビリー・ジョエルなんてと思う人もいるだろうが当時僕が住んでいる田舎では洋楽なんて不良の聴くものだと思われていた。まだ日本ではそれほどの知名度ではなかったし、内容はニューヨークにたむろする人々を詠った、いかにも吟遊詩人的な曲だった。叔父が住んでいたのが漁村だったせいか余計に都会的な感じで小学生の僕には十分刺激的だった。

 叔父は当時、中学で英語を教えていた。足も速く体育を教えていたときもあった。
 叔父の本棚には僕の興味を惹く沢山の本が並んでいた。僕は叔父のところへ行くと決まって本棚から本を拝借し西洋文学に浸った。何故か日本文学があまりなかったため授業では役に立たなかった。おかげで本や音楽については同級生とは話が合わなかった。叔父の部屋はまるでで外国を向いていた。

 ピアノマンのことを父に話すと父は「ついに興味をもったか」言わんばかりにボブ・ディランの血の轍をターンテーブルにのせた。(父も洋楽好きだったらしい)
 続くように父方の叔父がドアーズのハートに火をつけてを持って来た。(彼も洋楽好きだったらしい)
 ふと4歳のころのアルバムをみると僕がビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーのポスターをバックにフォーク・クルセイダーズのライブアルバムを持たされている奇妙な写真があることに気がついた。はめられた人生だった。彼らはこの時が来るのを静かに待っていたのだ。

 高校に進学するとバンドを始めた。パンクやネオサイケデリックが僕の前を通り過ぎ、今考えるとと笑えるような髪型と格好をして、そんな音楽に夢中になっていた。ビリー・ジョエルのような音楽を格好悪いものとして敬遠するようになっていた。近所から苦情がきても大音量で音楽を聴いていた。
 中学にあがる頃に母が亡くなり(この4月で27年になるなあ)、除々に叔父にあう機会も減っていた。しばらくは叔父のことを忘れていた。

 就職したばかりのある日電車の中で叔父を見かけた。僕は、やはり如何にもな格好をして粋がってた。叔父は格好には気を配らない人だったが、その日はまるで乞食のように見えた。僕は叔父に気がついた。叔父も僕に気がついたと思う。とにかく二人とも気がつかない振りをした。僕は叔父のその姿を恥ずかしいと思い(今では後悔しているが)叔父と距離をとった。
 叔父は実は話したいことがあるような目をしていたような気がする。でも僕の気持ちを察していたのだろう。その日は落ち着かなかった。

 その1週間後、叔父の死の知らせが届いた、癌だった。母と同じだった。

 あの時、叔父は自分が死ぬことを知りながら死の直前まで学校で授業を行っていた。あの時、僕がちゃんと声をかけていたらどんな話をしたのだろう。
 思い出せば父から「お母さんはあと1週間で死ぬんだ」と聞いたのは入院している母に真新しい中学校の学生服を着て見せた帰り道だった。母の前で、僕は学生服を着るのが恥ずかしくいやいやながら学生服を着た自分を披露していた。僕は父に文句を言っていた。
 ある日、母は僕に腐ったミルクをくれた、もう判断力が無くなっていたのだ。なんで気がつかなかったのだろう。母が死ぬことを知った時、もっとちゃんと自分の姿を見せるべきだった。

 叔父の葬式には教え子達が沢山参列しみんな泣いていた。
 僕と叔父は顔がとても似ていたらしい。僕は叔父の遺影を持たされ、お寺までの道を歩いた。沿道からは沢山の人から「そっくりねえ」と声がかかった。
 僕は2回も死を前にした人に対して失礼な気持ちで接した。あとに残るのは後悔ばっかりだった。

 それから20年がたった。僕は中古レコード屋でピアノマンを見つけ手にとった。ただ懐かしいと思っただけで買ってしまった。買った後「しまった」と思ったがあとの祭りだった。
 家に帰ってピアノマンをかけた。くらくらとして目の前が小学5年の頃の風景に変わり叔父の姿が見えた。
 叔父が小さなモノラルのカセットレコーダーのボタンを押した。モノラルの音でピアノマンが聞こえてきた。少しやり直せた気がして嬉しくて涙がでた。

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2004/04/02

たぶんもっとも人気のある旅番組は結構教育的

 余談だけど、この旅番組というのはあの「あいのり」のことで、この歳にも関わらず何故か家族そろって観てしまう。なかなか行けない色々な国や場所が見れるというのが僕的には大きくて、ヨーロッパや北米などの白人社会以外のところを周っている時は特に釘付け(ブータンとか)になってしまう。

 先日の「あいのりスペシャル」では南アフリカに入ったが、そこで気になることが発生。運転手のドミニクさんがみんなを自宅へ案内することにしたのだ。そこでみる彼の家はゴージャスの一言。これが南アフリカでは標準的な家だという。
 この時点で僕の怒りはいきなり沸点を越えた。おいアパルトヘイトはどうした、どうして今も白人はこんな家に住んでるんだ、黒人の住居がどうなってるのか知ってるのか、と心の中で叫び、そこにのこのこ入っていくメンバーに悪態をつく。スペシャルAKAの「ネルソン・マンデラ」が頭の中を駆け巡る。

 しかしそのあとの展開で、僕はまんまと騙された沸点の低い男となってしまった。結局このあとドミニクさんはみんなをタウンシップに案内する。ドミニクさん、わざと最初にゴージャスな白人の家を見せておいてそのあと黒人たちの住むタウンシップに連れて行ったのだ。そしてアパルトヘイトでの体験を話し、今もなお問題が山積みであること見せつけたのだった。一本とられた「あいのり」と感心。

 それにしても本当にメンバー全員、ドミニクさんのお宅に連れて行かれたときには何も感じなかったのだろうか。それとも展開を考えて編集でカットされていたのだろうか。もし本当に全員何も感じなかったとしたら日本の学校教育はやっぱり問題あるんじゃないかと思ってしまうのは熱過ぎか。

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ということでダンボです

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 何故「ダンボ」→amazon.co.jpかというと最近「ダンボ」のDVDを購入したから。何故買ったかというと僕はディズニーの中で一番「ダンボ」が好きだから。9ヶ月の息子に近い将来観せるために少しずつディズニーなどの子供向けのDVDを購入しようと考えたが結局最初は親の好みが出てしまった格好。

 ディズニーを代表する作品だからストーリーを説明する必要もないが、生まれた時から大きな耳のせいでいじめられ、息子をかばって暴れた母親は檻に入れられ親子離れ離れに、しかしその大きな耳を使って飛べるようになったダンボは最後に一躍人気者となるという映画。

 子供の頃から何回も観てそのたびに元気をもらっていたような作品だが、大人になって観てみると別な感じで面白い。「ファンタジア」などの陰に隠れて、ディズニーの中でも比較的低予算で作った作品なので背景の作りこみが甘いなどと感じながら、まったく逆に低予算ならではの実験的というべきシーンもある。ダンボがお酒の入りの水を飲んで酔っ払って見てしまう有名な「ピンクの像」のシーンなどは手塚治虫もビックリのシュールなもので、これが60分強の短い話に相当長い時間を割いているは驚きだ。(時代背景もあって人種差別的な描写もあるところも手塚的?)

 それにしても心温まる素晴らしい映画なのでまだ観てない人は観てみよう。(といっておきながら僕は特にディズニーファンではないですけど)

 ということで9ヶ月の息子の前でなんとなくかけていたら何の反応もない。まだまだこれは早いんだろう。「ファンタジア」にいたってはベソをかくしまつ。
 そして僕はと言えば今回は生まれたばかりダンボが何故か息子に似てるのではないかと親ばかな感想をもつに至る。

(しかし、このサイトにダンボのDVDの画像はあわない感じがするなあ)

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2004/04/01

そろそろ旅以外のことも書きましょう

 このブログを始めてしばらく旅ねた中心に書いてたけど、ブログを始めた際に周りから言われたのは「音楽のブログ作るの?」とか「映画のブログ作るの?」とかばっかりで僕の印象はそういう印象だったのかと思いながら何故か旅ねた中心の記事を書いてきた。(海外に行きたくてうずうずしていた)。
 そういえば最後に海外に行ったのはもう半年近く前になってしばらくご無沙汰だし、あまり旅ねたばっかりだと旅に行きたい気持ちが強くなってしまうし、仕事も忙しくて長文書くのがしばらくつらいので、そろそろ旅以外のことも増やしていきましょう。(余裕があれば別ブログにするつもりだったんですが)

 それにしても日刊ココログガイドでは旅行関係のブログとして紹介してもらったし、そっち方面はちゃんと続けます。南国以外のことも。

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香港、信和中心は怖い

 過去、海外旅行に行って何が一番怖かったか想像してみる。幸運なことにあまり怖い目にあっていないらしい。スリにやられそうになったり、ぼったくりタクシーにのってしまった程度。ウェブを見ていると色んな冒険談が書かれているが、偶然に大したことは経験してない。残念なことに病気にもなっていない。

 ということでショボイ海外トラブル経験の中で何が怖かったかと思い出す。危険度は小なんだけど香港の信和中心(旺角にある)というテナント集合ビルは怖かった。このビルはオタクビルとして有名で一階こそは普通のテナントばかりだが、上へあがるにつれ違法CD-ROMを売る店やアイドル生写真を売る店、マンガ屋、キャラクターグッズを売る店などが増えてきて狭いビル内をひしめきあっている。

 このような場所に足を踏み入れること自体が僕からすれば少し緊張してしまうのだが、その日は頑張って入ってみる。警察も時々踏み込んでいるような場所だが、あきらかに違法ものを売ってる店も店員は大変明るく親切。緊張も解れてきたところで、ここでこっそり写真をとってみようと考える。そしてアイドル生写真屋の前で1枚(僕の趣味ではないですよ)。まあこっそり誰にも気がつかれないように撮ったつもりだったのだけど持っていたカメラが父親から借りたNikonのF4という割と大きいカメラ、やはり見つかってしまう。店員が騒ぎ出し、僕はビルの警備員に引き渡されてしまった。そこで相手は広東語で「写真を撮っただろう、フィルムを出せ!(多分こんなことを言っていた)」、僕は日本語で「撮ってない、撮ってない(本当は撮ってるわけですが)」と押し問答。次第に冷や汗たらたら。結局、広東語と日本語で折り合いがつくわけもなく、営業内容が内容で相手も警察を呼ぶわけにもいかず30分程度で解放された。信和中心は怖かった。

 この日以来、僕は写真はジェントルに撮ることを心がけている。(信和中心ってまだあるのかなあ)

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